「隙 間」

2011年08月31日(水) 「象を抱いて猫と泳ぐ」

小川洋子著「象を抱いて猫と泳ぐ」

デパートの屋上から、大きくなり過ぎて降りられなくなった象。

建物のわずかな隙間に挟まって、助けも呼べず身動きも出来ずミイラとなった少女。

リトル・アリョーヒンとして、チェス人形の中に潜んでチェスをうつ。

僕は何よりも、成長して体が大きくなってしまうことを恐れた。

リトル・アリョーヒンの中に潜れなくなること。

無限のチェスの海を、象のインディラと猫のポーンと、ミイラと白鳩と、果てしなく自由に航海することが出来なくなること。

「最強」の手ではなく。
「最善」の手をえらぶ。

初めて僕にチェスを教えてくれたマスターは、たとえ何時間でも待って、僕の中のなるべくそうである次の手を、催促もせず、根気よく導いてくれた。

棋譜は、二度と再現出来ない素晴らしいメロディを表す。

それは、対局相手との素晴らしい対話によって生まれる。

一方がただ勝つためだけにうつ手では、それは奏でられない。



残りページが少なくなるにつれて、読み終えてしまうのがとても怖くなってしまった。

小川洋子作品は「閉ざされた世界」を描いているものがほとんどである。

それは物語の舞台が、地形的に隔離された街であったり、因習として他の社会と相容れない街だったりする。

それだけではない。

登場人物たちが、どこか「囚われて」しまっている精神的なもの(もちろん性格も含む)を描く世界だったりする。

それぞれがひっそりと、しかも確固として内包している「閉ざされた世界」、それはある種、公然の決して明かされない「秘密」のように、見るものを惹き付ける。



人形のチェス盤の下に潜り込み、盤を見上げながらしかチェスがうてないリトル・アリョーヒン。

空想の友人だったミイラと同じ名前で呼ぶことを受け入れてくれ、棋譜係として寄り添い支えてくれる少女ミイラ。

決して表の世界には出ないリトル・アリョーヒンに、リトル・アリョーヒンという居場所を与えてくれた、ルークが似合った老婆婦人。

八マス×八マスの宇宙。

手紙に次の一手だけを記し、チェスをうちあうミイラとリトル・アリョーヒン。

長い月日をかけて、それでも否応なしにやってこざるを得ない、チェック・メイト。

対局が終わったら、そのとき初めて、言葉で手紙を書こう。



もう、何といえばよいのかわからないが、ただただハマってしまった。

夢中になる、という意味とはまた違う。

まばたきをひとつゆっくりとすれば、そこはリトル・アリョーヒンの世界になる。

小川洋子作品は、やはり最強の、いや「最善」の一冊である。



2011年08月28日(日) 「スーパーよさこい2011」オフラインからオンライン

今年のわたしの、本格的な夏が、はじまりました。



原宿表参道元氣祭
「スーパーよさこい2011」

土日の二日間、原宿表参道を東京で最も熱い街に変える。

二日間5ヶ所の会場に設けられた舞台で、全国からよさこいの連が集まり、跳ね、舞い踊る。

熱くならないわけがない。

気合い充分、やる気満々。

わたしの手元にある各会場の演舞予定表は、贔屓の連をすでにしっかりと蛍光色で引いてある。

「よし、漏れはない」

よさこいはステージの演舞だけでなく、いや、本来は「流し」が見ものなのである。

「前へ」

前へ前へと、舞う。

表参道の車道の一区画が、日曜だけその舞台のひとつとして生まれ変わる。

ここはいつも、歩道内の通行を妨げぬよう、また舞台である道路上にはみ出さぬよう、見物席がテープで規制されている。

しかも一番の見所でもあるので、油断せずとも、あっという間に十重二十重の人垣ができ高手小手に囲まれてしまうのである。

人の隙間から垣間見るしかなくなってしまうこともよくある。

しかし、炎天下である。

いくら立派なケヤキ並木で木陰があるとは言え、よほど熱心でなければいつまでもじっとはしていられない。

お目当てが終わるか、辛抱出来なくなった方が、ちらほら見物席から出てゆく姿が現れる。

わたしはその隙間を、ツイ、ツツイ、とミズスマシのように音もなく前へと移動してゆく。

コンビニで買った昼飯のパンをかじりながら。

そこらへんくらいの用意はわたしとて周到である。

各連は、一曲7分程度3回の演舞で踊り抜けてしまう。

場所によっては終わりと始まりのちょうど切れ目で、

ああぁ……。

と曲が演舞が終わってしまい、曲がふたたびかかると、

あらら……。

と通り過ぎてしまうこともある。

そこもまた、席を決めるときの難しいところなのである。



あぁ。



泣きそうになる。



なぜ、こんなにも
胸が奮えるのだろう。



よさこい祭りとは、祭りの多くが神事から発生したそれとは、違うのである。

人の手によって、当時の復興を願い、元気と勇気と明日への希望をと、はじめられた。



人のエネルギーは、
かくも素晴らしいもの。



感動にむせっている場合ではない。

わたしのお目当ての連を、追いかけなければならない。

次はステージでの演舞。

メインの原宿口ステージ
明治神宮文化館ステージ
じまん市・NHK前ステージ

横手焼きそば
かき氷
塩ソフトクリーム



すっかり、味わい尽くさせてもらうことができました。



さて。

ここで私事ではありますが、この度

「推しレン(連)」

を決定することに致しました。

それは……。



「音ら韻」(東京都)



です。

「ほにや」(高知県)
「十人十彩」(高知県)

のふた連は、変わらず不動の「永久推しレン(連)」です。

言うなれば、「十人十彩」は長島茂雄です。
そして「ほにや」は王貞治です。



「ほにや」の女性主体ならではの優美さ、たおやかさにまさに初恋の出会いをし。

「十人十彩」の男女等しく揃った凛々しさ、粋さに恋愛とはなんたるやを知らされ。

よさこいの虜となってしまいました。
しかし虜から、やがては自立せねばなりません。

囚われたままでは、真の恋は見つからないのです。



例えるならば、二次元に恋するばかりに逃げ込んでいる現実逃避の恋は恋ではなく。



そこから三次元の現実の恋へと引っ張り出してくれたのが、

「音ら韻」

なのです。



なにやら支離滅裂な物言いをしているようである。

あらためると。

どうやら「よさこい」の全国あまたある連(チーム)の中で一、二を争ってお気に入りだった「ほにや」「十人十彩」であるが、彼らはもはや別次元の存在としたようである。

そしてより現実的にいたく御執心となった連が「音ら韻」という東京都の連ということらしい。

確かに、「音ら韻」は、素晴らしかった。
いや、「素晴らしい」などという言葉では到底、足りない。

彼らが舞えば、たちまち一陣の風となり、心地好い世界へとさらわれてしまう。

彼らの一挙手一踏足に、リズムに、笑顔に、はち切れんばかりのエネルギーに、呑み込まれてしまう。

イデアの眩しすぎる光の向こうにあり、見ることができずまた存在すら気付くことがなかった「真理」を、暗闇の洞窟から光の下に連れ出し、やがて目が馴染むとその「真理」の存在に気付かせてくれたような存在。



わたしの幾分偏屈で妨害電波ばかりの回線が、ようよう「音ら韻」の世界と繋がったかのような衝撃。



錯乱気味の能書きはもう、結構。

次はおそらく1ヶ月後に、池袋で繋がることが出来る。

ただそれだけが、わたしの暦と言ってもよいかもしれない。

心ない邪魔が入らないことを祈るばかりです。



2011年08月27日(土) 「津軽百年食堂」と夏の夜に散る美しさ

「津軽百年食堂」

をギンレイにて。

弘前に三代に渡って続く津軽そばの店「大森食堂」は、四代目が店を継げば、百年続く「百年食堂」と称し観光でも紹介されるようになれる。

しかし三代目の父は継がせようとはしなかった。

「こんなちっちぇえ街や店じゃなく、世界をみてみてぇ、つって東京の大学さいったんだろが。
俺もその気持ちはよおくわかってる」

四代目になる息子の陽一は東京でバルーンアートのバイトで暮らしていた。
やがてカメラマンのアシスタントをしながら自身もカメラマンを目指している七海と出会う。

ふたりは同じ弘前出身とわかり、距離を縮めてゆく。

そんなとき、陽一の父が怪我をして入院してしまう。

入院中は店を閉めざるをえず、祖母は陽一に「帰ってきて店を手伝ってくれ」と頼む。

時代は遡り、初代の謙一は屋台で津軽そばをいた。
手伝ってもらっているトヨになかなか思いを告げられず、トヨは夫を戦争で亡くし、幼い娘を連れた身だからと、謙一の言葉を避け続けてきた。

この幼い娘が、陽一の祖母だった。

祖母の店を残したい思いと。
陽一の店を継ぎたい思いと。

陽一をあたたかく待っててくれた地元の友人たち。
七海は自分の夢に向かって真っ直ぐ歩いている。

陽一の気持ちは決まっていたが、父が受け入れてくれずにいた。

陽一は、父が店に出られるまでの間だけとりあえず弘前に戻る。
「さくら祭り」の直前で出店を諦めていた家族に、「店を出そう」と言い出す。

東京に「帰る」んじゃない。
帰るところは「この街」なんだから。



主演が、初代・謙一を中田敦彦、四代目・陽一を藤森慎吾、オリエンタルラジオの二人がつとめている。

「キミきゃわいいぃ〜ねぇ〜♪」などとチャラ男キャラで目下売り出し中の藤森だが、そのイメージを覆す演技をしている。

現代の明日に揺れながら今日を暮らす普通の若者を、きちんと演じているのである。

また、クイズ番組などでも活躍する中田敦彦も、真面目で気弱で不器用な謙一の役柄を見事に演じている。

物語にドキリとするようなメリハリこそないが、だからこそ逆に、身近にある故郷や人々とのあたたかさを際立たせている。

もしもどこかでこの作品を見かけたら、手にとって観てみて欲しい作品である。



旅のところから少し慣れない書き方をしていたので、まだ違和感が残っている。

その痕跡が、予測変換の頭の方に間抜けな顔文字が羅列表示されているところである。

……正直、邪魔くさい。

いや、やっているときは、それでいてなかなか熱心に、ブチブチと次候補ボタンをしこたま押しまくっていたのである。

しかし。

あまりにも速く連打しすぎて処理が追い付かず、保存されないまま落ちてしまうことが何度もあったのである。

そうなれば、意地である。

絶対にやめられない戦いが、そこにはあったのである。

お茶の水駅の聖橋から、隅田川の花火が、綺麗に見えた。

「た〜まやぁ〜」

面白いから、上野駅の公園口の連絡橋までゆくと、そこからも、見えたのである。

「か〜ぎやぁ〜」

なかなか、面白い。

鶯谷駅の南口陸橋からも、ビル同士の限られた空間にだが、見えた。

「……は〜まやぁ〜」

「浜屋」などという掛け声は、出鱈目である。

人混みにペッチャンコにされながら大輪を見上げるのもよいが、こちらもなかなかよい。

大輪の華は、夏の夜に散る様こそが、美しい。



2011年08月19日(金) 熊野行路 朔夜「キヲクの闇の中、光をツカムもの」

ここに記さなければ、おそらく誰の目にも触れることなく、何もなかったこととして、わたしは平然と日常の中に戻ってゆくでしょう。

しかし、例えそうだとしても、わたしには、ここに記しておかなければならないという、

「誇り」と「意地」

というものがあります。

延々長々と続く不可解な報告書にウンザリされながらも、ここまでお付き合いいただいた方々には、たいへん感謝いたしております。

願わくば、もう少しだけ……。
いえ、今回までだけで構いません。
どうか、わたしの我が儘にお付き合い頂けませんでしょうか?



あれは旅の二日目、「大雲取越」から帰ってきた夜のことです――。



チクチク
チクチク

(--;)……

マメが、

痛ぇ!
( ̄□ ̄;)

歩行距離およそ十四.五キロ!
歩行時間およそ七時間半!
熊野古道「大雲取越」(健脚者向け)!

