白虎草紙
『遙か』の白虎組についての四方山話、SSなどです。

2006年02月25日(土) 過去付け日記で失礼いたします

  
ああっ、昨夜更新後にへろり〜と体調を崩しまして、
気付けば数日こちらが放置になりまして申し訳ございません。。

色々書きたいことはありますので、
改めてゆっくり書き込みに参ります。

 
 
こんにちは。愛らしいしら梅が心なごませてくれるこの頃です。
皆様お元気でお過ごしでしょうか。


梅は花もいいですが、
枝がまたなんとも云えず健気な姿で、
王朝びともこれをたおるには勇気が要ったのでないか、
と、か細い枝を眺めるにつけ思います。


さて、日記がちょっとさみだれになり申し訳ございません。

原稿のほうも、25日、26日とさみだれで一件ずつ
提出をしていました。

都度、編集の方が電光石火の速さで、
丁寧なご確認をくださるので本当に安心です。


あと数時間ほどで最後の一件も終わる予定です。

ゴールの向こうに春が見える、そんな気分です。
 








2006年02月24日(金) 恐怖のテキスト変換 その後

  
こんばんは。LaL○の鷹通と友雅に、ぐらりぐらりと頭を揺すられ
ふらふらな桂子です。

もう、水○先生はたくまずして、
何回何十回萌えで殺してくださるのでしょうか…


もっと、殺してくださいませ。
本望でございます。



さて、前回の日記、「恐怖のテキスト変換」事件のあと。
実は、「恐怖のデータ送信エラー」事件も勃発しました。


他の、ご執筆者の皆様が、
同じ「ファイル○クール」という送信ツールで、
データ送信を順調になさっているにも関わらず。


わたくしのPC画面に現れるのは、
ひたすら「エラー、エラー」の連呼でございました……


うーん、もはや、これはすごい!

私は、自覚していたそれ以上、
もう、計り知れない無器用者であったのだ…!


と、今回のことでまた新しく自分を知りました。


…あるいは、データやPCを損なわせる、
電波か何かを発しているやも知れません、この手は。

(電気製品も壊れるし…)


なお、他の送信ツールを頼ったところ、
今度はかような無器用者も、なんとか送信だけは、
済ませることができました。



自分は、数分程度の時間なら、
一見「落着いている」と、
見えなくもないそうであるのですが。

でも、十分も居ればちょんばれです。
どんとかまえて見えるのは、
人生至るところに失敗あり、
いわば「エラー」の連続の人生を歩いて
いるがためなのです。


「ふふん、このくらいの事件なら、
いっぱい体験しているもん!
驚いてなんかやらないもん!(泣)」


単にもう、それだけの理由であるのです。(笑)




今回、原稿自体はある一編で、
すごく書きたかった、とあるくだりを形にできまして。


それは、とても短いものながら、
「あぁ、これを書かせてもらえるのが、
かげゆずの醍醐味なんだよな…」と、
彼らに惚れた幸せをしみじみ噛み締めておりました。


今、最後の校正を日を分けて進めていっておりますが。

そんな、幾多のエラーが来ようとも、
(いえ、自分が起こそうとも、)
ひとり、自分に降りかかるものならば、
「これを、出させていただけるのだから、
絶対がんばっちゃうんだもん!」
と、
七転び八起きでえいと起き、
乗り越えられそうです。


でも、締め日も近いことですし。
十分驚きましたので、
お願い残りの日々は神様わたしに微笑んで…
 

 
 
 
 
 
 
 



2006年02月22日(水) 恐怖のテキスト変換 (景譲原稿とわたくし)

 
景譲キス本の原稿の一本がかたまったので、
ワードで作ったデータをテキストデータに変換しました。


で、念のため、ほかの媒体に流し込んだときに
再現性がちゃんとあるか確かめようと思い、
ウェブ上にあげてみました。
ら、

「きゃああ!改行が全部見事に消えてる〜…!(悲鳴)」


サイトの文章、またこちらの日記をご覧いただいています通り、
私はこまめに強制改行を入れて文章を作っております。

それが、例えばここまでの文章を例にとりますと、


景譲キス本の原稿の一本がかたまったので、ワードのデータをテキストデータに変換しました。で、念のため、ほかの媒体に流し込んだときに再現性がちゃんとあるか確かめようと思い、ウェブ上にあげてみました。ら、「きゃああ!改行が全部消えてる〜…!」サイトの文章、またこちらの日記をご覧いただいておりますとおり、私はこまめに強制改行を入れて文章を作っています。

のようになっていたのです。(…)


ここここのテキストデータをDTPシステムに入れていただくと、
まるで谷崎潤一郎の文章を真似ようとして
大失敗した感じになってしまう!?(泣)

自分の立てていたスケジュール表が
一瞬にして紙くずになる幻を見ました。


で、えいやと気を取り直して別のウェブ頁を
作って流し込みますと、今度は何食わぬ顔で
改行がちゃんと入っています。


ううんこれはデータでなく自分の操作ミスだったのでしょうね…


実は、数年前。CTSという、DTPのお祖父さん的な
でっかい編集システム(Computer Typesetting System=電算植字システム)
で作られた印刷データを、
MS−DOSのテキストデータに変換(コンバート)する
仕事をしていたのですが。

