「隙 間」

2011年05月31日(火) 「希望ヶ丘の人びと」

重松清著「希望ヶ丘の人びと」

ガンで二年前に亡くなった妻の故郷、いやふるさと「希望ヶ丘」に引っ越し、塾を開いた。

ニュータウンで、駅向こうは工場街でガラは悪くて、交通は中途半端で、どの家も同じ大きさで、似たような形で、道は真っ直ぐで目印になるものはなくて。

かつての「希望」は、やっぱり「かつて」の希望で。

変わり者や落ちこぼれを見下してつまはじくことで、かろうじて自分たちの「希望」を守ろうとしてばかりで。

妻の圭子が「ふるさと」と呼んでいたこの街で、中学生の娘と小学生の息子と、そして圭子のかつての親友や同級生や、圭子の初恋の相手だったかもしれないエーちゃんたちと、一緒に生きて行こう。

「希望は世界のどこかに転がってるぜ」



ああもう。

わかっている。

わかっているんだ。

まるっと「重松清」の思うつぼだと。

平凡で何のへんてつもない男親が、自分が知らない頃の妻を知っている同級生らが暮らす街に引っ越す。

子どもたちがお母さんの思い出が詰まった街で、そばに感じて暮らしたい、という「希望」で。

思い込みの勘違いで、自称妻の初恋の男や、阿部(ABE)の「A」から「エーちゃん」と皆に呼ばせ、ハートも矢沢永吉の「エーちゃん」なロックな男、そして彼らの娘や息子が、迷い傷つき傷つけ立ち上がり、それぞれの「希望」に顔を上げる。

先日はニヤニヤうひゃうひゃと、すっかり周囲には気持ち悪いひとと顔をしかめられる有り様だったわたしだが。

今回は真逆。

何か悲しいことを耐えてるのかと、隣席のひとがチラチラ窺うくらいに、ごしごしグジュグジュ、の一歩手前の有り様である。

まったく忙しい。

親父だって親父なりに、子どもだって子どもなりに、社会や学校や、同級生たちや自分と、闘っている。

それぞれとの向き合い方だって、それぞれで違う。

正論や理屈や、頭でっかちの知識じゃなく、ここ(ハート)で動けベイベー、サンキュー、ロケンロール、そしてサムアップ。

である。

奇をてらうでもなく、そのままを。

小手先ではなくハートを、揺るがされることがないように。

知らない誰かが言うことよりも、今お前が目の前で何を感じて、何をすべきか。

正しいことを正しくやることだけなら、正解なだけ。
間違った間違いが、正しいことだってある。

なあに。
誰も傷つかないようにじゃなく、傷つく時は一緒に、てヤツが愛ってヤツだ。
そこんとこ、ヨロシク。

ひとりひとりが、体温がある。
ときにそれは滑稽に思えたり、わざとらしく思えたりするが、その熱さやクサさが、いい。

カッコいいのはウソくさい。
カッコつけは人間くさくて、いい。

こんな物語を、そろそろ、できるだろうか。



2011年05月30日(月) 聖地とポレポレ鉄板麺

土曜日のチャリティーコンサートの後、聖域に足を踏み入れてみたのである。

サブカルチャーの西の聖地である「中野ブロードウェイ」。

東の聖地「アキバ」の近隣に暮らすわたしからみれば、これはまさに、三蔵法師が天竺へ赴く、ようなものである。

いやなんとおこがましい。

わたしは玄奘ではなく、彼にひっついて共にオロオロする沙悟浄である。

いやいや食いしん坊だけが取り柄の猪悟能(八戒)かもしれない。

一行は、結局「ここは自分に相応しくない」と、神界の禄に預かることなくむしろ突っぱねて出てきてしまうのだが。

わたしも長居は出来なかったのである。
じっくり探したいもの、見たいものが、そもそもないのである。
それがあれば、間違いなく、ドップリとハマれただろう。

とても残念だった。

いつか降って湧け、我がマニアごころよ。

「心地よきカオス」と美しき貪欲アイドルが評したことがあったが、まさにカオス、ヨロス、タマラナス。

とうなずける。

二階にある飲食店の数々が、わたしにとっての「心地よきカオス」感が、プンプン鼻腔を口腔をコケコッコー刺激してくれた。

やんぬるかな。

時間が中途半端だったため支度中だったりし、暖簾の隙間からのぞき込み、貼り紙にマジック書きのメニューをねめ回し、きりきりと胃袋が訴えるのを耐えるのみ。

まるで苦行であった。

「何をためらってウジウジと入らないんだ」

と思われるかもしれないが、わたしには目当てがあったのである。

ここ中野ではなく、東中野に。

「大盛軒」なる店がある。
「おおもりけん」ではなく、今は「たいせいけん」という。

なんと魅惑的な名だろう。
そこに「鉄板麺」というものがある。

熱々の鉄板深皿に、豚肉とキャベツなどの刻み野菜たっぷり、卵を割り入れニンニクチップとジュウジュウいわせながら混ぜる混ぜる混ぜる。

それに椀に盛られた白ご飯がつき、さらに、シンプルな中華そばがついてくるのである。

これが、ガツン、と幸せを噛み締める助けをするのである。

満足な猪悟能は、食後にまどろみうたた寝気分に浸るのを気を付けなければならない。

カチカチ頭の兄貴にどやされる前に、スタコラサッサと、くちくなった腹を抱えて店を出る。

ここ東中野は、お多福さんが住まわれている街であった。

本社でお多福さんに、早速「鉄板麺、制させてもらいました」と報告したのである。

「なぬっ」

キッと顔を向け、「いつの間に来やがった。あんたは立ち入り禁止だと言ったろうっ」と、くわっ、とにらまれたのである。

東中野は「ポレポレ東中野」へ映画を観に足を踏み入れたりする街ではあるが、お多福さんの安らかで健やかなる私生活を保つため、関係者は立ち入り禁止と決めているらしいのである。

なんと理不尽な。

しかし、なんのちょこざいな、とわたしは臆面もなく訪れるつもりである。

いつ頃いたの?
夕方前でがす。
いたよ、その頃、東中野に。
うへえ。でもサッときて、パッと出ましたでがす。

大盛軒があるのとは逆側が、まさにお多福さんの奥殿らしい。

「よかったぁ、逆で」

全身で安堵の息をつくお多福さんに、わたしは苦笑いする。

「どんだけ避けられてんねや」
「あっはっはっ」

お多福さんは手を叩きひとしきり笑うと、去り際につと振り向いた。

「てか、呼べって」

えっ?
あのう。
呼ぶも何も。
番号もアドレスも、連絡先をなんも知らんのですが。

「あ〜、残念っ」

じゃ、と手を挙げ颯爽と去ってゆく。

聖域のさらになお立入禁止のところが断固として存在し続けることを知ったのである。

東中野はわたしにとって、「鉄板麺とポレポレの街」なのである。



2011年05月28日(土) 「愛する人」とdiVAとヤマハのん

「愛する人」

をギンレイにて。

マズイ。
これはマズイ。

もしも今、何かのボタンがあっっしたら、ボロボロと雨が頬を濡らしてしまいそうである。

何もない歩道の段差につまずくでもいい。
傘がぶつかって、額にきれいに面が入ってもいい。

十四歳で出産、抱くことなくそのまま養子に娘を出されてしまったカレン。

三十七年間、片時も娘のことを思わない日はなく、出す宛てのない娘への手紙を書き続けていた。

一方カレンの母親は、「娘の人生を台無しにしてしまった」と無理矢理養子に出させたことを、ずっと後悔したまま、そのことをカレンには言えないまま、カレンに介護してもらいながら、母娘二人きりで暮らしていた。

母のことをまったく知らないまま育った娘エリザベスは、優秀な弁護士となっていたものの、家族や愛というものとは距離を置いていた。

そんなエリザベスだが、妊娠してしまう。

父親は、弁護士事務所のボスか、アパートの隣室の妻が妊娠中で欲求不満の夫か。

わからない。

エリザベスは、ひとりで産むことを決意する。

突然姿を消された事務所のボスは、「私の子ならば、君らを養う。亡き妻ではなく、君を妻としてすべて受け入れよう」と、手を差しのべるも、エリザベスは「あなたの子じゃない」と拒んでしまう。

ボスの親戚家族は皆黒人系で、彼女は白人だった。
ボスの娘たちは、エリザベスを快くパーティーでもてなしてくれ、あたたかい人らばかりだった。

家族も、愛も、まともに理解できない自分が、居られる場所なんかじゃない。

そう、感じていた。

それでも、私はこの子を産む。

前置胎盤で帝王切開が必要だったが、「産まれる瞬間を、みたいの。だから、眠らせたりしないで」と医師に言う。

母になる。

その時初めて、今まで思いもしなかった、「母親を探す」ことを思い立つ。

出来ることは、養子縁組を取り持った養護院に、手紙を保管しておいてもらうことのみ。

母親のカレンも、ようやく初めて自分を受け入れてくれた新しい夫パコに背中を押してもらい、手紙を預けることに。

三十七年の時を経て、母と娘の思いは伝わるのか。

親子とは、家族とは、血の繋がりとは。

そして愛とは。

養子が比較的珍しくない海外では、様々な問題がある。

社会的問題ではなく、日常的な、些細だからこそ大事な問題のとある場面。

産まれたばかりの赤ん坊を養子にもらった養母は、切に子どもが欲しくて、愛していて、だからとても愛しい存在だった。

しかし慣れない育児に気持ちが折れ、パニックになる。

「全てを当たり前のように、自分中心に支配する。何様のつもりさっ」

赤ん坊にキレた娘に、助けにきた母親が、ピシャリと、言う。

「あなた、あなたが世界初の母親だとでも思ってるの?
いい加減にしなさいな」

自分が産んだ子ではない。
しかし、あなたは母親になりたくてなった。
そしてそれは、世界中の母親が当たり前にやってきていること。

自分だけ特別なんじゃない。
愛していないわけじゃない。

パニックになって目の前しか見えなくなる時だってある。
そんな時に、つい見失ってしまった大切なことを気付かせてくれる存在が、いるだろうか。

現代社会は、我が子やまた言うべき相手に、ピシャリと言える関係が少なくなっている。

嫌われたくない。
傷付けたくない。
傷付きたくない。

言ってもしょうがない気がする。
自分で気付くか、他の誰かに気付かされるまで言いたくない。

友だちみたいな親子は、それだけでは親子ではない。

親は友だちではない。
親なのである。

さて。

なかのゼロホールにて催された、

「ゴスペル東京 第十二回チャリティーコンサート」

に行ってきた。
diVA陽朔さんが参加され、ご招待いただいたのである。

「di」が小文字なのは、意味がある。

甘木国民的アイドルグループからデヴューを飾ったユニット名は「i」だけが小文字である。
どうやら、まだまだ成長途上であるとか、小さな「愛」を小文字の「i」にかけ、やがて大きな「愛(I)」になるように、との意味があるらしい、と耳にしたのである。

ならば、「i」ともう一文字を小文字にしてみよう、とわたしが勝手に思っているだけである。

「DivA」だと、「でぃぶ・アンペア」と電気の特殊記号のような気がするし、「DiVa」だと主張が何も目立たない気がする。

であるから「diVA」としてみたのである。

陽朔さんはゴスペルを習いはじめてまだ日が浅いとは言え、積極的にステージに参加されている。

何よりも、ステージ上でとても楽しげに歌っている。

ご本人は緊張でそれどころじゃあないと言うかもしれないが、みてるこちらが勝手にそう見えるのだから、そうなのである。

選曲は様々だったが、わたしの隣席の老夫婦の奥様の方が、どうやらスローテンポの曲よりもアップテンポの曲がお好みらしく、

そうそう、わたしはこうゆう曲が好きなのよ、ねえ?

