十夜一夜...Marizo

 

 

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MZOヒストリー�� - 2021年02月17日(水)



「きのとや」の限定ケーキ!

めっちゃ美味しかった! なんせこれで600円(やらしい)


お誕生日にケーキを貰って54回。
幸せな人生ですわ!!!!


□■□


忍さん(父)実家は九州、鹿児島県。
長男、次男、忍さん、妹4人の7人兄弟姉妹。

昭和4年生まれの父を含め、男三人が高校へ進学したのはわかるが
実は下の妹4人も高校へ進学している。

つまり当時としては随分と教育熱心な家だったのでないだろうか。

本当にこうなると、もっともっと
ヒデさん(祖母)に話を聞いておけばよかったと思う。

おそらくヒデさん実家も教育熱心な家ではなかったか。
ヒデさん(祖母)は毎朝ずいぶんと時間をかけて
新聞を読む人であった。

私が持って行く「翼の王国」(ANAの機内誌)を
毎回とても楽しみにしていた。


ヒデさん(祖母)は99歳で亡くなったのだが
本当に晩年まで畑でお米や野菜を作り
我が家に送ってくれていた。
実は体調を崩して入院するまで
田舎の一軒家で一人暮らし(猫一匹)をしていた。

祖母が作るお味噌汁は
独特の麹が入った味噌で
お醤油も甘い九州醤油。

私が行くと必ず「おかえりなさい」と
迎えてくれた。

鹿児島にはまだ家がそのまま残っていて
近所に住む叔母が管理をしているとのこと。
世間情勢が許せば、遊びにいきたいものだ。

■◇■

母方の祖母はタメさん。
前述したアル中の祖父に代わり
家のことから、畑のことから
文句ひとつ言わずに働いた人だ。

この祖母タメさんに関しては
本当にたくさん思い出がある分、後悔も多い。

晩年、札幌近郊の老人施設に入居した祖母だったが
今のようなケアもなく、ずっとベッドに寝たきりで
よく頭がしっかりしていたものだと思う。

ちょうど昭和天皇が体調を崩された時、
世の中のいろいろな事が自粛ムードで沈んでいることから
「ねぇねぇ、明治天皇の時もこんな感じだったの?」とか
バカなことを聞いていたことを思い出す。

ちなみに答えは「どうだったかね」だった。


父が病気なことも、亡くなったことも隠していた。
ある日、私が行くと親戚から話を聞いていたのだろう
「父さん、亡くなったんだって」とベッドの上で
泣いてしまった。私も一緒に泣いた。

孝行したい時にその人はもういない。
本当にそうだ。
思い出と後悔はワンセット。


■◇■


祖父母4人とも私の記憶にはちゃんといる。
これはとってもありがたいことかも。
Marizo





















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54歳になりました>MZOヒストリー�� - 2021年02月16日(火)

本日、誕生日。

忍さん(父)と美智子さん(母)のおかげで
この世に生まれ出でました。

今は亡き父(享年59歳)と、
今も健在の母(今年6月で85歳)に感謝を!!


ちなみに忍さん方は愛蔵さん(祖父)とヒデさん(祖母)
そして美智子さん方は菊男さん(祖父)とタメさん(祖母)

私は祖父母4人共にかなりきっちりした記憶があるし
なんなら結構大きくなって(いわゆる成人して)からも
何度も会っていた。


今思えば、もっともっといろいろ聞いておけば良かったなぁと。


■□■


愛蔵さん(父方祖父)の職業は大工さんだったと聞いている。

私(7歳=小学校二年生)の記憶の中では初対面で
すでに(病気で)半身不随。自宅(鹿児島県)のベッドに寝たきりだった。
ベッドそばに簡易トイレがあって祖母が一人で介護をしていた。
今考えると尿意や便意を伝えることができて
人(祖母)の手を借りて(トイレに)移動する間の時間
我慢することもできて、なおかつ用を足し終わったことを
伝えることも出来ていたので
今の発達したリハビリ医療を施すことができていれば
愛蔵さんはもう少し良い晩年を過ごすことができただろうと
今、この年になると思うことが多い。

愛蔵さんは会話が出来ないわけではなかったけれど
7歳の時に初めて会ったおじいちゃんに
「あなたのヒストリーをお聞かせください」と
言える(勇気)も聞ける(能力)も
その当時、そういう好奇心もまったくなかったわけで。

何歳の時に撮った写真かわからないけれど
我が家には父の隣に愛蔵さんがいる。


□■□


菊男さん(母方祖父)は・・・もともと農家だったけど
農家の仕事は一切せず毎日昼間から一升瓶抱えてた(笑)
もちろん私(四歳)の記憶スタート時なので当時60歳代ぐらいかなぁ。

菊男さん(母方祖父)は中肉中背のすでにスキンヘッド。
つまり私が男で生まれていたら今頃リアップ使ってるかも。

なぜなら私は外見、体質ともに母方の遺伝子を
割と多く引き継いでいるから。
肝臓が丈夫(酒飲み)
受け口(小学生から矯正してたけど、しなかったアパッチ健(ふるっ)
みたくなると矯正歯科で言われた)などなど。

菊男さんの家(母の実家)は札幌近郊の農家だったので
繁忙期には母は姉と私を連れて手伝いに行っていた。
幼い私は田んぼの畔道で姉と追いかけっこをしたり
タメさん(母方祖母)が作ったナスの漬物を食べすぎて
口の周りから舌から紫色に染めたりしていた。


菊男さんは農家の仕事をせずに何をしていたかと言うと
一応、地元の顔役的なことをしていたらしい。
母いわく「外面がいい」「役場に出入りして」
「えらそうに」「家のことは祖母任せ」な人だったみたい(笑)


幼い私が知っている菊男さんはいつも酔っぱらっている(イメージ)
家族、親族から「まったくもー」と思われている存在。


しらふの時に「あなたのヒストリーをお聞かせください」と
聞けたらまともに話をしてくれたのかもしれないよね。

まぁ、当時の私にはそんなことを言える(勇気)も
聞ける(能力)も(以下省略)


◇◆◇


愛蔵さんと菊男さんのDNAは
アトピー性皮膚炎(愛蔵さん)と酒飲み(菊男さん)
という形でしっかり昭和生まれの私に引き継がれたと思っている。


それじゃないだろってツッコミは
あの世からじゃなかなか届かないよねー。

こんな孫娘ですいません。
Marizo



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