鶴は千年、生活下手

2015年08月24日(月) 夏休み雑感

夏休みも残り1週間となった。
そろそろ、学校のペースに戻して行かなくては。

子どもの夏休みは、わたしにとっても休みの感覚があり、それは
同じ時間に起こしてご飯を食べさせて送って行くという、一連の
時間が定まっている行動から解放されるような気持ちである。

しかし、休み気分とはいっても、8月は考えることの多い月でも
ある。
子どもの宿題を見て自分の小学生時代を思い出したり、原爆投下
の日や終戦の日を迎えて、子どもと共に戦争の体験談を聞く機会
があったり、一緒にに黙祷をしたり。
さらには、中学生の事件をきっかけに、夏休みの暮らし方につい
て話をしたり。

自分が小学生の頃を思い出すと、ドリル関係は1日あればできた
のだが、毎日書かなくてはならない日記だとか、自由研究だとか、
家庭科の実習の宿題とか、工作とか、そういうものにはすこぶる
手こずっていた。
そう、コツコツやれない性格なのは、今も昔も変わらない。
その部分は、息子にも引き継がれたのか、息子も毎日コツコツと
はやらないタイプのようだ。

夏休みの暮らし方、という以前に小中学生の日々の暮らし方か。
電話でさえ、夜の九時を過ぎれば「夜分恐れ入りますが」と言う
のに、出かけるなどもっての他だと思っている。
わたしが中学生の頃のことだが、友達と田んぼで蛍を見ていて、
帰宅が6時半になってしまったことがある。
父親にすごく怒られた。
夕飯の時間に帰ってこないとは何事だって。
まあ、田舎の村のことでもあるし、もう何十年も前のことだが、
それでも義務教育を受けているような子どもが夕飯までに帰ると
いうのが常識だった。

我が家では、親が一緒ではない限り、夕方のチャイムがなったら
帰宅しろと言っている。
うちに遊びにくる中学生は、必ず5時半頃までには帰って行く。
子どもだけで出かけるのは、日中だけである。
それが当たり前だと思っていたが、そうでない場合もあるんだな
と知らされた夏休みだった。



2015年08月03日(月) 真夏の試練

先週末、通っている療育施設にて、非常時対応訓練の一つとして
の宿泊訓練があった。
災害が起きて、療育施設で一夜を明かすという設定である。
予定外のことに対応するのが苦手な子たちだからといって、予定
や食事内容などは、ざっくりとしか教えられていない。
わたしは透析の日だったので、夫が送って行ってくれた。
夕方に集合して、まずは少しくらいは楽しみをということで、皆
で温泉に出かけたようだ。
その後、電気が止まったという設定で、エアコンのない夜を体験。
食事も非常食を食べることになっていた。
さすがに熱中症になってら大変なので、夜中にはエアコンをオン。
朝の8時に解散というものだった。
息子は3時くらいに鼻血が出てしまって、あんまり眠れなかった
とのこと。

日曜は法事があったのだが、あまりの暑さに姉は欠席だというの
を聞いて、わたしも欠席することに決めた。
息子も寝不足とあって、夫一人で法事に向かった。
結婚している従姉妹3人が3人ともその夫だけの参列となった。
姉とわたしは暑さのためで、もう一人の従姉は山形に向かってい
る途中で足を骨折し、山形に入院しているため。

叔母の法事だったのに、その姪たちが参列できずに申し訳ないが、
そこは生きている人の方が大切ということで、他の親戚には納得
してもらっている。

まず、息子を療育施設まで迎えに行って我が家まで送り届けて、
それから着替えて法事の会場のお寺まで出かけた夫。
少し遅れることを連絡済みだったが、お焼香にはなんとか間に合
ったらしい。
法事の後の食事会は中華だったのだが、以前にも使ったお店で、
息子はほとんどのメニューが食べられないものだったはず。
夫は、みんなに酒を勧められて困ったよと言って帰ってきた。
お寺からお店までは送迎があって、食後も駅まで送ってくれたの
だろうが、その駅からの帰り道でも汗だくだったようだ。

真夏の試練は、先週末は息子と夫に課されたものだったようだ。
(母は真夏の試練には耐えられそうにないからねえ。)


 < 過去  INDEX  未来 >


市屋千鶴 [MAIL]