どんなに丁寧に変換仕様書を作り、
テスト変換を何度も何度もかけても。


「なんでこんなに単純な変換ができないのお〜(涙)」
と連日のよう、涙に暮れた過去を持っています。


化け字、抜け字はあたりまえ。
ごっそり半頁分のデータが消失している
こともありました。


これは、そもそも印刷データ、というのは過去には、
「紙面にしたときに、見た目に綺麗ならOK!」という考え方が
あたりまえで。

印刷所さんがどんなデータを裏で作っていようと、
そこの入力者さんにより全然データの作り方、
文字の修飾の方法が違っても、
まったくそれは問題でなかったのです。


なので、ばらばらな方法で「紙面での見た目は同じ」に
作られた印刷データを、
テキストに落とそうとすると……

その「ばらばらさ」ゆえに、
しっちゃかめっちゃかなデータが吐き出されてしまうのでした。


俗に言う、「ゴミ入れ、ゴミ出し」というやつです。

(Gabage In Gabage Out:アウトプットはインプットの質に
比例するという考え。)



そのときのデータに比べると、化け字も抜け字もなく、
レイアウト情報だけをすこんと抜いて、
テキストに変換してくれるワードは本当に優秀です。


あとは、それを使う人間、わたくし自身のスキルアップと、
ケアレスミスの防御にかかっているのでございます。


…とほほのほ…
 
 
 
 
 
 



2006年02月21日(火) 枝を折り

 
西行の本をめくっていたら、


吉野山こぞの枝折り(しをり)の道かへて
まだ見ぬかたの花をたづねん



という素敵な歌を見つけ、
「枝折り」こと「しおり」をページに挟みました。


そういえば、しおりの語源はそんなことであったのを
昔読んだなあと大辞林を引いてみますと。


しおり 【栞・枝折(り)】〔動詞「枝折る」の連用形から〕

(3)山道などで、木の枝を折っておいて道しるべとすること。
また、その道しるべ。

 

とあります。(大辞林 p1081 p/b三省堂)
 
 
普段使っている何気ない言葉の、
美しい語源を知るとそれだけで、
人生がちょっと豊かになったような嬉しさを覚えます。
 

なお西行は、出家前の名は「佐藤義清」といい、
この「佐藤(左籐)」の名は、
先祖が藤原氏の左衛門尉であったことから
来たようですが、
彼(西行)の家計図を見ますと、
「遙か3」に登場の秀衡さん・泰衡さんと、
西行は血縁関係にあったことがわかります。


西行は秀衡さんのお使いをしたこともあるようで、
うーんどんな会話をしていたのだろうと想像をめぐらせました。


西行はそんな感じで「遙か3」の時代と重なる人なので、
本を読むと史実の重衡さんのエピソードなども
そここに出、そのときはこう、
「重ちゃん……」と切ない気持ちになります。
 


桜の歌を尋ねた道が、
「遙か3」の木々に出会っている。

枝を折り折り、
本という山を踏み分けゆくのは面白いことです。
 
 
 
 
 
 
 



2006年02月20日(月) わたしの旅、冬



 
La Chaise Longue という大好きな雑貨屋さんで冬に買ったもの。


本来、猫ちゃんの皿かと思うのですが、
うちではこれが人間用(笑)

チョコとか可愛いティーバッグとか、
小さなものをいそいそと放り込み、いえ置いて使ってます。


ふと口寂しいとき、疲れたとき、
それらをつまもうとすると…

「召し上がってにゃん!」と二匹の猫ちゃんたちが
給仕してくれるのです。



気付けば洋服一着買いもせず、
せいぜいマフラーやこうした可愛い雑貨、
本や小物ばかりを集めた冬の旅でした。


La Chaise LongueのHPはこちらです。

 
 
 
 
 
 
 



2006年02月19日(日) 某公式本に寄せ 或る編集ミスの思い出

 
 
「『ミスを憎んで、人を憎まず』よ。

あなた自身のミスであってもだから、
そんなに自分を責めないで。

次、どうしたらいいかを一緒に考えましょ?」



私が、心から敬愛しているフリーの編集者の方に、
まだ駆け出しの頃に掛けて頂いた大切な言葉です。


当時、一校(原稿全体)を見るのに三ヶ月かかる校正刷り(ゲラ)を、
延々と校正・素読み・ファクトチェックをしていたのですが。

もうこのゲラはこれで文字校了できる!…と思い、
印刷所さんに返したゲラの、とあるミスを見逃していたのに
偶然あとで気付いたのです。


すべてのゲラは、複数の校正者の手を経たあと、
最終的に自分がダブルチェックして印刷所さんに入れていたので、
発生したミスはすべて校了責任者である自分の見逃しでありました。


言いのがれのできないミスを、
見逃してしまった自分が悔しくて、
何のために複数の編集者がいるのだ、何のために
ダブルチェック体制を敷いたのだ、と、
もう自分が情けなくてたまらず、


