鶴は千年、生活下手

2005年05月30日(月) 肌寒い一日

もぐちゃん、金曜日からまたしても鼻風邪である。
子育てサロンの時に誰かから移ってしまったのだろうか。
それとも、寝冷えしたのか。
夫がもぐちゃんから移ってしまって、昨日から鼻水。
わたしは金曜日の朝だけくしゃみと鼻水が出たが、その後は全く
症状が出なくなったので油断していたら、今日になって少し鼻水。
今日が肌寒いからなのか、本格的に移ってしまったのか。

もぐちゃんが一歳に満たない頃は、子育てサロンに行くのはとて
も気分転換になったものだった。
しかし、もぐちゃんが歩くようになってからはそうでもない。
どうしてだろう。
結局、歩く息子を目で追いながらだったり、実際に追いかけたり
だったりで、子供を安心して遊ばせながらおしゃべりするという
気持ちになれないからだろうと思う。
他のお母さんに中には、よちよち歩きの女の子を歩き回らせて、
自分はすっかりおしゃべりに夢中という人もいる。
その女の子にお菓子を横取りされそうになり、横取りされるので
はなく、分けっこするという形をとって半分こにしたり、なぜか
他のお母さんの方が面倒を見ていることが多い。
二人目だったりすると、そういうケースが多いようだ。

そういう場所では、そのくらいほったらかしておいても、自分が
もう少し楽しめばいいものなのだろうか。
わたしが、もぐちゃんから離れなさ過ぎなのだろうか。
次に子育てサロンに行った時に、カウンセラーさんと話をしよう。

憂鬱な月曜日、おまけに雨の肌寒さ。
鼻はむずむずしてくるし、散歩には出られないし。
昨日、夫から不満をぶつけられて返す言葉が無かったことなどを、
ぐるぐると思い悩んでしまう、そんな一日だった。

 「したいことがあるならはっきり言いなさい。」A型同士は譲ってばかり
                           (市屋千鶴)



2005年05月24日(火) 雷三日

毎日、NHKの夜七時のニュースとその前の天気予報を欠かさず
見ているわたしともぐちゃん。
その時間の天気予報は、大きな画面がいろいろと動いたりして、
見ていても面白いのであった。
日本の地図が画面に出てくると、指差すためにテレビに近付き、
寒気のマークとか、暖気のマークとか、低気圧とか、高気圧とか、
お日さまマークとかを、毎日指差している。
わたしもこの時間の詳しい天気予報は好きなので、楽しみである。

上空に寒気が入って雷がなりやすいお天気というのは、三日くら
い続くのだそうで、「雷三日」というのだそうな。
「雷三日」の、今日は二日目である。

昨夜の天気予報で、雨雲の動きや落雷地点の移動具合を見ていて、
やはり我孫子の、茨城との県境近くは、雷の通り道だったのだな
と実感した。
本当によく雷がなった。
東林間は、本当に穏やかである。
爆音ということでは軍用機の爆音があり、うるさいのは同じくら
いだが、雷ではないので怖くはない。(ここが大事である。)

我孫子の雷、よく一人で我慢したなぁとしみじみ思ったりして、
天気予報の時間はまた別の思いを引っ張り出すのだった。

一昨日、銀行員時代の先輩から、来週の土曜日に大先輩の退職を
記念して(?)飲み会があるという連絡を受けた。
妊娠中にもニ回ほどお呼びがかかったのだが、ニ回とも参加しな
かった。
今度は土曜日の夕方ということだし、夫も大丈夫だと言ってくれ
たので、参加したいと思っている。
メンバーは、わたしが入社した頃の組織体勢のメンバーとのこと。
かなり懐かしいメンバーに会えるようで、楽しみである。
わたし自身、社会人になったばかりの頃くらいの髪の長さであっ
たり、メガネの戻っていたりなので、あまり変わっていないと言
われそうな予感がする。
親ばかなので、もぐちゃんの写真をデジカメに入れたまま持って
行く予定。

明日は子育てサロンの日。

 ニ十年以上の月日を懐かしむ自分の姿を見ている夜更け(市屋千鶴)



2005年05月20日(金) 立ちくらむ

昨日から、頻繁に立ちくらみがする。
産後すぐの頃のように、爪が真っ白になるほどの貧血ではないと
思うので、立ちくらみは貧血だけが原因なのではないのかもしれ
ないと思ったりする。

出会う人によく色が白いわねぇと言われるもぐちゃんだが、それ
でも顔や腕はちょっとは日焼けしているのだった。
夫は赤くなるが、それほど黒さが残らない体質で、それはわたし
にもいえることであるらしく(若い頃の話だが)、もぐちゃんに
もその体質は受け継がれているのだろう。

