鶴は千年、生活下手

2004年01月31日(土) マスクの力

マスクは偉大である。
のどの痛みはないが、少し呼吸がしにくく咳き込んでしまうよう
なとき、マスクをしていると楽である。
自分の呼吸で暖かく湿った空気を吸っているからだ。
それではと思って、昨夜はマスクをして寝た。(笑)
案の定、呼吸は楽で、普通であれば仰向けになったら咳き込んで
しまうところも咳き込まずに済んだ。
鼻の下が赤くなってしまったので、それを隠すにもいい。

もぐちゃんは、マスクをして鼻声のわたしを誰だと思っているの
だろうか。
おっぱいを吸わせているから、おっぱいの人だとは思っているの
だろうか。
目を合わせ、目で追うようになってきているので、マスクの母を
どのようにとらえているのか、とても興味が有る。
笑顔の練習にも余念がなく、その回数はずいぶんと増えた。
まあ、気張る回数に比べたら、まだまだなのだけど。

マスクと栄養ドリンクのおかげで、風邪はだんだん良くなってき
ている。
鼻水はときどき鼻をかむくらいで良くなったし、咳き込むことも
なく、時々思いっきり咳き込めばいい程度。
ちゃんと痰がきれるようになるまで、もう少し。

さっき血圧を測ったら、ちょっと下がっていた。145/86
何が良かったのか。
もしかしたら、体調が良くなったら、血圧も低めに安定してくる
のではないか、などと希望的観測をしてみたりする。
バナナが良かったのかなぁ。
体重も、あと4キロくらい落としたいが、まずは3週間後にむけ
て、食生活(塩分摂取)の見直しをしなくては。

 世間とは少し隔てて息をするマスクの下の温室効果(市屋千鶴)



2004年01月30日(金)

寒かったのは、貧血のせいだけではなかったらしい。
風邪をひいてしまった。
熱は37度ちょっとくらいで大したことはなく、鼻水と昨日から
は少し咳がでるくらい。
夫も同じような風邪を引いているから、どちらから移ったのかは
不明である。
もぐちゃんにうつしてはいけないと、マスクをして接したり、手
洗いの回数を増やしたりした。
おかげで、もぐちゃんは今のところ元気。

水曜日は、足の関節が痛くて、なんだかぼろぼろだった。
沐浴もさせてあげられなかった。熱が有った日。
夫に早く帰ってきてコールをした。
風邪薬は母乳に出てしまうので、栄養ドリンクで乗り切ろうとす
るわたし達。(むろん、夫は風邪薬を飲んでいる。)
木曜日は、なんとか元気が出て、沐浴をさせてあげられた。
いつもよりもおとなしくて、気持ち良さそうだった。

そして本日。
腎臓内科の予約が入っていたので、ぼろぼろのままでタクシーで
病院に行った。
待ち時間は相変わらず長かった。
風邪薬は、母乳のために処方してはもらわなかった。
血圧が高いのは、かなり気になるようで、本当は薬を処方したい
のだということだったが、母乳への影響を考えて、今回は見送り。
ただし、見送れるのは3か月くらいまででしょうねと言われた。
このまま血圧が下がらなかったら、母乳はあきらめて血圧の薬を
飲むようにと言われた。
血圧が高いと、腎臓に悪いんだそうで。
次回の予約は、産科と合わせて3週間後。
それまでに、蓄尿して検体を持って行かねばならない。

妊娠中、ことのほか無事に過ごして来れたわたしだが、いよいよ
付けが回ってきたか。
夫にも言われた。
妊娠初期にさんざんおどされたけど何もなくてだったから、産後
にいろいろあってもしょうがないのかもね、って。

母乳はちょっとしか出ていなくて、おっぱいの後にミルクを足し
ている今現在だが、それでもほんの少しの母乳があるのとないの
とでは、おなかの張りとかが違うらしい。
水曜日、ぼろぼろで母乳は朝の1回だけだったが、もぐちゃんは
いつもより気張る回数が多かったような気がするのだ。
おならを出すのに苦労しているっていう感じ。
木曜日に、母乳をあげたら、少しは楽そうだったから。

だけど、それもなしになるのかと思うと、寂しいな。
母乳をあげることだけが母親の象徴ではないけれど、母乳のこと
でさんざん悩んだ結果が、自分の血圧の薬で吹き飛んでしまうの
だからねぇ。
ちょっとしか出ないおっぱいだけど、あげられるうちに飲ませて
あげなくちゃね。

 ぬくもりを伝える術は他にも有る 君の言葉にそっと頷く(市屋千鶴)



2004年01月27日(火) 声、音

毎日気張っている息子だが、最近、気張る時に唸るということを
覚えた、というか身に付けたらしく、唸る、唸る。

近所の薬局まででかけた日曜日。
出かけた時間が、丁度うんちタイムだったからか、その日は夜中
にずれこんだ。
昨日は、結局しないままだった。

夫の帰宅後も、しばらく唸りながら気張っている息子だったが、
どうもぐずぐずいって、なかなか寝なかった。
きっと、おなかが張って苦しいんだろうと、おなかをさすったり
する親の予測を大きく裏切り、思いっきりくしゃみした途端に、
左の鼻から大きな「鼻くそくん」が出てきた。
さんざんおなかの心配をしていたのにこれかっ、と愕然とした親
達は、そそくさと寝てしまったのだった。

四時頃、ミルクで起きたら、寒くて眠れなくなった。
悪露がもう終わるなぁと思っていたら、今度は月のものがやって
きてしまい、貧血が少し強くなったらしい。
夫を起こして、温もりを分けてもらった。

もぐちゃんの出す声にはいろいろあって、唸り声はもちろんだが、
「あぅー」とか、ゴマフアザラシのゴマちゃんみたいに「きゅー」
という声(音?)を出したりする。鼻も鳴らす。
「他の赤ちゃんも、こんなにきゅーきゅー言ってるのか?」と夫
は訊ねるが、わたしだってそんなこと知らんぞ。
それもそうだが、唸るのだって、おやじ路線まっしぐらといった
感じでどうかと思うのだが。

2月のぷらむ短歌会のお題は「線」。
今回はちゃんと詠草を送らなくてはっ!



