ひげのお兄さんの日記

2005年01月30日(日) まだまだ先

皆さんもニュースなどでご承知の通り、
今年は例年の何十倍もの花粉が飛ぶそうです。
私も毎年花粉との格闘。
数年前からは、早い段階から抗アレルギー剤を
飲み始めるようにしているので、症状がひどく
なる事は無いのですが、それでも日によっては
花粉が大量に舞っている時もあるようで、
クシャミやなみだ目になって不愉快な一日を
おくる時もあります。
今年が例年の20倍だの30倍だのという事から
すると、はたしていつもの抗アレルギー剤が
効くのかどうか心配ですね。
特に困るのが運転中なんですよ。
眼がウルウルで、クシャミの直前の「ハッハッ!」
のあの「ハクション」の前は完全に白目状態だもんね。
先日の報道で、林木育種センターというところが
無花粉スギの開発に成功したとありました。
年内には各都道府県に挿し木となる穂木を供給し、
林野庁は、地域の土壌や気候に合わせた品種改良を
促して現行品種からの切り替えを図るという方針だそうです。
でも、そんなペースだから2010年ごろからの切り替えに
なるそうですよ。
まだまだ気の遠くなるほど先の結果を待つ気にもならず、
とにかくゴーグルとマスク買った方がいいみたい。
3月・4月は私がいても皆さん気付かないかもね。



2005年01月27日(木) おしゃれ

今週も映画観に行ってきました。
「オーシャンズ12」
前作の11を観ていないとチョット
つながらないかも。まだ映画館に行ってなくて、
前作を観ていないなら、レンタルで借りてきて
観てから行った方がいいですよ。
しかし、キャストが豪華。
ギャラで言うのもなんですが、確か
主演のジョージ・クルーニ−が21億
ジュリア・ロバーツが23億とか。
その他ズラリと並んだ豪華キャストで
総額いくらかかってるんでしょうか。
映画の中身については、ストーリー展開が
時系列ではなくて、前後したりするので、
うっかり流してみてると「あれっ!さっき
どうだったっけ?」みたいな事になるかもね。
あまり重苦しい映画ではないし、メッセージ性
もとりわけ無いので、気楽に楽しめる映画です。
カメラワーク・映像・男性のファッションと
なかなかお洒落な映画です。



2005年01月24日(月) 継承

今日の地元紙に、私が所属する無雙直傳英信流の
居合の記事がでました。
今年の初稽古に取材に来て頂いたときの事を
中心に、「なぜ居合をするのか」についても
触れて頂いてます。
実際に日頃練習で顔を見るメンバーは、8人ぐらい
でしょうか。
新聞にも出ていたように、下は小学校3年生の
女の子から、上は74歳の先輩まで。
ただ、人数が人数なので、10代・20代が二人ずつ。
後はそれぞれの世代ごとに一人か二人といった状況で、
実際私の世代である40代は、私だけ。
特殊ではありますが、大切な日本の伝統文化としての
古武術でもあり、なんとか継承をしていきたいと
日頃から考えていて、新聞に載るというのは、
ほんと有り難い事です。
今までは、あまり積極的に外へ打って出るといった事は
していなかったみたいで、それでもかつては20人ぐらいは
いたそうなんですが、今の時代、テレビでもチャンバラさえ
めったにみる事が無い状況下では、やはりその価値を
アピールしていく事も重要ですね。
ただ、やってる事が事なので、伝えるというのが結構大変
なんです。単に刀の使い方だけを教えれば良いという事では
無いですし、実はその事でさえ最近の子供達にはイメージ
すら伝えるのが大変だったりで、ましてや居合をする事で
習得するものが、現代を生き抜いていくためにどう役立つか
まで伝えていく事はホント大変ですね。
でも、地道にやっていく事しかないです。
頑張ります。