を踏破したその代償として、靴が履き潰れてしまいました……。

マイ・靴よ!
お前の犠牲は無駄にはしない!
(T-T)

靴の犠牲だけにととまらず、わたしの足もただで済まなかったのです。

たわわに実った、

マメ。
マメ。
マメ……。

両小指、親指と人差し指の付け根に、

「ぷっくり」

と出来ていたのです。

足の指すべてを使って歩いたなんて久し振りでした。

これはせめてマメ以外の、筋肉的なダメージは翌日に残さないようにケアしなければなりません。

それには温泉!
それしかない!

しかし、ホテルに温泉は付いていなかったのです。

時間は夜八時――。

温泉なんか開いてるわけが……。
わけが……。

(-_☆)
……あった。

勝浦温泉は港に、夜十時まで無料開放された足湯があるのです。

あ、し、ゆ!
三三ヘ(*--)ノ

マメの痛みも忘れてまっしぐら、です。
夜の漁港を眼前に小屋は、ぼんやり明かりが灯っていました。

しかし人の姿はありませんでした……。

気兼ねなく、

ちゃぽっ
(´ー`)あせあせ(飛び散る汗)
〜〜〜〜〜

「あ゛……」
(;ーoー;)

「あ゛ぁ〜〜……」
く(;´д`)ゝ



だだだ、誰だっ!?
いま、
「おやじ」
っていったやつ!

……。

(つд`;)チャプ

(*´д`;*)チャプ

許しちゃう。
( ̄◇ ̄;)

すっかり極楽お気楽気分でホテルに戻り、あらためてシャワーを浴びました。

浴衣でさらにくつろぐひととき……。

ほげぇ〜……。

……。

……。

(早送り)

……。

……。

……はっ。

とりあえず無事帰還した連絡でも送っとこう。

……。

Σ( ̄□ ̄)!

ない!

ケータイが、ないっ!

いやいやいや。
あるって、ホラッ、ないっ!
あるってばさ、こっちに……。

ないっ!

ホテルの電話から掛けて携帯を鳴らしてみます。

受話器「トゥルルルル」
部屋内「……(無音)」

……( ̄□ ̄;)!!

わたしのケータイは普段から常に……。

バイブレーション!

音なんか鳴らない!

(プツッ……)

「留守番電話サービスセンターに……」

しかも!

呼び出し十五秒で留守電チェンジ!

なんてナイスな設定!

……。

……。

……ダメじゃん。

えーっと……。

φ(--;)

(-_- )ノ⌒○

ε=ヾ(*~▽~)ノ

┓( ̄∇ ̄;)┏

(((\( ̄ー ̄)/)))

(ノ-"-)ノ~┻━┻

ひと通りの現実逃避行動で気を落ち着かせ……。

足湯だ!
Σ( ̄□ ̄)!

あすこしか、ないっ!
ε=┌( `_)┘

しかし時間は既に十時を回ってます。

走れ、メロス!
己を信じて待つ友のために!

待っていろ、
セリヌンティウス〜!

ハァハァハァハァ

心の臓が激しく脈打ち、
胸が張り裂けそうだ……っ。

友よ、やはり無理だったのだっ
許せっ……!

……。

ハッ(゜Д゜;≡;゜Д゜)

待っていてくれ、友よ……!

〜〜(;´Д`)ノ

明かりなどとうに消え、
漆黒にたたずむ小屋の前に、
崩折れそうな膝を、
おぼつかない手で支えて立つ。

やがて慣れてきたのか、
かつての安らぎの場所が、
ぼんやりと……。

もちろん、無人。

それでも湯だけはかけ流しなので、チャプチャプと哀愁を奏でていました。

オーーッ、ノォーーッ!
∠( ̄□ ̄;)ゞ

灯りを持ってくるのを忘れたのです。
普段は携帯を灯り代わりにするので、そのつもりでいつも通り左ポケットに手を伸ばすと……。

(スカッ)

当然、手応えがあるはずもなく、左手は空振りするばかり。

ならば右のポケットだ……。

(#ノ-"-)ノ~~~┻━┻ー(長音記号2)☆

あるわけなかろうもん!

諦めて、先刻座っていた辺りを、オオサンショウウオのように這って手探りでまさぐっても手応えはなし。

これは……。

確実に……。

やってもうたぁぁぁ〜〜!

きっともう、誰かに持ってかれたに違いない……。
O(><;)(;><)O

旅に出る度にデジカメが壊れたり、携帯が壊れたり……。



旅なんか、大っっっ……。

大っっっ……?



(チカッ、チカッ)



頭を両手で抱え、決定的な次の言葉を口に出してしまう寸前!

湯がかからない普通の腰掛けのその片隅で……。

不在着信の点滅する光がっ!



大っっっ……好きだぁぁぁ〜!



きっと明かりを消しにきた管理のおっちゃん(わたしのなかでは、この場合なぜか「おっちゃん」が必定です)が、よけて置いてくれたに違いありません!

友よ、すまぬ!
わたしは一度、諦めてしまった!

殴れっ!
でなくば、気が済まぬのだっ!
さあっ……。

(/o\)ピタッ(○=(-_-○

出来るわけがなかろう!
┐('〜`;)┌

友よっ!
おうっ!
ε==(;o;)/\(^o^)))



携帯電話は、無事、この手に帰ってきたのです。

真っ暗な中、かけ流しのあふれてゆく音を聞きながら、

やっほほ♪
やっほほ♪

♪(゜ロ゜屮)屮♪
♪щ(щ“ロ“)♪

歓喜の舞い……。



熊野の「熊」は「隈」の字である。
また、隠れる・籠(こも)るの意味がある。

「異境の地」「死者の地」として熊野の山地は信仰され、そこに詣るには、生者は儀式的に死なねばならず、それが「禊(みそぎ)」として川を渡ってそれをする、ということは先に述べた。

禊によって一度死者となり、熊野を詣でた後は、また生者として霊場(霊域)を出て、日常の世界へと戻ってゆくのである。

「熊野は生まれ変わりの地」

といわれる所以のひとつである。

「伊勢に七度熊野に三度、どちらが欠けても片参り」

と古来よりうたわれている言葉のその先に、「東海道中膝栗毛」においては次のように続けられている。

「愛宕さま(芝・愛宕神社)には月参り」



愛宕さまじゃなく、神田明神じゃダメですか……?
(--;)

それならほぼ毎月、くだまきに行って……。

くだまきにくるんじゃないよっ!
ヽ(゜o`;)ヾ(--;)



熊野から「生まれ変わ」って帰ったあかつきには、それはあらためます。
( ̄Λ ̄)ゞ



そんな罰当たりな態度は、いくら八百万の神々といえども寛大に許してくれる神など数えるほどしかいないでしょう。

ましてやここ熊野の神はスサノオノミコトです。
感情に素直な、それでいてその表現が不器用で癇癪もちで。



「こいつ、あらためる気がないな?」
φ(。_。)エート...

「これでよしっ」
( ´艸`)プププッ



「えっ? 席が、とれてない?」
(゜〇゜;)

帰りのバスの座席表には違う人の名前が。

どうしようどうしよう
(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

「ざまあみろぅ〜!」
ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ

そうです。
きっとささやかながら、スサノオさんの嫌がらせ……もとい、警告に違いなかったのです。

あんたのせいかっ!?
だったらなんだっ!?
(`_)乂(_´)

腹が立つっ!
八雲立つっ!
( ̄^ ̄)ヘヘン...(;==)ソウデスカ



解説します。

古事記に、出雲に帰ってきたスサノオさんが詠んだとされている日本最初の歌、と言われている歌です。

八雲立つ
出雲八重垣
妻籠みに
八重垣作る
その八重垣を

「八雲立つ」はこのことから「出雲」の枕詞となっています。

出雲の現在でいう須賀にやって来た時、そこの素晴らしい景色と己の清々しい気分に、

「よっしゃ、ここに新居、建てるべや!」

と、櫛稲田姫としっぽり籠るための宮を建てたのです。



さあ、出発直前になって手違いで帰りのバス座席の予約が取れてなかったことが判明し、オロオロしたのですが。

さすが「ツンデレ」のスサノオさんです。

「空席がありますから、こちらの席でよければ……」

よいもワルいもないって!
ε===(ノ;゜ο゜)ノ

てか、はやく言えって……。
...(ーー;)



こうして、危機的状況に幾度となく遭遇しつつも、わたしは無事に東京の地に再び帰ってくることができました。

一見、自らの落ち度が招いた間抜けな事故のように見えますが、それでも危機は危機です。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

と言うひとがいます。

果たして、神が与えたものと自らが与えたものとの違いは、いったいどこに?

あまつさえ、自らが与えたそのこと自体が、神によるものだとしたら……。

わたしは、神などという運命を委ねるにはあまりにもこころもとない存在は、信用してません。

しかし、完全には否めないのです。

それよりも、「人」という存在こそが、この世の中で最も人そのもに試練を与えることを知っています。

願わくば、その「人」という存在こそがまた、最大の救いの力ともなることを、人類が決して見失わないように。



速玉大社の川原家横丁で、ゆっくりお話してくれた土産物屋のお母さん。
那智山の大雲取越入口で親切に声を掛けてくれた素敵なご夫婦。
地蔵茶屋跡で出会い、すれ違いに握手して別れたライアン(仮名)。
客でもないのに招き入れてくれた小口「自然の家」のお父さん。
バスまでの時間、やいのやいのと会話に引きずり込んで楽しませてくれた喫茶店「果樹園」のママさんと常連客のおっちゃんら皆さん。

ただ通り過ぎるだけだったかもしれない道を立ち止まらせ、こんなにも明るく輝かせてくれた人々との出会いに感謝します。

例え、それぞれの人生の中でいつかは消えゆく記憶の一片だとしても――。



2011年08月18日(木) 熊野行路 第三夜「再生。忘却のカナタに」

えーっとお名前は……。
「佐賀」さん、ですね?

Σ( ̄□ ̄;)!

帰りのバスに乗り込む直前の座席確認をした時に発覚した

衝撃の事実っ!

そうかわたしは「佐賀」という名前だったのか。

これからは佐賀として、
清く正しくつつましく、
人生を……。

なんでやねんっ!
( ̄ .  ̄)ノ“

わたしの座席がない!
そんな……

バナナ!!
v(; ̄Д ̄)v

これは、
まさかの……。

「帰れない」!

てヤツですかっ!?

「センターに電話確認できる時間じゃないので」

運転手は「すみませんが」と、わたしの切符を座席表と並べて頭をひと掻き……。

じゃなくてっ!
(゜Д゜#



今日は一日車で移動です。

目指すは「熊野本宮大社」

熊野参詣のトリです。
那智、新宮を抜けて熊野川沿いに上流へ。

川はとてもキレイでした。
「瀞峡ジェット船」という観光船も走ってます。

ジェットだとか、
ビームだとか、

胸をくすぐられるのは、世代のせいでしょうか……?

「目から……」
(/−\)

「ビームっ!!」
∠゜∇)―ー☆

などといってる間に本宮です。

印象は、

……。

ちがうちがうちがう!
O(><;)(;><)O

ほかの二社が、身を削ってようやくたどり着いた先に……

↓∫∫た
↓∬∬き
↓∬∬!

だとか、

((巨))\(--\;)
((岩))┌(_ _;)┐
((!))<(。 。;)>

があったりして、

「達成感」
V( ̄Д ̄)どやっ

があったのに……。

拍子抜けというか……。
有難みがないというか……。

べべべ、別に
不満とかじゃなくて!
(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

どどど、どうか
罰が当たりませんように……。
~(-人-;)"~へ(のムへ)



熊野信仰とは、神道がすべからくそうであるように、いわゆる「自然信仰」から端を発している。

形なきものを大自然の存在に置き換え崇拝する。

熊野三大社も、当然、各々が象徴とするものがあり、

那智大社……滝
速玉大社(神倉神社)……巨岩
本宮大社……森

となっている。

那智大社と速玉大社(神倉神社)の滝と巨岩の関係は、有り体に言えば、それぞれの主神であるイザナミとイザナギに関係する。

巨岩と言えば、男性器の象徴である。
そして滝は、女性器の象徴なのである。

つまり、国生みの二神を生命誕生の象徴として祀っている。

では、本宮大社が「森」とは、どういうことか?