2004年01月26日(月) 外は飛行機がうるさいね

昨日の日曜日は、近所の大きな薬局(マツキヨみたいな感じ)に
夫ともぐちゃんと行ってみた。
落とすといけないので、一応もぐちゃんはだっこひもで横だっこ。

先週末が給料日だったので、今日は銀行に行かなくてはならなく
て、もぐちゃんも横だっこで連れて行くことにした。
(これでも一大決心。)
銀行と言っても、ATMをいくつか回るだけなので時間はさほど
かからないが、駅前までの行き帰りには時間がかかる。
行って帰ってきて、50分くらいだった。

ほとんど寝ている息子に対して、鼻歌でドラえもんを唱ったり話
しかけたりするわたしは、妊婦の時と変わっていないなと思った。
おなかの子に話しかけるように、寝ている子にも話しかけている。
もぐちゃんは、ずっと寝ていたといってもやっぱり疲れたのか、
帰ってきてからもしばらく寝ていた。

もぐちゃんはほとんど寝ているのだが、犬が吠えた時と、戦闘機
が飛ぶ時には目を覚ました。
生まれて初めて犬に吠えられたのだから、驚いたことだろう。
目はドングリだった。
戦闘機が飛ぶ音も、家の中では慣れたようだが、さすがに外では
かなりの騒音になるので、いや〜な顔をする。
べそをかく一歩手前といったところ。

今年になって、戦闘機の音が少し変わった。
違う種類の戦闘機が飛ぶようになったのだろうか。
なんか、重みが加わったような感じ。
キーン、に、ゴオー、が重なったような。
おまけに音が大きくなったからか、聞こえている時間が長い。
窓を開けて過ごす季節になったら、どうなることやら。う〜む。

う〜む、といっている母の横で、息子は今日も気張っている。

 三方に飛び去る機影それぞれが違う明日を持つものとして(市屋千鶴)



2004年01月24日(土) 生まれたから生きる

ほんの少ししか晴れ間が出なかったなぁ、今日は。
暖房効果を上げるためには、雨戸を閉めておきたいくらいだが、
そうもいかない。

昨夜、唐突に頭に浮かんだこと。
「生まれたから生きている。」

赤ん坊を見ていると、この世に生まれた瞬間からひたすら生きて
いる。
本能に従い、飲んで寝て排せつして、生きている。

そうだよね。
生まれた時はただひたすら生きていたんだよね。
小さい子供の頃は、何のために生きているなんて考えなかったん
だよね。
生まれてきたのだから、精いっぱい生きる。
生きるために生まれてきたんだ。
生まれたということは、精いっぱい生きろ、ということだ。

空腹で泣いていたり、おっぱいにむしゃぶりついたりする赤ん坊
を見ていると、生きることの意味を考えたりすることが、どうも
屁理屈のように思えて来るから不思議だ。
決して、生きることの意味を考えることが無意味なわけじゃない
のにね。それが成長するということなのにね。

一生懸命生きている人を見た時に、自分の生き方に疑問を投げか
けられたような気持ちになるのと一緒か。

自分が必要とされていないのではないかと、思い悩む思春期の子
供達に、産科の病院見学なんかいいんじゃないのかなぁ。
今の自分がどうであれ、生まれた時にそのことを本当に喜んでく
れた人達のことを見つめ直すきっかけになったりしないものか。
親にならなければ、子を持った時の気持ちはわからないのは事実
だが、子供の立場から見て、自分が生まれた時の親の気持ちを推
し量ることはできるのではないか。
親子で、生まれた時のことに思いを巡らせることができれば、少
しは親子関係の改善につながったりはしないのか。

が、かえって、今の状況がより悪いものに思えてきたりしたら、
それも困るなぁ。

12月のぷらむ短歌会への詠草から。
 生まれたての子は赤かろう一心に肺呼吸する泣き声高く(市屋千鶴)



2004年01月23日(金) やっぱり鉄が足りない

今日は、産婦検診だった。
夫が半休をとってくれたので、8時前のバスに乗った。
予定通りだったらわたしも同じ病室になっていただろう人達が、
わらわらと集まっていた。
わたしは、自然分娩になったので、帝王切開とか経産婦さん達ば
かりの病室だったから。

なぜか、その人達はとっても元気に見えた。
そういえば、入院中から彼女達は元気だった。
やっぱり、34時間かかった自然分娩のわたしよりも、麻酔分娩
の方が回復が早いのか。
それとも、出血が多かったための貧血がどこまでも尾を引いてい
るのか。

わたしともう一人だけ血液検査があって、検査結果待ちのために
時間がかかった。
結果は、案の定、「ものすごく貧血ですねぇ。」だった。
「まあ、輸血するほどじゃあ有りませんが。」という医師。
しゃれになってないって。
血圧も高かった。(こっちは腎臓内科で来週診てもらうとして。)
鉄剤を四週間分処方された。
四週間後、また来てくださいって。(しくしく)

昼までに帰宅して、昼食後、バトンタッチで夫は出勤していった。
来週は、内科の受診で、また半休をとってもらうことになる。
来月はどうしようか。もぐちゃん連れで受診かなぁ。

