吟遊詩人の小話
さとし



 人生のスパイスは・・

ただ生きていくというだけの言葉
人生

それを色鮮やかに彩るのは、恋人、家族、愛なのだろう

色鮮やかだが、いつしか色あせていくもの

それとは別に、人生に飽きない味を常にもたらしてくれるスパイスがあるとすればそれは 親しき隣人、友人であろう

ただ、一人、人生を生きるのであれば
それは味のない食事をあきもせず繰り返すことであり
人生の楽しみを捨てているものである

一人で過ごす

感情は希薄になり

情熱は裏に隠れてしまう

そして 想いがあふれた瞬間

それは蓋という無表情に邪魔をされ

思わぬ方向に暴発してしまう

拳銃の先は

ふさいでは駄目なんだ

錆付かないためにも

人生にスパイスを

2008年05月03日(土)



 時には振り返ることも人生には必要なのか

PCを買い換えてまもなく一年、
専門学校の頃からつかっていたノートPCから移動して一年

今日、なんとなく昔のPCを起動してHDをパッケージ化して新しいPCに仮想ドライブとして登録、がさがさ昔のおもちゃをあさるようにいじってました。

まぁ、でてくるはでてくるは。。。

昔の彼女への送信メールを全圧縮してあるファイルを見つけたときは驚きました。
だって、えーっと高校だからもう7年くらい前のか!?

解凍してみたらざっと4〜5000通・・・たしか一年くらいしか付き合ってなかったのに。。。驚きです。
しかもあの頃は携帯電話をもってなかったからPCで(こっちだけ、相手は携帯)送信してたんだよね〜
なかみをみると、まぁ。。。恥ずかしいというか腹立たしいというか、、
まぁ、、あとは今もあんまり変わってない自分もそこに垣間見えたりして。。ちょっとショックでした。

うん、ほんと ごめんね

ほかには、専門学校時代につくったVBのゲームとか携帯アプリとか・・

あとは中学から続けてた(最近は皆無)自由詩の残骸に、オフレコの原稿。。。うーん、昔の俺はアクティブだったなぁっと思う今日この頃。

でも、わかっているんです。そのアクティブさも、行動力も
それについてきて、支えてくれた仲間たちがいたからこそ・・

今日は、とことん振り返って 届きもしない 呼び声 叫びをお届けします。

まずっは、中学の頃に 私が自由詩をかくきっかけをみつけた
伽羅さん
伽羅さんとの出会いは、たしかめるとも探しの掲示板(今みたいに携帯が普及してなかったから本当に文通相手を探すような全うなサイト)だったような気がします。
そこで知り合って、たぶん同人をしてたのかな?詩とか書いてるのを見せてもらって「すごい でも俺には・・」って
そこで言葉はちがうかもしれないけど「思いを言葉にするだけだよ」っと教えてくれたような気がします。

あの頃は、自分の唯一無二を探していたような時代だったから 俺だけの俺のための自由詩 それも 伽羅さんにあこがれて書き始めたのがきっかけだったといえる

それ以来、いろんなネット、リアルで自由詩を書きまくって、人からいわれる言葉「すごい。でも私には・・」
そのたびに俺の口から出ていた言葉は「自由詩なんて思いをちょっとかっこつけて書けばいいのさ」

う〜ん、思い返せば、、、伽羅さんの言葉が俺の言葉になっていたんですね

そのほかにも俺の口癖になった言葉は
「俺の自由詩は 俺の思いを書きなぐったものだから他人に理解できるとは思えない。でも、俺の唄を見て、なにかを感じてくれたらうれしい」

そんな、俺の青春の大事な1ピースになった自由詩との出会いをくれた伽羅さんとは。。。

〜過去〜
伽羅さんを通じて伽羅さんのリアルフレンドをもめるともに
伽羅さんの友達に好きな人(ネット)がいる相談を受けて、なんとか力になりたくて、色々がんばった!
その友達から「なんか、自分のことでもないのに必死になって変なんだけど」
まぁ、それで終わりですよ。
小さな親切(小さくなかったか)多大なる迷惑ってやつですね。
分別のつかないがきだったってことでしょう