熊野の民にとって生きてゆくのに必要な「衣食住」は、全て山から、つまり森から与えられていた。
「衣」「住」は、木々の枝葉から、そして「食」は森に住まう獣たちを狩ることによって得ていたのである。

熊野の民は、大半が険しい山地であったため農耕ではなく、およそ狩猟によるしかなかったのである。

そして「森」を司る神がスサノオというわけであるらしい。

イザナギが黄泉の国からイザナミを連れ戻す途中、「振り向かないで」とのイザナミとの約束を守れず振り向いてしまい、連れ戻すことができなかった、という話は聞いたことがあるだろう。

帰ってきた後、三姉弟がイザナギ両目と鼻それぞれから生まれたのである。

もとい、その黄泉の国の入口、もしくはそのものがあったのが熊野である、という説がある。

「黄泉の国」は「根の国」ともいう。
「根」つまり地中深く伸びた先にある国という意味である。

スサノオは母であるイザナミへの会いたさで、根の国を目指す。
途中、アマテラスに旅立ちと別れの挨拶をしに会いにゆく。

実は、

「会いたい会いたい会いたい!
会いたいったら、会いたいんだい!
ママに会いたいんだい!」
O(><;)(;><)O

と父のイザナギに駄々をこねた。

アマテラスは高天原を、ツクヨミは滄海原または夜を、スサノオは夜食国または海原を治めるように言われていたのを、スサノオは拒んだのである。

「お父さんの言うことを聞かない子は、うちの子じゃありません!
出ていきなさいっ!」
☆(>o<(○=(-_-○

と追放されてしまったのである。
だから別れの挨拶を、というわけだが……。

「弟が侵略しにきた!」
(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

と勘違いされ、

「ちゃうわ! なんでやねん!」
( ̄ .  ̄;)ノ“

と必死の説得。
やっと誤解を解いたのだが、スサノオは、やはりアマテラスに乱暴を働いてしまう。

屋根に穴を開けて、そこから動物の死骸やらを、

ポイポイポイポ、
ポイポイポピー♪
\(゜ロ\)~(/ロ゜)/~

「もう、イヤ!
なんでどうして、
こんなシドイ目に、
遇わなくちゃなんないの!?」
ε=ε=ε=(/;д\)

と天の岩戸のくだりに繋がってゆくのである。

「短気」「乱暴者」だけで片付けてしまうのだが、スサノオが暴れた理由が実はずっと、背景に隠されていたのである。

アマテラスは太陽の象徴である。
農耕が主流になり、
田畑が増え、
人々は、

「山や森を開拓」し、

さらに拡大してゆくのである。

侵略してきたのはアマテラスの文化の方ではないか。

やられたらやり返す。

スサノオは森を守るため、アマテラスに力を奮ったのである、という解釈があるらしい。

……(ーー;)
話が前後してんじゃん。

……神話なぞ、時の権力者らによって書き換えられ、付け足されしてゆくものなのである。

つじつまが合ってないじゃん。
……(ーー;)

……したがって全体のつじつま云々など関係なく、説話毎や人物毎に象徴的な話の隠喩として。

でっ、たら、め♪
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
でっ、たら、め♪
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
でっ、たら、メ……

「目からビームっ!!」
∠゜∇)―ーミ☆(」x x)」

こうして、日本神話には様々な文化・風習などが暗に描かれていたりするのである。



熊野本宮大社だけを参詣するのではだめです。

熊野川と音無川の三角州にある

「大齋ノ原(おおゆのはら)」

こそが、本来の本宮があった地なのです。

ここは今の地に本宮を遷した後も大鳥居と柱神たちの幾つかが祀られてます。

しかし。

この地……。

「死体が漂着する聖地」!
Σ( ̄□ ̄)!

だったのです。
しかしその聖地であるがため、今で言う「パワースポット」でもあったのです。

……怖っ。
(;ーoー))))



熊野信仰には三不浄(赤白黒)がない。

ケガレとは、

「ケ」が「枯れ」ること

を指す。

一般に、「ハレ」(非日常の空間)と、「ケ」(日常の生活空間)の違いを表す時に使う言葉である。

現実社会で枯れ果ててしまった「ケ」(日常)を取り戻さなければならない、ということらしい。

つまり、

「清浄」や「浄化」に対するような「穢れ」

という概念がないのである。
伊勢信仰は「穢れ」を嫌うが、熊野信仰にはそれがない。

さらに仏教の衆生救済と深く結び付けられ、貴賤、老若男女、また病(癩病)によって忌み避けられてきたものらまでをも含めた民衆の間に深く広まってきたのである。



……ほげ?
〜ヘ(゜ο。)ノ~~

ケっこうケだらけ、
ネコ、灰だらけ!
〜(σ・∀・)σビシッ

わたしの「ケ」は、
完っっ全にっ、
枯れ果てて、カッサカサです!

さあ、熊野三山を回りきったら……。

次は、

「温泉」です!!

ε=ヾ(*~▽~)ノ

(ドボンっ)

