「隙 間」

2011年01月31日(月) 「エスケイプ/アブセント」折れない新人は病んでゆくだけ

絲山秋子著「エスケイプ/アブセント」

革命運動に浸かりきった日々を過ごすうち、四十にもなっていた男は、ふとその妄執から解かれる。

いや。
そもそも本質から革命運動を求めていたのではないのかもしれない。

彼が求めていたのは「革命」という言葉がもつ響きそのもの。

響くということは、空っぽでなければ響くことはない。

そんな彼が京都で怪しげな神父に出会う。
バンジャミンと名乗る神父は、フランス人の血をひき顔立ちもそうなのだが、フランス語は話せない。

親交を深めるうち、バンジャミンは神父ではなかったのである。

神父のコスプレをしてるうちに、神父になってしまった。

形から、形だけさ。

そんな彼の自宅兼教会には、日曜日毎に近所の老人たちが説教を聞きに訪れ続ける。

信じられるのは、自分が信じる小さな信じる自由。

それをただ握り締めて、生きるだけ。

革命運動がどうのという話は、えてしてなにかしらの熱を孕んだものが多い。

しかし本作は、違う。

まったくの空ろな軽さなのである。

熱にうなされて、衝動で走るものもいるが、その熱風が巻き起こした気流に乗せられて、そこへ運び込まれてしまったものもいるはずである。

自らの熱でないぶん、覚めるきっかけを得がたい。
そうして、ずるずるといってしまうのである。

それでも、信じた羽根一枚を手放すことはせずに。

しかし、人生とはそれに似たものなのかもしれない。

他人からみればどうでもいいものを信じて生きる。

それはたとえば、夢や、現実や、乱暴だが「自分の大切なもの」

読後感として、どうも絲山節が、足りなかった。

もっと、ぶっきらぼうで。
もっと、刹那的で。
もっと、情けなくて。

ずっと、いとおしくて。



さて。

「折れない新人の育て方」

というのを、読んだのである。

社内で新人育成グループワークが開かれ、その第二回に向けての課題図書である。
もちろん、会社が数冊購入し、それを借りて読むのである。

わたしはこういった本を素直に読む人間ではない。

第一、この手の類いは目次こそが要約になっていることが多いはずである、とわたしは思うのである。

例え話や、裏付けの資料やら、結局は章題こそが結論であることを、ただ並べ立て、膨らませているだけなのである。

つまり、目次以外は大概が補足。

もちろん、補足から多面的な解釈が得られたりもする。
であるから斜め読む。

大体、身に覚えがあるものばかりである。
しかし、どうしても腑に落ちないのである。

「折れない」

と保護すること自体、「育て方」としてどうなのか。

「折れる」ときは、予想外のところで平気で折れてしまうものなのである。

大事なのは、「折れた」ときにどう立ち上がらせるか、である。

出版戦略上、そこまでを書いてしまうと次が出せないので仕方がないが、読み手は違う。

まして。

マニュアル人間隆盛の社会である。

取捨選択が、己だけでは通じない。

第三者的根拠が求められる。

簡単なのは、著作である。

書籍で世間に出回っている。
共通語にしやすい。

だから、間違いない。

そればかりに囚われる。

木を見て森を見失う。

それが、怖い。

エッセンスとわきまえて活用するなら、よいものである。

「だってコレに書いてあるじゃん」

それをふりかざすだけのものが、いるのである。

片腹痛い。

しかし、大事なことが、確かに書いてあった。

「自分の過去を振り返る」

どうかこれを読んだ方々が、取り違えることがないことを祈るのみ、である。



2011年01月29日(土) 肉ようぐいす、平安今日

不覚にも、舞姫なしで落ちてしまったのである。

それでも八時間くらいは寝たのだが、三四時間もすると、耐えられずに落ちてしまう。

起きていられないのである。

そんな具合で昼頃に落ちて、夕方前にふと気付くとメールを受信していたのである。

寺子屋からの、晩ご飯のお誘いであった。

なんと素晴らしいタイミング。

久しぶりの土日まるまる休みで、そんな鞭打って働いていた自分にご褒美で何か食べさせてやりたい気分だったのである。

さらに、まさに昨日が健康診断だったのである。
わたしをとめるものは、もはやない。

しかし。

メールが来ていたのは昼過ぎ。
わたしが気付いたのが夕方前。

もう返事のタイミングを逃してしまったか、と不安がよぎったが、えいままよ、と返事をしてみたのである。
しかも、どうせなら、と欲張って。

肉ならば、可、と。
すると。

「応」

ときた。
素晴らしい。
なんと素晴らしいのだろう。

目指すは、我々の地元の名店「鶯谷園」である。

名友も認めた、なかなかの肉屋である。

……。

至福のひとときである。

顔はゆるみっぱなしである。
会話も、肉を口に入れるたび、途切れる。忘れる。どうでもよくなる。

あの肉よ、ふたたび。
肉よ、わたしは帰ってきた。
巡り合い、肉。

はうああぁ……。

互いの仕事の愚痴や、慰め合い、誉め合い、だがどれも申し訳ないが、途切れ途切れでなかなか進まない。

肉の前の笑顔にかなうわけがない。
かなってなど、もらうか。

なんぴとたりとも、我がニク道を阻むものなし。

である。

自分で話をしていながら、肉を含むたびに「っくうぅぅ」と中断し、「で、なんだったっけ?」と返すわたしに、寺子屋は「はいはい別になんでもいいよ」と。

あまつさえ、これはきっと店側のご厚意なのか策略なのか、肉の切れ端が常に奇数なのであったのだが、

「そのひと切れ、食べていいよ」

と。
なんと素晴らしい。
まるで、

Angel

である。

today for U.
tommorow for me.