先週の一か月検診で一緒だった赤ちゃんを見かけた。
おじいちゃんに抱かれているその子を見ていたら、もぐちゃんの
顔を早く見たいと無性に思った。

 月齢がわが子と同じ乳飲み児を見かけて脳は帰宅信号(市屋千鶴)



2004年01月22日(木) やっぱり冷たい歌の人だ

こんなタイトルでは、何のことやらさっぱりわからんではないか
と言われることを承知で、このタイトル。
ニフティの短歌フォーラムというところで、毎週水曜日に行われ
ている「苺摘み歌会」(前の人の歌から一語を採って歌を詠む)
に参加していた頃、冬の歌とか雪の歌とかを作ると評判が良くて、
冷たい歌のXXさんと呼ばれていたのだった。

そういうことを思い出したのは、本日届いた「短歌研究2月号」
の「うたう☆クラブ」で載った歌が冬で雪の歌だったから。

 この町で本物の空は冬に有り故郷の雪とつながっている(市屋千鶴)

こういう歌である。
五首のうち、選ばれたのはこれだけだったが、扇マークがついて
いてやけにうれしかった。
扇マークは、選者が特に完成度が高いとした歌につくものだから。
栗木京子様、ありがとうございます。

東京に住んでいて、冬の空を見ていると、これがこの町の本物の
空なのだと思ったりする。
そして、その空は、雪雲に覆われた故郷とつながっているのだと
いう感慨である。
上京して25年、毎年冬になると思うことなのだった。

ずっと雪の中で暮らしていたら、わたしはどういう大人になって
いたのだろうかと、ふと思ったりする。
あの雪雲の下では、雪にまつわる悲しい記憶などにはすっかり慣
れっこになってしまっていただろうか。
雪が降ったからと、いちいち思い出していたのでは、毎日毎晩が
思い出の中に埋もれてしまうだろう。
真っ青な空の毎日と、時折降って来る雪とが、わたしの記憶を呼
び覚ますには程よい頻度だったということか。

ふるさとは遠きに有って思うもの。
雪はふるさとだと言い切れるのは、その中で生活していないから
かもしれない。

 北風の強い時には吹雪いている故郷の道をなぞって歩く(市屋千鶴)



2004年01月21日(水) 1か月

もぐちゃんが生まれて、1か月が過ぎた。
1か月でこんなに大きくなるもんなんだなぁ、と夫。
抱っこしていても、ずっしりとした重さが感じられるようになっ
てきた。
先月の今日の今頃は、まだ陣痛が5分置きだったんだなぁと思い、
1か月前の今頃は、もぐちゃんもお母さんも頑張ってたんだよね
と、もぐちゃんに話しかけたりする。

昨日は、暇さえあれば、子供ともども寝ているという生活だった。
おっぱい、ミルク、おむつ替え、沐浴以外は寝ていた。
自分の食事を作るのさえおっくうで、困ってしまった。
なんとか冷凍の小松菜とウィンナーを炒めておかずにしたが。

外はもううす暗いはずなのに、近所の子供達のうるさいこと。
あの子達は、すぐそばのアパートの子達かな。

もぐちゃんが誕生して、夫がずいぶんと子煩悩だということがわ
かった。
夫にそう言うと、もう一人大きな子供がいるから慣れたものだと
言われた。
それって、わたしのこと、だよね。
それから、これまではなくすといけないからという理由であまり
はめていなかった結婚指輪を、ずっとしているようになった。
家族を持ったことの自覚のためだと言う。夫婦じゃなくて家族。
そうなのか、そうやって父親になって行くのか。
そんな夫を見ていると、やっぱりこの人で良かったなどと思って
しまう。

ただ、困ったことに、夫が帰ってくる時間(午後11時頃)には、
もぐちゃんのテンションは上がってしまって、なかなか寝ないの
である。
帰宅した夫が、「おとうさんと遊ぼう。」と言って抱っこすると、
目が冴えるらしい。夜更かしの子になってしまうのかー。

今月のぷらむ短歌会のお題は「猿」だった。
10日が締め切りで、その日までメールしようと思ってはいたが、
なんだかんだしているうちに、一首も作れなかった。(しくしく)
やっぱり、「猿」って、むずかしいよね。
毎月、むずかしいよね、と言っているような気もするが・・・・

遅ればせながら、「猿」で一首。

 昨日まで一つであった体から暴れ出でしは小猿のごとし(市屋千鶴)

それは、もぐちゃんである。



2004年01月19日(月) 腰痛との日々

1か月検診で退院時よりも約1kg増加していた息子。
抱っこした感じが重くなったわけだ。
頭囲も胸囲も身長も約3センチほど増加していた。

雨だったが、午後から日が差してきて、もぐちゃんと二人、沐浴
までの時間を昼寝した。

冷たい雨は神経痛持ちにはきつい。
座骨神経痛をもっているわたし。
腰痛というと、腰というより座骨が痛くなる。お尻の骨ね。
それから、だっこしてオッパイをあげたりミルクをあげたりする
時にわたしはあぐらをかくのだが、この姿勢でのままもぐちゃん
の顔を覗き込んだりすると、腰の筋がびーんと伸びきってしまう
ような感じになって、痛みが残ってしまう。
その痛みを庇いながらくしゃみをしたら、別の筋肉が痛くなった。
呼吸筋の下あたりで、深呼吸すると痛かったりする。
座っていることが苦痛。立ってる方が楽なのだった。

今日もそんな痛みと戦いながら、沐浴。
お風呂はお父さんの出番ですよ。
母親学級の資料などでそんな言葉をよく目にするのだが、日付け
が変わる頃に帰って来るお父さんを待ってはいられないよね。