「……くっ……そおっ……」


思わずつぶやき、ゲラを抱えてその場にしゃがみこんでしまいました。



と、そのとき。

敬愛するその女性編集者の方が、
私の背中を叩いてくださり。


「ほらほら、そんな言葉口にしちゃだめよ?
乱暴な言葉を遣っているとそういう顔になっちゃうわ。

女の子なんだから、優しい言葉だけ遣いましょ?」


とにっこり笑って仰った上。

冒頭の言葉をあたたかに掛けて下さったのです。


「ミスは出るものよ。
教科書でさえ、
何人何十人の目を通ってもミスが残って、
刊行できなくなったりするんですもの。

どんなベテランの人でもミスは出すから、
私たちの仕事があるっていうもんじゃない?」



その方の、この言葉がその後、
自分にどれほど大きな影響を与えたろうと思います。


人の手による仕事ならばミスは出るもの。

ミスを出した人を責めるだけでは何ひとつ生まれはしない。

じゃあ、どうすればミスを防げるか考えよう。
このミスはどうしたら防げたのかを考えて、
ノウハウを蓄積してゆこう。


先日、某公式さまの刊行物で、
とあるキャラの名前の誤植がふっと目に入ったとき。

走馬灯のように昔のこの思い出が蘇りました。


もし、私が上長であったなら、
そしてその本の発売前にミスが発見されていたとしたら。

ミスを出した編集担当者にこう云っただろうと思います。


「確かに、申し開きのできないミスで、
読者の方もひとめでお気付きになるでしょうけど、
でも刷り直しはせず、この誤字は重版で修正しましょう。

「ひとめ」でわかるミス、っていうのは実は
ラッキーだったのよ?

読者の方はミスだってわかるのだから。

一番対応が必要な重大なミスは、
読者の方がミスと気付けず、
うのみにして覚え、
それで将来に関わるようなミス、
たとえば教科書の内容のミスや
問題集の正誤のミスなの。

だから、この人名ミスは、
公式としては恥ずかしいもので、
クレームをいただいたら真摯にお詫びを
しなければならないけれど。
云ったようなミスではないから、
まだ救われたのだと思って。

この先同じミスが出ないよう、
縦チェックや機械校正を工程に入れていこう。


それと、たぶん、ミスのあった箇所の著者は、
編集部のミスに傷ついていらっしゃるはずだから、
編集部の仕事に不信感を抱かずには
いられないでしょうから、
今度の原稿では、
あなたの手間は増えてしまうけど、
先方がいいと仰るなら、著者校正を、
校正ゲラの途中で見ていただく工程を、
入れさせていただく方法もあるよね」



はたして公式さまの編集部で、
どのようなやりとりがあったのかは不明でありますが。


公式さまは、けっこう刊行スケジュールを
きちんと守って出されるので、
編集の仕事のひとつである、
「スケジュール管理能力」についてはきっと
高いのだろうと思います。


けれど、編集者のそれに並ぶ大切な仕事は、
いただいた原稿を、
特に締め切りを守って提出された原稿ならなおさら、
どこまでミスをつぶせるか、
ミスがないよう質を上げる工程を組めるか。


ミスが出たときにはその失敗に学び、
今後に生かせるか。


そうした、「品質管理スキル」の蓄積・向上に
あるのではないかと思います。



公式の編集部によるお仕事は、
掛ける期間を考慮したならば、
基本的には丁寧・良心的でいらっしゃるなあと思います。


この、小さなミスを乗り越えて、
さらによいものを、
よい萌えを、
ぜひ具現化し続けてほしいなあとファンは思います。


 
 

 
 



2006年02月18日(土) 推敲の友 『父の詫び状』

  
昔、貸していただいて読んだエッセイ、
向田邦子著 『父の詫び状』 の新装版が出ていた。


傑作と読んだその当時思ったが、
こんな名作であれば何年経っても絶版になるまいと、
逆に安心をしたので自分ではずっと買わずにいたものだ。


それが、大活字になった。

表紙の柄も綺麗だ。


自分は、推敲の前にはいつも好みの文章を数ページ読み、
気持ちや気分の波立ちを消してから、
原稿に向かうたちだが。

数ページ数十ページで区切られるエッセイはそれ用に格好で。

 
また、一度は通読しているため、
続きをあせって原稿をおろそかにする心配もないなと。


このたびめでたく(?)それを自分の本棚に迎えることにした。



そして、サイトとオフの原稿を、
とっかえひっかえ5本並べて仕上げてゆきながら。

これをほんの少しずつ場所は気まぐれにめくっているのだが。


前より数段面白い。

何度も涙ぐんでしまう…


面白く、ほろりとなり、
自分が祖母に聞いた第二次大戦中の話など、
重ね合わせたりして昭和の時代に思いを馳せている。


特に、印象深いのは向田邦子の父親の話で。

あぁ、昭和の父だなあ…
うちも、このくらい怖かった(笑)

なんて、今はすっかりえびす顔な父を想い笑んだりしている。



向田邦子は、自分よりもう少し上の世代の方なら、
リアルタイムでドラマをきっと何本もご覧であったろう。
 
自分より下の世代の方もまた、
そのお名前は耳に入れておられるかと思う。

 
 