とご主人の方に共感を求めていたのである。
うむ、とご主人がうなずいたのか返事しなかったのかわからないが、印象的だったのである。

わたしの偏見だが、奥様の方は見るからに楚々として上品さが漂い、教会の厳かな讃美歌こそが似合いそうだったのである。

ゴスペルの言葉ではないが「スイングしなけりゃ」ダメですね、とわたしはひっそり胸の内でうなずいて手拍子を合わせたのである。

とにかく、意表を突くチャーミングな方だったのである。

四十の手習いというのか、わたしも何かを、いや、手を出したい気持ちになってくる。

実家に眠っている母の嫁入り道具だったものが、このままでは誰にも触れられることなく、そのままになってしまう。

とはいえ、習うのはわたしには向いていない。
我流で、でもいい。
音を、忘れさせないためだけでもいい。

ちなみにわたしは音痴化している。
姉は、リズム感がやや個性的なところが幼少の頃あったらしい。

あぁ、草葉の陰でガクリとうなだれている姿が浮かんでくる。

ハノンでも、と思ったが、

「あんなツマンナイもの、ただこの曲が弾きたいってことだけなら練習しなくていいっ」

と一蹴されたのを思い出す。
二十数年前のことである。

原秀則原作「部屋へおいでよ」のあやさんの「はみがきハノン」に影響されたことは、ここだけの話である。



2011年05月26日(木) 岐路の記録

「いったい、何があったんですか?」

向き合った田丸さんが、深刻な顔でわたしを覗き込む。

「柳眉」

虞美人、楊貴妃らの美しさから生まれた「愁いある」表情を指す。

雨上がりの濡れた路面に信号が点滅する、大森の夜ーー。

あのう。このひと言だけ書かれていると、ビックリしてしまったんですけど。

イ氏は、どれどれ、とひと目見るなり「だって深刻じゃない」と。

「人生の岐路」

ただ一行だけ、書き付けられていたのである。

はて、わたしにいったい何事があったのか?
たしかにすったもんだがありはしたが、それが「人生の岐路」とは思われない。

パッと開いてそんな言葉が目に飛び込んできたら、そりゃあ田丸さんだって真剣に気になる。

その日自分はいたはずなのに、その場に居合わせなかったことへの後悔、慚愧。

先ほどは、今までにみたことがない田丸さんの顔を見てしまった。

ああ、ウツクチイ。

うかつにもそう思ってしまったのである。
そのまるで真珠のような輝きをした眼球に、すべての愁いも哀しみも吸い込み宇宙の彼方にやってくれそうな深みある瞳。

くい、と中央に引寄せられた眉は、まるで優しき翼のよう。

息をのみ、唾をのみ、言葉を飲み込んでしまった。

ただもう、貴女の瞳に全てを奪われる。

「岐路」って、選ぶだけの余裕なんか、ないですから。

選ぶか選ばないかだって岐路なんだから、とイ氏はしゃあしゃあと言う。

このまま選ぶことなく仕事を続けてゆくか。
厳しいけれど楽な道を選ぶか。

暮らしてゆくなら、仕事をしてくしかないですからねぇ。
ただ生きることを一とするなら、いずれはそうではないかもしれないですけど。

イ氏は、うんうん、とうなずく。

「いずれ、が早くくることを祈ってるよ」

今日は珍しく待ち合いに人が多く、いつも通りに最後の順だったわたしが時計を見ると、もう九時前になっていた。

大して他に話していないのが消化不良だったが、仕方がない。
駅へ向かいながら、ぼんやり考える。



2011年05月25日(水) 「恋文の技術」の極意

森見登美彦著「恋文の技術」

オモチロイ!

森見ワールドの「たちのワルさ」がここに、これでもかっ、と極まっている。

告白も出来ず、屁理屈妄言詭弁をこねくり回し続ける大学院生が、能登の研究所へと送られてしまう。

男は親友、妹、大学の研究室のオソロチイ女先輩、家庭教師の教え子(小学生男子)、そして大学の先輩である森見登美彦氏らと、文通武者修行に、励む。

恋文代筆業をベンチャーで立ち上げませんか、と作家である森見氏にもちかけたりする。

しかし、一向に目指すところの「一発で女をメロメロにする」恋文の書き方が、わからない。

森見氏に「もったいぶらずに教えろ」と脅迫してみたが、氏は一向に教えようとしない。
それどころか、締切に間に合わない、書くことがない、と執筆に関する愚痴ばかりを書いてよこす。

能登と京都を様々な思いが込められた文が往き来する。

抱腹絶倒。

公衆の前で、この書を読んではならない。

わたしのように、いつどこ何どきでも、すっかり竹林にて魂を胡蝶のごとく遊ばせる夢をみて、社会の目を忘れることが出来ない限り、お勧めしない。

変態、変質者、カワイソウな人、と衆目に晒されること間違いない。

腹がよじれる。
よじれて半回転して繋がり、終わりのない笑いのメビウスの輪に閉じ込められてしまう。

しかし馬鹿にしてはならない。

森見登美彦氏からの金言迷言が、ちゃあんと、どこまでも上ってゆく坂道の、つまり「くだらない」中にも路傍の石のごとく散りばめられているのである。

おこがましいが、そのひとつを紹介しよう。



どうだろう。
路傍の石のごとく過ぎて、皆さんに紹介すべきものが見当たらない。

いやしかし、「読めば元気の泉湧く」ことは間違いない。

だからといって湧き水をそのままがぶ飲みしてはならない。
アヤチイ菌が○○ブリのごとき生命力で溢れかえっているからである。

ちなみに「○○」に「Sジ」を入れて、国民的アニメ制作スタジオにしてみてはいけない。

検討違いである。
宇宙的偉大な阿呆である。

しかしその前向きさは、嫌いじゃない。

抗いがたい現実社会を前にして、それをなお、

「うむ。やむを得まい!」

にっこりと、そう受け入れてみせる伊吹さんは、惚れてしまわずにいられないだろう。

うじうじと見栄をはりこねくりまわし、一向に本命宛ての恋文を書きあげられずに半年が過ぎてゆく。

そうして書き損じた恋文らが、自らの批評反省点をつけて収められている。

そうして最後の最後に、「恋文の極意」というべき一通が添えられているのである。

なるほど!
目からウロコ、カステラの裏紙である。

書簡集というかたちの作品は、三島由紀夫の「レター教室」でなかなか面白い、と思っていたのである。

「作家ならば挑戦してみたい様式」というのもわかる(しかしわたしはまだ作家ではない)

現代ではメールが手紙に完全にとってかわって跋扈している。
すぐに送れてすぐに返ってくるから、まだろっこしくない。

汚い字を晒して恥をかくこともない。

皆が使っている同じ文字だから、自分の温度も相手の温度も、等しく同じに思える。

しかし手紙は違う。

かかる時間、気持ち、手間暇が、違う。

筆圧の強弱、線の足取り、躊躇い、訂正、追記、シワ、シミ、それを誤魔化そうと足した記号やイラスト。

どつぼにはまってゆくものである。

わたしは稀に見る象形文字の伝承者ではないかと思うほどに、字が汚い。

どう書いても「大人」のきれいな字にならない。

これはあれだ。無理だ。

ガッキー(新垣結衣)が頷いた。

字を書くのが駄目なら、恋文が出せないではないか。

由々しき大問題である。
宇宙的損失である。
四畳半でウンウンと妄想している場合ではない。

しかし妄想の果てにも答えはあるものである。

字を絵だと考えればいい。

ピカソやら岡本太郎やら、いったいなんじゃこりゃ、という画風もある。
芸術的才能をほとばしらせ、いっそ抽象文字を表せばよい。

その前に、恋文を出す相手を竹林にて探し出さねばならない。

梅雨を控え、竹は青々しく背伸びし枝を伸ばしてゆく。
ヤブカの集団発生もオソロチイ。

よし。ひと通りおさまる秋口まで、深謀遠慮な作戦を練りつつ待機するとしよう。

恋文の極意とは、恋文を書こうとしないこと、である。



2011年05月24日(火) ウニのとげはGっとう妄想する

わたしは、ウニのとげよりもデリケートな生き物である。

昨日、ノブオくんによる心ない風評被害を回避せんと、代償にオモチロイ作品をあれやこれやと選出しようと試みようとしたのであった。

しかし、試みようとしただけで、とげとげはポロポロと抜け落ちてゆき、まるでマリモのように、ビロードのあられもない姿丸出しと成り果ててしまったようであった。

朝、定刻通り目が覚める。
全身がマリモになったようなわたしは、もさもさと起き上がりシャワーを浴びたのである。

熱い湯を浴び、わしわしと洗いこすっても、もさもさ感はなくならない。
むしろ水を得たギョのごとく、さらに重く濃くわしゃわしゃとなってゆく。

これはアレだ。無理だ。

ガッキーが、うなずく。
湖底をふよふよと転がるように浴室を出、脱いだユニクロの首のところがヨレだしているスウェットの上下をまとい、連絡を入れる。

前略、古墳さま
どうやら風邪のようです。
ヘタレてお休みいたします。
草々、孟徳。

竹さま
……チーン。
了解しました、お大事に。

古墳氏はその洞庭湖より広いこころであたたまる返事をくれたのである。

古墳氏のご厚意には申し訳ないが、風邪ではないのである。

先日、鍋で湯を沸かそうとコンロの火にかけ、かんかんに空焚きさせてしまったのであった。
空焚き防止機能(センサー消火)付きの方で助かった。

消火センサーのアラーム音に目を覚ましたわたしは、すっかり油断していたのである。
かんかんになった鍋を見て、これが本当の「なべやかん」かん、とオモチロイことを言ってみる。

どうやら最近の寒暖差が、ここにキタらしい。
入社しておそらく初めての「病欠(?)」である。
もうあとは、枕に身を委ねるだけである。とっぷりとお八つの時間まで寝てしまっていた。