病院の授乳・観察室に有ったような低めの椅子が欲しい。
あれ、良かったなぁ〜。

そろそろ外気浴を始める予定なのだが、まずは母の体調だな。

 ギシギシときしみはじめる腰を持ち増えた体重持て余す日々(市屋千鶴)



2004年01月18日(日) 雪の名残もなくて

昨日の雪は、もう名残もない。
北里大学病院のあたりは、グランドや畑も真っ白になっていたの
だが、うちの近所に来たら、それほどでもなかった。
同じしないでも違うもんだねぇ。

もぐちゃんにとって初めての雪の感触は、どうだったのだろうか。
といっても、彼は寝ていたし、雪もほんのひとひらかかっただけ
だから、わからないだろうけどね。
ちゃんと雪を認識できるようになって実感するのは、次の冬にな
るのだろうな。

つらい雪の思い出を抱え込んでいる母親とは違って、楽しい雪の
思い出を持つ大人になって欲しいものだ。

今日はとてもいいお天気。洗濯日和である。

 君と見る雪は冷たいものじゃなく傘もささずに歩いていたい(市屋千鶴)



2004年01月17日(土) 1か月検診

うまいこといかないもので、夜中のミルクは午前5時頃になった。
これでは、ちょうど待ち時間にお腹が空いて泣いてしまうのでは
ないかと心配していたが、夫は新生児用のおしゃぶりを買ってい
て、それでだますようにして寝ていてもらった。

母親が1か月から3か月の育児集団指導を受けている間に、父と
子は体重や頭囲や腹囲の計測をして、子は大泣きしていたらしい。
ひときわ大声でなくわが子を他の子の泣き声と比べ、こりゃあ元
気だわと父親はいたく感心したらしかった。
同じ日に退院した隣のベッドだった親子にも再会した。
もうほとんど母乳がでなくなっていて、ミルクに頼っているのだ
と言っていた。かわいい女の子なんだよね。
今はまだ実家にいるので布おむつだけれど、自宅に戻ったら紙お
むつだなぁと、彼女は言った。
集団指導でも隣に座り、始まるまでの間、もう普通の洋服は着ら
れるようになったかという話をした。
二人とも、もちろん全然。

診察の時には、水腎症の疑いが有って検査したんですねときかれ、
何でもなくて良かったですねと言われた。ほんとにね。
この先、小児科は近所の病院に行くわけだが、何か腎臓系統のこ
とで言われたら、すぐに来てくださいねとも言われた。
かかりつけ医と特殊機能病院の関係。
お臍もOKで、左目の目やに(ちょっと出る)も特に問題なく、
母乳とミルクの混合でミルクの量はこれでいいのかとか聞いたの
だが、べらぼうな量でなければ欲しがるだけあげてもいいって。
吸わせてからミルクというパターンで当分は行く予定。

病院から帰って、まずは、たらふくミルクを飲んでもらった。
6時間も空いてしまったから、すごくお腹がすいていたらしい。
夫がミルクをあげている間に、薬局に行ったり、お昼の準備をし
たりして、昼食後は夫も息子も寝てしまった。
わたしは、マタニティーグッズの整理をしたりしていた。
次のおっぱいを吸わせてから、夫にミルクをお願いして、わたし
はヨーカドーに買い物に出かけた。
土日は、夫が見ていてくれるので、ちょっとの間なら一人で出か
けることができて、リフレッシュになる。
検診も、他人に会って話をするという点で、実にリフレッシュす
ることができた。知ってる人がいてよかった。

他人と話をすることは、ほんとに大切なことだ。
息子や夫だけではない、きちんと話をしなければならない人と。
わたしの頭の中は、居心地の良さも程よい緊張も、どちらも欲し
ているのだと思った。

 「泣き声はみんな違うね」そう言った君はなんだか誇らしそうで
                           (市屋千鶴)



2004年01月16日(金) 明日のために

明日は小児科で一か月検診。
その前に集団講習みたいなのがあって、その間は付き添いの人に
子を任せて子の計測などしてもらう。
受付時間は、8時から8時半。
それは我が家の起床時間なわけで、明日のためにぜひとも昼寝を
しておくべきだろうと思う。
もっとも、夫は昼寝をするわけにはいかないので、夜はなるべく
起こさないようにミルクをあげ、明日の午後から日曜の午前中は、
夫の睡眠時間に当てることにしようと思う。

帰宅時間は、日に日に遅くなってきていて、昨夜は日付けが変わ
る頃に帰宅した夫である。
今日は何時に帰って来られるのだろうか。
帰宅したらしたで、それから寝るまでに3時間かかっているのだ
から、夫の睡眠時間はずっと寝ていても5時間である。
これまでは、それでも続けて寝ていられたから良かったが、今は
その間に一度はもぐちゃんの声で目が覚めてしまうらしい。
起き上がって何かするわけではないが、目を覚ますというのはな
かなか辛いものではないだろうか。
わたしよりも確実に睡眠時間の少ない夫である。

もう一つ、明日のためにしていることは、義兄のお姉さんからの
出産祝いでいただいたベストを洗っておくこと。
もっと早くにそうしておくべきだったのだろうが・・・・
ベストと帽子と同じ色で(柄は少し違うのだが)、かわいらしい。
1月3日に、姉と姪と甥が来た時に持ってきてくれた。
その場で開けてみて、みんなでかわいいを連発したのだった。

毎日、もぐちゃんの事ばかり書いているので、育児日記にすべき
だろうかとも思ったりするが、まあこれまでどおりということで。

 ひらひらとわが子の肌着の舞う様を眺めておれば顔がほころぶ
                          (市屋千鶴)