1981年、51歳で飛行機事故で逝った方であるが。
 
いまもご存命ならどんな作品をお書きであったろう。


まだ、読んでいない本が山とある。

それを少しずつ、少しずつ、
推敲の友に、この先ゆっくり味わおうと思う。

 

 

  
 



2006年02月17日(金) 忠度ファン・リンボウ先生の推敲

 
リンボウ先生こと林望さんが、先週のテレビで、
ご自身の小説の推敲過程を実例をあげて
紹介されました。

『リンボウ先生の手取り足取り書き方教室』という、
四回番組の第二回だったのですが。


「第一稿なんてどんなにうまい方でもそのままでは
駄目なんです。無駄があるんです」


のように仰り、
ご自身の草稿をざくざく、約三分の二に削ってゆく、
そのポイントを鮮やかに「企業秘密なんですよ」と笑って
見せてくださいました。


「ここの会話文は、地の文をこうすると
要らなくなるでしょう?
かえって、会話を取って地の文で表現したほうが
イメージが喚起されるでしょう?
つまり、推敲で削る、っていうのは、
中身を削るんでなく、無駄を削ることで中身の濃度を上げる
ことなんですよ。
中身を削ったら何にもならないんですよ」

 
…もう、画面の前でなるほど…!と首をぶんぶん縦に
振り切っておりました。


そして、番組の途中、彼は風呂敷包みを取り出し、
おもむろにそれを机上で開けたのですが、
中から数十冊ものネタメモ帳がどんっと出てきて、
そのメモ帳のいくつかがMUJIのだったりして、
しかもMUJIのシールが貼ってあるままだったりして、
先生かわいいなあ(笑)とちょっとうけてしまいました。

 
リンボウ先生は車好きでも知られ、よく、
男性誌の「私のこだわりの車」なんて記事に
目の玉の飛び出る価格の外車と共に
登場されるのですが、
そうか、メモ帳はMUJIなのね!、と思うと
先生の庶民なバランス感覚にますます
ファン度が上がります。


『リンボウ先生の手取り足取り書き方教室』は
あと二回番組が続くのですが、
テキストを見るとこの方、


「私がもっとも愛してやまない『平家物語』のなかから、
先にちょっと述べた「忠度都落」の一節を朗読してみたいと思います。」


とあり、(日本語なるほど塾 2006年2月―3月号 p68 p/b日本放送出版協会)
平家萌えを語ってくださるようなので、
先生のような方の萌え語りもまた楽しみに
放送を待とうと思います。








2006年02月16日(木) 願わくは


旧暦2月16日は、


願わくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
 

の歌が有名な、桜を愛した西行の命日だそうです。

1190年の、まさにきさらぎの望月の日であったとか。


その、西行を愛した白洲正子さんが、その晩年に書いた
自邸の花についてのくだり、


富士桜と雪椿はまた来年も咲くだろう。
だが私が会えるという保証はどこにもない。
といって悲しんでいるわけではない。
これが最後と思って眺める花ほどいとおしく美しいものはないからである。


 
『名人は危うきに遊ぶ』 p163 P/B 新潮社


この一節は、目を通すたびに胸が詰まります。
 

新幹線に乗り、故郷をあとにするたび、
車窓をよぎる山も川も町並みも泣けてくるほど目に沁みるのも、
これが見納めかも知れないと覚悟して眺めるからかも知れません。


落ちた桜の花を拾っては、
友人と蜜をちゅうちゅう舐めていた夙川の桜木、
震度7の震災に耐えて残った桜木は、
今年も、咲き誇る準備をゆっくり進めているのだと思うと、
あんなに懐かしいいとおしい花も自分にはないなと思います。
 
 
 
 
 



2006年02月14日(火) 弁慶さん守る!

  
幾つになってもバレンタインはドキドキするもので。


昨夜も、ドキドキしました。


チョコに添えたカードがちゃんとうけをとれるか…





そして夕食を食べつつ、緊張の開封の時を待っていた頃。

友より、旦那様のために作ったという、
チョコケーキの画像が携帯メールに届きました。


「おすそわけだよ〜んv」


…えっ、えらいぞ○○ちゃん!!


私は肝心のそこはプロの味に頼りましたにょ…



時に、昨日マンションのエレベーターで、
ぼ〜っと自分の階に連れて行かれるのを待っていた時。

ふと、右側上部に貼られた四角いシールに目を遣ると。


「遠隔管理サービス 『弁慶』」


…おおっ!我がマンションのエレベーターは、
弁慶さんが守っていてくださったのですね…!


行き先ボタンを全階バシバシ押していたずらなんぞした日には。

上からしゅ〜っと黒い煙が出てきてくれそうです……



そして、関連商品で「警備システム 軍奉行景時」とか出ていたら、
ちょっと楽しいなあとシステム仕様を想像しました。


くせ者がモニターに映るや否や、隠し拳銃がパパパンと!