はたから見れば、不謹慎な「サボり」に見えるだろう。

起きて出来るならば、外に出て光を浴びたり、時計をリセットするようにしておきたい。

いや。
ただじっと部屋に引きこもっていたくはないという意地である。

これはきっと、同居人がいたら理解不能、不可解不愉快な行動に映るだろう。
しかし、ひとりであるから誰の目をはばかることもない。

のこのこと街へ出る。
行く先は決まっている。

「さぼうる」

である。
「ラドリオ」にしようか迷ったが、やっぱりここは「さぼうる」でさぼうるとしよう。

入口で白髪のマスターが迎え入れてくれる。
ここで夕方の時間だと、「お茶かお酒か」を一旦訊いてくるのである。

わたしを見たマスターは、確信した様子で訊いてきたのである。

「お茶ですね」

ええそうです、わたしもしたり顔で答える。

これは心地好い。
そうしてわたしは、独りの時間に没入する。

オモチロイ本を、人前で読んではいけない。

いくら薄暗い店内でも、ニヤニヤ、プクククク、という顔くらい丸見えである。
植木を挟んだ隣席の女子が、彼氏と席を交換したのは、もはや仕方がない。
その彼氏も、気丈にわたしの方を見猿、聞か猿、言わ猿の精神で貫き通していたようである。

「机上の妄想」

わたしの座右の銘に加えることとしよう。

なかなかよい発見にご満悦なわたしは、これ以上不審者ぶりを発揮してマスターに迷惑をかけてはならないと早々に席を立つ。

これだけ馬鹿らしくて軽快でオモチロイと、呆れてあいた口にペンペン草が生えてきそうである。

最近自分のG党ぶりの薄っぺらさに気付き、居住まいを正さねばと思っていたのである。

今季交流戦から、とにわかぶりを露呈しないですむよう、その数日前から、スポーツニュースで結果と順位くらいは把握しようと平素努めていたのである。

スポーツニュースでも観ておさらいしよう。

わたしのマイヤフーのスポーツ欄に、なぜだか結果が書かれていない。

また故障か電波障害か、やさしく、ブンブン、振ってみる。
変わらない。

はて、昨日たしか澤村が好投するも、勝ち星を逃がしたはずである。

昨日?

月曜日は移動日だから試合はないはずではないのか。

その時点で、にわかぶりがにかわなみであることを痛感する。
「セ・パ交流戦」である。
セ同士ではない。
ましてや開幕が遅れた分のマッチメイクだって配慮されたりされなかったりの懸念だってきっとある。

なるほど、ここまでの自己分析を終えると、念のためG党の甘木女史に確認してみる。

やはり交流戦だからじゃないの?

と、しばらくして返ってくる。
こんなことには早く返事をしてくるもののようである。

いや、たまたまさ、とわたしは言い聞かせる。

そしてわたしは、胸の内で強く叫んだのである。

「澤村よ、俺の屍を乗り越えてゆけ!」

と。
しかし、見も知らぬ怪しい屍など、乗り越えるどころか疫病感染しかねないはた迷惑な存在である。

丁重にブルドーザーで地面ごと掘り上げられ、産業廃棄物らと一緒に埋め立てられるか焼却処理されるか、どちらにせよ儚く報われぬ末路をたどるに違いない。

ああ、不憫なり。

せめて「ここに妄想する竹あり」と世に知らしめるべく、札を刻まねば。

半日ほどの惰眠を貪らねばならないこの身なれど、鯉を背負い、だるまをこよなく愛する黒髪の乙女が、お友だちパンチでわたしを惰眠から目覚めさせてくれるのを、妄想の竹林にてひたすら待つのみである。

「竹取りの、起きな!」

と。

うむ、なかなか、である。
妄想はますます迷走す。



2011年05月23日(月) 風評?

週に一度の本社訪問であった。

「それでも花は〜」を持ち主であるノブオくん(ケンくんあらため)に返さなければならない。

もちろん、感想のひとつもつけてやらねば、せっかくの好意で貸してくれたことに対して失礼に当たる。

どうでしたか。

わたしは一拍、空をみた。
そしてふたたび視線を下ろすと、相変わらず目だけは愛くるしくクリクリさせる、むさい野郎のノブオくんが、目に入る。

もしこれが、京都は黒髪の乙女であったり凡ちゃんだったりするならば、まことしやか感心満足感激した、とうまく嘘ではないところを取り上げとりなすところであるが。

感想をつけることで、この場合は礼を守るに十分相応しい。

そう判断したのである。

先の感想を有り体に、勤厳実直に、腹をわって伝える。

「またこの人は、ムツカシイこと求めてんだからっ」

頭を掻きながらノブオくんは、ぶうと鳴く。

じゃあ。

「竹さんの今のお勧めで何かないですか」

もっぱら「図書館シリーズ」が今は当たり障りなくお勧めだが、反応が悪い。

いや、それは竹さんらしくない。どんなのが、いいんですか?

ならばと、川上弘美を思い浮かべるが、ノブオくんは川上作品をいくつかもう読んでいる。

「オモチロイ」で言えば、森見登美彦作品だが、今ちょうど読んでいるのが恋文云々な題名なので、それを言ったら、ただノブオくんがわたしをからかってオモチロがるだけである。

ぐいっと飲み込む。

代わりに「ウエッ」と出してみたのが、金原ひとみである。

「これを抵抗なく、むしろ、ここからどうエスカレートしてくのかを楽しみに読めるような、それくらいのディープさがあるやつ」

まぢっすか。
ゆくなら、あれくらいまでいって欲しい。

「あとは?」

ノブオくんが一旦ひいたあと、すぐに持ち直して訊いてくる。

とかく、きれいなものより泥臭かったり、もったりしてたり、もわもわしてたり、がいいね。

角田光代とかはダメですか。
一時期読んだけど、ほら「フリーター文学」とか言われてた頃に。
なんすかそれ。フリーターが家を買うとかの、あれですか。
違う違う。

そうか、それも昔のいっときの話か。
昔のとか記憶を掘り返すのはすっかり苦手になっている。
だからいちいちを掘り返すのはやめよう。

まあ、あれだ。三島より谷崎、て感じだ。
うわぁ、「エロ」ですねぇ。

くわっ、と誰かがこちらに振り向いた気がした。

「こら、誤解を呼ぶだろうが。ちゃんと「ティシズム」とか「チック」をつけないか」
「いいじゃないですか「エロ」だって」

またまた誰かが振り向いた気がした。

たまにしか顔を出さない分、あまり知らない人らに、「わたしはエロ」と誤解されてしまうのは避けなければならないのである。

「よくはないっ」

風評被害だ。
訴えてやる。
ちくしょう。
覚えてろっ。

わたしは、踵を返してノブオくんのもとを去る。

「お勧めがあったら、教えてくださいね」

ようし待ってろよう。
健全でオモチロイのを、勧めてやる。



2011年05月22日(日) 「風花」と糧

川上弘美著「風花」

のゆりは夫の卓哉が浮気をしていることを、その浮気相手から知らされる。

結婚七年。
子どもはなし。

知らされても、のゆりはどうしたらよいのかわからない。
卓哉に詰め寄ればよいのだろうか。

それは、浮気相手と別れてください、なのか。
それとも、わたしと別れてください、なのか。
それとも、わたしのことを好きではなくなってしまったのか、なのか。

「結婚をしなければ、もっとちゃんと好きになっていたのに」

文庫の帯に書かれていた言葉。

読み終えて、しみじみと胸に染み渡ってゆく。

のゆりの感情は、波立たない。
日常のすべてが、まるでぼんやりと何かに包まれているかのように、現実感として捕らえられていないかのように、淡々と描かれてゆく。

ずっと無言電話だった浮気相手からの電話が、「離婚してください」とはじめて無言が破られた時に、「やっと無言から解放されることができたんだ」と安心していたりする。

卓哉を「卓ちゃん」とずっと呼び続けていたのに、「そう呼ばれるのは、あまり好きじゃいんだ」と突然、今になって卓哉に打ち明けられたりする。

自分にとってずっと「卓ちゃん」だった相手が、急にそうではない人になってしまう。

ずっと夜は帰ってこない日が何ヵ月も続いていて、食卓で話をしていても、自分の話し声は卓哉に届く前に、テーブルの上の空気の中に吸い込まれて消えてしまう。

ふわふわと頼りなさげではかなげなのゆりだが、彼女は、それでも卓哉のことが好きだった、のだろう。

読んでいると、完全に瀬戸際の危機感溢れる状態なのに、ゆうらりと時間が過ぎてゆく。
だからこそ、読み手の胸の内で、それがむくむくと大きく膨らみ形どられてゆく。

向き合うことを、深く考えてみよう。

久しぶりの川上作品で、これはまた不思議な魅力がある作品だった。

読んでいて、無性に咽喉が渇くような、感覚。



ときにわたしは、薄情者、または非情な者の部類に属するのだろうかと思う時がある。

どんなことがあっても、冷蔵庫の牛乳がなくなれば赤札堂へ買いにゆき、なければ湯島のハナマサまでのこのこと足を伸ばす。

そうしながら、小説のテーマやヒントに、それがいつの間にかなっていたりする。

これはどこ向けか、それなら肉付けをどうしようかなどとメモを開き、不謹慎なほどドキドキしていたりするのである。

そういう意味では、人が満たされて喜びを得て済ませるのに対して、わたしは満たされないことでさえ、満たすことへと繋がってゆく。

それは誰にでも出来ることでもあるが、実際にやるかやらないかでいえば、誰もが躊躇ったりしてしまう。

よいか悪いかで言えば、きっと「たちが悪い」のだろう。

人は、笑ったり泣いたり叫んだり、食べたり飲んだり歌ったりして鬱憤を晴らす。
しかしわたしは、それでは満足できない。

そんなことで晴らしきってしまってはならない。
それでは何のためにそれを味わったというのか。

「ある」ということで、その意味を知る。
しかし、「ない」ことで、さまざまな「ある」姿やかたちをみることだって出来る。

「知らない」で書いたものには重みがないと思う、と言われたことがある。
「知る」ことで、逆に書けなくなってしまうこともある。

事実を描くドキュメンタリーを書きたいのではないのではないのである。

すべてを糧に。

消化するには多少の時間や助けが要るとは思うが。



2011年05月21日(土) 「しあわせの雨傘」とリベンジ

「しあわせの雨傘」

をギンレイにて。
フランソワ・オゾン監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演。
雨傘工場の創業者の娘であり、社長夫人のスザンヌは、毎朝のジョギングと詩の創作だけが楽しみの毎日を送っていた。
社長である夫はワンマンで独裁的で、やがて工場の労働者たちが「トイレの環境改善」を訴え、ストを起こす。