2004年01月15日(木) 新生児訪問

午前10時前。
チャイムが鳴って、助産師さんがやってきた。

母乳不足であることを一番の相談事項にしていたのだが、なんだ
かいろいろと妊娠から出産までのことや、なんやかやを話してい
るうちに気が軽くなった。
母乳は、出てはいるのだろうが、それ以上に食欲が旺盛なのだろ
うということで、とりあえず、吸わせることができる時は吸わせ
るようにすることですと言われただけだった。
体重を測ってくれて、3800グラムあった。
母乳不足といっても、オッパイを吸わせた後にミルクを与えてい
るわけで、まあミルクのおかげで体重は増えているということか。

飲む量と回数を答えたら、母乳はそれなりに出ているのだろうと
言われた。
この時期に、満ち足りて眠ってしまうほど母乳が出ることはなく、
1日に10回とか15回とかオッパイを吸わせているのが普通な
のだと言われた。
ただ、わたしは何時間もオッパイを吸わせていられるほどの体力
も心の余裕もないというのが現状で、とにかく機会があれば吸わ
せるようにするしかないのかなと思った次第だ。

内科の予約は、30日にしかとれなかった。
23日の産科の検診と同じ日にとれれば良かったのだが。
となると、毎週夫に半日休みをしてもらうわけにも行かない。
病院では採血と採尿を診察前にするのだが、採血はともかく採尿
のときにどうするかが試案のしどころである。
ちょっと誰かにお願いするというわけにはいかないものか。

それにしても、人間、やっぱり話すことは大事なことなのだなぁ。
すごく悩んでいるつもりだったが、助産師さんに話したら気が軽
くなったのだから。
それに、毎日の生活のことにしたって、全部やって大変でしょう
と言ってもらえるだけで、救われる思いがするものなのだ。
赤ちゃんが元気ならそれで良しとするって、それでいいんだよね。
日中はなるべく長くオッパイを吸わせるということで、出なくな
ることだけは避けたいところだ。

 褒められて喜びたいと思ってはいけないですか新米ママは(市屋千鶴)



2004年01月14日(水) 強風の中

この強風では、洗濯物というよりも竿そのものが外れかねないの
で、干した洗濯物は早々に部屋に戻された。
それでも、風のためにそこそこ乾いている辺り、さすが太平洋側。
あとは、部屋の中で加湿する役目を担ってもらおう。

もぐちゃんは、まとめて出すタイプである。
それはそれで楽といえば楽だが、びっくりするほどXXである。
昨日は、2時過ぎに一緒に寝ようねと並んで寝たのはいいのだが、
30分ほどしてしゃっくりが止まらないもぐちゃんの匂いを嗅い
でみると、はは〜ん、な匂い。 やっぱり、ためてたんだねぇ。
というわけで、お尻をきれいにしたら、そのまま沐浴タイムにし
てしまった。
一緒に寝るのは夜までお預けだなと、夕食後に一緒に寝た。

夫は、22時頃、これから帰ると電話をくれて、23時頃帰宅。
長い休み明けにしては早かったというべきか。
帰宅した頃は、ちょうどオッパイ後のミルクを与え終わったとこ
ろで、夫に抱かせるとなにやら落ち着かないもぐちゃん。
ちょっとショックを受ける夫。
たまたま、口寂しくて物足りないような気がしていただけなのだ
ろうが、母親の方がいいと言われたようで寂しがる父であった。

わたしはわたしで、夫が帰宅すれば、夫に対して甘えが出てくる。
あれもこれもやって欲しいと思ってしまう。
それなのに、機嫌良く抱かれてくれないもぐちゃんにショックを
受けているなんてと、「そんなことくらいでがっくりしないでよ。」
と少し強く言ってしまったわたし。
わたしの機嫌も悪いと言って、ますますがっくりする夫に、自分
の甘えを説明した。そうなのかと納得する夫。
わたしが風呂に入っている間に、もぐちゃんと遊ぶことが出来て
嬉しそうだった夫。
子はもちろん、親だって発展途上で暗中模索。

今日ももぐちゃんは、寝ながら気張っているのである。

 一日の終わりにやっと会えたから寝るのは少し後回しにする(市屋千鶴)



2004年01月13日(火) 電話にて

山形の父親から今年に入って2回電話が有った。
父は、男の子を産んだことをなぜだか喜んでいた。
父方で男の子を最初に産んだのはわたしだけなのだそうだ。
父は、そっちには行けなくてすまないが、と何回も言った。
別にわたしは来てもらわなくてもいいので、というよりも、この
時期に来られてもわたしの方が困ってしまう。
母親と違って、父親が来てくれても、何かしてもらえるわけでは
ないし。
薄情な娘だと思われても、かまわない。

父は、わたしの体の心配をして、姉の体の心配をした。
父は、わたしにも母や姉と同じ病気が潜んでいることを知らなか
った。
その病気が女性に顕著に遺伝することもしらなかった。
それ以前に、母の病気そのものをよく知ってはいないのだ。
自分に似れば、病気などしないのにと言いたげな父親。
糖尿は父方の遺伝的体質だと思うのだが、父は食べ過ぎるからだ
ろうという。食べ過ぎてもならない人はならないよ。
なりやすい人はなりやすいのだけどなぁ。
母に似てしまったから苦労するのだなという父に、それは違うと
思いながら、黙って聞いていた。
病気が遺伝しようがしまいが、そんなことは気にしない。
自分は体だけは健康だ、ただ金がないだけだという父に、わたし
はまだまだ働けということだねと、無慈悲な言葉を発した。