2005年01月22日(土) 気がね無く

今日は午前中はスマトラ沖地震による被災者
への募金活動をしました。
結構、高齢化が進んだ私の住む校区の
なかの、デパートの近くでやったのですが、
皆さんもう事情はよくわかっているので、
多くの方が募金をしてくれました。
なんだか人の善意というものが嬉しくて
感激でしたよ。
夕方からは、昔勤めていた会社の仲間と
新年会。
みんな、社内ではそこそこの立場になって
大変みたいですが、いい飲み会でした。
私達が入社した頃、40代の先輩をみると
結構おじさんに見えたもんですが、気が付いたら
もうそんな歳に自分がなっていて、20代の
社員見てると若いな〜って感じるところからいくと
ヤッパリ確実に歳は取ってますね精神的にも。
歳ばかりは確実に進むので仕方ないとして、
なんとかその世代世代ごとでいい歳のとり方というか、
ヤッパリカッコよく生きたいですね。
私はテレビをみてて、対談番組に出てる時の
俳優の三国連太郎とか夏木勲でしたっけ?
あの渋い役者。
演じてる時は様々ですが、対談では実に紳士で
品を感じさせていて、だからといって嫌味な
感じは無くてユーモアも出せる。
カッコいいなぁ〜とみています。
あんな歳のとり方が出来たらいいですね。



2005年01月20日(木) もうひとつのラストサムライ

今、上映中の映画、「北の零年」を観に行って
きました。
「ラストサムライ」でハリウッドスターとして
注目され、「バットマン ビギンズ」にも
出演という渡辺 謙と、あの吉永小百合が夫婦役での
今話題の日本映画です。
明治初期の北海道を舞台に厳しい自然と戦いながら
生き抜いていこうとするサムライ達と、共に夢の
実現を信じて頑張る女たちの映画で、
実際にあった史実に基づいて、ほぼ近い背景で、
「厳しい現実」と「夢」と「誇り」に翻弄されたり、
葛藤があったりの人間ドラマです。
この鳥取県からも、当事は今の釧路あたりに多くの
方達が行かれて苦労されたと聞いています。
今も釧路には鳥取神社というのがあります。
その様な歴史背景の中で、なかなかのキャスト。
存在感たっぷりの渡辺謙、今回は後半で世の女性を
敵にまわすようなストーリー。
豊川悦司の人気が上がるかな。
何と言っても吉永小百合は凄いですね。
役柄とその演技も凄いけど、あの歳にして、堂々の
アップ。それに耐えれるどころか実にキレイです。
「ラストサムライ」は私の好きな武士像がよく出た
映画でしたが、この「北の零年」に出てくるいくつかの
武士像もなかなか良いですよ。
世の中の流れの中で、悩みながら生き抜いていこうとする
姿と人間愛。明治初期の話ですが、現在の私たちの
生き方に重なるものがあります。
いい映画でした。



2005年01月19日(水) 米子でも

昨日、久しぶりに前務めてた会社でお世話になった
おじさんと一杯やりました。
懐かしい話に盛り上がって、あっという間に
一次会が4時間も立ってました。
おじさん、随分気にかけてくれてて、
気兼ねなくブッチャケ話もできる人で、
また、スケールも結構デカイ考え方の持ち主。
飲んでも夢が語れるので楽しいし、過去やってきた
仕事も結構な事で、周りの人は無理だと思っていた
ようなことを幾つも実現させた影の立役者のような人。
「どうせやるからには、明るく前向きに、いい汗かく事だ!」
「ヤッパリ夢が語れなきゃダメだで」って昨日も言ってましたよ。
前にも書き込みしたと思いますが、「夢」が語れて、その夢を
どう実現するかのステップとなるプランをもって、タイミング
をみて、逃さず踏み込む決断力と行動力。
それが私たちの仕事に対して、あるべきもつべき能力。
私達が以前勤めてていた会社は定年退職して、
今は第二の人生を別の会社で送っているのですが、
その会社でも重要なポストで頑張っているようです。
営業部長とかで、「自分の肩に70名以上の生活が
かかっているようなもんで、営業も大変だわぁ〜」と
言ってましたが、酒を飲んでも愚痴ひとつこぼす
訳ではなく、明るく話していましたよ。
新年入って、久しぶりの気兼ね無い楽しい酒の場でした。
そんなおじさんから聞いたのですが、自分が勤務中の時、
自宅に「だんなが人身事故を起こした。今本人が調書受けて
いるので変わりに・・・。今変わります。
相手が被害者といっている方のお母さんと名乗る人が出てきて、
泣きながらの演技にまんまとだまされてしまったそうです。ああいう
のは。
しかし、米子でも出るとは。
現金の扱いは皆さんが頑張りましょう。