今日はドラッグストアまでベビーカーで行って帰り、薬局で昨日
処方された薬を受け取り、それから左手はもぐちゃんと手をつな
ぎ、右手はベビーカーを押すといういつものスタイルで買い物に
出かけた。
そうやって歩いて途中まで出かける母子は、なかなか見かけない
ものだ。
だいたいがベビーカーに乗りっぱなししか、自転車で出かけて、
買い物はカートに乗せるというスタイルだ。
もちろん子供が二人以上いれば、手をつないで歩いてる場合じゃ
ないだろうし。
みんな、忙しいんだろうなと思う。

姉がもぐちゃんを見にきてくれたとき、「ずっと子供を見てばか
りはいられないのだから」と何度も言っていた。
家の中のことを全く手を抜かずにこなしていたら、子供から目を
離さないわけにはいかないだろう。
わたしの場合は、家事はかなりの手抜きをしているので、子供と
くっついている時間が多いと思う。
それに、なんといっても狭いアパート暮しなので、どこにいても
視界の中にもぐちゃんがいるようにすることができる。
目を離すのは、トイレに入った時くらいのものだ。

あと数年後、人工透析をするようになったら、思いっきり遊んで
やることもできなくなると思うと、たとえ記憶に残らなくても、
くっついていられるうちにくっついていたいと思うのだった。

シャントを作った場所を庇わなくてはならないので、キャッチボ
ールなんかも、あんまりできなくなるのかもしれないな。
息子とキャッチボールするのは、ちょっと楽しみなのだが。
(ああ、父親みたいだ。)



2005年05月19日(木) 通院日

通院日。
今日も夫が半休を取ってくれたので、夫に頼んで病院へ行った。
いつも一緒になる方は、ご主人の都合で病院まで車で送ってもら
ったので8時には着いちゃったのよと笑った。
予約時間はわたしよりも後なのだが、検査結果が早い時間に出て
いたとかで、珍しくわたしよりも1時間早く呼ばれた。
次回は都合で5週間後とのことで、次にお会いできるのはいつに
なるのかわからなくなってしまった。

検査の結果、貧血が進んでいたので年末にも打ったことのある、
皮下注射を打つことになった。
皮下注射はやはり痛かった。
自分が自覚しているよりも貧血がひどくなっていたので、自宅に
帰ってから立ちくらみがするようになった。
意識しなければ、わからなかったのだろうか。
貧血がひどくなったから血清クレアチニン値がいつもより悪かっ
たのか、悪かったから貧血が進んだのか、どっちなのかわからな
いのだが、GWに食べ過ぎたことだけははっきりしていた。
塩分がかなり取り過ぎだった。
体重も、GW明けにはちょっと増えてしまっていたので、今日ま
でに1キロ落とした。
しかし、産後に減らした体重が、少しずつ戻ってしまっている。
何がわたしに食欲をもたらすのか。
ストレスがあるのか。

帰宅すると、もぐちゃんも夫も横になっていた。
夫は昼ご飯を食べていたが、もぐちゃんは散歩から帰っておむつ
を替えてあおいでやっていたら寝てしまったらしい。
わたしが帰ると起き出して、べそをかきながら空腹を訴えた。
もくもくとお昼を食べ、食べ終わった途端に元気いっぱいだった。

それにしても、夫にもぐちゃんを頼んで午前中に出かけた時には、
わたしが帰宅する時には必ず二人で寝ているというのは、いかが
なものかと思う。



2005年05月16日(月) エレベータ

昨日も一昨日も、もぐちゃんはつま先歩きをしなかったので、夫
に見せることができなかった。
ちと、残念。

土曜日、もう昼寝の時間に差し掛かろうとする頃に、夫が出かけ
ようと言い出した。
もぐちゃんもなかなか寝そうになかったので、三人で相模大野の
公園まで行ってみた。
東林間の駅まで歩いて行ったので、そのままエレベータに乗り込
むと、もぐちゃんは初めての自分の足でのエレベータとあって、
大興奮なのだった。
上に上がる時の、下から持ち上げられるような感覚を自分の足で
初体験したもぐちゃんは、膝を曲げたり伸ばしたり、自分でその
感覚を増幅させるようにしてニコニコしていた。
公園では、走り出した途端に転んで、すぐに抱っこしてくれと言
い出す始末で、もう眠かったのだろう。
帰りは歩いて帰ったのだが、その間眠ってしまったのだった。
エレベータが一番楽しかったらしい。

午後四時半を過ぎた頃、寝不足ぎみのわたしに一眠りさせるため、
夫はもぐちゃんを外に連れ出した。
1時間半くらい、東林間の駅前やその周辺を歩き回ったようだ。
おかげで、少し頭痛がしていたのがすっきりした。