なんだか悔しいのだ。なぜ父だけはやたらと健康なのか。
父方の祖母の葬式で、お手製の花瓶をくれた叔父(父の弟)が、
昨年の10月に亡くなったのだと聞かされた。
迷惑をかけた相手が次々と亡くなっていくなかで、父はどんな思
いで生きているのだろうか。

曰く付きで疎遠になってしまった父親と娘などというものは、こ
んなものなのだろう。

電話と言えば、今日、新生児訪問の連絡があった。
15日に助産師さんが来てくれると言う。
母乳のことを相談したかったので、おっぱいを見てもらう予定。

今日から仕事に行った夫。
昨夜は、仕事に行くのが嫌だと言い出す始末で、もぐちゃんの面
倒を見ながら仕事のことを考えないで暮らした3週間が、名残り
惜しそうだった。
さっと行って、ささっと仕事して、さっと帰って来るぞと言って
はいたが、行ったらなかなか帰って来れないのがSEというもの
だろう。

さあ、今日は何時に帰って来るだろうか。

 子のために帰って来るというけれどほんとは君の楽しみのため(市屋千鶴)



2004年01月10日(土) 新年会

今日は、わたしの親戚一同の新年会。
わたし達は欠席する。姉に会費は渡してあるし。

そのためか、昨夜、夫が寝るまでの30分ほどの間に見た夢では、
従弟に会費を払ってもらおうと、従弟を探しまわっていた。
そこは、母の実家で、いとこ達をはじめとしてみんなが眠りにつ
こうとしている時で、わたしだけが会費を払ってもらわなくちゃ
と言ってうろうろしているのだった。
実際、わたしは幹事なので、出産がなければ幹事として新年会を
取り仕切っていたはずなのだ。
今回は、夢の中で会費を請求されようとしていた従弟と、もうす
ぐ40歳になろうとしている従妹に、代役をお願いしてある。

たぶん、夫だけでも参加すればいいのにと思っている親戚もいる
のだろうが、なんとなく二人とも欠席にした。
まあ、二人で一緒に子供の面倒を見ているのだろうと思ってくれ
ればそれでよい。

アメリカに嫁いだ従妹の第2子が、昨年の夏に生まれたのだが、
年末に届いたクリスマスカードでは、上の子が22か月、下の子
が2か月の写真が同封されていた。
なんと、下の子は、この2か月の時点で7キロあるとか。
洋服も70センチのものがつんつんだということだった。
そういえば、10月の頭に生まれた秋田の従弟の第2子も大きい。
どちらも、出産時の体重は3900グラム以上あったのだ。
秋田からは写真付きで年賀メールが届いたが、やっぱり大きい。
(その子のお母さんはもっと大きい、のだけど。)

もぐちゃんは標準サイズだったのだけど、この親を見たら大きく
なることが決まっているような気がする。(わたし?)

さてと、親子で寝ている親の方を起こすことにするか。

 まっすぐに見ているようでこの母を透かして見ているその先の空
                           (市屋千鶴)



2004年01月09日(金) あと少しで

もう、あと少しで、夫の休みは終わってしまう。(しくしく)

昨日は、夫にもぐちゃんを預けて病院まで行ってきた。
診察の予約が有るわけではなくて、もぐちゃんの診察券を本人の
名前で作り変えるのと、もぐちゃんの検査入院の費用の支払い。
小田急相模原の駅まで歩いてバスに乗ると、妊娠中の通院を思い
出した。 こうやって通ったのだったなぁと。
これからも、腎臓内科には通わなくてはならないので、今度から
はもぐちゃん連れでバスに乗るのだが。

病院にいたのは10分くらいのもので、すぐにとんぼ返りでバス
に乗って帰ってきた。
帰りは銀行に寄ったり郵便局に寄ったりしてきた。
久しぶりにそこそこの距離を歩いたので、膝が弱っていることに
気が付いた。
バスのステップが、思いのほか大変だということに気が付いて、
お年寄りがステップを昇るのによっこらしょという気持ちが理解
できた。
膝の筋肉、落ち過ぎだなぁ。 要リハビリ!

ここ数日、昼間になかなか寝付けなかったもぐちゃん。
どうやら、戦闘機が飛ぶ音が気になるらしい。
今日はあまり飛ばないからか、昼間もよく寝ていた。

それよりも、オッパイを吸わせても、その後にミルクを大量に飲
むのはいったいどういうことか。
それなりに吸ってくれてはいると思うのだが、まだまだ量が少な
すぎるのだろうなぁ。
わたしのオッパイは、いったいこの子のおなかの中に入っている
のだろうかと、少しだけ悲しくなったりすることもあり、おそら
くは、オッパイを吸っている間に消化してしまっているのではな
いかと思うような吸いっぷりなのだった。
とにかく、足すミルクの量をどれくらいにすればいいのか、全く
予測のできない子である。

やっと、写真付きの寒中見舞いを作成した。
やっと、というのは、もぐちゃんに写真写りが悪いから。
何枚とっても、ぐへっという顔になってしまう。
すごくかわいい顔というのは、ほんの一瞬のことだったり、実際
に見ている時のことで、デジカメで撮るといま一つなのは、母親
ゆずりか。(笑)

今週末の3連休が終わると、夫は会社に行くようになる。
早く帰るようにすると言ってはいるが、はたしてどうなることか。
一か月検診は土曜日なので一緒に行ってもらえる。
産科の1か月検診は金曜日なのだが、その後に腎臓内科も受診し
たいので、夫が半日休みを取ってくれる予定。
次からは産科はないので、内科だけなら一緒に連れて行けばいい。