ねじ伏せてやる。

とした矢先、心臓発作で倒れ、社長夫人として、スザンヌは代わりに工場の経営改善に取り組むことになる。

ドラッカー曰く、経営者に最も必要なものは「真摯である」こと。

従業員たちの声に真摯に耳を傾け、女性たちをないがしろにしない。

見事に工場は持ち直し、従業員たちにも活気とやる気が満ち溢れ始めた矢先、療養休暇から社長の夫が復帰したのだった。

「君は私の椅子を返せばいいだけだ」

働くことの喜び、充実感、幸せを奪われてしまうスザンヌ。

しかし、女は強い。

時代は1980年前後。
まだまだ男女平等の意識が浸透しきっていなかった社会に、ちょっとコケティッシュで、おシャンティな女性讃歌。

である。

さて。

今日は「room493」からのご縁で、今や「RENT」HEADS仲間でもある陽朔さんと、谷中にてひとときの語らいの場を得ることができた。

お勤め先が近所で、「いつかお茶しながらRENTの話をしましょう」と言ったまま、その機会をなかなか得られずにいたのである。

陽朔さんの旦那さんであるきゅうりさんとはかれこれ七、八年会ってないが、陽朔さんは一昨年の「RENT」以来、ゴスペルを習いはじめてその発表会などに誘っていただいたりしているのである。

来週末にもチャリティーコンサートに参加されるとのことで、「ディーヴァ陽朔」への階段を上ってゆく過程を、目の当たりにする喜びを……。

あまり持ち上げるとプレッシャーになるそうなので、控えよう。

「満満堂」というなかなか評判の珈琲屋が、谷中にある。

「そこに行きませんか」

谷中に住んで五年が経ち、その間ずっと気になっていた珈琲屋である。

「待ってました。満満堂に行こう」

この世に神がいることを、わたしは実感したのである。

「本日、臨時休業させていただきます」

ドアに、ペラリと貼られていた。

そうか、そう来るか。
これはもはや、人がなせる業ではない。

「チャンスの神様」

である。

チャンスは、与えるとは限らないのである。

谷中銀座から、ゆっくり話が出来そうな店に移動する。
コジャレた長居しづらそうな店ならポロポロあるが、せっかくなので、わたしが気になっていた近所の店までご足労いただくことに。

平日十一時まで開いているが、入るきっかけがなかった店だったのである。

谷中らしくはあるが、ちょっとだけおシャンティなというところで、わたしへのハードルをおさえてくれている店の雰囲気。

もうひとつのハードルは、百メートル走の勢いで乗り越えることにすればいい。

もとい。

「何かをはじめる」ことは、やはり素晴らしいことである。

陽朔さんは、もちろんそればかりだけではないが、エネルギーに満ち満ちている。

見習わねば、もったいない。

何がもったいないのかは、これから考えてみよう。

日本語版「RENT」の感想や、アダム・パスカルとアンソニー・ラップ(ブロードウェイ版「RENT」のロジャーとマーク役の二人)のツアーに行ったらしく、

うそっ、マジすか(学園)!?

な話とか。

「RENT」のサントラしかもうずっと聴いてなくて。
わたしも同じで、ヘビー・ローテーション、だよね、とかの共通点だったり。

習いはじめたばかりの、ビギナー、だから、こないだの発表会のソロ(「RENT」のテーマ曲である「seasons of love」の!)なんて記憶がとんでて覚えてないの、などという話だったり。

ちょいちょい甘木アイドルの曲名を挟んでいるが、わたしが実際に口に出したわけではないのであしからず。

つかの間、他愛ないが楽しいひとときを過ごさせてもらったのである。

合言葉は、「リベンジ満満堂」

来週は陽朔さんの参加するチャリティーコンサートである。

まずはそれを楽しみに、しよう。



2011年05月20日(金) さぼうるでさぼうる

火曜から木曜まで三日間、わたしはフリーダムだったのである。

共に仕事している古墳氏となぎさ君が、社をあけてしまっていたのである。

「竹さんは、三日間、羽根をのばしててください」

これだけやっててくれたらいいですから、とそこそこの仕事量だけわたしに任せていったのである。

海外の甘木BIM先進利用企業を視察。

わたしだけ社内の所属が違うので財布も違う。
もしかしたら、と言われていたが、やはり「もしか」しなかったので、留守番である。

てやんでい。

ささくれやさぐれ夕暮れに、定時を少し回った頃に、席を立つ。

行く先は決めていた。

神保町。
「さぼうる」でさぼうる。

いや、仕事はちゃんと済ましてあるから、サボりではない。

洒落てみたかっただけである。

「さぼうる」は、少し特別な思い入れが、ある。

「それでも花は咲いていく」繋がりで、わたしも思うところが、ある。

ああ。
「それでも〜」の回の中身について、少々捕捉しておこう。

わたしと会話している「ケン君」とは、決して「マエケン」こと著者の前田健さん御本人のことではない。

ただ名字から思い付いた他人からとって付けた、ここだけの呼び名の別人である。

もとい。

「さぼうる」で、わたしはかつて大変お世話になった。
週の半分のその日の大半を、一時期、過ごさせていただいた。

「書く以外に何ができる」のだろう?
仕事を辞め、朝はきちんと規則正しく起きなければならない。
しかし起きたところで頭は回らない。眠くなるが、下手に寝ては治療にならない。

ならば意地でも外出しよう。

運動不足解消も兼ね、体を動かすことで、目をさまさせる。毎日歩いて神保町へ通い、文庫を買い、読み、そして書こう。

さぼうるの店内は薄暗く、雰囲気がいい。
テーブルもこじんまりと詰まっているので、隣のテーブルでのささやかな会話や、時にはざわめきなどが満ちていて、とにかく落ち着く。

もしもコトンとわたしが抗えずに落ちてしまっても、気付かれにくい。

わたしにとって、大袈裟だが「はじまりの店」とも言える喫茶店なのである。

わたしもある意味マイノリティに属している。

五、六百人に一人、をそう言ってよいのかわからなくなってきているところがある。

周りをみて、例えば仕事中の居眠りを見かけると、それは単なる居眠りなのかそうではないのか、それは判断出来るものではない。

単なる眠気と居眠りだけなんでしょう?

そうなんです、と、えへらと笑って答えてすませるだけでは、なかなかゆかなくなっている。

NHKのとある番組内トピックの言葉が、かれこれ一ヶ月以上、頭から離れずにぶら下がっている。

「普通と同じを目指し続けること」は、正しかったのでしょうか?

普通ではなくても特別な何かを持ち、それを活かしてゆけるような人間は、なかなかいない。

ないことを補うことばかりで明け暮れてしまう辛さはわかる気がする。

本当は特別な何かがあるのかもしれないのに、それに気付けないまま、だったのかもしれないし。

あるようなつもりで、そんなものは自分にはなかったことを後で思いしるのも、怖い。

「何か」に限られた時間やらを注ぎ込む余裕がない日々が続くなかで、さらに現実的に、考えてしまえのである。

一般的な現実と、わたし個人に限られる現実と。

二つのはざまを縫い合わせるようにしてゆくしかないのだろう、ということはわかっている。が。縫い合わせてゆくのもなかなか労力がかかる。

久しぶりに「さぼうる」で、しばし考えてみた。

いや。

目を閉じ耳を塞いでみた。
間を縫ってではなく、がっつりと、書こう。

そのために必要なことを念頭に置きつつ、ひとつひとつをきっちりとかたをつけてゆこう。

こぼれ落ちてゆくものは、無理に背負うことはないのである。
大事なものだけは、抱えて離さないように。



2011年05月18日(水) 「それでも花は咲いていく」

前田健著「それでも花は咲いていく」

ロリコン、マザコン、ゲイ、マゾ、腐女子、老け専……。

社会的マイノリティな人物たちが、花の名が付けられた九つの物語の中でそれぞれの切なる思いを叶えようと生きる姿を描く。

著者は、「あやや」こと松浦亜弥の顔真似で最初に話題になったお笑い物真似タレント「マエケン」である。

彼自身、マイノリティの人間であることを公表もしている。

だからなのか。

本作品は、ちょうど今、映画化されて上映中らしい。

タレント作品をあまり手にすることがないわたしが、なぜこの作品を読んだのか。

先週月曜日、本社に連絡会で訪れた時のことである。

「竹さん。会社にきたら、僕のとこに寄ってください」

との社内メールがケン君から届いていたのである。
それを自席で見てから本社に向かったので、一体何事かあったのか、連休中の土産物でも渡されるのか、しまった会社の分などわたしははなから買ってきてないぞ、だから当然ケン君に渡せるものもない、土産話も、今は空しさ切なさばかりで、楽しい話をしてやれるような方にスイッチが入っていない、さあどうしよう、と戸惑っていたのである。

「なん、呼び出しちうが?」

席にいたケン君に、恐る恐る声を掛ける。

「竹さん、つれないんだもんなぁ。会社来ても、俺に声掛けないで向こうに帰っちゃうんだもん」

と、苦情らしきことを言われていたのである。
何をいわんや。

なぜにわざわざ野郎のとこにご機嫌いかが、と行かねばならんねや。

と却下させてもらったが、そう言ってくれる気持ちくらいは、応えてやらないでもない。

べべべ、別に自分から声を掛けにきたんじゃないからね。
会社のメールでわざわざ「来てくれ」って言うから仕方なくなんだからねっ。

……ツンデレか(汗)

との自分にあったらよいだろう妄想をしてみてから、「やむ無く」ケン君のところに行ったのである。

「あ、来てくれた」
(ああ〜、来てくれたんだ)

頭の中の女子の顔とはほど遠い、むさ苦しいケン君な顔に、気持ちが一気に落ちて行く。

「なんね、わざわざ。土産なら、俺からのはないけんね」
「違いますよ。土産じゃないですけど」
「けど?」

ちょ、こっちこっち、とわたしを打合せコーナーの方へと引っ張ってゆく。

あ、いや、乱暴は。
職場でそれは。

すっかり、壊れてしまっているようである。

ドキドキ高鳴る胸を、いやそんなことは微塵もなく、気だるげに後をついて行く。

「竹さん文庫に入るかわからないんですけど」

いつからわたしの文庫など出来上がった。
そうか、文庫の自由を守るため立ち上がれ、と。

「文庫本戦争」
「文庫本内乱」

続々発刊。

なわけがあるか。

と自らにツッコミ、ケン君には否定だけしておく。

文庫って。
いや、まあ、これなんですけどね。

スッと、脇に隠していた文庫本を下手に出しながら、

「つまらないものですが」
「まあ、嫌いではない。知らぬうちに入っていたことにしようか」

と目に浮かぶそのままの様子で、この一冊を渡してきたのである。

「内乱」の真っ最中だから、ちょいと遅くなってもいいん?
いいっすよ。まあ、題材とかキャラとか、ちょっとひいちゃうかもしれないですけど、読んでみてください。

感想は。

歯痒い。いや物足りない。
当事者側だからこそ、触れないでもわかってもらえる。
しかし、触れなければその先は見えない、伝わらない。

あともう一歩。

のところで、物語が終わってしまう。
いや、終えてしまう。

その先に何かを見せたり、感じさせたり、想像させたり、しない。

ポツン、と突然答えを出してしまって、チョンと終わらせてしまっているように思ったのである。

きれいに書いている、せいなのかもしれない。

違う、きれいなんかじゃない。
熱くて、臭くて、汚くて。
だからこそ、多数の中にある少数が、少数であれるのではないのか。

少数同士だからとわかりあってゆくことも出来なく。
互いに違う、少数同士として、違う場所でお互いを認め合うにすぎない。

そういうものではないのだろうか。

などと言いたくなるのである。

きれい、ということは読みやすいということである。

「それでも花は咲いていく」

のである。



2011年05月16日(月) 「図書館内乱」

有川浩著「図書館内乱」

著者の代表作となっている大ベストセラー「図書館戦争」シリーズの第二巻である。

読書の自由を守るために設立された「図書隊」と、差別不平等教育に相応しくない図書を「検閲」という名の暴挙で取り締まろうとする「メディア良化隊」。
自衛隊よりも実弾による実戦が激しく行われる二つの相容れぬ組織。