花火を打ち上げるのですね。

オオサンショウウオちゃんだとか…。
 

社内通称はきっと「へたれ奉行」で決まりであるでしょう。
 
 
 
 
 
 



2006年02月13日(月) メッセージ御礼 (熱すぎ友幸語り、お許しを)

 
■メッセージをありがとうございますv■

> 2/12 20時台に「異国」の更新へお言葉をくださった貴女様v

こんばんは、貴女様v
明るさを増す陽差しの中、近所の桜を見上げては、
花が咲いたような幻を見る気の早いこの頃です。
貴女様にはいかがお過ごしでしょうか。


先には、「異国」の最新話をご覧くださり、
その上もったいないあたたかいお言葉を掛けてくださり、
本当に本当にありがとうございました。

とてもゆっくりとしたお話ですのに、
ずっとお見守りいただけて、
更新のほう、嬉しいとまで仰っていただけて、自分は
なんて幸せ者なのだろうとじんとなりました。


> じつを言えば、早く元の鞘に戻る事を願っていましたが、
> 最近このままくっ付いてしまえばいいと思うようになりました。
> それが自然な流れだろうとさえ思えます。一緒にいる時間は新たな
> 一歩を生む、そんな感じですが、どうでしょう、どうなっていくのでしょうか。

とても、ご丁寧な深いお言葉をいただきありがとうございます。

お言葉を拝読し、この二日、友雅と幸鷹の二人につき、
(異国の枠内の二人につき、という意味ですが、)
さまざまな考えをゆっくりと巡らせておりました。


「一緒にいる時間は新たな一歩を生む」、とても素敵なお言葉ですね。

時間を掛けて綴ってきたあの二人が今、
そんな風に思っていただける二人になれたのだとしたら、
あの二人の出会いがあってよかった、
あの二人を書き続けてきてよかった、
心からそう思うことができます。


友鷹と翡幸を前提として始まったものではありましたが、
友幸、というひと組のペアが出会い、
長い時間を共に過ごし、
そうして築いた関係の深さ、
二人で積んだ経験の重みというものは、けして、
友鷹と翡幸が築けるもの、
その何かに劣るものではないのではと思います。


また、100パーセントの、自他共に認める「恋人」の関係にはなくても、
だから「恋人同士よりも浅い心のやりとりしかできない」、
ということも、あの二人であればないのではないかと思います。


たとえば恋人同士なら、


「恋人なのだから…
自分のこの気持ちぐらい、
言葉に出さなくても察してくれていいのではないか?」

「恋人なのだから…
こんな言葉を掛けてくれてもいいのではないか」


そんな、甘えや期待、相手への要求を、
どんな聡明な方でも持つことはあるのではと思います。


そしてそれが叶わないとき、
人も恋も傷ついてゆくのでないかと思います。


けれど友雅と幸鷹の二人は、正規の恋人ではなくて。


一歩の距離を置いて立っているから、
個として互いを尊重しているから、
逆に求められたからでない優しさを差し出すことができる。

求められたからではない理解を、
けしてわかった風な口をきくことはなく、
示すことができる。


相手を傷つけず、くつろがせ、安らげることができる。


あの、旅の二人はそんな風であるのかも知れないと思います。



そして、傷つくことで学んできたあの二人であるなら。

傷つけず、相手をくつろがすすべも知った二人であるなら。

この先、本当の恋人同士になっていっても、
そういう道があってもいいと私は考えます。


二人が、優しさや理解をさりげないわずかの言葉に包みこみ、
そっと差し出している景色を書くのが好きです。


その景色を書こうとする中で、自分自身が、どれだけ
いろんなことを学ばせてもらったろうと思います。



友雅と幸鷹は、一緒に居ることでもう、
幸せから遠ざかってゆく二人ではない、
共に新しい道を踏み出すこともできる、
別の道を探すこともできる、
そんな二人になってゆきつつあるのではないかと思います。


「どうでしょう、どうなっていくのでしょうか。」とお書きくださいました。


流れるような素敵なお問い掛けに、
どうなるのかな…と、
ふっと心地よく思いを馳せさせていただきました。



普段、メールのほうではお相手くださる方へ、
キャラへの思い、
お話への思いを熱く語ってしまうのですが、
日記のほうではお話について自体あまり触れていませんため、
貴女様にはさぞ驚かれたことかと思います。


頂いたお言葉がとても嬉しくて、
熱すぎます長文語りをついにサイトにさらしてしまいました……(笑)


友幸ばかよとどうか笑ってお許しになってくださいませ。


日中の陽は明るくなってきましたが、
夜気も風もまだまだ寒いこの時期ですね。

どうぞくれぐれもお体をご自愛くださいますよう。
 
 
 
 
 



2006年02月11日(土) 田辺聖子さんいわく



『田辺聖子の小倉百人一首』は、上下巻の表紙で絵合わせができ、
置くだけでニコニコ。

 
 作家・田辺聖子さんは学生の頃、「ひさかたの 光のどけき」の友則の歌が、
「奥歯に物が挟まったように」気にさわり、お好きではなかったそうです。

理由は、

『「らむ」は本来、推量の助動詞だから、「静心」」なく花が散るのだろう、
とくると、ぜひともこれはその上に、「など」(なぜ)という言葉が
入らないと理屈に合わない。』