……くっ。
∬ヽ(x_x;)∫∬∫
~~~~~~~~~~~~~~~~

あ゛、あ゛ぁぁ〜……。
∬∫(ノД`;)∫∬
~~~~~~~~~~~~~~~~

ふい〜……。
( ´艸`;)チャポ
~~~~~~~~~~~~~~~~

Σ(゜□゜;)//

なに見てるのよっ!
見ないでよ!
この……っ、
スケベえ!
ヘンタイ!

……なこともなく。

ひたすら、

ボヘェ〜……。
…(;´□`)〜ダッシュ(走り出す様)

としてました。

実は迷ってました。

本宮から新宮に戻って、天然記念物の「浮島」を見学して……。

那智勝浦に戻ったら三時半。
レンタカーを返すのが六時。
帰りのバス発車時刻が七時半。

さあ、どうしよう?
( ̄~ ̄;)

他の観光出来そうなところには、あまり興味がなかったのです。

今回の旅は、

八割が「大雲取越」
へへ〜(/;_;)┫へへ

一割が「熊野三山参詣」
<(_ _)>~▲~▲~▲~

一割が「まぐろを喰らう」
Ψ( ̄∇。 ̄)4
(<◎)マグロ)><)

で占められてました。

ガイドブックのほかの近場の観光地・太子町まで行って帰ってくるには時間が厳しい……。

温泉は足湯にしかつかってなかったんです……。

だから!

……。

温泉入ったって

いいじゃないですかっ!

のぼせてましたよ。

温泉で。

「大雲取越」を七時間かけて歩ききった自分に!
V( ̄^ ̄)!

あぁ、あぁ!
完っ全っに!
のぼせてたけど、
文句あっか!
ごるらぁっ!
ヽ(*`Д´)ノ

「太子町でクジラとイルカ」
てのもよかったかもねぇ……。
クジラとイルカねぇ……。

イルカ……。
太子町に……イルカ?

Σ( ̄□ ̄;;)!

(゜.゜;)
(・.・;)
(-.-;)
(..;)
(__;)
...☆\(__\)バタッ!

なぜだなぜだなぜだなぜだ、
ばかなばかなばかなばかな、
うそだうそだうそだうそだ、
そんなそんなそんなそんな……

やってもうたぁ〜!!
\(゜□゜;)/

「太子町」といえば、
「ザ・コーヴ」じゃないですか!!

社会的大騒動になった

あの、作品!

次々と上映取り止めになった

あの、作品!

「知能がある生物を、なんてヒドイことを!」

「自治体ぐるみでイルカを密漁し、食べている!」

日本に対して海外の捕鯨抗議団体が過激な抗議活動をして世間を騒がせていたさなかでの公開となったドキュメンタリー作品です。


公開予定の映画館が、次々と上映を取り止めていきました。

抗議やデモによる危険を配慮してです。

本来のメッセージではないところで、大騒動となってしまいました。
映画監督は言っています。

「オーストラリアでは、カンガルーを食べている。
ヨーロッパでも同じようなことはしているさ。
そんなことが言いたいんじゃない!

水銀など有害物質が体内に蓄積したイルカ肉を、クジラ肉だとか擬装して、一般の食卓や学校の給食に並べさせてることが問題だと言いたかったんだ」

実際の作品を観ていないのでハッキリ言えません。

その舞台となった町のすぐそばまで来たというのに……。

湯上がりのビン牛乳で、
口の周りに白ヒゲこさえて、

ぷっはぁ〜〜っ!
(≧∇≦)ノ□☆

などと腰に手を当ててる場合じゃなかったのです……。
σ(-Θ-;)ゞ

頭の中が、まさに真っ白に……。



次回予告

次々と消去されゆく記憶。
消された記憶の跡は、純白の空白かそれとも漆黒の暗闇なのか。
長々と続く記憶の迷宮。
繰返し再生することができない一度きりの過去の中に、いったい何があったのか?
光か闇か、はたまた希望か……?

次回
「キヲクの闇の中、光をツカムもの」

次回もまた
サービス、サービス♪



2011年08月17日(水) 熊野行路 第二夜「道ヲゆくモノ」

朝六時半、起床。
七時、ホテルにて朝食。
八時半、勝浦駅前発、那智山行きバスに乗車。
九時、那智山着。

当初は、七時半発のバスに乗る予定でした。
一時間に一本のバスに間に合わせることが出来なかったのです。

朝食はバスの車内で、買っといたパンで済ませるつもりでした。

なぜホテルで朝食なんぞとってしまったのか……?

目覚めの珈琲くらい、
いいじゃない!
そうです、
これから行く
「大雲取越」に、
びびってましたよ!
(開き直り)

元々、トーストやサラダなどの軽い朝食付きのホテルでしたが、食べなくても大して損得勘定にならないお値段で泊まってます。

しかしアットホームに、

「朝食も食べますか?」

据え膳食わぬは武士の恥!

「これから歩くんでしょう? しっかり体力つけてかなくっちゃ」
はい、いただきます。

パクパク、モグモグ。

ごっそさんでした!

結果、出発を一時間遅らせることになったのです。
そしてバスに乗って那智山に到着。

参道の石段を上り、那智大社と隣接する青岸渡寺との間にある謙虚に口を開けていたのは……。

「大雲取越」の入口!

目の前にして、込み上げる感慨にしばしとらわれてしまいました。

同時に沸き上がる、

恐怖心……。

どうせ、

途中折り返しなわけだし。

参詣は明日だし。

しかも、

帰りのバスは一本しかないし。

逃したら野宿だし。

「大雲取越」は小口というところまでで、小口には「自然の家」という宿泊施設があるだけです。
キャンプ場もあるけれど、テント等の装備なんか用意していません。

さらに小口まで人里はありません。

つまり……。

途中での棄権は不可!
さらにルートの半分が携帯電話圏外!

ブルブルブル……。
ガクガクガク……。
((((゜д゜;))))

怪我しても助けを呼べません。
警告が脳裏に鮮やかに浮かびます。

「二名以上での通行をお願いしています」

( ̄□ ̄;)!!

さて。
まずは一.二キロ先の「那智高原公園」までです。

那智の滝と同じ高さの滑り台があり、また絶好の景色が眺められるご家族で楽しめる公園です。

そこまでの石段(以後、もはやただ敷いてあるだけ)を上りはじめて、すぐに後悔しはじめました。

わたしは、汗対策にドライメッシュのTシャツに茂み対策の長袖シャツを羽織り(袖は勿論捲った状態)、普段と大して変わらぬ服装でした。

せめて靴はと、姉と義兄からもらったウォーキングシューズ。

これが本当に助かった!

靴だけに限らず、完全なトレッキングの準備と格好で挑むべきだったのです。

何よりも必要不可欠なのが、

「杖」!

これがないと、ムリ、です。

すぐに気付いて道端をよおく探して手頃な枝を見つけました。

チャララ、チャッチャラ〜♪
竹は丈夫な杖を見つけた!
HPが一歩につき10マイナスから7マイナスになった!

いや、
すでに膝は大爆笑。
太ももはひきつり。
全身疲労、目は虚ろ。

高原公園まで行ったら、
マジで、考えよう……。

この先に行ったら、

もう、

引き返せない……。



そもそも「大雲取越」は西国三十三所観音巡礼の発展に伴って派生した古道である。

斎藤茂吉、南方熊楠らの残した証言に、

「大雲・小雲取越」は「死出の山路」と呼ばれ、歩いていると、亡くなったはずの肉親や知人に出会う、と言われている。

また「ダル」(餓鬼)にとり憑かれ、餓えから一歩も動けなくなる者や急な脳貧血を起こし、やはり行き倒れてしまう者がある、と言われている。

熊楠については、

私もダルに実際にとり憑かれたことがある。
昏倒した際、たまたま背嚢が枕がわりに頭を守り、岩に頭を砕かずにすんだ。里人の教えに従い必ず食糧を携え、その兆しあるときは少し食ってその防ぎとした。

と言っているのである。

標高八百メートル前後の三つの峠を上り降り繰り返す全歩行距離十四.五キロの険しいルートである。



目の前が開けた!

この整備された階段を上れば「那智高原公園」だ!

ヒィ、ヤッホゥ〜!
ああっ、女神さまっ!
文化って、素晴らしい!
生きてるって、素晴らしい!

東屋に……人影?

明らかに古道歩きの格好をした夫婦の姿。

同じ古道を歩く者同士、すれ違うときは必ず言葉を、少なくとも挨拶は交わし会います。

「こんにちは。あっついですねぇ」

たしかに御夫婦でしたが、失礼ながら思っていたよりも結構ご高齢のお二人でした。

大門坂と那智大社を回り終えて、今からほかに行かれるのだろうと思い、さりげなく聞いてみると。

「大雲取越」を途中まで行かれると言うのです。

「あなたも行かれるの?」

奥様に聞かれて思わず「はい」と答えてしまいました。

答えたかからにはもう、引き返せない……。

この、お調子者!
見栄っ張り!

「じゃあお先にいくわね」とご主人とリュックを背負い直し歩いてゆきます。
奥様は足がよろしくないのか痛むのか、ゆっくり、少し引き摺るように一歩ずつ。
ご主人は、少し先を歩いては振り返って待ち、の繰り返し。

素敵やぁ。
それでも夫婦で古道を歩こう、
だなんて……。

自販機等、飲み物をちゃんと手に入れられるのは、ここがほぼ「最後」になります。

休憩所の喫茶店の自販機でスポーツドリンクを二本確保し、お店のおかあさんから情報収集。

七時間かかるのは妥当だけど、今時分、普通のスタート時刻より一時間遅いらしい。

沢は先に行けば沢山あるが、小口までの中間地点の休憩所に自販機が一台だけあるらしい。

てことは、

「早い者勝ち」てこと?
既に出遅れてるってこと?
( ̄□ ̄;)!!

「あなた、杖ないの? それなら持ってきなさいな」

店に置いてある竹の杖をくれました。

軽い!
丈夫!
もう大丈夫!

だいたいの古道の出入口に「御自由にお使いください」と杖置場があります。

大門坂にもあったのですが、そこはバスでスルーしてきました。
そして「大雲取越」の入口には、杖置場はなかったのです。

「向こうで適当に置いてきていいからね!」
「いってまいります!」
(`_´)ゞ

公園から先の古道入口のところに、先ほどのご夫婦がいました。

とはいえ、同行というわけにはゆきません。

「果てて倒れてたら、そのときにお会いしましょう! お二人もお気をつけて!」
「はいはい、気を付けてね」

奥様と旦那さまは手を振って見送ってくれました。

まだ背中が見えているくらいの距離で、背後から奥様の声がっ!

「出たわよ〜!」

???

何が?

「親子の鹿が、いたのよ。見えた〜?」

見てません。
足元だけしか。
見る余裕ありません。

本当に、以後も周りの景色を楽しみながら歩けるところなんて、ほとんど、ありませんでした。

上りも下りも、
急なとこでも、
ゴツゴツの石を、

「とりあえず置いてみました」的な足元なのです。

ゼィハァ……。
ヒィフゥ……。

うおっと!
あぎゃ……。
うえぇぇぇ……。
まぢかっ……。
おいおいおい……。
ふみぃ……。
トゥー、トゥルットゥトゥ♪

歩き始めて二時間強!
舟見茶屋跡に到着!

東屋があったので、ベンチに腰掛けて休憩……。

なんて素晴らしい眺め!
リュックの底の方を漁りはじめ……。

ガサゴソガサゴソ。
ビリビリリ……。

さ・ん・ま!
こ・ん・ぶ!

お!
す!
し!

昨日「徐福寿司」でお持ち帰りした「さんま寿司」と「昆布巻き」です!

酢で〆めた甘さが、
もう、最高です!

本当は、ここから四キロ先にある地蔵茶屋跡で昼食の予定でした。

しかしもう止められません。

一心不乱に。

食う。

食う。

食う!

パクパク、モグモグ。
ムシャムシャ、ゴックン。
……っぷふぁ!

……。

何か文句ありますか?
精も根も尽き果てて。
ダル(餓鬼)にとり憑かれて死ねと?

食ってる姿は、きっとダルそのものだったことでしょう。

腹がすっかりくちくなり、ふと漏れた言葉が。

……帰ろうかな。
(ボソッ)

入口でお別れしてきたご夫婦は、この舟見茶屋跡まできたら引き返す、といっていました。

今引き返したら、絶対に遭遇してしまふ!
それはできない!

弁当ガラをリュックに押し込んで。

再出発!

しかし、またすぐに……。

ゼィハァ……。
ヒィフゥ……。

うおっと!
あぎゃ……。
うえぇぇぇ……。
まぢかっ……。
おいおいおい……。
ふみぃ……。
トゥー、トゥルットゥトゥ♪

台風の被害で、途中倒木で道を通せんぼしているのをまたいでくぐって乗り越えて。

道とは名ばかりの、沢みたいに水が流れ落ちている道を、石を渡って上ってゆき。

何度挫けそうになったことか。

その度に浮かぶ、救いの言葉。

「無事に帰ってきてくださいね」

ああっ、女神さまっ!
きっと必ず、無事に帰って見せます!

ガイドマップにも本当に書いてある「亡者の出会い」付近を通過。

もはやわたし自身が亡者同然になっていたので、残念ながら出会うことはありませんでした。

そして唯一の自販機がある地蔵茶屋跡休憩所に到着!

「ハーイ。コニチワ」

外国人の若者がひとり、先に東屋で休憩していました。

「ハ、ハーイ」

ロバート(わたしが勝手につけた彼の名前)はひとりで、田辺から中辺路(なかへち)を歩いてきたそうです。

「四日メ、デス」

四日!

なんだかもう、頭部が金色に輝いて見えます!

彼は金髪でした。

お互い逆方向から来ているので、道の情報交換です。

「トテーモ、タイヘン、デシタ」
「こっちも、アップダウン、トテーモ、タイヘン」
「……」

HAHAHA--!!
(揃って)