「国家行政組織」対「地方自治体組織」

戦いの日々のなか、子どもの自分の大切な本を毅然と取り戻してくれた図書隊員に憧れ、図書隊に入隊した笠原郁(いく)。

図書隊初の女性特殊部隊員(タスクフォース)に選ばれるも、頭より先に感情が、身体が、手が足が出てしまい、上官の堂上にどやされ、怒鳴り返し、まったく賑やかながら過酷な日々を送っていた。

憧れのあの人、「わたしの王子様」が、実は誰だったか笠原は顔を覚えていなかった。

何を隠そう堂上その人だったのである。

感情に駆られ、いち少女の為に不用意に用いてはならない権限を行使し、少女の夢を守ったがために、厳しい査問委員会、懲罰を受けることとなった堂上は、笠原が憧れた「王子様」とは、単なる未熟者の消し去ってしまいたい過去の己の姿でもあった。

「だからあんなヤツに憧れてくれるな」

今回、その査問委員会に笠原までもが巻き込まれてしまうのである。

政治的に、言質をとらんがための執拗な、精神にくる口撃。
単純直情馬鹿の笠原を上官として、男として全力で守ってやらねば。

本人はひた隠しにしているが、お互いがお互いを特別に、思いあっているのである。

周りはとうに気付いているのに、当人同士は相手の気持ちを気付かぬまま。

ヤキモキを通り越してしまいそうである。

そこで、うまいのが有川浩である。

ドカンと、これまた飽きずにさらにヤキモキさせられたくなる爆弾を、投じてくれる。

ストイックな環境で、デレデレな恋愛模様。

絶妙である。

さらに著者の別の作品である「レインツリーの国」という他社出版元とのコラボレーション的な行いがされている。

聴覚障害の少女と健聴者の青年との恋物語である。

その作品を、聴覚障害者の少女に勧めることは、差別的虐待的な行為である、と堂上の同期である小牧が、抗議団体に拉致監禁、拷問攻めにあわされてしまう。

その聴覚障害の少女とは小牧の幼馴染みのようなもので、また互いに好きあっていた少女であった。

小牧がそんな目に合わされているとは本人は知らず、また小牧自身が知らせるな、と。

「読書の自由」

をうたう図書隊の存在が、疎ましくて仕方がない国家組織「メディア良化委員会」。

あなたが子どもの頃に読んで憧れたおとぎ話の本が、

「養母、義姉らによる児童虐待を促し、また家庭的に不幸な者を殊更に示唆する要素となりうる」

として、シンデレラを二度と読むことができなくなったとしたら。

「不当な交換取引を強いる悪逆非道な行為を美的に表現することは教育上よいわけがない」

と人魚姫を読むことができなくなったとしたら。

「他力本願、自らの努力する行為を放棄するきっかけになりえる」

とドラえもんを読むことができなくなったとしたら。

昨今の社会教育環境において、大袈裟だがあり得ない話ではないかもしれないのである。

皆で声を揃えて叫ぼう。

「読書の自由を!」



2011年05月10日(火) 銚子慕情 その三

最終目的地でもある「犬吠埼灯台」

灯台では今日(八日)海上保安庁による特別展示会が催されていたのである。

鯉のぼりが灯台のまわりを賑やかにたなびいている。
その足元で、保安庁の制服を着て記念写真を撮れたりとか、グッズが購入できたりとか、チャリティコンサートが開かれたりしている。

灯台内部の螺旋階段およそ百段を登りきり、頂部で案内と安全を見守る海上保安官の方と、太平洋を望みながら、またまた長きに渡っての歓談である。

「外川のマリーナなんて、被害がかなりひどかったみたいで」

漁協の掲示板に「風力発電機試験機設置工事により封鎖中」とありましたけど、てっきりその工事のせいだけだと思ってました。

いやその、もうちょっと先なんですよ。

犬吠埼からそっちは津波を避けられたのかと。

いやいや、と小さく首を振る。

そう言えばずいぶん、風力発電のプロペラが建ち並んでますね。

十年前にはまだまだ試験段階の、導入するかどうかという状況だったと思う。

「原発の騒動もある分し、まだまだ増えるんでしょうか」

本当に、青森の龍飛崎にも劣らないくらい、漫画やアニメのように、プロペラが林立しているのである。

「あれもまだまだ課題があるらしいですからねぇ」

制帽の下の髪をひと掻きしてかぶり直す。

わたしも少しは聞きかじっていた。
まずはエネルギー変換率の問題。そして、耳に聴こえないプロペラの回転音が人体に影響を及ぼさないかどうか。さらに地面を伝わる微振動も。

「まだまだ補助電力なんですかねぇ」

クルクル回るプロペラを並んで見ながら、わたしは聞いてみた。

まあ、なんとかなるといいんでしょうけどね、と制帽のつばをちょいと撫でて、答えてくれた。

空はすっかり晴れ渡り、海との境目が、遠くに続いている。

灯台頂部からの眺めを味わい、時折周りをたなびいている鯉のぼりらを見下ろしながら過ごす。

小一時間も話した保安庁の方は、ぼちぼち上がってくる観光客と取り立てて話をするでもなく、静かに安全を見守っているようである。

わたしだけ、ずいぶんまた申し訳ないことをしてしまったかと頭を掻き、いい加減、降り口へと向かう。

「足元、気を付けてくださいね」

小扉をくぐって少しの明るさの違いに目をしばたいていたわたしに、わざわざ声を掛けに顔を出してくれていた。

大丈夫です、すいませんでした、ありがとうございました。
いえいえ、お気をつけて。

逆光でまぶしかったが、その方はにこりとやわらく敬礼してくれた。

たしかに螺旋階段から上の、最頂部はタラップのように急になっている。

カン、カン、カン。

なるべく小気味良い音を響かせながら、降りてみた。

It's a spiral stairway.

ほんのわずかでいい。
高いところへ。

遠くを見つめ、また見下ろすよりも、高きを、その先にある空を見上げる方がわたしは落ち着くように思える。

下ってゆく階段から出たわたしは、一枚の割引券を取り出していた。

「久六」の女将さんから「どうぞこれも持っていってください」といただいた「犬吠温泉日帰り入浴割引券」である。

後で気付いたが、そこかしこで無料で配られているものだったのである。
しかし、わざわざ「どうぞ」といただいた時に、これは是非浸かりにゆきたい、と思ったのである。

文人に温泉は付き物である。

帰りの「しおさい」までにはまだ時間がある。

露天風呂。

である。

と、ぷん……。

昼間から温泉につかる客も少なく、わたしは耳まで浸かり、見上げる。

浸からぬように畳んで額に乗せたタオルが、まぶたにじんわりと温もりをしたたらす。

青空を時折横切ってゆく銀の機影を、いくつ見送っただろう。

わたし以外の入浴客が入れ替わった頃、わたしも電車の時間を思いだし、ようやく脱衣場へ上がる。

What you own?
...I quiet!

曇りのない鏡の中で、Markが顔を上げる。

風呂上がりの瓶牛乳は残念ながらなかったが、扇風機の前に仁王立ち、全身で風を浴びる。

人影がなかったので、扇風機の向きを固定、両手は腰に、全身解放である。

しばしの「裸の王様」である。

さあ、後は銚電で銚子に向かい、帰るだけである。

「おい、ラケット忘れてるって!」
「誰のだよ!」

扉が閉まった直後、ドヤドヤと乗り込んできた部活帰りらしいジャージ姿の中学生らが、ホームを指差していた。

誰だよ、誰だよ、と騒ぐだけで、やがて電車は走り出すだけ、の時であった。

「プシュウ〜……ガラッ」

扉が開き、開いたのを見てしばらくしてから、ひとりがそれを取りにかけ降りる。

単線電車で、車掌がすぐそこにいるとはいえ、これは、じんわりきた。

田舎の電車は一時間に一本。
だから、乗り遅れそうになっても、手を振って気付いてくれれば待ってくれたりする。

他の駅でも、観光客に電車の時刻表と道のりを比べて聞かせ、「何分くらいしかいられませんよ」と教えてくれる。
それは車内で切符を切るか切らないかの発車前であったりする。