日曜日も出かけた。南林間まで。
南林間は特に何も無いところなのだが、きわみちゃんからエレベ
ータが新しく設置されたという情報を得たので、外の見えるその
新しいエレベータに四回乗った。
途中、モスで休憩し、周辺のスーパーなどにおむつ替えシートの
あるトイレが無かった。
仕方なく、スーパーのトイレ前の通路でベビーカーに立たせた状
態でおむつ替えをした。
一人では無理だったかもしれないが、夫と一緒だったので一人が
支え一人が脱がせたり履かせたりするという役割分担でこなした。

夫が家にいると、外につれて行ってくれる人だと思うのだろうか、
夫がたばこを吸いに出ようとすると、もぐちゃんは自分も外に出
たいとべそをかく。
わたしがなだめたりごまかしたりできない時は、しょうがないな
と言いながらもぐちゃんと家の周りをひと回りしてきたりする夫
なのであった。
もぐちゃんに泣かれると、もうメロメロな感じなのである。
もぐちゃんも、夫がスーツを着ない日は家にいる日だと思ってい
るのかもしれない。
ずっと自分と遊んでいて欲しいのだろう。
夫がトイレにいる間中、泣きべそだったりすることもある。

困ったような顔をしつつ、嬉しそうでもある夫なのである。



2005年05月13日(金) つま先歩き

この前に日記を書いた9日に、突然もぐちゃんが始めたこと。
それはつま先歩きであった。
台所をつま先立ちで歩いているのであった。
どうして突然つま先歩きなのか。不思議。

先週末に蓄尿をしなかったので一昨日に蓄尿をし、昨日、検体を
持って病院まで出かけた。
もぐちゃんの手を引いて小田急相模原駅のバス停まで行き、病院
までバスに乗った。
まずまずの機嫌でバスの乗っていたもぐちゃんだが、病院の4つ
手前のバス停で、突然ぐずり出した。
ぐずり出したというよりも、怖がり始めたという感じだった。
この時に乗っていたバスは、ノンステップバスではないが乗り降
りの際にバスが左に若干傾くタイプのバスだった。
その傾く時に、「ピーッ、ピーッ、ピーッ」と音がする。
どうやら、この音が何かを思い出させたのか、それともこの音が
して人が乗り込んでくるのが怖かったのか。
一番前に乗ったからだったのだろうか。

なんとかなだめながら病院前に到着し、降りた途端に機嫌が良く
なり、検体を処置室で渡してカフェテリアで食事をした。
帰りのバス停までは機嫌が良かったが、帰りのバスには乗り込ん
だだけでべそをかき始めてしまったので、仕方なしにタクシーで
帰宅した。
タクシーの中でもおびえたような様子だったが、うとうとしたり
もしていて、もう眠くてぐずぐず言っていたのだなと思った。

夫に話すと、やはり時間帯が悪かったのではと言われた。
来週は通院日だが、夫が半休を取ってくれると言うので、助かる。
預けるのも、なんだか面倒な気持ちになってしまう時もある。
市のファミリーサポートを介しての子供だけでなく預かることに
したと言われてから、気持ちが離れてしまったような気がする。
月に一度預けるだけの間柄では、なかなか距離は縮まらない。
わたしの求めている関係にはなれないのかもしれない。
ふぅ〜。

今週末は、夫にもぐちゃんのつま先歩きを見せてやろう。(笑)



2005年05月09日(月) 待つ子

昨日の夕方のこと。
帰りに東林間の駅から電話して、東急ストアで減塩醤油を買って
帰るからと伝え、買い物袋をぶら下げてのしのしと歩いていると、
ちょうど真ん中辺のガソリンスタンドで、店員さんが何やら話を
しながら通りの向かいを見ていた。

わたしも何気なく通りの反対側を見てみたら、夫がもぐちゃんを
抱っこして電柱に隠れていた。
電柱に隠れきれるような体格ではないので、丸見えなのだが。(笑)

もぐちゃんは通る車に気を取られていたが、トラックを目で追い
かけて視線を動かしたら、母が手降っているのを見つけたという
状態で、満面の笑みで手を振り替えしてきた。
わたしのいる方に渡って来ようと思ったらしく、夫の手を引いて
信号に向かって走り始めた。
道路を挟んで一緒に信号を渡り、信号の変わるのを待ってわたし
がもぐちゃんの側に走った。
夫と手を繋いだまま、いつもわたしと繋ぐ方の手を差し出して、
嬉しそうに見上げていた。
夫ともぐちゃんと三人で、何となく小走りに家まで歩いた。
途中の自動販売機も素通りだった。

母を迎えに出るという行為が、ちゃんと認識できたいたようで、
そうやって父の手を引きながら駆け寄ろうとするのを見ていると、
べらぼうにかわいいと思うのであった。

 風呂上がり着替え終わった幼子が父の出を待つ寝る準備して(市屋千鶴)