なんと素晴らしい魂の交流!
多くの言葉は要りません!

「ソレジャ、イキマス」
「グッド・ラック!」
「ユー・トゥー!」

爽やかにソウル・フレンドを手を振って送り出し、そしていよいよ唯一の自販機へ!

スポーツドリンクは全部売り切れ、しかし!

お茶は大丈夫!

チャリン。
ピッ。
ガコン!

お茶を手に入れました!
一本じゃ足りない!
さあ二本目!

とその指の向かう先で点灯していた、

「売切」

の文字……。

はわわわわ……。
O(><;)(;><)O

最後の一本だったのです。

ここまででスポーツドリンク二本と水筒の水をきれいに飲み干していました。

お茶一本じゃ足りません。
小屋の脇にある水道から空のボトルと水筒に水を補給してから、次の入口脇にあるお地蔵様に手を合わせ、

出発です。

ロバートがタイヘンと言っていたのが、よおく、わかりました。

急な下りがずっと続いていたのです。
つまり、逆は休むところが全くないまま、延々と上りなのです。

しかも足場は凸凹で最悪。

わたしも実は右足を捻り、体重がかかる下りは、かなり辛かったのです。

シクシクシク。
痛いよぉ。

そして最後に、まさかの事故が!

「この先、不通。迂回路こちら」

台風の被害が……。

、ついに!

小口に到着!

予定よりも、結果的に一時間早く着けたのです!

町だ!
民家だ!
車だぁ!

バスの時間までは二時間もあります。
しかし、喫茶店など休めるところがないのです。

フラフラ〜と、

「自然の家」に。

宿泊の予約も連絡もしてない、通りすがりの飛び込みです。

「そこらへん好きに休んでな!」

客でもないのに中にあげてくれようと!
(T^T)

そこまでは甘えられません!
庭先のテラステーブルをお借りして、自販機で買った……。

缶コーヒーを一気飲み!

ぷはぁ〜!
この為に生きてるようなもんだわさ!



次回予告。

ついに目的の最終地へ足を踏み入れることになったが、そこは「終わりの地」であり「始まりの地」でもあった。

果たして「始まりの地」が意味するものは何なのか?
安らぎの中に忘れ去られた記憶とはいったい……。

次回、

「再生。そして忘却のカナタに」

この次もぉ、
サービス、サービス♪



2011年08月16日(火) 熊野行路第一夜

目が覚めると、

そこは……。

紀伊国だった……。

……て、なんで?

なんで、夜行バスでサービスエリア休憩がたった二回しかないんねや?

しかも深夜零時に一回、十分だけでいったい何せいっちゅうねん!
二回目の休憩は明け方四時?

そうかこれは悪夢だ!

もう一度寝て起きたら、
きっと、

幻のメローンパンや、
アメーリカン・ドッグや、
ツキー見そばが、

キラ星のごたる輝く、
夢の世界が待ってるはず!

そうとわかれば、
さっさと寝ます!

おやすみぃ……。

……zzz。

……ハッ。

目が覚めたら朝八時過ぎに紀伊勝浦の漁港前に下ろされて。
しばし太平洋を眺めてました。

ボーッ。

汽笛ではありません。
わたしの正気に還るまでの小野真弓、じゃない、オノマトペ(擬態・擬音語)です。

……ハッ。

いけない、駅レン太くんとの約束の時間は九時。
韜晦(とうかい)している場合じゃありません。
すぐに時間になってしまう!

時間の十分前に着いてもレン太くんはまだ開いておらず。

駅前で一服しながらお客さん待ちしているタクシーのおっちゃんと談話しつつ待ち、時間ぴったりに開店したレン太くんから鍵を受け取りました。

颯爽と乗り込むわたしに、さっきのおっちゃんが、手を振って見送ってくれました。

その横に、レン太くんのお兄ちゃんもいたはずです。

たしか……。

「ほな、気いつけてや」

また軽く手を挙げてくれたおっちゃんに、ハザード・ランプを瞬かせ……。

チッカ、チッカ、
チッカ、チッカ、
チッカ……。

ハザード五回点滅させて。
ってドリカムかい!

「愛してる」の合図ちゃうわ!

おっちゃんもびっくり、わたしもびっくり!

はい。
ハザードではなく、
ウインカーです。
きっちり数は数えてません。

「大門坂」に向かいます。
「那智大社」のガイドブックに、「熊野古道を手軽に味わうなら」と一番に紹介されているところです。

しっかりと立派な「階段」でした。

古道らしくなる入口に「夫婦杉」なる立派な杉の大木が門のように構えて迎えてくれます。

それはそれは「待ってました」な雰囲気で、平安貴族の姫がわたしを待っているかのように立っていました。

幻覚がっ。
現実逃避かっ。
ここまできたかっ。
(ガクガク、ブルブル)

実は入口脇の茶屋で、平安貴族の参詣衣装を着せて記念写真を撮ってくれるサービスがあるのです。

さあ、いよいよ正真正銘!
熊野古道デビューです!

古道から出てきたら、

茶髪にピアスに眉剃って、
あらまあ!
すっかり別人!

いったい
いつの時代の、
デビュー?

原生林ばりの苔むした石畳の大門坂を上りきる頃には、両膝がケタケタと笑ってました。

はい、こちら西部署の大門!
ヘリコプターからライフル構えて、バキューン!

「西部警察」の渡哲也かい!

笑ってくれたのはわたしの両膝だけです。

那智大社はこの大門坂を上った後さらに階段を、かなり上らなければなりません。

それでも、金刀比羅宮に比べたらまだまだです。

ごめんなさい。
行ったことないです。
行ったことある。
みたいに語って、
ごめんなさい。

ここからの階段は舗装されて両側にお店等が並ぶきれいな階段です。
ここまで車やバスで楽々来れます。

ゼェハァ、ゼェハァ。
ドクドク、ドクドク。

もうろうとしたまま、最初熊野詣での那智大社にお詣りです。
手を合わせて目をつむると、息切れと動悸しか聞こえません。

もしやこれが……。

無我の境地ですか?

すでにわたし……。

悟りの境地ですか?

はい、ごめんなさい。
私的な願掛けをする余裕なんかありませんでした。
せめて思い付いたのは、

「天下泰平」

……江戸時代か!

しかし、

額から、
眉山から、
もみあげから、
あごから、

汗が滝のように流れ落ちて

「ここにも那智の滝が!」

滝に打たれ、もうろうとしたなかでの「天下泰平」は、きっとわたしの本心だと思います。

そうなんです。

「那智大社」は、日本一の「那智の滝」があります。
てか、滝こそがご神体です。
落差が百、百……百何十メートルあります。

ごめんなさい。
正確に覚えてないです。
わたしの脳は、
だいたいアバウトです。

死ぬ気でせっかく上ったのに、那智の滝を見に行くには、違う石段をまたズンズン下りて行かなければなりません。

いや、べつに。
ここからでも小さくてもよければ、全っ然、見えます。

見えるんだ。

そっか。

見えてるじゃん。

今きた階段をそのままUターンして、車に乗って、次へ行っちゃおう……。

誰も見てないし。

誰も害はないし……。

(ブルブルっ)

首を振り、下りる階段を間違えたつもりで笑う膝を誤魔化して、那智の滝方面へと向かいました。

国民に勇気を与えたその姿は、
まさに国民栄誉賞ものだ!

じじじ、辞退させてください!

御神体でもある那智の滝のマイナスイオンを浴びながら、不届きな自分の妄想を平に謝ります。

突然ですが、ここで大人である諸氏皆様に質問です。

「神仏習合」って、ご存知ですか?

はーい、もっと寄って!
はじっこがはみ出て映らないよ!
はい、じゃあ、いきま〜す!

ハイ、チ〜ズ!
(パシャリ)

「集合」写真の方ではありません。

神社の神道と、お寺の仏教を、

パイルダー、オン!

と国が合体させた歴史上の出来事です。

あぁ。
またおふざけしてしまって、
ごめんなさい、ごめんなさい。

マジンガァー……。
ゼーット!

水木のアニキ、ごめんなさい!

熊野三山はこの出来事にもやはり深く影響されています。
それぞれ仏教神と絡められ、過去、現在、未来(来世?)の救済とご利益があるそうで、

熊野速玉大社は、
速玉大神(過去世の救済・当病平癒)=薬師如来

熊野那智大社は、
夫須美大神(現世の利益)=千手観音菩薩

熊野本宮大社は、
家津美御子大神(来世の加護)=阿弥陀如来

となっているそうです。

元々は仏教の「四天王」や「八部衆」やら「十二天」等の戦隊モノちっくなものに少年マンガから興味を持ちはじめたのですが。

ごめんなさい、ごめんなさい。
「七福神」くらいしか、
正規メンバーがわかりません!

現在(現世)のわたしの愚かしさは、きっとこの那智の神様がきれいサッパリ、水に流してくれたでしょう!

たぶん……。

さあ、飯だ飯だぁ!

新宮市にある熊野速玉神社と、速玉神社が新宮と呼ばれる由縁となった神倉神社を午後で回ります。

朝食をとらずにいたので、もう。

がルルる……。
シャァーッ!

近付くものはすべて噛み付く。

「怖くない。怯えてただけなんだよね?」

の青き衣をまといし姫姉さまだろうが容赦しません!

容赦なしといえば、中国は秦の始皇帝・政に、

「不老不死の妙薬を手に入れてまいります」

とまんまと資金資材を出させ、バシバシ部下たちが死刑にされてゆくなか、無事とんずらぶっこいて生き延びた「徐福」という人がいます。

彼が行き着いたのが、ここ「新宮」だったのです。

東の蓬莱島。
金の国、ジパング!

金だ金だぁ!
不老不死だぁ!

わっしょい、わっしょい!
祭りだ、祭りだ!

徐福は元々、漢方に詳しく商才にも長けていました。
くわしくは「史記」や、たしか「十八史略」にも書いてあったような気がするので、読んでみてください。

わたしの脳は、だいたいアバウトなもので。

ですから不老不死というのもあながち嘘ではないのです。

健康が一番!
漢方ごっくん!

その「徐福」の名を冠した「徐福寿司」さんで、名物「さんま寿司」を頂きました。

なれ寿司のように、さんまを塩で漬け込んで、一匹まるまる、

ガバッ!

と酢飯にかぶせたお寿司です。

ンマっ。
ンマンマ。

ドカベンの「花は桜木、男は岩木」ほどではありませんが、

じぃっと見つめてくる頭と、
ペロンと垂れてくる尾っぽ、

を除いて美味しくきれいに平らげてしまいました。

このさんま寿司は、保存食からきています。

明日のお弁当に「お持ち帰り」決定です。

お腹がくちくなって、至極ご満悦なわたしは、ポンポン腹鼓を叩きながら「新宮」こと、熊野速玉大社へ向かいます。

熊野速玉大社は、なんと平和なのでしょう!

一段も、階段を上らなくてすむのです!

ビバ!
ハヤタマ!

速玉大社は「新宮」で、
神倉神社が「元宮」です。

神倉神社からイザナミのミコトが速玉神社にお引っ越ししたのです。

イザナギ・イザナミといえば、日本の陸地を造った神様です。

アメノヌボコという矛で、

アハハっ
ウフフっ
きゃっ冷たい、やったわねぇ
わっ冷てっ、コイツぅ

などとバカップルよろしくかどうかはわかりませんが。

矛の雫から、淡路島四国九州本州が出来上がったそうです。

歴史の前後関係の矛盾はさておき、神倉神社は、本来の自然崇拝信仰のなかでも王道的な「巨岩」が御神体です。

険しい崖の上に、

巨岩が、

デン!

「ゴトビキ岩」と呼ばれ、「ゴトビキ」とは熊野弁でヒキガエルのことです。

ゲロゲーロ。

まさに崖のような、
手摺もない、

石をなんとなく階段っぽく並べてみたぞ?

な石段を五百三十八段も上らなければならないのです。

石段の麓にお賽銭箱があり、頂上までゆかずともご参拝はできます。

なんだ。

できるんだ。

速玉大社で平和ボケして油断していたわたしの両足に、

今だ!

と石段を上らせました。

……。

騙したな?
訴えてやる!
ストだ、ストだ!

踏み外したら、止まるところなく真っ逆さま。

死亡確実。
死亡遊戯。
ブルース・リー!

ゥワチャァーッ!

とにかく、険しいこと尋常ない!

「毎日参拝してたおばあちゃんが転落して亡くなったらしいわよ」
参拝して下りてきたおばさまに、お話されました。

転落事故!

ガクガク
ブルブル

なぁ、やっぱ、やめようやぁ?

洒落になりません。

しかぁし!

おばさまだって行ってきたんだ!
わたしが行かないわけにはゆかぬ!

絶対に敗けられない闘いが
そこにはあるのです。

恐怖と疲労で震える膝を支えながら、ついに!

下りるときの方が、はっきりいって「恐怖」です。

東京港区にある愛宕神社の「出世の階段」も、それはそれは恐怖な階段ですが、手摺があります。

しかしここは、自然崇拝のありのままを、なるべくそのまま残されてます。

「畏れ」こそ信仰の対象です。
熊野の「熊」は「畏」です。

すっかり「畏れ」によって、祓われた気持ちです。

現在(現世)の救済とご利益を、得られた気分満々です。

ええやないの!
思うのは勝手ですから!

過去と現在のお詣りは済ませました。
あとは未来(来世)を司る熊野本宮大社を目指すだけです。

しかし忘れてはいけません。

明日、「大雲取越」を歩きます。

これが本番です。

今日のたったこれだけの石段で笑ってしまっている膝が、

拒否反応……。

ケタケタケタ。
プルプルプル。

紀伊勝浦「まぐろ三昧 那智」のまぐろづくし定食をついばみながら説得します。

笑うくせに口がついてないのが可哀想なわたしの膝小僧です。

