十夜一夜...Marizo

 

 

「 終わりの始まり 」 - 2018年10月31日(水)

      

十月末、朝の雨は冷たい。
ここ数日はずっと雨模様でそれでなくても気が滅入るところに持ってきて
なんとワタクシ、本日、三十三年間働いてきた会社の出社最終日なのである。

そう、会社員生活「最後の一日」が始まる。そんな朝の雨。


午前六時三十三分。
いつものバス停で毎朝同じバスに乗る年齢不詳の
リュックを背負った男性が、私の隣に立つ女性に
「おはよう、おばさん」と大きな声で挨拶をする。

バス停での毎朝の日課である

隣の女性が返事をしないことも日課の一つに入っている。
「明日から私、もうここにはいないので」と心の中で呟いてみる。

地下鉄駅に向かうバスの中では、かならず一番前の席に座り
携帯ゲームをやっていて、終点に着いても
バスを降りることよりもゲームを優先せざるを得ない状況に
陥っているような、例えばラスボスとの戦闘中のような
携帯の液晶画面を横目にバスを降りる。

地下鉄では始発から朝九時まで運用されている「女性専用車両」に乗車。
そこにはスナフキン村のミーがいて、いやもちろん本物ではなく、
ミーそっくりの女性なのだが、これだけそっくりなのは、
やはり本物のミーかもしれないと、疑いながら斜め前に座るミーを眺める。

ミーに会うのも今日で終わりかとちょっとシミジミ。


地下鉄を降りて、会社に向かう。
このビルの地下通路も、乗るエレベーターも、
そして入り口で暗証番号を押すことも今日で終わり。
ちなみに暗証番号はイチハチロクキュウ。

引継ぎのモロモロは、ほぼ午前中で完了し、
あとは会社の皆さんへ「お世話になりました」と
挨拶がてらに配るお菓子を買いに行くぐらいしか
仕事がない。いや、仕事じゃないけど。


お給料ってそんな簡単に貰えるものだとは思っていない。
この世の中に楽な仕事なんてあるわけがない。
ずっとそう思ってきた。

だからこそ、最後の挨拶は昭和の大横綱、千代の富士が
引退会見で言った「体力を補う、気力の限界・・・(涙)」 
この挨拶しかないと思っていたのだが。


「退職届」を書いたのが十月十六日。
最終出社日の今日(十月三十一日)までたったの十二日。(土日含まず)
高校卒業後からの三十三年八か月という
とてつもなく長い時間の集約がたったの十二日。
いや、気力の限界って、たった十二日。
しかも最終日の今日は午後から百貨店で
買い物できるぐらいの余裕があったりして。

実は今、この原稿を書いていて
この現実に気が付いてちょっと愕然としている自分がここにいる。


十八歳から勤めた会社はこの三十三年八か月で社名と場所が二回変わった。

それでも会社が存続してくれたお陰で働き続けることが出来た。
三洋証券や山一証券、そして北海道拓殖銀行の破綻を
同じ金融業界で目の当たりにしてきた身としては
会社が存続することは意外と大変なことだと痛感している。
そんな思いもあって、この原稿に気持ちを託そうと
書き始めてみたらたった十ニ日。(しつこい)


昴十五号の原稿を書かねばと、ずっとずっと思っていた。
本当に。本当に。
(大事なことなので二回言う)が、しかし、
すでに締切日を過ぎているわけで。

明日こそ、明日こそと先延ばしにしていたら
地震は来るわ(だからって言い訳だけど)
仕事は出来ないわ、
遅い夏休み取らなくちゃいけなくて、
いきなり九連休で西表島行くことになるわ、
でもお休みでリフレッシュして、さぁ仕事を頑張ろうと思ったら、
人事異動で課長が転勤するから送別会で飲み会続くわ、
課長の後任が来ないから、来春の予定だった組織変更が
半年前倒しになって十一月から課編成になるわ、
そしたらもう前に戻って

「体力を補う気力の限界・・・(涙)」

って言うことになりましたって。
原稿が書けなかった理由を要約すると
ほぼ十二日に匹敵する軽さでごめんなさい。


でもこの原稿が、もし昴十五号に掲載されたとしたら、
発行人の中村久子先生と、編集の三浦誠一さんが
「終わりだから仕方ないなぁ」って思ってくれたのかもしれない。

ありがとう、会社。
ありがとう、昴の会。
Marizo



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