というものであったそうで。

けれどやがて後年、

『 友則の視線は地を雪のように埋めつくす桜の花から次第に上がって、
梢に移る。
そのひまも、花は散り、友則の頭上にも肩にもふりかかる。
(花よ。なぜそのように、しづこころなく…)
とふと友則の唇に「しづこころ」という言葉が浮かびあがってきたのではあるまいか。
 春の日の、ものかなしきアンニュイ、それを「しづこころ」というコトバで、
彼は凝縮させた。
 そうなると、「など」は不要である。「らむ」は推量というよりも、
むしろ吐息、詠嘆である。
「花の散るなり」としたら平板な叙述になって作者の美しき感傷は
表現されない。(略)

 その上にこの歌の秘密は、「ひさかたのひかりのどけきはるのひに」と、
「ハ」行音が重なって耳に快くひびくところである。(略)

唇にのぼらせやすい、なだらかなしらべは、人間のつくったものとも
思えない。人の手に神が(古典的にいえば鬼が)手を添え、
力をかしたというようなところがある。
どこかで神秘な庸変を遂げ、さながら「春の心」そのものといった美しい歌が生まれ出た。
まさに、アプロディテの誕生、というところ。
 私はこの歌が、いかにも春らしくて好き――というようになるころには、
五十歳をすぎていた。
 やーれやれ。
 トシを重ねるということは、たぐいもなく嬉しいことだ。
 いままで見えなかったものが見え、
こぼしつづけていたものを拾いもどすことができる。』


(『田辺聖子の小倉百人一首 上』 pp205-207 p/b角川書店)
 

そんな風に、理屈抜きにこの歌に親しまれるようになったそうです。


 私は、こちらの日記にはおおよそ、「好き」と感じられたものを
とりあげ、その所感を書いています。

 今、「好き」とまでいかなかったものは、
「良さをわかる目がまだ育ってないのだにゃ」と
なるべく思うようにし、いつか再び触れたとき、
「あぁ、こんなにいいものだったんだ…」と思えたらいいな…と願い、
触れた経験を胸の倉庫にしまっております。

 考えれば、和歌にも俳句にも興味のなかった十代でした。

 川端康成の『雪国』は初読、「ここここの島村(主人公)という男はっ!(笑)」と
思った程度で(…)、
その文章、世界の美しさに目を向けることはありませんでした。
 
 やがて年を経て、川端の『掌の小説』『山の音』などを読み、
無人島にもっていく短編集は『掌の小説』がいいなあと思うほど
作家の魅力に惹かれました。
 
 
 十年先、二十年先に、今よりもっと沢山の「好き」に気づき、
「好き」に囲まれ、
にこにことごきげんで暮らせていたら幸せだろうなあと思います。
 
 
 
 
 



2006年02月07日(火) 小さな目利きに

  
N○K教育テレビの「知るを楽しむ」で、
今週より「白洲正子 目利きの肖像」が始まりました。
 

元首相で今は陶芸家である細川護煕氏が、
親しかった白洲さんを四夜に渡り紹介する番組。

第一回は、「骨董・本物を知る」というテーマで語られ、
わずか30分の番組ながら、
すでに幾つかの大切なことを教えられました。


お能をはじめ、日本の文化や古典に精通していた
故・白洲正子さんは、
骨董の目利きとして、現在広く知られる方ですが。

その「目利き」白洲さんは、晩年まで、
多くの目利きが本物とだまされた、
偽の古伊万里のある壷を、
偽であってもずっと愛されていたのだそうです。


肩書きは一切関係ない。
自分が「美しい」と思えばそれが「本物」であるのだと。


頭で見るな、目だけで見ろ。

「情報」や「評判」はみな、
他人が作った価値観にすぎず。

それに頼り、惑っていては、
自分の「価値のものさし」は一生作られはしないのだと。


そうしたことを見ていて学ばされました。


自分は、自身の価値観、自身の目に本当に自信がないために。
いつも無自覚に権威主義に陥っている気がします。


作者も評判もわからない、無名の品を見るように。


本も絵画も音楽も風景も、
自分の目でだけで見。
 

「ああ、綺麗だなあ、よいなあ」と、
感動できる小さな目利きになりたいものです。
 
 
 
 
 
 
 



2006年02月06日(月) ご当地の噂

 
昨日の茨木のり子さんの詩は、インパクトがございましたようで、
掛けていただいたお言葉たちにぶんぶんと首を縦に振らせて頂きました…


偉大な詩人の方は『言葉』という、
強烈なパンチを放たれる、ボクサーのようですね。


さて、今日はちょこっと力を抜き、
軽めの話題で息抜きいただけたらと思います。


皆様、『バカ日本地図』、という最近の書籍をご存知でしょうか。

我が家で、『生協の白石さん』以来のヒットになりました笑える本なのですが、
「名古屋は県名だと思っていた」
等々、
私と同じよう(…)、地理にうとい人々の「脳内勘違い」を地図に反映させ、
たとえば下のよう、ありえない地図を具現化した本です。


「京都が日本海に面しているのは意外だそうなので、
京都の海岸沿いを兵庫県にしました。
結果、名所・天の橋立は兵庫県に属すことになりました。」


 
類書に、『バカ世界地図』もございまして、世界がもう、
大変なことになっております。


それら、二冊の本の元になったのが「借力」というウェブサイトなのですが、
そこで見られる「ご当地の噂」というのがさらにもう、
その土地を知っているなら1時間は軽く爆笑し続けられるすごネタぞろいで。