ここまで長文にお付き合い頂いてありがとうございました。

まだまだ余裕綽々なこの口数の多さ。

これが一転……。

あんな苛酷な黄泉路が待っていたとは。

苛酷……。

沈黙……。

次回予告!

(エヴァ風に)

待ち受けていた森に、生命の生と死の境界を見る。
自然とはかくも厳しくそして温かいものなのか。
孤独な旅路、すれ違う人々、見送り、そして迎えてくれた人々。

次回、「道ヲゆくモノ」

この次も、
サービス、サービスゥ!



2011年08月15日(月) 熊野行路前夜

いざ熊野へ。

世界遺産になっている熊野古道(参詣道)を歩き、熊野三山を詣でるのが今回の旅である。

熊野は日本でも有数、いや一番といってもよい霊場である。
日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている、三本足のヤタガラスの案内によって神武天皇が吉野の地に入った話は有名である。

また、日本の建国神話が物語られている日本書紀や古事記などを見てみると、そもそも近畿が主な始まりの舞台となっているのである。

これは歴史上、そのときどきの権力者が後生に都合よく加筆修正しつつ記してきたものであるので、国家ぐるみの壮大なエンターテイメント絵物語と解釈してもらいたい。
それがまた、我がまま気ままなこれら日本の神たちは、おバカでヌケテて単純で個性的で、まるっきり力の使い方を知らない集団だったりするのである。

危なっかしい。
そそっかしい。
だから、愛嬌たっぷりに見えてしまう。

さて、話を旅に戻そう。

三大何樫やら四大云々といったものが好物なわたしは、諸説あるなかの何大霊山や霊場をプチプチとしらみつぶしにしてきたが、高野山は行っても熊野には行ったことがなかったのである。

「そうだ。熊野に行こう」

と、頭の中に新幹線が浮かんだかは定かではないが、会社の盆休みが高知県の「よさこい祭り」ときれいに重ならずさらに有給休暇をくっつけることが叶わないとわかったとき、閃いたのである。

もとより、作品のネタとして山もしくは森のなかをさ迷ってみたい、と思っていたのである。
調べるほどに、熊野はうってつけである。世界遺産である熊野古道がある。

観光バスで巡るのではならない。
しかし、全てを踏破するには体力的に無理がある。
いや、予定的に無理がある。

一日だけ。

たかが一日だけならば、週末土日は山手線三分の一までは全て徒歩、というポリシーを持つわたしにとって不足はない。
と思っていたのである。

そうしてなかなか険しいルートで有名な「大雲取越」を選んだのである。

しかし、日にちが迫るにつれて、あることを思い出したのである。

以前、岩手県遠野市に行った際、レンタカーを借りればよいものを地図の距離を迂闊にそのまま鵜呑みしてレンタ「サイクル」で充分と、判断してしまったのである。
結果、途中で何度、自転車を投げ捨ててしまいたい衝動に駆られたか。

山道を舐めてはいけないのである。

思い出せば出すほど、息は切れ、動悸は激しくなる。

ゼエハア、ゼエハア。
ドキドキ、ドクドク。

時間を有効に使うために、夜行バスで池袋から紀伊勝浦まで行く。
初日にいきなり挑戦するのは無謀と判断し、また二泊三日の最終日も危険となると真ん中の二日目しかない。
二日目に朝から「大雲取越」に挑戦と決まると、残りの二日間の観光の予定を練るのが順当であるが、頭がまったく言うことをきかないのである。

標準で七時間とあるが、わたしならば五、六時間だろうか。いやいや、やはり七時間、いや八時間九時間かもしれない。
「二名以上での参加をお勧めします」と。なんとこれなら島根の「投げ入れ堂」と同じではないか。

また「大雲取越」に挑戦した方のブログをみつけては、なんだひとりではないか。ふむふむ九時出発でよいなら、失礼ながらまだわたしの方が体型的に痩せているのだから大丈夫だろう。
いや、彼はどうやら他にも踏破されている臭いがする。甘くみてはいけないかもしれない。

などと、挑戦する遥か前から既に遭難状態だったのである。

熊野詣での歴史を憂さ晴らしに見てみると、どうやら順番らしきものがあったらしい。

そもそも熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三大社からなる。
「三」とは、わたしの大好物でなかなか幸先がよい。
さて順番だが、まずは本宮、続いて新宮(速玉大社)、那智大社から新宮に戻り、また本宮に戻るらしい。

うむ。
往路・復路でいうところの復路ということにしよう。

あっさり決める。
大雲取越は、那智大社から本宮へと向かう中辺路(なかへち)の一部である。
雲取山を越え小口という中間にある町までで、そこから先は「小雲取越」と呼ばれ、通常ならば「大雲・小雲取越」として本宮へのひと続きの道なのである。

熊野詣でが盛んだった時代は、一日で「大雲・小雲取越」を走破していたらしい。
現在は小口で一泊し、翌日小雲取越を抜けて本宮へ詣でるのが普通らしい。

小口で一泊もせず、とんぼ返りするつもりのわたしだが、何かご不満はあるだろうか。

さてそれなら順番は決まった。
那智大社から新宮(速玉大社)に、そして最終日に本宮としよう。
そしてまたまゆつばだが、以下のような話を見つけたのである。

さあ、大人である諸氏諸兄諸君、歴史のお時間である。

後鳥羽上皇の名を覚えているだろうか?

なに、名前くらいなら、と。

嘆かわしい!
非常に、嘆かわしいっ!

わたしと同類ではないかっ。

熊野は貴賤男女を問わず、敷居低く誰しもを受け入れたことで、すっかり信心を得たが、問われずとも偉い方々は自ずと滅法界なく詣でているのである。

後鳥羽上皇は「承久の乱」を起こし、鎌倉政府に破れたのである。

……たしか。

さて当時、熊野御幸(上皇らが詣でること)は御抱えの陰陽師(陰陽寮)に日時を占わせ決めるものであった。

陰陽師といえば安倍晴明であり式神であり野村萬斎であり、まゆつば感が満載であるが、占いとして真に根付いていたのである。

さらに、熊野信仰は修験道と深く関係があり、修験道といえば天狗であり源義経であり、わたしはどうやらわけがわからなくなってしまったようである。

とかく「なんでもあり」的なのが熊野なのである。

陰陽師とは陰陽道である。
機嫌は不可解、いや起源は中国の道教、八卦、陰陽五行論となる。
陰陽五行論とは、目下土禁っす、ではなく木火土金水の五要素から世界は成り立つという思想である。

木は燃えて火が生じ、火は土(灰)を生む。
土は(山となって)金(鉱物)を生み、金は錆びて水に還る。
そして水は木を成長させる。

という「相生」の生み出す陽の関係と、

水は火を消し、金(斧等の金属)は木を斬り倒す。
木は土(地面)を割って根を張る。
そして土は水をせき止める。

という「相剋」の潰しあう陰の関係がある。

ここで熊野の各々を五行にあわせてみるらしい。

熊野本宮は西であり(西方極楽浄土)属性は「金」である。
本宮からは熊野川を舟で下るので属性は「水」である。
熊野新宮(速玉大社)は東であり(東方浄瑠璃浄土)属性は「木」である。
熊野那智大社は南となり(南方補陀落浄土)属性は「火」である。
そして大雲・小雲取越は山(道)であり属性は「土」である。
熊野本宮の「金」に戻る。

「金から水を生じ、水が木を育て、木から火を生じ、火は土に還す。
そして土からまたあらたに金を生ずる」

最後の「金」とは道教の太白金星を指し、天下に災厄をもたらす星とされている。

つまり後鳥羽上皇は「五行相生」に乗っ取り、乱を呼び起こそうとしたらしい、というのである。

なんとも、歴史ロマンである。

ちなみに二日目の「大雲取越」に支配され、まったく頭が働いてないわたしだが、おそらく、初日に那智大社から新宮(速玉大社)へ。
二日目に「大雲取越」から熊野川沿いにバスで戻る。
三日目に本宮へ。

となるだろう。
つまり。

火をもって木を燃やし。
土(灰)にチョロチョロっと水をかけて後始末。
水がかかって金が錆びる。

錆びる?

錆びては使い物にならないではないか!
いかん!
これはクマ(熊)った!

遭難の原因は、わたし自身の下らない迷走にあるらしい。
熊野の山を上ってゆくつもりなのだから、下らないのは仕方がない。
上り切れば、やがて否応なしに下らねばならないのである。

池袋の車窓の夜景は、三列座席の真ん中の席で、閉められたカーテンの開け閉めは叶わなかった。

おそらく、やさしく瞬き、わたしを見送ってくれていたに違いないのである。



2011年08月14日(日) 「未来を生きる君たちへ」

なんと、TOHOシネマズが毎月十四日をサービスデーに定め、千円で映画を観られるのです。

わたしとしたことが、まったく気が付いていませんでした。
ギンレイに次いでわたしのお気に入りの映画館シャンテシネ、もとい、TOHOシネマズ・シャンテは、名前の通りTOHOシネマ系列なのです。

TOHO系列という制約はあれども毎月一日と十四日の二日間は、映画を千円で観ることができるのです。

なんと素敵なことでしょう。

少し前、某シネマコンプレックスが格安のサービスを試行してみて、様々な話題になりました。
厳しい映画業界に、さらに自らの首を絞めるようなことになりかねない、と。

レンタル移行期間が短縮され、少し待てばすぐにDVDで何百円で自宅で悠々と観られるならば、わざわざ映画館にまで出掛けて、並んで、空調の加減や席位置に左右されて、ポップコーンとジュースの理不尽な高額さに腹を立てたりしなくて済むのです。

「観たいって言ってたDVD、うち来て、観ない?」

などと、思いを寄せる女性を自宅に誘えてしまうのです。
なんと嘆かわしい。

「ま、前売券。二枚手に入ったんだ。だ、だから、一緒に観に行ってくれないかな?」

と勇気を出して誘い、待ち合わせ時間までドキドキそわそわし、パンフレットを先に買うか、後で買うか迷い、上映中の暗闇の中でそっと彼女の横顔を見るチャンスを窺って集中できなかったり、喫茶店で映画の話ができるからと選んだはずが映画の内容なんてまともに話せなくて沈黙が続いてしまったりして、

「ああぁぁぁ、何をやってるんだぁぁぁ」

と頭を抱えたりすることが、なかなかなくなってきてしまうのは寂しいことです。

さて、すっかり脱線してしまいましたが、わたしは「おシャンティ」に、「ひとり映画」の常習者になるべく、行ってきました。

「未来を生きる君たちへ」

スサンネ・ビア監督。
2004年に「ある愛の風景」を発表し、わずか数年で「ブラザー」と改題されてリメイクされた気鋭の女性監督です。

原題は「復讐」だそうです。

難民キャンプの医師としてデンマークとアフリカを行き来するアントンには、関係があまりよくなく別居中の妻と息子のエイリアスがいました。
エイリアスは学校でいじめられていて、そこに転校生のクリスチャンが現れ、仲良くなってゆきます。

クリスチャンは、正義感の「ような」ものが強く、やられたのにやり返さないエイリアスが見ていられなかったのです。

ある日、アントンとエイリアスとクリスチャンが遊びに行った港で、腕っぷしだけにものを言わせて暴力を振るう男に、アントンが理不尽に殴られてしまうのです。

それでもアントンは、やり返しません。
それを目の前で見ていたクリスチャンは、我慢が出来ませんでした。

エイリアスに、君のパパがやり返さないなら僕たちがやり返そう、と行動をとりはじめるのです。
アントンはなぜ、やり返さないのでしょうか?

「やられたらやり返す。それは復讐を生むだけだ。そうやって戦争がはじまるんだ」

アントンは難民キャンプの医師です。
悲しい現実を常に目の当たりにしているのです。

難民キャンプに、重症の妊婦が立て続けに運ばれてきます。
皆、お腹を切り裂かれているのです。

「ビッグマン」の仕業だ。

現地の医師がアントンに囁きます。

「遊びで、男か女か確かめるためだけに、切り裂いて回っている悪魔だ」

その「ビッグマン」が、ある日アントンのキャンプの診療所にジープで威嚇射撃しながら現れるのです。

脛に傷口にウジがたかっている大きな生傷を「切断せずに治せ」ときりだし、「それなら、キャンプ内から銃と車を出ていかせろ。付き添いは二人までだ」とアントンは受け入れるのです。

「正気か?」

現地の医師がアントンに確かめます。
たしかに、彼を治してしまえば、また妊婦の犠牲が出てしまう。悪魔を放ってしまう。

「医師としての仕事をするだけだ」

アントンは、耐えます。
耐えるのです。
しかし。

ある日、治療も及ばず亡くなってしまった女性を前にうちひしがれていたアントンをみて、松葉杖で歩けるまで回復したビッグマンが、「死んだなら死体をコイツにやってくれよ」と部下のひとりをあごさすのです。

「コイツは死体とやるのが、大好きなんだ」

ひゃっはっはっ。

アントンはついに、キレます。

「歩けるなら出ていけっ」

アントンの迫力に付き添いの部下ふたりはとっとと逃げ出してしまいます。
アントンに突き飛ばされて松葉杖を失ったビッグマンは、

「俺は丸腰で、ひとりだ」

やめてくれっ。

首根っこを掴んで、脅えるビッグマンをズルズルと診療所の外へと放り出します。

外は、ビッグマンに妻と未来の我が子を奪われた難民たちが待ち受けていました。