2005年01月17日(月) びっくり

インターネットでニュース見てたら
驚きのニュースがありました。
ルーマニアで67歳の元大学教授が
双子を出産したそうです。
ただ、双子のうち一人は間もなく死亡したそうで
残念ですが、残る一人の健康状態は良好だそうです。
体重は1.4キロだそうですよ。
私は知りませんでしたが、今までの世界最高齢の
記録は62歳のイタリア女性だったそうです。
頑張ってますねえ〜。
この度出産したルーマニアの女性は、9年間に
わたって不妊治療を受けた末の妊娠だったそうで、
昨年末には高齢出産の可否をめぐって論争が
起きていたそうです。
子供が欲しい人欲しくない人様々ですし、
身体に危険を伴うというリスクを考えたら
簡単な問題では無いのでしょうが、
自己責任の下でなら、周りが可能性を摘むような
事は、あまりしないほうが良いと思うのですが。



2005年01月16日(日) ウーロン茶

昨日、午後1時という真昼間っから、
前に務めていた会社の組合の新年会に
出席しました。
日頃からよく出会う人もいましたが、中には
16年ぶりぐらいに出会った人もいたりで
楽しい会でした。
しかし私は真昼間の酒というのが苦手で、
すぐに酔っ払って頭が痛くなるんです。
よく季節の暖かい時期に野外でバーベキューとか
昼間にやりますよね。
あれなんかも、仮に3時ごろには終わっても、その日の
夜はもうご飯も食べずにグタ〜って感じで何も出来なく
なるんです。
昨日は、私にとっては一大決心でウーロン茶で通しました。
来週の土曜日も新年会で、来週は3時始まり。
絶対二次会パターンになるのはみえみえで、
居合にはいけないでしょうから、
昨日はお茶にして、ちゃんと稽古に行きました。
やれば出来るじゃん!俺だって。



2005年01月15日(土) もう10年

最近テレビでは、阪神大震災から10年と
いう事で、様々な番組がありますね。
昨夜は、この10年の被災者の事を
再現ドラマを交えてやってましたし、他の番組では
スマトラ沖地震による津波被害の分析から、
東海・東南海などの地震による津波のシミュレーション
をコンピューター・グラフィックで見せたりしてました。
しかし、あれからもう10年です。
私たちは鳥取県西部地震もこの間、経験したのですが、
何となく、また、感覚が鈍ってしまうというか、過去の
話になってしまって日常に危機感がなくなってしまって
いるような気がするのは私だけでしょうか。
昨日は一日中、書斎にこもって、昨年の文書や原稿の
整理をしてしまおうとパソコンに向かってました。
私の部屋は3畳ほどの狭い部屋で、でもこれ、
以前読んだ書斎のつくり方の理論にそってつくったのですが、
お陰でプライベートエリアというか落ち着く空間距離とかで、
居心地は結構よくて一日中こもってても、あまりストレスを
感じないんです。
でもね、防災上から見るとかなり危険かな。
背中側の本棚は天井近くまであって、落ちてきて当たったら
痛そうだし、北側の光を受ける方が安定してるという事で
位置決め下のですが、日頃は目が休まる裏山の木々も
巨大な災害時にはどうなることやら。
まあ考えたらきりが無いのですが、危機意識・防災意識
はもっとかないとね。