たとえば、「大阪」ですとこんな「噂」が見られる感じです。
(「借力」HPより)

〜大阪の噂〜

■「おはよう」「こんにちわ」「こんばんわ」は、「まいど」で済む。

■怒るととりあえず殴る。
 まず殴ってから「ええかげんにせんと殴るで!」と言い、
 それを指摘すると「あんなもん殴ったうちに入らん」と言う。

■信号を守らない。信号はアドバイスだと思っている。

 青:進め 黄:注意 赤:アタックチャンス!!
 青:渡れ 黄:急いで渡れ 赤:気を付けて渡れ ともいう。
 青:進め 黄:進め 赤(2〜3秒なら):まだ行ける。
 嘉門達夫曰く、「青は進め 黄色は進め 赤は気をつけて進め」


 
また、聖地・京都のへえ〜!な「噂」もあれこれございます。


■京都御所の前を通るたびに、いつか天皇は京都に帰ってくると毎回のようにいう。
 ・陛下は現在、東京地方へ御旅行中どすさかい。

■東京からですら「田舎からよお来た」と言われる。

■東京のことを東京地方といえる。

 
 
ちなみに、わたくしの生まれた兵庫の噂は、
大阪や京都に比べてこう……地味といいますかキャラがいまいち
足りないといいますか;、地元民には結構笑えるのですが、
全国的なうけは難しかろうなネタが多く、
自らをダシにうけをとりたい関西人として、ちょこっとばかり
残念な気持ちになりました。(すんすん;;)
あ、でも、

 
■兵庫県南部の人間は他県で出身を聞かれると神戸市民でも無いくせに
「神戸です」と答えるケースが多い。



……こちらの噂は事実だにゃあと思いました…

 
というかすみません。西宮市民なのに上京してから「神戸です」って
笑顔で何度も何度もカタリしました……
 

ご当地の噂のアドレスはこちらです↓
ttp://wiki.chakuriki.net/index.php/%E3%81%94%E5%BD%93%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%99%82

 
貴女様の「ご当地の噂」も、ばっちりあたっておられますでしょうか?
 
 
 
 
 
 



2006年02月05日(日) ばかものと

  
茨木のり子さんの有名な詩に、

「ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて」



で始まる、「自分の感受性くらい」という作品があります。
『茨木のり子集 言の葉2』 pp60-61 p/b筑摩書房)


「初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった」



と詩は続き、最後、

「自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」



でその詩は締められます。


大人になり、親元を離れると、
誰かに叱ってもらえることが少なくなります。

だから自分で自分を叱らないと、
楽を好む、怠惰な自分へ流されてゆきます。


あぁ、暮らしがだれかけてしまっている、
生き方にしまりがないと、
ふっと自覚を持ったとき。

私はこの詩の最後を思い出し、
「ばかものよ、ばかものよ」とひとりつぶやいてみます。

つぶやくと胸がずきんと痛み、
痛むのは怠惰であった証拠と
反省猿します。


そんなカンフル剤のこの詩のよう、
近頃胸に突き刺さるのが児童小説『バッテリー』。

妥協をしない意志を曲げない、
目をそらさずに上を向く、
まっすぐな巧の言葉にぐさっ、ずさっと
心地よく斬られます。


あさのあつこさんの文章も素晴らしい。
土の匂い、草の匂い、
大地の熱が伝わります。
 
 
 

 
 



2006年02月04日(土) 春立つと


春立つといふばかりにやみ吉野の 山もかすみて今朝は見ゆらむ

                             拾遺集・春・忠岑


超意訳:


ただ立春を迎えたというだけで、
あの春が遅い吉野山ですら、
今朝はなんとなく霞が立っているようにも見えるのだろうか…




こんにちは。あの歌この歌を白虎の面々でえがいては、
ひとり萌え〜としている頭が春な桂子でございます。(…)


ちなみに和歌を参照する本は、古今集なら、

注釈まで見たいとき→講談社学術文庫 『古今和歌集(一)〜(四)』
歌が見られればいいとき→岩波文庫 『古今和歌集』
特定の言葉を鍵に探したいとき→笠間書院 『歌枕歌ことば辞典』を、
それぞれ愛用しています。


また、ファンである友則の歌は、超過勤務手当てをつぎ込み買った(笑)、
明治書院 和歌文学大系 『貫之集・躬恒集・友則集・忠岑集』 で
うっとりゆっくり楽しみます。(…)


なお、紺の背表紙が美しい講談社学術文庫は、
お値段の高さがネックですが平安ものが大充実。

「藤愛でる少将」の題の元ネタでなかったかと思う、
「虫愛づる姫君」で有名な『堤中納言物語』
『とりかへばや物語』
『とはずがたり』、などなど、
こちらの文庫の全訳は丁寧で読みやすくいずれもお薦めです。

また、周辺の参考文献も多いので、平安スキーな方は機会がありましたら、
本屋や図書館をぷらっとどうぞ旅してみてください。


 
 