取り囲まれ、引き摺られ、当然の如く、皆は恨みを、復讐を果たすことになるのです。

何が、正しいのでしょうか?

またそんなとき、息子のエイリアスが、クリスチャンにそそのかされるまま、なんと自作の爆弾で敵討ちをしようとするのでした。

もちろん人命を狙うのではなく、早朝の誰もいないときに、彼の車を爆破してやるだけのつもりでした。

いざ決行、その導火線が本体に辿り着こうとしたとき。

ジョギングをしている母娘が車のそばを通りかかろうとしたのです。

「来ちゃダメだ!」

エイリアスは母娘に危険を叫びながら飛び出してゆくのです。
クリスチャンは、身動きできず、ついに、爆弾に引火。

大爆発。
車は宙を舞って一回転。
爆炎に包まれ。

エイリアスは吹き飛ばされて遠くにうつ伏せたままピクリともしません。

エイリアスは無事なのでしょうか?
アントンのしたことは、正しかったのでしょうか?

わたしが勝手に思う中で、スサンネ・ビア監督は日本の西川美和監督のような存在になるかもしれません。

とにかく。
深く考えさせられる作品です。

このようなとても素晴らしい作品を上映してくれるシャンテが、わたしは好きです。

問題は、ギンレイでのちほどかかる作品が多いということなのです。

つまりギンレイ・ホールは、もっとわたしが大好きな名画座だということなのです。



2011年08月13日(土) NO MORE

いつもはだいたい徒歩で向かっているけれど、出足が遅れて遅い時間になってしまったのです。

未知の地へ旅行に行くというのに、ガイドブックを一冊も用意していなかったのです。
沢山集めたつもりの資料は、どれも三大社と駅とバス停を結ぶ路線と時刻表ばかりでした。

古道以外の地図がひとつもないので、観光名所が他にどこにあるのかをまったく把握できないままでした。
それはいくら古道が目的だとしてもとてももったいないです。

それで三省堂が閉まってしまう前に行かなければならなかったのです。

地下鉄で向かって、階段を急ぎ足で上って、上りきって、ものすごい騒音に、全身が一瞬、硬直してしまいました。

バカヤロー!
テメーら触るんじゃネーヨ!
民間人に、触っちゃイケねーんだぞ!

汚い言葉遣いが大音量で、吐きつけられました。赤ん坊がいたら泣くどころではすまないほどの大音量です。

カン○ショは、民間人をフトウにコーソクするのか!
触ってんジャねーっつってんダロウヨ!

辺り一帯、警察の方々と警察車輌と簡易防護柵で交通規制がなされ、人々が遠巻きに見守ってます。

この辺りには中国や朝鮮に関係するものはないはずです。
あるのはもう少し違う場所のはずなので、こんなところでこんなことをする理由などわかりませんでした。

わたしはあからさまに、顔が硬直し、ひきつり、ピクピク震えだしてしまいました。

少し行けば靖国神社があり、祝祭日には彼らのような街宣車が通り過ぎてゆくことはよく見かける風景です。

だけど、こんなところで、こんなおおごとに、なぜ?

とにかく、スピーカーからの大音声が、まるで濡れタオルで全身をはたきつけるかのように襲いかかり続けるのです。
はたきつけられる度に、真っ暗で空っぽになったわたしの骨の空洞に、ふつふつと沸き上がってくるものがあるのです。

な、にを、ほざ、いて、やが、る。

耳の穴が体の内側から見えない何かに蓋をされ、視界がまるで単なる映像を眺めているようになりました。

あっはっはっ。

いっそ倒れて気を失うか、駆け出して逃げ出してしまうのが一番よいのです。

それほど、わたしの体内は「嫌悪感」で満たされていました。

見てやろうじゃないか。

はい。
わたしは天の邪鬼です。
やめとけばよいものを、こんなときだけ、やめたがらないのです。

わたし以外にもいわゆる好奇心に負けた一般の方はいます。
すると、神田須田町の方から別のシュプレヒコールが近付いてきたのです。

「原発、ノー!」
「(なんとか)は、いらなーい!」

デモ隊同士の衝突です。
しかも、

「原発、ノー!」
「ヤ○ク○、ノー!」

と続けて叫んでいるのです。

だからか。

だから警察も何十人と配備して、規制して、取り囲んで、警備していたのです。

彼らのデモを「テメーら」の大音量の団体が待ち受けて、抗議デモを威圧しようとしていたのです。

シュプレヒコールの意味が、もはや何のための何を目的にしたいのか、わかりません。

ひとつの団体で二つのまったく繋がりがない主張を同時にしたかったのか、もしくは二団体同時行動がデモ許可の条件だったのかもしれません。

原発の問題は確かに深刻で、一面的な問題解決は出来ないと思います。

もしも原発に反対するならば、その抗議を公にするならば、電気の生活を、今の半分まで落とした生活をしてから、抗議行動をするべきではないでしょうか?

デモをしているとき、自宅では炊飯器のタイマーが働き、街灯がつき、ビデオのタイマー録画がセットされ、追い焚きの熱々のお風呂があり、オール電化のマンションか一戸建てを求めている生活をしているひとがほとんどなのではないでしょうか?

震災以降、オール電化こそ実は、とうたい直されたりと、矛盾の社会は一層、その混迷を深めているように思います。

そんなことを考えてしまうのですが、最近、特に気になっている心配事があるのです。

私事ですが、イギリスで広がっているデモによる被害。各都市にゲーム感覚で加わっている若者が増えているというニュース。

親戚が、暮らしているのです。

デモの裏にはそれぞれののっぴきならない切実な事情があるのでしょう。

しかし、デモで人命に関わるようなことがあってはならない、命をかけるつもりでもそれはあくまで「つもり」のうちだけであってもらいたいのです。

まして、ゲーム感覚で人を傷付けるだなんて。

どうか、人間が人間らしく、自尊心を失わずに生きて、生き尽くせるこころを持ってゆけますように。



2011年08月12日(金) 夏、はじまりました。

「あれ? 何でまだおるん?」

今夜から遭難しに行くんじゃなかったの?
などとはなんとも乱暴な発言である。

「金曜の夜発で旅に出るなんて勇気や思い切り、この仕事の状況で出せません」

なんやそっかと古墳氏がうなずき「もう九時過ぎとるやん」と目を見開く。
たしかに時計は夜九時をとうに回っていた。

「はあぁ」

思わず声にだして大きく息をついてしまったのである。
自慢ではないが、わたしは人前でため息をつくなど滅多にない。

古墳氏が「ど、どうしたん?」と仕事の手を一瞬止め、こちらを見てから、また元のようにマウスとキーボードをカチカチカタカタと叩き始める。

わたしは敢えて古墳氏の方を見ずに、顔は前の己の三画面横並びのモニターを力なく眺めながら、続ける。目の端で古墳氏がこちらを見たのも向き直るのも、ちゃんと捕らえていたのである。

「よさこいが、終わってしまったのです」

なん?

古墳氏が何のことか逡巡し、やがて「ああ」と記憶を掘り起こす。

「そんな好きなら、休んで行っとったらよかったんに」
「だから、行きたかったんですよ。だけど」

無理は承知の上の問答であった。
周りの席の人らは、はなから休んで盆休みに入っていたり、早くに帰っているものばかりで、はばかることなく話が出来る。

「大賞が、駄目だったんです」

高知の「よさこい祭り」の本祭は木曜に終わり金曜の夜は後夜祭が行われていたのである。
つまり、本祭二日間の「よさこい」の結果はすでに発表されていたのである。

映えある「よさこい大賞」は、「とらっく」(高知県トラック協会)が獲得されていたのである。
例年、たしかに見事な演舞を披露していた実力と実績のある連(チーム)である。

わたしの一番のお気に入りの連である「ほにや」は金賞を戴いていた。さらにもうひとつの一推しの連、いわゆる「推しレン」である「十人十彩」もまた金賞であったのである。

「ほにゃ?」
「はに丸王子のことじゃあないです」
「知らん。それは、知らん」

完全に覚えのある顔である。
しかしそこにかかずらうほどの自制がきかない。
「ほにや」とは「十人十彩」とはいかなる魅力があるのか、そして前夜祭では「ほにや」がグランプリを「十人十彩」が準グランプリを獲得したという華と実力と実績を併せ持った連(チーム)であることを、とくとお話させていただいたのである。

ようし、スッキリした。

すると時計は十時を回っていた。
なんともあっという間であった。

「ほんじゃ、遭難しても助けにはいかんから気を付けて」
「そうなんですかっ?」
「……」
「あれ? つれないなぁ」
「……」

放送時から世間での社会現象を巻き起こし、放送終了後およそ十年経った現在でもまだ話題となっている甘木少年葛藤戦闘アニメに登場した裏のある伊達男の台詞を真似してみたが、それはさすがにそのひと言だけでは古墳氏にはわからなかったようである。

いや。
すべてはその直前のわたしのひと言がファースト・インパクトを引き起こしてしまったのだろう。
ならば、と。

「しっかり生きて、それから死にますっ」

同じアニメの最初の劇場版から女性士官の名台詞を引用してみたのである。

目標、完全に沈黙。

セカンド・インパクトは引き起こされなかったようである。
すべてはシナリオ通り、であった。

非常用エレベーターで退出階に下って行くなか、頭の中では第九が高らかに流れていた。
あきらかにおかしなテンションである。

このテンションを誰かに伝えたい。

しかし、誰もいないのである。
まさかこんなことを、事情を露とも知らない名友に、家族を持つ身ならばすでに夜更けである時間にわざわざしゃべったくるわけにもゆかない。

わたしとてそれを自重する分別くらいはある。

八月末の「原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい」の二日間で彼らの素晴らしい演舞を、たっぷりと観たい。
もちろん彼らだけではない。
全国から参加される他のわたしの「推しレン」も、会場地図と予定表と首っ引きになって追いかけ、つきまとい、たっぷり堪能しなければならない。

ああ。
わたしの夏が、はじまる。



2011年08月11日(木) 大森の夜さ、来い

「ありがとうございました」

それじゃあ、と鞄に手を伸ばしたときだった。

パタパタパタ。

軽やかのつま先に、焦りをつっかけたサンダルの足音がわたしを引き留めた。

「竹さん。無事に帰ってきてくださいね」

彼女は真顔だった。
そしてすぐ、にこやかな笑みでそれを覆い隠した。

何かのついでに、ではないことはすぐにわかった。彼女はそのことをわたしに伝えるためだけに、わざわざ出てきてくれた。
ついさっき、イ氏と彼女に「それじゃあ」と挨拶をして部屋を出てきたばかりだったのに、受付の向こうに立った彼女は、イ氏といっしょにいたときとは違う彼女だった。

「そんな大袈裟な。大丈夫です、ちゃんと帰ってきますから」

わたしも、笑顔で返すしかなかった。

「あのう。外国の物騒なとこにでも行くんですか?」

挨拶に割り込まれた受付の女性が、まじまじとわたしと彼女を順繰りにみて尋ねた。



旅に出る前に大森にゆかなければならなかった。それは、二週間に一度の恒例もあったが、処方してもらうだけではなく、何か面白い話が聞けるかもしれないという、ささやかな期待もあったからだった。

「へえっ。そりゃまた大変なところへ行く気になったもんだね」

熊野へ旅にゆくことをイ氏に告げると、心底驚いて気の毒そうな顔で叫んだ。
今夜は久し振りに、イ氏から離れたところに捨て置かれたような簡易椅子に、彼女がしっかり座っていた。

後鳥羽上皇の熊野御幸の道中記で藤原定家が「とにかく辛かった」と記していた話から、南方熊楠の遍歴に話が至ったところで、イ氏が慌てて彼女に振り返った。

「こんな話、何が何やらさっぱりだろう?」
「ええ、はい。難しくて」

キュキュキュと肩をすぼめて膝の上に置いた両手の間に顔を隠した。
イ氏がクマグスて人はね、とかいつまんで説明したけれど、かいつまみ過ぎてけっきょくそれら説明の言葉は、彼女の中で結合して南方熊楠の像をなすのは難しいようだった。

イ氏はわたしに振り返り、「やっぱりひとりで行くの?」と尋ねたので、「残念ながら」とわたしは答えた。

「そりゃあ山の中を丸一日歩き通すなんて、誰も一緒に行きたがらないよ」

イ氏が笑いながらのけ反った。
あまりにも明解な正論だったので、わたしは「だからひとりのうちに行くんです」とささやかな弁解をした。

「そんなことないです。そういうところって、行ってみたいと思いますよ」

じっと聞いていた彼女が、目を見開いてイ氏に言い返した。ぱっちりした目が、より強い力を放っていた。
予想外だった彼女の声に、思わずイ氏は尋ね返した。

「本当かい?」
「本当に。行ってみたいと思います」
「だってさ」

くるりとイ氏がわたしに振ったので、わたしは精いっぱいの安堵の息をついた。

「それじゃあ」イ氏が満面の笑みでさらに詰めてきた。

「プロポーズしなくちゃ」

プ、プ、プ。

「プロポーズ?」

イ氏の口から飛び出した突拍子のない言葉に、わたしたちはそろって目を見開いて驚いた。
彼女はイ氏のスタッフのひとりであり、通常はそんなことは最も敏感に避けるべき話のはずだった。