夫が、ミルクをやるのもおむつを換えるのもやってくれるので、
ぷらむ短歌会に参加する時も、預けておけるなぁと算段中。(笑)

 踏んばれば力のなさが身にしみて何より欲しい心の力(市屋千鶴)



2004年01月06日(火) 脱皮

退院の日から1週間。
退院の日に言葉をかけなかったことを夫は謝ってくれた。
ことあるごとに涙ぐんでしまうわたしを、夫は根気づよく支えて
くれた。
不思議なことに、かわいいと思っても泣けてしまうのだった。

入院中、もぐちゃんは3日間、検査を受けた。
検査入院という形式をとることになったのだった。
それは、36週での超音波検査で、腎臓に見えた影について検査
したいということだった。
「水腎症の疑い」ということだったのだが、それは腎臓の中がつ
まってたりして水が溜まってしまうものらしい。
それに、わたしの病気のこともあって、のう胞があるのではない
かとも疑われたらしい。
3日間、超音波検査をしたり、尿をとったり、血液検査したりと、
生まれたばかりの小さい体でぐりぐりされた。

結局はなんでもなかったのだが、検査するという説明を聞いた時
は、わたしの病気のせいでこの子にもと暗い気持ちになった。
それを思い出しても涙が出たりしたのだった。

退院したその夜と翌日の夜は、眠っていても突然寒気に震えて起
きてしまった。
がくがくと歯の根が合わなくなるほどに震えているわたしを、夫
は布団ごと暖めてくれた。
そのことが有って、貧血で異常に寒がるのだということが分かり、
水仕事いっさいは夫が引き受けてくれるようになった。
手を洗う時もお湯で洗うようにした。

一番の悩みの種は、母乳不足だった。
吸わせても吸わせても泣いてしまうわが子に、悲しくなった。
母乳の方が簡単なんて嘘だよと少しやけ気味になった。
母乳がいいというのなら、なぜみんな母乳がよく出て赤ちゃんも
ちゃんと吸えてというようになっていないのかと、見当違いな怒
りを覚えた。

いろんな情報を検索したりして、母乳がよく出る方法とかを探す
夫。
嫌気が差して、もう母乳なんて面倒くさいというわたしに、夫は
悲しそうな顔をした。
少しでも出るのに、ちゃんと吸ってくれないと嘆くわたしのため
にいろいろ手を尽くしているのにと、本当に悲しそうだった。
このときから、ミルクを足すにしても、あきらめずに毎回お乳を
吸わせようと思うようになった。
土曜日くらいから、涙ぐむ回数がぐんと減った。

そうして、退院後1週間経ち、日中はお乳を吸わせて暮らすこと
にして、夜はミルクを足すようにしようと決めた。
夜は、こっちが寝ないと倒れてしまうから。

ちょっと吹っ切れた感じ。
人それぞれだから。
母乳がいいことはわかっているし、病院でもひたすらお乳を吸わ
せてきたけれど、足りないものはしょうがない。
ちゃんと出るようになるまでは、ミルクを足すのも仕方がないと
決めた。

早く、お腹いっぱいに母乳を飲ませてやりたいなぁ。
ときどき、おっさんくさい表情をするけれど、かわいいぞ、もぐ。

ちなみに、姉は、娘がむせかえるほどお乳が出たそうだ。
う〜〜ん、ちょっと悔しいなぁ。



2004年01月05日(月) 退院してスイッチオン

退院当日。
その日に退院する人がたくさんいて、わたし達の順番のくる頃に
は、丁度昼休み。
助産師さん達は、休憩に入っていて、残った人達も仕事に忙しく、
2、3人の人に声をかけて立ち去ってきた。

退院予定の時間よりも1時間半も遅くなり、夫は一旦家に帰って
から、仕事納めの挨拶のために会社に行くと言う。
そういえばそんなことを言っていたなと思い出しはしたが、待ち
時間にいらいらする夫を見ていると、悲しくなった。
それに、他の退院した人達と違って、わたし達はなんだか二人だ
けで病棟を出てきたし、わたしは少し寂しかった。
病院を出て家に帰っても、だれもわたしにおめでとうと言っては
くれない。
出産して退院する時には、看護婦さん達にお祝いを言われて見送
られて、と思っていたわたしには、結構ショックだった。

夫は、その日、ねぎらいの言葉もなく、会社に行ってしまった。
帰りは20時過ぎになると言っていたが、20時に近くなる頃に
は、わたしは我慢できずに夫に電話してしまった。
その時、もぐちゃんは母乳が足りないからとぐずっていて、夫に
電話した途端、泣き出してしまったわたしにもぐちゃんは驚いた
のか、急に静かになってしまった。
「早く帰ってきて。」とだけいうのが精いっぱいだった。

慌てて帰ってきた夫は、もぐちゃんに何か有ったのかと思ったら
しい。
わたしが胸の内を話すと、夫は抱きしめて慰めてくれた。

わたしは、寂しかった。
「ご苦労様」という言葉も、「ありがとう」という言葉もなしに、
たった一人で家の取り残されたような気がして、寂しかった。
搾乳機を買いたかったとか、洗浄綿を買いたかったとか、病院の
売店で買いそろえられるものが有ったのに、退院の時間が遅くな
ったことでいらいらしている夫に気を使って、何も買わずに帰っ
てきてしまったこと。
買い物を頼みたかったのだけれども、やはり何も言えずに一人で
哺乳瓶を片手に乳をしぼっていたこと。
わたしの入院中に、夫は何をしていいのか分からなくて(寂しか
ったらしい)、家のことは洗濯したくらいでほとんど手つかずで
あったこと。
そんなことがわたしの中でぐるぐるまわっていた。