2005年01月13日(木) 実践力

先日、居合についての取材を受けました。
いろいろ聞かれたのですが、
特に自分自身にも、改めて問いただしたのが
「何故、居合をするのですか?」という問い。
極めてシンプルな質問ですが、一言では返しにくい
質問でした。
もしかしたら、後日、私の言葉としてか、あるいは
私の所属する流派の会の館長さんの言葉で出るかもしれませんが、
どうせ紙面の関係で、全てが載るわけではないので、
先に補足をしておきます。
「何故、居合をするのか」、いくつか理由があります。
まず、私は小さい頃は、自分に全く自信が無く、何を
やっても中途半端。成績も良くなかったし、引越しした頃の
いじめにあった経験がこびりついてて他人に合わせて
チャラチャラして仲間に入ってるのが精一杯。
周りからはどう映ってたかわかりませんが、自分自身はそんなとこ。
そんな自分を変えたのが空手との出会い。以後、ボクシング、テコンドー
など、武術の道に入っていくわけです。各種格闘技の経験の成果と意味は
大きいのですが、中学校から読み出した兵法書や歴史小説の影響を
受けて、高校3年のボクシングのインターハイと空手での国体が
終わった頃から、武道の道を歩きたいという気持ちがシッカリと
自身に出来上がってました。
その後、実際には、それを職業とすることは、なかなか叶わず、
10数年前にやっとボクシングジムを設立。ただこれは、
私の持つ武道感とは違うもので、ただし、高校時代から、
自分をつくり上げてきた歴史からははずす事の出来ないもので、
これがあったからこそ、今の武道の追及の段階があるといえるものです。
但し現在は、ボクシングジムは信頼できる情熱家の後輩に引き継いで
もらって、創世記から次の段階へ発展的に頑張ってもらっています。
県のボクシング連盟の副会長としてはかかわっています。
さて、本題の居合。
私は、現代武道といわれるものの中には、スポーツとはっきり言ったほうが
いいものが随分あると思います。
また、「武道」という事で、通わせる親たちも、指導者の一部も、
現代社会では使う場面がほとんどありえない事から、礼儀作法と
集中力、落ち着きといったような精神的効果を求める場合多いようですね。
確かに武道をしていく中で身についていく可能性の高さに精神的効果は
ありますが、私は多くの皆さんが、その「精神的なもの」を
狭義なものとして捉えているのではないかと思います。
私の話に再び戻しますが、私の場合の一つ目の理由は、世相や対人関係の
中で余裕無く対応してる自分を、あえて、「空」にして、クリアーな
状態から再起動をかけるようにするため。それがひとつ。
二つ目は、日頃、仕事にも少し慣れてきて、周りの自分への対応などに
変化が出始め、勿論、仕事に対する自負もある程度もてるような
事もあったりする中で、天狗にならず、鼻がのびそうになるのを
へし折ってくれる存在、つまり師と仰ぐ人の存在が欲しかった事。
それと、仕事ではなく、一人の人間として、生きていくための
土台となるものが欲しく、それが自分をここまで育ててくれた
のは武道であるという事を再認識した事。
また、この人間のライフワークの土台となる生き様が無ければ
日常の世相や様々な人間関係から出てくるものに流されて、
自分を失う事になりかねないから。
最後ですが、古武道である我が英信流居合兵法から得るものは、
充分、競争原理の現在社会で使えるという事です。
居合には「鞘の内」という言葉があります。どういうことかといえば、
心得として鞘の内とは、「抜かずして和するが理想なれど、やむを得ず
応ずる時は、気を持って相手を圧し、抜き打ち一閃、鞘離れの瞬時
にして勝ちを制する。」つまり、相手の出方、考えを充分に把握し、
出来れば闘わずして事を制する。
しかし、相手があくまでも攻撃する気で向かってくれば、その動きに
あわせて対応し、刀で言えば、抜くからには0.数秒でも早く相手より
先に斬り付け、勝利を得る。「闘うからには勝たねばならない」という事。
その戦いに必要なのは、何のために戦いに動くかという大義が必要
と、闘った結果にどの様な効果が得られるかを自分自身が納得しておく事。
政治・経済の見通しが不明で、治安・家計・老後・今の子供たちが大人になった時の社会状況などなど、不安要素でいっぱい。
現在を見ても、競争原理の中での選択と結果への自己責任。不安な生活を
抱えた戦いの毎日で、仕事の面では結構回りは競争相手や敵が多いし
自分のとる道への選択の連続の毎日。
今の時代、よほどのことが起きない限り、日本刀を持って実践に
使うチャンスは、ほぼありえませんが、居合の理念、考え方、周りへの
注意・察知・読み、相手の動きをみての対応策と、最後に勝つ事。
それを支える日本古武道で鍛える精神力。それらは充分に現代社会に
応用できる哲学であり、奥義ですね。それらが私の居合に傾注し、
武道家であること、仕事以前の、中田という人間としての
土台でありライフワークが「武道家」である事の理由です。
ほんとは、まだまだ喋り足らないんだけどね。
最近は、日本古来からの伝統文化のひとつとしての古武道の継承
とうい社会的任務のような事がかぶさってきました。
これは、スロ−ライフや本物志向とか、和風のものがもつものの
再評価という事もあって、少しでも役に立てれればと思っています。