だからわたしも、イ氏との付き合いはおそらくこれから先長いものとなることを理解していたので、もちろん話題にすらしないようにしてきた。

「熊野の山で遭難しように行ってらっしゃいな」

イ氏は「それじゃ帰ってきて話を聞くのが楽しみだなあ」と、わたしたちを置いてけぼりにして話を片付けてしまった。

「あの、それじゃあ、無事に熊野から帰ってきますので」

何が無事になのか、無事の結果がなんなのかはっきりしないまま、わたしは立ち上がりすごすごと退室するしかなかった。
とりわけ道なき道を歩くのではなく、ちゃんと観光コースで紹介されている道だった。ただそれが、人里とあまり接することなく八時間ほどかけて山を越えてゆく道のりなだけだった。

そして紹介文に「二名以上での通行をお勧めします」というひと言が、念を押すように添えられていた。

「行く先はちゃんと誰かに伝えてあるのかい?」

さっきイ氏が笑いながら諭してきたのを思いだし、大袈裟にして楽しんでいただけなのだろうと判断していた。

そうして静かな廊下を抜け、受付でいつも通りに会計を済ませていたところで、彼女がふたたびやってきたのだった。

会計のところにまで彼女がやってくることは、まれなことだった。

だけど前回、小説を今度読ませてほしいと言いにきたことを突然思い出した。
しまった、すっかり忘れていた。
あれもいわゆる社交辞令だろうと思っていたので、本当に持ってきたら恥ずかしいだけなのじゃないだろうか、と思っていた。

彼女がそのことに触れない限り、わたしも何もなかったように振る舞うことにした。
すると彼女は触れようとするどころか、やはり何もなかったのだと自分の記憶を疑うほど何の素振りも見せなかった。
思った通り、わたしの杞憂だった。

ところが、彼女は同僚である受付の女性にわたしがさも秘境にひとりで旅に行くかのようなことを説明しようとしはじめたので、わたしは慌てて否定した。

「たった一日だけ、たかが七、八時間ほど山の中を歩いて行くだけですから」

受付の女性は冷静に「それでも大変でしょうから、気を付けて行ってきてくださいね」と止めていた手をふたたび動かしだして、トントンと受付表の挟まったクリアファイルを揃えた。

パチリとした目に笑みをたたえた彼女が、口元をきゅっと引き締めてわたしを見ていた。
言われてしまったのと同じ言葉を自分が繰り返さないよう、戒めているようだった。

直視するべきではない、そう思ったわたしは軽く頭を下げながら出口に振り向いた。

「ありがとうございました。気を付けて行ってきます」

そうして振り向くことなく自動ドアに手を伸ばした。
すると突然頭に今の風景が浮かび上がり胸が疼いたが、ときすでに遅く、自動ドアはためらうこともなく当然のように閉まっていた。

手振れしてピンぼけしたフィルムカメラの写真のような中に、おじぎをしながらきちんとわたしを見ていた彼女の姿に気が付いたのだった。

わたしもきちんと目をみて応えるべきだった。
だけどそれは、勘違いしていると思われてしまうに違いなかった。
だから、わたしはひとり大森駅に早足で向かい、改札口をピピッと抜けて家路へと急いだのだった。

「土佐の高知のはりまや橋で、
坊さんかんざし買うを見た」

夜さ、来い。
夜さ、来い。



2011年08月10日(水) よっさ、こい

土佐の高知のはりまや橋で、
坊さんかんざし買うを見る……。

今夜、丸の内から深夜バスに飛び乗ればまだ間に合う。
高知「よさこい祭り」がはじまってしまうのである。

まずは九日に前夜祭。
昨年の最優秀チームのステージでのお披露目があり、それはそれは見事な舞台と演舞が観られるのである。

昨年の最優秀「よさこい大賞」を手に入れた「連」(チーム)は「ほにや」であった。
「ほにや」が舞えば、和の淑やかさと小気味良さが、鳴子の拍子に乗って耳の穴から、いや全身の毛穴が開き、そこから入り込み、すっかり心躍らされてしまう。

「十人十彩」も見逃せない。
大賞に次ぐ「金賞」をとり、同月末にあった「原宿表参道元氣祭スーパーよさこい」にて最優秀賞を獲得したのである。

まさに「粋」「活氣」「発氣」

「ほにや」が艶姿ならば「十人十彩」は雄姿である。

祭りにあてられた、あれからまだ一年しか経っていないのが驚きである。
氣もそぞろである。
アラン・ドロンは怪傑ゾロである。

この気もそぞろなところは、高知城下は竹林寺の坊さんと同じ気持ちである。

ちがうのは、かんざしを買う相手がおらず、

とっさの放置の万世橋で、
おっさんきざはし川をみる……。

といったしようもないところである。

今年も「君が踊る、夏」がやってきたのだが、ああもう、何も手につかない。
女房を質に入れてでも、土佐にゆきたい。しかし残念ながら、質に入れる女房がいない。いないからやむを得ない。

「やっぱり熊野を歩くことにしたん?」

古墳氏がふと聞いてきたので、ええ一日は丸々歩きますと返事する。

「助けにいったらんからね」
「なぜ、救助が前提なんですか」

古墳氏は名古屋の方で単身赴任ある。
それこそ一年ぶりに、ゆっくりと家族と過ごしに帰省する。

「一年もまともに会っとらんのよ?」

うむむ。
長らく御世話になりっぱなしである。

車の確保もできたので、伊勢か高野山にも足を伸ばせそうなんですよ。

「えっ!」

古墳氏が、こちらがドキッとするほど驚いた声をあげる。
運転出来んの? 想像つかん。え、まじで?
こんなときにしか乗りませんが、運転はしますよ。
まったく運転姿が想像できん。こわっ。

「落っこちても助けにいったらんよ」
「なぜ川に転落が前提なんですか」

伊勢から先は道が悪くなるからねぇ、熊野のあたりはもっと悪いんじゃないかな。らしいですねぇ、まあ、峠を攻めるわけではないので。
ここでふと、京のお世話になった扇子屋のお上さんの横顔が浮かんできた。いやいや、安全安心できる慣れた小気味良いハンドル捌きであったので、誤解なきように願いたい。

わたしたちの仕事に対する周囲のあまりの意識の低さに、古墳氏はすっかり厭世的になってしまっている。
いつもはわたしからはっぱをかけてはじまる定時以降の他愛ないやり取りが、お八つの頃からはじまっていたのである。

「後ろからこっそりついて回りたいね」

わたしがひとりきりで寂しくないように、付いて見守ってくれようだなんて、なんて思いやりなんですか。

「ちゃうちゃう。遭難するまでの道を見てみたいだけやし」
「だから、やっぱり遭難が前提なのはなぜですか」

「救助はせんよ」

いいです。葉っぱか川原の平たい石に、血で「恨みつらみ悔しさ怨嗟をたっぷりと」書き残してやりますから。
ヒマ人やねぇ。
ヒマだけはたっぷりと出来るでしょうし。
はっはっはっ、たしかに。

「助けてはくれないんですね?」
「あったり前じゃん、助けなんかせん、て」

もう別に構わない。
名古屋にはとても頼りになる一番の友がいるから、古墳氏は奥様お子様らとの団欒をこころゆくまで楽しんでいただきたい。

「そのお友達に、興味あるなぁ。飲んで語り合いたいなぁ」

わたしのことを肴に?
そう。
そんで、救助にもいかせない。

……。

ここまで古墳氏が引っ張るのも珍しく、またなんとも表しがたいゆるんだ空気がたゆたっている。

やれといわれれば、なんだってやってやるんだけどね。自分たちの興味のなさ、やる気のなさが見え見えじゃん。
押し付けるだけなのと、一緒にやってくのと全然ちがいますからね。

ピリリと張った緊張感に、お盆休みをしっかり休みにできるか怪しかったのである。
ポキリとやる気をへし折られてしまったも古墳氏。とうに逍遙遊にふけっているわたしには、折られるポキリという音ではなく、カチッカチッという両手に鳴らされる鳴子の音しか響いてこないのである。

「ほにや」で踊っていた女の子、映画「君が踊る、夏」でモデルになった小児ガンと闘っていた小さな舞姫が元気に踊る姿を、今年観られるとしたら八月末の「スーパーよさこい」まで待つしかないのである。

「生きる」という行為そのものこそが、美しいのである。

踊れ、この夏。
舞え、この空。
迸れ、この汗。

夏が、またやって来る。



2011年08月05日(金) 怒りや悔しさではなく、タンゴなのだそれは

吐き気がするほどの眠たさが伴っていた日々が、結果的にそれ相応には報われないところに落ちた。

「根気があるね」
根なんか張ってないさ。
「よく気持ちが折れないね」
芯があるから折れるのさ。

宿はとった。
チケットもとった。
足も確保した。

「もういっちょいくぞー」
「た、こ、や、き!」
「イチニサン、ダー!」
「レッツゴー」

晩御飯は、二十四時間営業のおそらく台東区一安いだろう格安のお弁当屋さんで買って帰ります。
鶯谷駅まで回って、寛永寺のそばをコツコツ靴音を鳴らせて家へと向かうのです。

「やっと丸善に行けるやん」

古墳氏が漏らす。
先々週あたりから言っていたのだが、わたしたちは休みがなかったのである。
丸善に何の文具を買いに行くのかわからないが、店は大概、遅くても夜八時か九時に閉まってしまうから、せっせと仕事中のわたしたちは到底、間に合わない。

鶯谷から家へ向かう途中にあるカヤバ珈琲店は、深夜零時頃バータイムで開いています。
その前を通過するわたしと、窓ガラス越しに、店を復活させた若き店長さん、というよりもマスターと、チラチラ目が合うようになりました。マスターはEXILEのNAOKIさんに似ています。

「こんな時間やん。帰らんでええの。弁当屋、閉まってまうよ」

て、それより電車なくならんかの方が重要やね。
古墳氏が自分も終電の心配が必要なのである。
二十四時間営業ですが、弁当屋さんが待っているので、帰りましょう。そろってようやく会社を出る。

「また丸善に行けんかった」

そんな日が続いていたのである。
ようやく丸善に行けるというのも、夜九時まで開いている店に限っての話である。
かくいうわたしも、三省堂に行きそびれている。なかなか調子が乗り切らないのは、それが原因であろう。
読み差しの小川洋子もリトル・アリョーヒンの唇よろしく、はじめから開いていなかったかの如く閉ざされたままである。

「in your position set!!」
「stand-up,together」
「stand-up,fly away」
「僕らは生きているか?」
「命無駄にしてないか?」

言問通りに面した窓の外を通り過ぎるわたしと、カウンターでお酒を作ったり珈琲を淹れたりしながら接客しているマスターですから、はじめは目が合ってもすぐにそらしました。
次に、目が合ったことに気付くとそれを互いに、あ、と間ができるようになりました。
その次は、あ、気付いているな、と感じつつも互いにそちらを見ないようになったのです。
今度は通り過ぎるだけではなく、珈琲をいただいてみようと思います。

「なんかスゴく、悔しいんだけどさ」

渚くんの上司であるハジメさんが、会議の後に顛末を噛み締めるように漏らした。
つまり、はじめからあまりあてにはしてませんでした、そちらはそちらでこの後から頑張ってください、と言われたようなものなのであった。
古墳氏もまた悔しさを浮かばせて、顔は険しく俯いていた。

「なんか、テンション変わらんで大人やねえ」

俺はダメやん。
ふたりになってから古墳氏が言ったのである。
ゴールにいかに早く、雄々しく駆け込んでみせるか、競うのを考えているのとは違うのである。
自分をいかにゴールまでもたせるかを考えているわたしは、切れたり落ちたりしたときは本当にそこで終わってしまい、復活に相当の期間が必要になるのである。

運命に抗うまでもない。
それは果てしなく強く吹く風。
一瞬のうちにその身を根こそぎさらってゆく。
風は強く吹いている。

お盆休みの旅先を決めました。もはや現実逃避の勢いに身を任せて諸々の手配をしたようなものですが。
もしかしたら三つ足の鴉が導いてくれるかもしれません。
その先は高天原か中津国か、はたまた根の国か、といったところでしょうか。

「根の国」ならぬ「根(の)津」に暮らしていますが、根津神社はおよそ千九百年前にヤマトタケルが東征の際に創建したといわれ、今回の旅先とご縁があったりするのです。
出立の前にお参りしておいたほうがよいかもしれません。

「Only thing to do is jump over the moon」
「Moo with me!
Come on sir, moo with me!
Moo!
Mooo!
MOOO!
MOOOOOO!」

わたしとて感情はある。
しかし、今回は怒りや悔しさを感じている皆さんとは温度差があるのは否めないのである。それに拘らねばならない理由がわたしにはなく、ただ全体がまとまってくれればよいだけなのである。
そしてわたしの身体がもっていればよい。

出向の管理者である一茶さんがわたしの勤務時間の多さをみて、

「身体壊さないことに気を付けて、大丈夫なようにね?」と声をかけてくれたのである。
「これでも今月は少なめなんですが。だから大丈夫です」

八重時間で少なめとは言ってはいけないのだが仕方がなく、一茶さんも苦笑うしかないのである。

「rent」のcompanyが肩を組んで耳元で歌いあげる。

take me baby or leave me!


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