 
 
  
 



2006年02月03日(金) 君は最高さ



春と、君を、待っている。

――春待ちのゼブラちゃん

 
最近の和歌ネタで思い出しました。

昔、漫画家・江川○也と誰かとの対談で目にしたのですが、

平安の頃、

「…ああ、この人すごくいい男だなあ〜…

彼を女にして寝るか、
自分が女になって彼と寝たら気持ちがいいだろうな〜…」


というのが、
男が男をたたえる最高のほめ言葉だったそうです。



これを踏まえ、かの友雅の一連の台詞たち(注:うろ覚えです)を
反芻しますと…


――「私は君の顔を気に入っているのだから」

――「せっかくの美形が台無しだよ…?」




……う。
わぁ〜。あぶないです。

思った以上にあぶないです。


公式様がどの程度台詞に意図をこめたかは不明でありますが、
友雅はあの台詞のその内側で、
さらに最高の賛辞で鷹通をほめていたのかも知れません。
 

…いえむしろ、男のままで好み、と言い切っているあたり、
さらに上というべきか…
 

 
 
 
 
 
 




2006年02月01日(水) 素敵なお知らせ・メッセージ御礼

 
友則に会いに、「古今和歌集1100年記念祭 歌仙の饗宴」に出掛けましたら、
萌えな拾い物に加え、風邪の拾い物もしてしまいました…

だましだましの体調では無理かもとわかっていたのですが、
佐竹本・三十六歌仙絵「紀友則」は保護のため12日間しかお披露目されないのです…

そんなわけで昨日は日記をお休みさせていただきましたが、
ふぃさかたネタ、超意訳のほうに嬉しいメールやメッセージをいただきまして
ずびずびしながらも幸せになっておりました。
今日はきらきらな企画のお知らせに続き、
そちらのメッセージの御礼を綴らせていただきますv


■景譲アンソロジー『 Kiss for 24hours 』告知サイト様オープンのお知らせ■

すでに白虎スキーの皆様には、いきつけの素敵サイト様でこちらのお知らせを
ご覧になられたと思いますv
ご主催の皆様をはじめ、もう、綺羅星のごときご執筆陣に
素敵なページを見るたび胸がドキドキしています。

そんなまさに「平成歌仙・絵師の饗宴」とも云える宴の末席に、
今にも心臓が止まりそうなチキンハートがひとり座っております…

「なぜこんな晴れの場にこの人が??」と訝しくお思いの皆様、
あああ申し訳ございません(涙)。
どうぞ黙殺レベル5の術で見逃してやってくださいませ……


ご主催の皆様、ご参加の皆様には大変お世話になります。
萌えなお話は書けない自分ですが、精一杯愛情をこめて小さな創作を
上げたいと思っております。
ご叱咤ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。


■メッセージをありがとうございますv■

> 1/31 21時台に梅の歌「超意訳」にお言葉をくださいました貴女様v

こんばんは、貴女様v
月が改まり、春が少し近づいた気がいたしますね。
月の異名表を見ると、二月は「雪消月」、「梅見月」、「初花月」といった
別の名前を持つそうで、そんな言葉を目にするだけでもまたほっこり、
嬉しく感じますv
貴女様の周りでも春の気配がいたしますでしょうか。

さて、先の超意訳に、とても嬉しいお言葉をいただきありがとうございますv
『すごいツボ』と仰っていただけて、わぁいと小躍りでございましたv

「君ならで」「よひよひに」共に、昔、古今集で出会ったのですが、
一読でぐらぐらりん〜に崩れましたフェロモン満載の歌たちでしたので、
そのフェロモンにわずかでも沿うように、
ない知恵を絞りひねり上げたものでした。

恣意入りまくりの意訳でありましたが、
貴女様に『友雅殿や翡翠殿に似合いそうな
フェロモンたっぷり増量中な超意訳にぞくぞく』いただけたのこと、
もうもう、
古文の文法がさっぱりつかめず、授業中、
「あてないで〜〜、あてないで〜〜」と先生に念を送っていた自分でしたので、
「わーんうけていただけた嬉しい…(涙)」と、
もったいないお言葉にとても感激でした…v

その上、
『ぞくぞくしておりましたら、か…景時さん!(笑)
その可愛らしさにもうどうしてくれようかと思いました。』との
こちらも「やったぁ!」なお言葉をいただけて、実は
景時さんに花(梅の花?)を持たせたくて作った流れでしたので、
どんぴしゃなご反応をいただけて踊り狂うばかりでしたv

ハンズが好きで雪にはしゃぐ拙宅の景時さん、
大好きと仰ってくださってありがとうございます。
日記をご覧くださり、
「ここで あなたの手を握り」の彼もあわせて浮かべて
いただけたのだと知り、どんなに嬉しかったでしょう。
あのお話は、自分にとって書けてよかった、
書けて嬉しかった大切なものでしたので、
貴女様のお心の中に残していただけているのが、
本当に幸せで、
嬉しくて、
楽しくお優しいお言葉に、
とても励まされ、じんとならせていただきました。

春の陽差しのよう、あたたかいお言葉を届けてくださりありがとうございましたvv

 
 
 


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