他の乗客だっているのだから、というのはさておき、やはりあたたかい。

「やっべ、俺、切符ないかも!」
「どこやったんだよ、探せよ」

背中に見たことがある地名の書かれたジャージを、わさわさと広げたりポケットをひっくり返したりのひと騒ぎである。

都内の電車内だったらきっと顔をしかめていただろう騒がしさも、今のわたしには微笑ましく思えた。

そんなもの、である。

銚子で「しおさい」に乗り換え、さあ帰ろう、と携帯を取り出す。

相変わらず、圏外とアンテナ三本がついたり消えたりしていた。

この時にわたしはまだ気付いてなかったのである。

電波状態云々などではなく、初日の波崎で既に壊れてしまっていたのであった。

どうやら雨が内部に染み入って、部品が腐食してしまったらしい、とのことである。

結局、翌月曜日に、機種交換することにしたのである。

気分一新。

一新したはいいが、今回の旅の報告だけで、四度、新しい携帯の操作に慣れず途中で本文が消えてしまい、書き直しているのである。

保存する前にプツリと閉じてしまったり。
寝てる間に、やはりブツリと消えてしまったりと、すっかりもてあそばれてしまっていたのである。

「銚子慕情」とはつけたものの、一泊二日のお喋り旅となってしまった。

しかしそこで見たもの聞いたもの話したものは、抱え込んだままにしておけない。

買い込んだ「濡れせんべい」と「さばカレー」も同じく。



2011年05月09日(月) 銚子慕情 その二

銚子の朝は早い。
そしてわたしも朝八時に荷物をまとめてホテルを出た。

今日が最終日。
夕方の「しおさい」で東京に帰らねばならないのである。

銚子駅構内に荷物を預け、向かうは「犬吠埼」である。

銚子電鉄の一日乗車券を買うと、銚電名物「濡れせんべい」一枚プレゼント券が付いている。

犬吠駅の売店で交換してくれるのである。
犬吠駅といえば、もうひとつの名物「佃煮」があり、土日祝日のみ駅構内に店が出るという。

今日は日曜。
よし、佃煮が買える。

駅に着いたのがまだ早かったらしく佃煮屋の姿はない。
ならばと売店で交換券を濡れせんと交換して「地球が丸く見える丘展示館」へと向かうことにした。

濡れせんはペロリと平らげ、徒歩十五分くらいで到着。
開館して間もない時間で観光客の姿はなかった。

貸切状態である。

あまつさえ、清掃の片付けや三階の喫茶フロアは開店準備の真っ最中だったりしている。

つついと屋上の展望台へと上がって行き、全周囲景色を独占である。
しかしそう長くはもたないものである。

中央に段があり、そこでパンツ一丁になって踊ったらさぞ爽快だろう、などと妄想で企ててみる。

空しさだけでいっぱいである。

実行は不可とした。

少し早いが、もう次へ向かおうと喫茶フロアに下りる。
すると階段の脇に机を出して何やら店の準備をしている下りるおやじさんがいたのである。

コンロで丹念に網を焼いていた。

「ひとり旅かい」

おやじさんではなくわたしの背後から、話しかけられたのである。
清掃係のばあちゃんであった。

「ええ、ぶらりとひとりで」
「ひとりはいいねぇ」

おやじさんが話に乗っかってきた。

「結婚は人生の墓場である、ってな」
「なぁにが墓場だよ。女だって、じっと、我慢だよ忍耐だよ」

ったく、とばあちゃんが舌打ちしてみせる。
まあまあ、とわたしは腕組み足を止め、すっかり話し込む体勢をとっていた。

「だけど、一緒に共感とか、共有とかできる連れがいいですよねぇ」

なぁにをあまいことをと、ばあちゃんがピシャリと答える。

「はじめだけだよはじめだけ」

そうそう、とおやじさんも強くうなずいている。

「急ぐのかい」

ばあちゃんがわたしに聞いたので、急ぐ宛てなんかないですよ、と笑って答える。

「じゃあ、もうちょっと待ってなよ」

とおやじさんを見る。

「十分くらいは大丈夫かい」
「十五分でも二十分でも大丈夫です」
「せんべい焼いてやるから、待ってな」

なんと。
ばあちゃんは「じゃあね」と階段を下りて行く。
おやじさんとさらに、話し込む。

もちろん、おやじさんの店の準備を邪魔することなく、おやじさんもわたしにお構い無しにチャキチャキと準備を整えてゆく。

それでも話はずっと華咲いたままで、である。

波崎町の話や、鹿島や犬吠埼界隈の地震被害の話や、とりとめなく尽きない。

「はいよ」

ほい、ほい、と焼き立ての濡れせんをわたしに差し出したのである。

なんと。

「二枚もっ」

おうよお待たせ、とアツアツしっとりをパリパリの海苔で巻いたやつである。

「そんな申し訳ないです」

といいつつ、しっかりと二枚を両手に持つ。

本来この濡れせんは、「売り物」である。

これは何か恩を返さなければならない。

おやじさんと話してる最中、ぞろぞろと観光客たちが展望台へと上がって行くのを、見ていたのである。

まだ彼らは下りてきてない。

「もう一度、上へ行ってきます」

長居長話に付き合っていただいて、ありがとうございました、とお礼をいう。

いやいや早く行ってきな、と次の濡れせんを仕込みながらおやじさんは片手をあげる。

さあ、熱く香りが漂ってるうちに。

すわと展望台へと急ぐ。
しめしめ、皆中央の段に上がって景色をぐるりと見て楽しんでいる最中だ。

わたしはゆっくりと、せんべいをくわえる。

パリパリ、ザクッ……。
クッ、シャクシャク……。
……パリパリ。

軽快に裂ける海苔の音。
絶妙にかたやわらかいせんべいの咀嚼されてゆく音。

景色と名産をすっかり堪能し、これ以上なく「しあわせ」を噛み締め、笑みがこぼれる。

二枚をゆっくり、ぐるうりと皆が景色にばかり気をとられている周りを回りながら、味わい尽くす。

彼女を撮ろうとカメラをのぞく彼が、おや、と顔をあげたり。

男の子が上目遣いでわたしを見てお母さんの手にぶら下がりにいったり。

わたしは最後に、ペロリと指先の醤油を舐めてから、おやじさんの元へ下りて行く。

観光客がおやじさんの前で買うかどうするか迷っている。

彼らの背中越しに、

「ホント、旨かったです。ご馳走さまでしたっ」

んもう、と武田鉄矢のような顔で礼をいう。

「あいよっ。あんがとさん」

笑顔でおやじさんも返してくる。

はいはい、濡れせんの焼き立てだよ、美味しいよぉっ。

あらそうなの、いただこうかしら、と両足を揃えて本気で買うか思案をはじめたようであった。

後から上にいた人らも下りてきはじめ、誰かの足が止まっていれば、それは気になるものである。

少しは返せただろうか。
ただの自己満足に過ぎないかもしれない。

しかし、旨かったのは確かである。

「地球が丸く見える」だけではない。
ここらの人らもまた、まあるくやさしい。

さあ次は、と時計を見てみる。

一時間半ほども、ここにいたらしい。
景色を堪能したのは、十分がいいところ……つまり、あとの一時間強を、ずっとおやじさんと話していたことになる。

今からだと、朝食と昼食を分けてとるのはつらいので予定を変える。

店の開店時間と場所を確かめようと携帯電話を広げたが、圏外の文字が控え目に出たり消えたりしていた。

案の定、ページに繋がらない。
ガイドマップと、手帳に書き込んだ諸情報、それだけが頼りである。

店は決めた。
昨日ポートタワーで、観光協会の女子から思出話に聞いた店である。

彼女の同級生のおうちらしい「シュクラン」

デミグラスソースの「ロシアン・ロール」というフライが旨いらしい。

犬吠駅に戻って銚電に乗りひと駅の外川駅の駅前。

しかし、ひと駅ならば徒歩でもゆけそうに、ガイドマップの道は書いてある。
電車で三分なら、歩いて十分くらいである。

丘の上からなので、下る足取りは早い。

「シュクラン」に着くのは、もうシュクラン。

こんな発言さえも辺りをはばからない舌好調である。

いざゆかん!

と、銚子電鉄外川駅にある「シュクラン」を目指して歩くこと十分。

踏切が見えた。
その踏切の向こうに見えるのが「シュクラン」のはずなのだが。

わたしは敢えて前を通りすぎてみた。
すぐに引き返してもう一度。
そして入口に立って見る。

開いていない。

開店時間になっているはずなのに、である。
調べようにも電話してみようにも、携帯電話は圏外とアンテナ三本がついたり消えたりで繋がらない。

なんということだろう。
仕方がないので別の店へと向かう。

外川の町は海へ向かう坂の町である。
波崎町もそうだが、漁師の町というのは短冊状に街路が構成されている。

短冊の丘側に網元が住み、その漁師らが海側にと、ひとまとまりで暮らしていた名残である。

外川は坂だから行きはよいよい、帰りはつらい、である。
しかし坂を下り港へ出なければ店に着かない。

広い町ではないので、さほど苦でもない。

とっとっとっ、とくだって行き目当ての「いたこ丸」に着く。

まあ有名な店なので行列かと心配したが、震災の風評被害だろうかすんなり入れたのである。

お勧めはだいたい金目鯛だったりするが、昨日の「久六」の女将さんの話を聞くに、入手が難しいらしい。

案の定、「いたこ丸」のメニューボードにも金目の名が見当たらない。

仕方がないので別の煮魚定食を頼んだが……。

うまい。
満足だった。

店を出ると、ぐるり外川の町を回ってから銚電で犬吠へ。

改札前に、佃煮屋が、店を広げていたのである。

「お味見どうぞ」

お母さんが試食用のイワシとさんま二つのパックを開けて、わたしに微笑む。

「待ってました」
「そうなんですかぁ」

お、旨い。

と、ほころびてしまう。
甘味、脂味、辛味、どれもやさしく次から次へと手を伸ばしたくなる。

さすがに、こらえた。

物欲しそうな顔を品をもの定めするように見せて、両腕は延びないようしっかり腕組みで。

「そのままでも美味しいですけどね?」

煮大根と一緒にしたり、という簡単なアレンジ話から、刺身のアレンジ話にまで広がってゆく。

刺身は日保ちしないから、余ると困る。
漬けちゃうといいですよ。
アレンジするなら、オリーブ油とお酢と絡めてサラダに混ぜたり。
醤油とマヨネーズや。
片栗粉まぶして焼いたりすればお弁当のおかずにしても匂いは出ないし。

主婦の食材の知恵をご教授いただいていると、小一時間が過ぎてしまっていた。

「すみません、長話してしまって。行くとこがあるでしょう」

いやそんな急ぐ旅じゃありませんから、それに色んな役立つ話をさせてもらって楽しかったです、とお母さんに送り出してもらう。

目指すはついに、犬吠埼灯台。
わたしにとって未踏の地である。

灯台が照らすその先は、いったいどこなのだろうか。



2011年05月08日(日) 銚子慕情 その一

連休も終わりを目前にして、わたしはひとり、旅に出たのである。

実家に帰ったその足で、果ての地へと。
全てはその地からはじまった。

重力や原子力に縛られるのをやめ、己を解き放とう、と。

そして。

銚子駅よ、わたしは帰ってきた!

十二年前だろうか。
わたしが社会人になったばかりの、初めての仕事でずっとお世話になり、毎月通っていた町があった。

あらため。

波崎町よ、わたしは帰ってきた!

茨城県神栖市波崎町(旧波崎町)。
「かもめのまちづくり協議会」という住民参画のまちづくりのお仕事を手伝わせていただいていた中で、防災道路の整備と換地によってできた小さな敷地に、公園や歩道状空地を住民の皆さんと作らせていただいたのである。

後にわたしが「処女作」を作るきっかけを、この町が与えてくれた。

皆で考えたものが、形になる。

公園の落成式でその「かもめ」を見上げながら、

ならば、もっと個人的、具体的なものを。

と欲を出させてくれたのである。
そうして、やがてわたしは逃げたはずの「建築」に戻ることになったのである。

銚子駅前のバス停を確認する。

変わっていない。

バスがやってきて、運転手にバス停を確認する。

「再整備センターがあったバス停なんですが、「波崎」のバス停でよかったでしょうか?」
「ええっ、十年も前だとわからないなぁ」

けど。

「ちっちゃな公園なら、あるよ」

じゃあそこで降りますから、よろしくお願いします、とバスに揺られてゆく。

乗客は、わたしひとり。

観光地に向かうバスではないのだから、仕方がない。
これも、十二年前とさして変わらぬ光景であった。

「ここでいいんだね?」

バス停に着き、運賃を払って降りようとするわたしに向かって、運転手さんが念を押す。

「ここなんです」

ありがとうございました、と軽快にステップを降りる。

かもめが、出迎えてくれた。

変わらない。
井戸もある。

写真を収めてるわたしを不審に思ったらしいお婆さんが、ゆっくり近づいてくる。

「他の防災道路は、この向こうに行けばよかったんでしたっけ?」
「ええ、そうだけど」

警戒心が緩んだ。
追い打ち。

「Kばたさんは、みなさんお元気でしょうか? 十年振りくらいになるんですが」
Kばたさんとは、地元でプロパンガス屋をやっていて、そのプロパンガスが目の前のお宅でしっかりと使われているのを見ていた。