ただ、伽羅さん ありがとう

話は変わって中学生の頃、っといっても中学1年の1学期ですが、その微妙なタイミングで引越し、転向をすることになりました

中学って地方の小学校が何校か集まって一学期である程度かたまっちゃうから大変でした。
そんなときに、助けになってくれたのが おんなじ社宅にいた 同級生 たむたくと原くんでした。
この二人、俺が引っ越して 社宅の庭を歩いてたら声をかけてきてくれたのです。
ただ、、はじめは「たむたくが原くんを 原くんがたむたく」を名乗ってだまされてましたが^^;
それから、たむたくとは同じテニス部で、、あの二人との出会いがあったからこそ、中学時代は乗り越えれたと思います。
バス釣りも、、、そうそう つりさおに錘だけをつけて会談にひっかけてしまったこともありました。

あとは原くんちでよく、桃太郎電鉄をやったな。。
ポテチを食べた後で、スーファミのコントローラが汚れないように ティッシュで包んで遊んでたり〜

中学時代といえば、サッカーのキーパをしていた東美男って知り合いもいました。
サッカーのプロになれなかったらプロボーラーになるといった彼は今頃なにをしてるんでしょうか。
藤原さんに舟木さん、うーん 東美男がらみは恋愛ねたが多かったですね
三角の牛乳パックのたたみ方を教えてくれたり。。

中学の友達、ありがとう。

高校に入ってからは、本当の青春ってのが始まりました。
高校に入って、まずは器械体操、まぁ、ガタイだけよくてビビリな俺にはむりでした。
そこから、演劇部へ変更。。
そういえば 演劇部へ入る理由になったのも、体操部をやめて、そのときのクラスの友達が、「演劇部を復活させたからみにこいよ」っと見学にいって
部室に1歩足を踏み入れた瞬間に入部!確定されたことから始まりましたね。

そっから卒業するまで演劇部、、、ってそういえばカメオ先生、、俺、最後まで入部届けだしてないっすよ。。

この演劇部での2年とちょっと、、これは俺の今までの人生の中でもかなりいろんなことがあった

初めて彼女ができたのも
初めて舞台にたってスポットライトを浴びたのも
なんかに向かってみんなでがんばる(実際は間際になってあわててだけど)ことがすっげー充実してて、、しょうごに中村に大輔、蒲生、飯塚、吉田、毛利。あと筒井。。うーん、最高な2年だったとおもう。

そうそう、中村には、絵も教えてもらったし、アニメのビデオ(CMカットなどの編集済み)をかりて徹夜してみたこともあったな。。ロスユニとか

思い返せば、高校時代の色々な失敗で、、今の自分が形成されていくきっかけになったのかもしれない。
高校時代は死が人生の中で一番 身近だったときでもある。
たいそう部員の自殺、。。なんで俺はもっと早く気づけなかったのだろう。

後悔したtってなんにもかわらない。事実は変わらないし、過去には戻れない。

それを経験できたのは 不謹慎ではあるが、本当に人生の中で経験として活きていると思う。
ただ、専門学校で おれはその経験を活かせなかった、
あと数時間という時間、、それがせめてもの救いだと思う。

人は簡単に死ぬ

呼吸ができなくても、事故でも、薬の量を間違えるだけでも。

だから 俺は死ぬことが怖い、何よりも怖い
怖い理由

それは人が簡単に死ぬからだけではない。

残されたものの心に残るもの、それを知っているからことかるんじることはできない。

正直、初めての彼女と別れたとき、そのたもろもろ 死にたいほときついこともあった。

ただ、 おれは死ぬのが怖かった

だから、、今 生きてる。

単なるビビリ でも それでもいいじゃないか

俺は生きていくよ

ほんっと 過去は変えることはできない
だけど、、今を生きることはできるんだよ

思い出せるだけ今日は書いてやる!っておもってたけど。。
だんだん、、なにを書きたいのかわかんなくなってきた。

そう!俺は人生の中で ほんとうに心からにくい人ってのがいないんだ!

今まで出会って分かれてきた人たち。いろんな別れ方もしてきたし、自然にとか 俺が面倒になって連絡を絶った人とか。。

ごめん、でも ありがとう

かなわない夢だけど、今まで出会った人に もう一度 会いたいな

「よ 元気?」

そんなたわいのない会話が大切なことだと思う

2008年05月02日(金)
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