夫は、お風呂から出るのを待っていたことが嬉しそうだった。



2005年05月08日(日) ぷらむの日

今日はぷらむの日。
少し早めのお昼ご飯を食べさせて、夕食は三人ともカレーと決め
て家を出た。
昼食にちくわのキュウリ詰めを作ったので、余ったキュウリを短
いスティック上にしたり、スライスにしたりして小鉢に入れた。
これをもぐちゃんに持たせて食卓まで運ばせたところ、食卓に置
いた途端にキュウリを食べ始めてしまった。
ほんとにキュウリばかり食べてしまうのだった。
それも、生意気に皮の近くは残して種のまわりの柔らかいところ
を重点的に食べていた。
キュウリに負けて、豆腐とか、ひじきの煮物とかの出番が少なか
ったのである。
思いっきり預けてしまったのが失敗だったと反省しつつ、夫に後
を任せて電車に乗った。

先月が五人だったので、今日は四人増えただけなのにみんないる
なぁと思って嬉しくなった。
今月のお題「ガラス」。
 花冷えの今日一日をガラス戸に残る結露に知らされている
                         (市屋千鶴)
 浮世絵の女のようにペコポンと薄いガラスを鳴らして暮らす
                         (市屋千鶴)
 明日また生きてゆかねばならぬからガラスの靴を履いてはならぬ
                         (市屋千鶴)

一首目。
「ガラス」の歌を作ろうとして、最初に頭に浮かんだのは、
「窓ガラスに残る結露に知る寒さ」だった。
五七五で終わってしまった。
これでは俳句で終わってしまうといじくり回して出来上がったの
がこの一首目だった。
いじくっているうちに、語順が入れ替わったようだ。
行きの電車の中で思い返していた時には、初句二句と三句四句が
逆になっていた。
東先生にも、逆の方がいいと指摘を受けた。
 ガラス戸に残る結露に花冷えの今日一日を知らされている(市屋千鶴)

二首目。
誰の作品だったか、「ビードロを吹く女」の浮世絵。
「ビードロ」と言わずにガラスを使ってそれを表現しようとして、
「薄いガラス」となったわけなのだが、それが思いのほか評判が
良くて恐縮してしまうのだった。

三首目。
俳句のような五七五の次に浮かんだのが「ガラスの靴を履いては
ならぬ」という言葉だった。
これを下の句に持ってくるための上の句がなかなかできなかった。
ぷらむのみなさんは、決意を感じると言ってくださった。
東先生からは、「ならぬ」を繰り返すよりは「明日また生きてゆ
かねば」で止めて、次にガラスの靴を形容する言葉を入れてみて
はどうかと言う言葉をいただいた。
実際のところは、上の句は「非シンデレラ宣言」のような固い決
意ではなくて、生きて行かなくてはならないという仕方なさを込
めたかったので、「ならぬから」が必要な気がしたのだった。
でも、「非シンデレラ宣言」はかっこいいなとエヘラエヘラして
しまったのだった。



2005年05月06日(金) 三人の日々

先月の29日は、夫の会社の創立記念式典があった。
例年は5月1日に行われるのだが、今年は29日に式典を行い、
2日を休みにすることになったのだった。
30日の土曜日から昨日までの六日間は、日中も夫のいる三人の
日々であった。

夫がいると、もぐちゃんは少しわがままの度合いが増す。
おとうさんは遊び相手なのだ、やはり。
三人で散歩に行くと、自動販売機をいじりたいとか、そっちじゃ
なくてこっちに行きたいとか、立ち止まって踏んばることが多い。
わたしと二人で散歩している時は、そうでもないのである。
おとうさんは望みをかなえてくれる人だと思っているのだろうか。

相模大野の公園に行こうと思っていたが、もぐちゃんとわたしの
鼻風邪は予想外に長引いていたし、夫も鼻風邪をひいてしまった
ので、近所の散歩ですますことにした。
そのかわり、昼と夕方の二回散歩に出た。
夫がタバコを吸いに出る度に、自分も外に出たいともぐちゃんが
ごねるので、夕方も散歩に出ることにしたのだった。
夫が仕事に行く日は、自分も行くとはいわないのに、休みの日は
わかるんだなぁと感心中。

衣替えもする予定だったが、今日の気温が低いので、もう少し先
でもいいかと思っているところ。
書類整理や押し入れの整理などを少ししただけの、のんびりとし
たGWである。

五月人形は兜一式だけを飾り、写真を撮ってすぐにしまいこんだ。
なんでも触りたくて仕方が無いので、写真を撮るのも一苦労。
来年は、おとなしく下部との前に座っていてくれるだろうと期待
して、今年はほんの十数分だけの飾り付けだった。

ちなみに、ぷらむの締め切りは5月1日であったが、予想通りに
ぎりぎりに作ることになった。
ええいっ! とう心境。(苦笑)


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