2005年01月10日(月) 成人式

近年、毎年話題となる成人式の様子が
ニュースで流れてました。
またまた沖縄や広島あたりが出てましたが
大なり小なり最近の成人式では見る光景です。
突拍子もない事を仕出かす悪ガキは実際一部の
人間で、それを周りがどう受け止めるのか。
やってる本人はいい調子ですから、学ぶ事も
大した事じゃないかもしれませんが、
その周りにいる人間や、こうして報道で知る人間は
新成人に限らず、祝う側も含めて多くの事を考え
学びます。
やってる本人たちも後々考える事になります。
人生は選択の連続で、特に最近は選択される道と
その到達点の結果が、恐ろしいぐらい早く要求されるので、
市街地の中をウロウロ探すような選択ではなくて、高速道路
の分岐点を通り抜けるような感じになってますね。
最近は「スローライフのすすめ」みたいなことも言われては
いますが背に腹は変えられないといった毎日でしょうか。
話を戻すと、寛容な社会が新成人を祝う機会をつくっている
訳ですが、大概の祝辞で言われる「成人としての自覚と責任」
という事の実践がなくて、またしてもバーチャル。
社会の先輩が、原因と結果についてをシッカリ見せなければ
なりません。
それから、同じ新成人の圧倒的多数は比較的まともで、
その同じ新成人の中で、社会秩序が保たれる事が肝心。
ですから、新成人の枠組みでこういった行為が受け入れら
れてる場合と、そうでない場合の対応は違うわけですね。
何れにしても先輩たちが、いい背中を見せてやる事です。
正直な腹の内もね。



2005年01月08日(土) 基準

今朝、テレビ番組で「奈良女児誘拐殺人事件」の
事について取り上げてました。
議論の争点は、「性犯罪を犯したものが
今どこにいるのか」という事について警察庁が
前歴者の所在を把握しておく事についての見解。
日本の現状として、性犯罪の再犯率は、
その番組によると、強姦したものが49.6%、
強制わいせつが41.1%、刑法犯としての
平均率でみて35.6%という数字を出していました。
かなり高い数字ですね。別の番組では10%台の
数字のところもあったので、どの数字を取り上げて
高・低を判断するかは難しいところですが、
問題は、「性犯罪」というものをどこまで深刻に
受け止めているかという事。
最近、様々な虐待の事が問題になっていますが、
現在の日本では、性犯罪が、まだまだ軽く考えられている
のでは無いでしょうか。
戦後、欧米からドンドン取り入れた「3S」のひとつが
「セックス」だそうですね。
「楽しい事」「気持ちのいいこと」「便利な事」
そういったことを大量消費しながら追及してきた
訳ですが、そんな社会で身についてきた感覚と
社会を維持していくための規範システムが噛み合って
いないと思います。
「権利」と「義務」の問題もそうですね。
充分な議論が必要です。