「元気元気」

ご本人と面識があるかわからないが、わたしに対する警戒心は完全に解いてくれたのであった。

他の公園を回ってみて、子供たちが遊んでいた。

カメラを構えると「ピース」をしてくる。

「普通にしてていいって」
「動いていいの?」
「いいよ。ほら遊んで遊んで」

なんだ普通にしてていいって、と友だちらと再び遊びに没頭しだす。

天気は薄曇りで、やがて堪え切れずにポツポツと雫が落ちはじめた。

「雨、降ってきてますよ!」

幼い男の子の声が、背中の離れたところから聞こえてきた。
気にせずにカメラを構えなおしていると、

「雨が降ってきてますよぉ」

どうやらわたしに教えようとしてくれていたらしい。

おう、降ってきちゃったな。

振り向いて答えると、うん、とうなずいて自分の家に入ってしまった。

この辺りの子らだから、というのは偏見だろうか。
都会の子らは、見知らぬ大人に好意的な声をかけてきたりしないだろう。

ざっと見て回ったあとが、問題だった。

帰りのバスは、三十分後。
タクシーを使うと二千円くらいかかってしまう。
三十分待ってバスで二百四十円か。

結論は明快である。

歩く。

波崎から銚子大橋を渡るのに、歩いて三十分くらいである。

十年振りに、歩いて渡る利根川。

気付くと雨はやみ、うっすらと晴れ間がみえだしていた。
銚子大橋をわたしは一歩また一歩と、渡ったのである。

十年振りの渡河である。

利根川河口なので、なかなか広い。
渡ったところで、ちょうどお昼過ぎである。

渡った先をさらに進み銚子駅前までゆけば、そこで昼飯にするなり、バスなり銚子電鉄なりで移動してしまってその行き先で店を選び昼飯とするだろう。

わたしは違う。

駅前までの道のりを観光地図で眺め、観光地図でいくつか候補にしていた店までを見比べる。

このまま川沿いに折れ曲がれば、店に最短距離。
しかし歩くかもしれない。
しかししかし、駅前まで歩かないと交通手段はなく、着いて時間を待って、などしてるうちに、このまま歩いて店に向かっていれば着いてしまえるかもしれない。

そこでわたしは、迷わない。

即、川沿いを歩く。
歩いて、利根川の遥か向こう岸を見ると、波崎の歩き始めたところを過ぎていた。

さらにもうちょい先まで歩くと、目当ての店に到着。

「丼ぶり・定食屋 久六」

昼の二時頃で、通常だったらまだまだ店内は客でびっしりだろう時間である。

しかし。

東日本大震災で、隣の旭地区が大きく被害地区として報道されたり、原発の魚介類の放射能汚染などが騒がれたり、さらにはまだまだ余震が予断を許さないなどとの風評があった。

そのせいで、例年の三分の一から半分程度しか、銚子に観光客が訪れていないそうである。

そんな様子だから、店内はわたし以外には先客が一人だけであった。

「金目ヅケ丼」を頼む。

お上さんが、とても親切で丁寧で、色々な話を聞かせていただいた。

店の前はもう利根川の河口というより海である。
駅前の土産物屋の女将さんと話をしたときに、市役所の手前まで、床下浸水になったりしたらしい、と聞いてあった。

「うちも床下で済みました」

避難勧告が出てて、帰ってきたら、座敷席の下まで泥や砂でいっぱいだったらしい。

半月かけて手入れし直し店を開けても、客が来ない。
来なくても、何もしないよりまし、と店を開けることにしたらしい。

大丈夫でしたか、という常連のお客さんからの安否を問う声や、茨城県は東海村からのお客さんが「風評被害の苦しさはよくわかります」との励ましの声、それらにたいへん救われました。

久六の女将さんは深く感謝されていた。

津波の被害は、押し寄せるものよりも、利根川河口から引き上げる波が押し寄せる波に阻まれて溢れかえるようなものだったらしいですよ。
だけど、港は全滅に近くて。

道路脇に打ち上げられたままの小型船も途中に見られた。

「金目鯛も、一昨日やっとお客様にお出しできるようなのが入ってくるようになって」

金目を目当てにお越しいただいてるのに、お出し出来なくて申し訳なかったんですよ、と。

「しかも一昨日、TBSさんで銚子を紹介していただいて、それを観たお客様が昨日たくさんおいでいただいて」

本当によかったです。それまでは「マグロ」で代わりに出させてもらってたので。

お話している最中も度々電話で、「営業しております。ありがとうございます」との問合せに答えられていた。

マグロなどの遠洋ものならば、漁港が復活すれば手に入る。
しかし、鯛などの近海ものはそうはゆかないらしい。

どうやらわたしは、とても運がよかったらしい。

息子さんらが修学旅行で上野に来るらしく、上野動物園にも当然寄る。

うちの近所である。
徒歩十分である。
しかしそこまでは言わずにおく。

時計は四時を指そうとしていた。

二時間ほど話し込んでいたことになる。
そろそろ次のところを、と女将さんに道を相談してみる。

「バスの時間があいてるので、銚子電鉄の駅に行ったほうが時間が無駄にならないと思いますよ」

バスや銚子電鉄の時刻表とルートマップをある限り出してくれて恐縮してしまったが、一方でわたしの頭は目算で距離を測ってみる。

ポートタワーまで、歩けるんじゃなかろうか。

同じ、いやそれ以上の距離を既に歩いてきている。

しかしそれでも、わたしが休日に、自宅から神保町をまわって飯田橋に行き、そしてまた自宅へ帰る道のりまで至ってない気がする。

バス路線に沿って歩きつつ。

少々殊勝なことを考えながらも、結果的にすべて歩いてしまうだろう予想はつく。

「色々お話を聞かせていただいて、さらに長居までしてしまって本当にすみませんでした」
「駅はどこそこを右にいってくださいね」

はい、ありがとうございました、と頭を下げて暖簾をくぐり出る。

すまぬ女将さん、この足がゆきたいと申すのです。

真っ直ぐにと。

目指すは「ポートタワー」

二、三十分くらいだろうか。
雨に降られやまれしながら、ついに到着。

景色は、曇天。
海と空の境目が、溶けるようになく。

灰色。

展望ラウンジで案内図と時刻表をずらりと並べて作戦会議。

展示館関係は五時六時で閉まってしまう。
時計をみると、四時を少し過ぎたあたりであった。

銚子電鉄の最寄り駅は少し遠い。
といっても徒歩十五分くらいだろうか。
正確な地図ではないから、読み違えることもある。

「すみません」

喫茶カウンターで仕事されていた女子に尋ねてみる。

駅まで何分くらいでしょう。
二十分、お客様なら十五分くらいかもしれないですけど。
けど?
道の目印がわかりづらいかもしれないです。

おっと。
案内図を手にカウンターに席を移す。

道路地図がない。

観光マップでは距離感があやし過ぎる。
しかしまあ十五分くらいかもというなら信じよう。
ついでに。

「今から行けるところ、どこかありますかね」
「今の時間からだと……」

どこも閉館間近の時間である。

「皆さんもう帰られて、ご飯にしてゆっくり休まれるのかと」

漁師町は朝が早い。
夜も早いのである。

そうか、晩飯だ。

「お勧めの店は、ありませんか」

グルメマップのこの店あの店と、卒のない紹介をしてもらったが、わたしが聞きたいのはそうではない。

「個人的に特定のお店を紹介すると不公平になってしまうので」

それにわたし、まだ仕事はじめてそんなに経ってないんです。

地元が外川で銚子の高校を出たばかりだという。

十代である。
ダブルスコアである。
わたしはうなだれる。

父親が漁師で、割烹や小料理屋や居酒屋なら、父親の感想を言える。

「ちょっと高かったり立派だったりするお店は、やっぱり行ったことがなくって。
わたしはサイゼ(リア)やマックとかばかり行ってたので」

と、初い顔を浮かべる。

あ、でも。

「高校の帰りとか、友だちと行ったりとかしたお店もありますよ」

そう。
そういう店を。
紹介するんじゃなくて、思い出を話すなら、先輩や館長にも怒られないでしょう。

焼き肉なら、宝島ですかね、よく同窓会で行きます。
ひとり焼き肉は、辛いな。
とんかつならどこそこで、ここはわたしはちゃんぽんが好きでした。美味しかったんですよ、ホント。

やいのやいの、一時間以上、店を、いやお店にまつわる思い出話を聞かせてもらっていた。

いくら他にお客が少ないとはいえ、長く付き合わせてしまって申し訳ない。

今夜と明日の店は目星をつけられた。
あとは時間と場所のやりくりをつけるだけである。

そして初の「銚子電鉄」に乗り、ホテルがある銚子駅へと向かったのである。

波崎の辺りからずっと、携帯電話の銚子がよくなかった。

まあ、電波が弱いだけだろう、と思っていたのである。
地方やましてや海辺の突端の地域などではままあることである。

ホテルの部屋でパソコンを繋いで明日行く候補の店の地図を確認しながら、やはり携帯が、アンテナはしっかり立っているのに繋がらないのを見て見ぬふりをする。

明日は、わたしにとって実は未踏の地である犬吠埼である。



2011年05月04日(水) 「図書館戦争」

有川浩著「図書館戦争」

待ちに待った作品の文庫化である。

公序良俗を乱す表現を取り締まる「メディア良化法」が成立して三十年が経った2019年。

メディア良化委員会による行き過ぎた図書の検閲から図書を守るべく組織された図書隊。

実戦経験は警察、自衛隊にも負けないほどの危険な、その最前線たる防衛部に笠原郁(いく)が女性として初めて入隊を果たした。

実戦というのは、まさに実弾による戦闘である。

容赦無い「検閲」行為のために、ライフル、マシンガンなどの武力行使をもって図書を回収、処理してゆくメディア良化委員会。

それに対抗し図書を守る図書隊もまた、武力装備をせねば、大切な図書を守れないのである。

初の女子隊員である笠原は、「わたしの王子様を追い掛けてきました」という。

高校時代の街の小さな本屋で、「検閲」に巻き込まれてしまった。
大切な本を取り上げられ、万引きの汚名を押しつけられてでも、それでもその本を守り切れなかった弱い自分の前に、図書隊員の彼が、その本を取り返し守ってくれた。
そして、自分の勇気と本への気持ちを認めてくれた。

わたしも、あの人のようになりたい。

何を隠そうその「王子様」とは、笠原の上官として教育から面倒をみることとなった堂上二等図書正であったが、笠原はまったく気が付かない。

しかし、採用試験に関わった図書隊上層部の者達はそれを皆黙って、知らないフリを決め込む。

厳しい訓練。

「なんでわたしばっかり!
贔屓だ、差別だ、コンチクショー!
チビで性格の悪いクソ教官めー!」
「チビで性格の悪いクソ教官で悪かったな」
「ななななんで、こんなとこに、いらっしゃるんですか? 卑怯だ!」