退院後の説明を受けていた時、他の人達は連絡先を2か所書いて
いた。それは里帰りするから、実家の連絡先ということだった。
わたしだけ、連絡先は一つだった、
そんなことさえ、思い出すと悲しくなった。
母親が生きていたらと、これほど真剣に思ったことはなかった。
夫以外の誰にも会わない暮らし。
電話でおめでとうと言われても、直接会った人から言われていな
いことの寂しさ。
病院で気を張ってがんばってきたことを認められない悲しさ。
自分の子が泣きたくなるほどかわいいと思えば思うほど、なんだ
か物悲しくなるのだった。

これから約1週間つづくマタニティーブルーのスイッチは、この
ときに入った。

退院した翌朝、雪が積もっていた。

 生まれきたる命の重さ 失いたる我が身の重さ 初雪の朝



2004年01月04日(日) 新しい年。 入院中のこと

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

自然分娩になって、一番感動したこと。
それは、助産師さんの力。
破水するまでは、一人でも深呼吸して痛みを逃がすことができた。
長かったから、ずっと深呼吸していたような感じ。
まるで深呼吸ダイエットだなぁと、冗談を言う余裕も有った。
しかし、破水してからは、一人で我慢していることがかなり困難
になってきて、陣痛が起きると助産師さんを探してしまうように
なっていた。
ベッドの端をギュッと握りしめても、思わず力んでしまいそうに
なるのを、助産師さんの声かけでなんとか我慢できたのだ。

ながーい陣痛の間、何人かの助産師さんが様子を見にきてくれた。
最後の担当の助産師さんには、本当に感謝している。
退院の日、一緒に退院できて良かったねと声をかけてくれたのだ
が、ちゃんとお礼も言えないままに退院してしまった。
ありがとう、満園さん。

産まれた直後に、赤ちゃんを胸元においてくれた。
顔を触るのが少しだけ怖くて、肩をぷにぷにと触った。
それから、きれいにした後のもぐちゃんを抱いたまま、助産師さ
んが後片付けするまでの間、もぐちゃんに話しかけていた。
もぐちゃんと声をかけ、名前を呼ぶと、口元が動いた。
ああ、この呼び声に反応するんだなぁと思った。
夫に電話をかけてくれて、遅い時間ながら、別室での面会ができ
た。その部屋まで車いすで移動。
二人とも、わが子と面会しても、泣いたりはしなかった。
ただ、なんとなく、ふわふわした気持ち。
夫の面会の直後に破水したので、夫は翌日でないと産まれないと
思っていたらしい。
びっくりして、タクシー会社に電話するつもりでバス会社に電話
し、面倒になったので駅まで走ってからタクシーで来たと言った。
あわてていたんだねぇ。(笑)

入院中、みんながみんな、自分の子の面倒を見ている。
貧血だろうと、カロリー制限されていようと、そんなことは関係
なしに、ほとんど寝ないでおっぱいを吸わせる毎日だった。
母乳が出始めるまで、泣けば吸わせるという状態を続けるのだが、
母乳が出始めても、わが子の吸い方と自分の乳首の相性が悪かっ
たりして、なかなか思うように吸ってはくれない。
それは、未だにそうなのだが、妊娠中に乳首マッサージができな
かったのが痛かったかなぁ。

貧血ってことは、辛いことだねぇ。
母乳をあげると、がくっと足に来る。異様に疲れる。
入院中も、三日目からは足に来てしまって、がくがくした。
三日目と四日目に、朝からヘモグロビンを注入され、夕方までは
元気が保てるのだが、夕方になるとがくっと疲れた。
夜中に母乳をあげていると、ふらふらになる。
それでも、食事はカロリー制限されたままだった。
一晩中起きているカロリーじゃないよね、1600キロカロリー。
他の人は、2150キロカロリーなのにね。
夜中にぶつぶつ言ってしまうわたし。

病室以外に「授乳・観察室」という部屋が有って、子供が泣き止
まなかったり、搾乳したかったりするときに使う部屋が有り、そ
こは、ナースステーションのとなり。
行けば、必ず助産師さんがいて、おっぱいマッサージなんかもし
てくれたり、授乳をサポートしてくれたりする。
夜中に泣いてばかりいる子の親達は、いつのまにかそこのの常連
になっている。わたしも、となりのベッドの人もそうだった。
いつからか、授乳・観察室の仲間となり、いろいろと話をするよ
うになっていた。
帝王切開でわたしよりも前からいて、退院はわたしと一緒だった。
赤ちゃんが、ゲップが下手で、いつも吐いてしまう。
母乳が少なくて、とりあえず混合にすると言っていた。

経産婦で、わたしよりも、2時間ほど後に出産した方。
出産後に駆け付けた夫と別室で面会していたときに、その人は入
院してきて、同じ部屋で痛がっていたのだった。
日付けが変わって翌日の2時前に出産したので、一日ずれて同じ
日に退院していった。
そこの赤ちゃんは、黄疸が強くて、1日退院が伸びていた。
うちも、基準値ぎりぎりの線だったので、退院当日の血液検査で
一緒の退院が決まったのだった。

6人部屋だと、他の子の泣き声とか気になるかなぁと思っていた
のだが、いやはや、まったくそんな余裕はなくて、自分の子以外
が泣いていても、起きたりはしないのだった。(笑)
案外大部屋の方が、気が張っていていいのかもしれないなと実感
したのは、退院してからだった。
人目が有るとがんばるという自分の性格がよ〜くわかった。
なんだかみんな同じようにがんばっていて、心強かった。
これが、自宅に帰ってみると、大違いなのだった。

続きはまた今度。


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市屋千鶴 [MAIL]