2005年01月07日(金) 冬型

今、外は雨が降ってますが、どうやら
雪になりそうな空模様ですね。
今日の午後の空も、北の空が真っ黒で、
如何にも雪が降りそうな山陰の冬らしい空でした。
気温も下がってきてるみたいです。
明日は居合の初稽古。
雪になろうが何だろうが、向こう一年の稽古の
始まりらしいビシッとした居合抜きで行きたいですね。
今日は新年の懇親会があったのですが、
明日のためにもチョット酒を控えめにしておきました。
というか、何だか正月の飲み疲れって感じもあって
あまり入らなかったですね。
でも今月は今週も来週もその次の週も新年会続きなんです。
一年の始まりが体にとっては一番キツイ。
頑張って切り抜けなければ。



2005年01月04日(火) 意外

今日から年始の挨拶回りをはじめました。
今年は2日が日曜日だったためか、
仕事始めが4日の所や5日に所やら
いろいろで、まぁこちらにとっては分けて行けるので
都合がよかったんですが。
それはそうと、元日に剃った髭、2日・3日は親戚など
身内意外は2名の知り合いに出会っただけでしたが、
今日は約50名の方に出会ったのですが、気づいたのは
わずか2名。2日の親戚が集まっての飲み会なんか
いよいよ我が家から帰る時に、こっちから言って
始めて気づくありさま。
とかく変化を恐れるのは、人からの評価や受け止め方が
変わってしまう事への恐れで、それが自分自身の変化への
恐れにつながるそうなんですが、今回の場合、思っていたほど
周りの反応は無いですね。
気づいた人や、その人が口にして気づいた周りにいた人の
反応も思っていたほど驚く様子は無く、良いの悪いのといった
評価も返ってこない。つまり周りからもどうでも良い事に
なっていたという事でしょう。
それと、私自身が、今朝、挨拶回りに行く日を迎えて
何の躊躇無く、髭剃りをもっていった事や人とあってて
気負いも無ければ、「剃りましたよ」って帰り際にこちらから
言って、「何で?」と言葉が帰ってきても、「無くても別にいいから」と
サラッといえる自分に、少しは成長したかなって思ったりもしています。
明日は明日はかなり多い人たちにであう予定ですが
何人が気づくか面白いですね。
今日気づいた人2名は、「感性」が凄いな「気遣いが凄いな」と
日頃感じてる人でした。出会ったとたん、すぐに「何で?」って
言葉が飛んできた事に関心もしました。
日頃、身近にいたり、アタリマエだと思ってて鈍感になっている
事が日常には多くあるでしょう。そういう事への感受性を磨けるような
毎日の5感6感は意識して使わなきゃダメみたいですね。
私の場合、居合道の極意の習得に励み、その応用を日常生活で起きる事へ
如何に生かせるかでしょうね。
仕事でも充分に生かされる感性だと思います。
私の場合、時代遅れの古い価値観かも知れませんが、私は陽明学の影響が
かなり強いんです。
客観的に、宇宙レベルで「理」が存在してて、人は所詮その理の中で動く。
徳川幕府体制維持に都合のいい学問で、自分の外に必然性が存在していて、上下関係の中で、役割を全うする。それが江戸幕府の朱子学。
それに比べ、陽明学は大きな客観的な社会のながれの中においても、
自分の心に正直に、「性善説」を土台に、大義を以って行動する。
「万物一体の仁」という考え方で、今で言う民主主義のはしり。
イラク問題、憲法問題、行財政改革、自分自信の政治スタンスと行動。
組合運動から経営までやってきた私にとって、改めて今、陽明学が
スウッと入ってくる。
とりあえず、もっと深く勉強してみたいですね。