こんな具合の悪口、罵詈雑言、歯に絹着せぬやりとりが、健やかに爽やかに繰り広げられている実際の関係。

このストイックな図書隊の世界で、ツンデレ満載の物語。

有川浩のもはや語るに落とせぬ代表作である。

昨年あたりから、いや、そのもう少し前から、漫画表現に対しての規制の話がきな臭くなっているのは、世間でも周知の事実である。

少年マンガにおける、登場人物に喫煙の表現を規制する。

このあたりで、わたしは、腹がよじれてしまいそうになるほど、笑ってしまった記憶がある。

これは「煙草」ではなく「パイプ」だから問題はない。

そんな抗議的な挑戦を見かけたとき、これは笑い事ではないかもしれない、と思った。

そして、都条例による表現の規制が、可決された。

出版業界が軒並み、抗議行動に出たのは、どうか、大震災の記憶の向こうから、掘り返して思い出して欲しい。

「図書館戦争」シリーズにおける組織図も、メディア良化委員会は国家行政組織、教育委員会らの流れから組織されている。

「こじきのおじさん」というひと言の登場人物の説明が為に、検閲、回収の対象とされ、何年も読めるようになるのを待っていた少女の夢を、無情に、手荒に、暴力的に取り上げられてしまう社会。

やはり許されるべき問題ではない。

ここまで極端ではないが、現在、その道への扉の鍵が、外されてしまった状態である気がしてならない。

公序良俗を道徳的、倫理的にタガがかかっているに任されているが、それが緩めば、勢いは止められないだろう。

鍵がかかっていないのは、わかっているのだから。

本やマンガを見て読んで悪影響を及ぼす、ということを口にする人間は、己の無能さを声高に認めていることなのである。

そんな教育しかしてこなかった、されてこなかったこと。
影響を及ぼされるほど脆弱だと、子供たちの人権、感性を信用できない器量の狭さ、責任転嫁、そして放棄。

今回の震災映像で度々口にされたこと。

残骸や悲惨な映像のどれにも、遺体が映されることがなかった。

こういったことは、たしかに道徳的に大切なことだと思うところがある。

ドラマや映画で、そのような表現の規制はどうなっているのか。

いたちごっこの様相を呈していたりするのかもしれないが、疑問に思うところが個人的あるのは否めなかったりするのである。

もとい。

原作のこれは、痛快恋愛エンターテイメントである。

アニメ化されており、そちらの方が人物の姿が絶妙に表現されているので、お薦めでもある。



2011年05月01日(日) 「わたしを離さないで」「ブルーバレンタイン」「英国王のスピーチ」

世間はゴールデンウィークの真っ只中。
しかしわたしにとってはまさに始まりの日である。

毎月一日は、「映画感謝デー」である。
久しぶりのはしごに出かけた。

正直、体力的にはしんどい。
しかし、逆に勢いを切らしてしまわないままならば、なんとかなるだろう。

早速、作品を選びはじめたのであった。
そしてその一作品目。

「わたしを離さないで」

を、TOHOシネマズ・シャンテにて。

イシグロカズオ原作、イギリスの文学賞、ブッカー賞受賞作品を映画化したものである。

外界からは閉ざされた寄宿舎、ヘイルシャルム。

「あなたたちは選ばれた特別な存在」

と厳格に、健康的に過ごしてきた子どもら。
キャシー、ルース、そしてトミーの三人は「特別な存在」のひとりとして、その意味を受け入れつつも互いに恋をし、全うしてゆく。

原作を何度も手に取ろうとしていたが、何故か読もうとまでは思わなかった。
原作だったらならば、もっと重みのある読みごたえのある作品だったのだろうか。

「特別な存在」とは、臓器提供者として生まれ育てられた存在のことである。

作中で「オリジナル」「コピー」という言葉で、彼ら自身が会話をしている。

つまり、己の存在意義を幼い頃から理解させられて生き続けているのである。

年代が1960〜70年代後半からとされている。
それがクローンであるはずがないので、いわゆる第三者との対外受精による命の創造ということになるのかもしれない。

彼らは、

「提供」を三回もすればそこで自分は「終了」する。
最初の一回で「終了」するやつだって珍しくない。

と、サラリと言う。
臓器提供を一度するだけでも、身体と勿論、命に、途方も無い負担がかかる。

三回提供して、まだ大丈夫だったらどうなるか知ってる?
回復治療もされないまま、ひたすら提供するのよ。

三度目の「提供」を前にしたルースが、まだ一度も「提供」したことがないキャシーに、聞かせる。

十八歳になると寄宿舎を出て、各地にあった同じような施設から集められた仲間達と、コテージという農場で暮らしはじめる。
そして希望者には、「介護士」として、「提供者」である仲間を支える仕事をしながら、自らの「提供」と「終了」をひたすら待つのである。

キャシーは「介護士」になることを選んだ。
だから、コテージを出た後で各地を回り、離ればなれになっていたルースやトミーと十年ぶりに再会を果たすことができた。

「提供」に猶予がある。
「提供者」同士が真に愛し合っている証明があれば、数年だけ、一緒に暮らすことができる。

そんな噂があった。
それはコテージで他の施設から来た者から聞かされたものだった。

しかもそれは、「ヘイルシャルム」出身者だけがその手続きの仕方を知っているものだ、という噂だった。
ヘイルシャルムだけは、さらに特別、という意識が他の施設にはあったらしい。
しかし、当の出身者たちには初耳だった。

愛し合っている証明。

しかしそれが噂だけではないらしい、オーナーの住所を突き止めた、とルースがキャシーにその住所のメモを託す。

トミーとあなたにすまなかった。
わたしがあなたからトミーを奪って引き裂いてしまった。
遅過ぎたけれど、許して欲しい。

と。
彼らが寄宿舎時代、定期的に絵を描かされ、選ばれた作品はギャラリーに持って行かれていた。

その作品こそが、「猶予」を与えるに相応しい魂の持ち主かを判断するものだったんだ。

トミーは、今さらだけれど、と真剣に描き直した数点とスケッチブックにギッシリ描かれた作品集を手に、キャシーと訪ねてゆく。

残念な言葉だが、「魂を描いた作品」を求めていたわけではない。
あなたたちに「魂」があるのかを試していた。

「猶予」なんか、今までもこれからも、ない。

三度目の「提供」で、ルースは肝臓をごっそり摘出される。
腹部は開かれたまま、手術機器の電源だけは切られてゆき、医師たちは退出してゆく。

開かれたままの彼女の瞳は、何を見ていたのだろうか?

それは、未来や夢などではない。

やっと訪れる「終了」か、まだ続くかもしれない「提供」の運命を、逃げず怯えず、受け入れて向き合っていた瞳のように見えた。

テーマは深刻だが、穏やかなだけで重みのようなもので訴えてくる表現が、わたしには足りなかった。

さて続く二作品目は、

「ブルーバレンタイン」

を、同じくTOHOシネマズ・シャンテにて。

ディーンとシンディの夫婦が、出会いから別れるまでを描いた作品。

シンディは美人で成績も優秀で医師を目指していた。
男性関係も多数。
そんなときディーンとも出会い、ひかれ合ったのである。

ディーンはシンディとは正反対で、高校は中退し、幼い頃に母親に別の男と出ていかれた境遇からか、仕事よりも家族こそが、愛するひとと共にいることこそが最優先と、考えていた。

シンディが別の男の子どもを妊娠したとき、中絶手術の土壇場で彼女は中絶を拒んでしまった。

付き添っていたディーンは、

「家族になろう」

シンディを受け止め、夫婦になり、娘のフランキーが生まれ、家族として幸せな日々がはじまる。

子煩悩で一心にシンディを愛し、家族といさえすれば、と満足するだけのディーンの愛に、やがてシンディは重たさだけを感じはじめる。

誰かの夫になること、誰かの父親になること。
俺はそれだけが満たせればいい。
君は俺に何を求めてるんだ?

あなたには、才能があるはずなのに、もったいない。
きちんとした仕事に就いて欲しい。
自分も医師として能力を発揮できる職場で働きたい。

少々変わりつつはあるが、まるで世間の男女の考えが逆転したようなふたりである。

ディーンをみていると、我が身をつまされるような気持ちになってきてしまった。

これは、具体的な何かメッセージがあるわけではない。

が。

無性に切なくなる。

さて。
トリの作品。

「英国王のスピーチ」

またまた、TOHOシネマズ・シャンテにて。

これは、有無を言わせない。

観て損はない。

吃音でまともにスピーチが出来ない弟が、兄が一般の女性に血迷い恋にはまり、

結婚するために、王位を退位する!

と。

スピーチが出来ず、とても王位につくなど、と思っていたはずが、ジョージ六世として即位することになるのである。

時代は第二次大戦が始まろうとしていたその直前。
スピーチの機会、重要性はますます増えてゆく。

ジョージ六世としてのスピーチは、人々にしかと届られるようになるのだろうか。

この時代、はじめは生かラジオの演説がほとんどである。
人前に出たり、話さねば、というところに立つと吃ってしまい、カエルが引きつぶされたような声しか発することができない。

笑い者だが、国民は笑いをこらえるしかない。
本人も、わかっている。
なんとかしたい。

そこで「言語専門家」を名乗るライオネルの登場である。

まさか依頼者が国王の弟、さらにやがて本当に王位につくなどとは知らなかった。

依頼してきたのは、妻、つまり妃殿下であった。

「私があなたからのプロポーズを三回断ったのは、公務だなんだと、自分たちの時間がなくなるからだったの」

それがまさに王妃となってしまったのだが、彼女がとても魅力的なのである。

意地っ張り、短気、癇癪もちな夫を、うまく手の上で、気持ち良く転がす。

「言語専門家」ライオネルの妻も、また魅力的なのである。

「小気味よい」

この妻らがあってこそ、うだつのあがらぬ男たちが引き立つ。

これはやはり話題になっただけある。

素晴らしい作品。

うかつにもわたしが、ジワリと涙してしまった場面がある。

今までは「お父様」と、娘ふたりが抱きついていたのが、王位についたスピーチの直後。

「陛下」

と、幼い姉が自ら妹と一緒にお辞儀をさせた場面である。

抱きとめようと両手を広げかけたジョージ六世いやバーティ(家族での呼び名)の淋しげな表情。

愛情を、やはりかたちとして感じたい。
その歯痒さと切なさ。

しかしそのワンシーンの瞬間だけでそうなったのは、わたしだけのようである。

まあ、気にしないことにしよう。

今日は結果的に丸一日、朝から晩までシャンテで過ごしてしまった。

「おシャンティ」な一日である。

勿論、次の上映のつなぎ時間で珈琲屋に出たりはした。
居心地よい店だった。

今度からこの店で過ごそう。

連休というものを、もはや余暇というより、完全に休息としてしか使えないかもしれない。

出来ればせっかくだからと、旅にふらりと出たかったが、それもままならなさそうである。

あらかじめ予約だ手配だとしていなかったことが、よかったのかどうかはわからないが。

予定を立ててその通りに行動するのは、やはり、不安があるわたしである。


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