最近もう武士(もののふ)モードですよ完全に。



2005年01月03日(月) 剃ってみました

元日の「新年のつどい」出席後の飲み会を
終えて、12年間生やしていた髭を剃ってみました。
何故、剃ったかというと、そもそも何故生やしたかに
遡らなければなりません。
12年前に私は勤めていたJRを退職し、ボクシングジムの
経営と、父親の建設業の手伝いと二足の草鞋を履きながらの
新しい生活をスタートさせました。
退職して間もなくして行った散髪屋さんの友人が、
不精にしてた私の髭を見て「のばすの?」って聞いたんです。
私はそれまでの勤め人としての窮屈さからの開放感から
チョット不精になっていたのですが、その時はまだ、伸ばすかどうかは
決めてませんでした。「2週間ほど我慢してみなよ!」っていう軽い
ノリでポンと進められて、「剃るのはいつでもそれるんだから、
試してみりゃいいじゃん」と言う事で、とにかく先ず、2週間の
ムズムズを我慢しながら検討する事としました。
結果、2週間後に散髪屋のマスターに続行を表明。以後12年間生やし
てきたわけです。
一見、軽いノリでスタートした感じでしたが、ジックリ当事の精神状況から
思い浮かべると、大きく二つの理由があったと思います。
ひとつは、先ほども触れましたが、大きな組織を離れ、実力本位で
自分次第の仕事に変わった事から来る開放感、「やりたいようにやる」
という自由を感じていたから。(結果、生やしてからは余計手入れが
面倒になったのですが、それはさておき)
二つ目の精神的背景は、会社組織を離れ、自力で生きていく事への様々な
不安に対し、自分を鼓舞し、様々な海千山千の相手に気負いしない事、
逆にその風体のインパクトを強めて武器にするような、そんな不安な自分に対する戦うアイテムのひとつとしての有効性を求めたのだろうと
思います。
戦国時代の鎧にまつわる話とか、格闘技での外見とパフォーマンスも
その一種ですね。外見で主導権争いに負けないといった類の使い方です。
当事、深くは考えず進められるままにのばしはじめたのですが、
当時私の精神的な背景は、そんなものだったと思います。
12年たった今、いろんな意味で、自分の「原点」からの再構築を
しようと考えています。今の仕事のスタート時のことではなく、
もっと深い意味での「原点」です。
今日まで、お世話になった人たちに報いるのは、とにもかくにも
仕事での頑張りと結果だと考えて、批判も受けながら突っ走ってきました。
かつての仕事では、結果に対してゼロか100の二者択一のような
原則論で判断し、行動してたのですが、今は、目標の実現のために、
現実路線で一歩でも進む。それが負託に対する責任と思って今日までの
約6年間をやってきましたが、古いタイプの方たちからは批判も随分
受けています。
100%の人を納得させる事は無理としても、どうやら私は「手法論」の
域を出ていなかったようで、「やり方」の違いからの不信感や軋轢を
引き起こした原因はこちらにも多いと自己反省しているところです。
もう一度原点に立ち返り、「何のために」「誰のために」プライベートも
時間もお金も犠牲にしながら今の仕事をするのかという「大義」に基づく
「行動派」である事が肝心で、その人格的ベースは「武道」という
私の人間性としての土台もブレない様に、堂々と、ありのままで、
自分の気持ちに嘘はつかず、前向きな行動で行きたいと思います。
そんな新年の決意を持った私、髭の力に頼らず、というか、髭があることに特別な意味や効能が感じられなくなってきました。
心機一転、やってみたい。
この2日間、親戚たちが随分来たのですが、帰り際にこちらから言わないと
気づかなかったですね。
もし、髭があった方がいいという方は、ご意見でも
メールでも下さい。客観的に考えられる髭の効果も是非、評価は
しておきたいですから。



2005年01月01日(土) 明けましておめでとう

新年あけましておめでとうございます。
皆さんは、どんな年明けでしたか?
私は元日の11時から「新年のつどい」というのに
出席し、その後は親戚と飲み会。
帰ってからも御節で一杯やりながら
かくし芸大会や漫才をみて、笑いのセンスを磨いています。
落語家や漫才師というのはホント間の取り方や着眼点が
素晴らしいですね。
つい見過ごしたり聞き流したりしがちな事を見事に
ネタにしています。
私は「いじめ」のような肉体芸や突っ込みは
あまり好きではなくて、「ホントあるある!」みたいな
日常的なものから笑わせるようなのが好きですね。
肝臓はかなりフル回転してるでしょうが、
シッカリ充電して、今年もガンガンいきますよ。


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ひげのお兄さん