明日がいつくるのかわからないので、

ようし、驕っちゃる。
ホント?
二言はなしぜよ。試験も受かっちうがろう?
あ、そうだった。
ぐっ。忘れちょったが?
……思い出した。なので、遠慮なくゴチになります。

寺子屋は中国語検定の、ほんの初級にあたるものらしいのだが、それを見事受かっていたのである。

しまった。
鶯谷園にきて食わずにおくべきではない「特上ランプ」「特上ヒレ」など、すでに胃袋に収めたあと、のことであった。

覆水盆に帰らず。

なんちゃって土佐弁がつい豪胆な物言いをさせてしまったのである。

次からは、ちっくと気をつけようと思うのである。

寺子屋は相変わらず夜の十時十一時まで仕事は当たり前、の日々であり、わたしなど赤子同然であり、愚痴るのも恥ずかしいくらいである。

しかし、互いに勤め先が変わって世に云う「OL的女子」を知ることになり、その新鮮な衝撃について語ること尽きなかったのである。

子どもを迎えにゆかなければならないからごめんなさい、帰らせてもらいますね。

ごく当たり前の行為である。
しかし、設計担当者となるとそう簡単に、なかなかうまくはゆかないのである。

それができるのは、人手や体制がしっかりしている大きな組織か。

迎えにいってとんぼ返りで会社に戻り、深夜まで仕事をこなすか。

これが、ドラマや小説ではなく、現実だったりするのである。

そんななかで、はなから

「定時までしか仕事できませんから」

と言ってのける存在や。

帰りにショッピングしてお食事してカラオケ行って、おうちでたっぷり一時間は半身浴して、十二時にはおやすみなさい。

といったものは、それこそ我々にとって、ドラマや小説のなかにしか存在しないものだったのである。

「それが、普通の社会だったんだねぇ」

うんうん、とそろってうなずき合う。

世間は、広かった。
まだまだ知らない世界が、広がっているのである。

我が社の一児の母である馬場さんも、お義母さまが同居しているからこそ、終電までの突然の忙しさになっても、なんとかやってゆけているようなのである。

そんなこんなな千切れ千切れの会話をしつつ、ひたすら、肉を食らう。

ああ。
目を閉じると思い出され、今でも頬がゆるむ。

エデンの園の林檎のごとし。

甘い果汁ならぬ、旨い肉汁。

林檎を齧り、恥らいを知ったアダムとイヴ。

肉を前に、恥ずかしいほどにだらしなくゆるみきった顔をさらしてしまうことをあらためて思い知ったわたしは、もはや人前での恥も外聞もないのである。

たんと、味わわせていただいたのである。

我が肉道に、一片の悔いなし。ドオーン。

しかし、

尽きぬ食い気あり。ドドオーン。

絶妙なタイミングで食事を誘ってくれ、また我が肉道に付き合ってくれた寺子屋に、感謝である。

肉が与えてくれた至福のひとときは、なにものにもかえられない喜びであった。

やはり肉は、素晴らしい。
再び相まみえる日は、いつか。

早く訪れることを、切に願うのである。



2011年01月27日(木) 大森小盛り

大森。

久しぶりに、七時過ぎに退社する。
なんともまた珍しいことに、最近はずっと十一時頃までは仕事、という日々が続いていたのである。

どだい無理な話。

を強いていたものだから、我がオアシスの大森へ向かう足取りも急いたものになる。

「今日は竹さんがくる日かなぁって、イ氏と話してたんですよ」

田丸さんが、嬉しいことをいって迎えてくれたのである。

二週間ぶりなはずなのに、ひと月以上ぶりな気がする。

まだ一月だったのか。
二月になられていては困るのだが。
三日ほどしか振り返って記憶が、ないような気がする。

昨日はいつだった。
今日は、いつだ。
ほんとうに、今日か。

なんだかんだで、平日は四、五時間ほどしか寝ていないのである。
であれば、そういった記憶や感覚がなくなるのは仕方がないのである。

「だから早くデビューして、時間を自由に配分できる生活にならなくちゃ」

イ氏がやれやれと笑う。
笑われても、泣かれても、所詮どうしようもない問題である。

医の手が及ばないのだから、わたしの手も及ばない。
そっか、いつもより一錠、増やしてしのいでるんだ。
ええ、たまにリタ嬢のときも。

「まあ、無理しないで」

っていっても、ねえ。
イ氏は、ますますフリーランスな日々をわたしにたきつけようとする。

一番の問題はですね。
帰りに飯なり飲んで帰りましょう、との気遣いをしてくれたときなんです。
効果が切れて反動がズウンときてるのに、そんなのに付き合う余裕はありません。
帰っても食事つくる余裕もなく、買って帰るのが精一杯なのです。

そう伝えたとて、イ氏には何もできないのである。
うんうん、と同情してうなずいてくれるだけで、ありがたい。

四時間を切った睡眠だと舞姫は遠慮すべきなのだが、幸い、今の我が家からの通勤時間を考えると、それは夜中三時に寝るようななかなかありえない事態となるのである。

終電で帰っても、それには十分間に合う。

しかし、それがかなわなくなると、いくらそれが毎日ではないとはいえ、ひと以上にしんどい。
それは避けたい。
そうならないよう、日々自分で調整すればよいのはわかる。

しかし。

その日々のわずかな負荷さえ、できれば避けたいのが本心である。

「仕事から帰ってきた夫が毎晩ぼうっとしてます。何もしてくれず、まともに会話すらしてくれません」

ナルコの夫をもつ妻の嘆きがとある場所であったのだが。

まさに、その状態である。

そう嘆かせる相手などわたしにはいないのが、せめてもの幸いではあった。

それならこうすべきだ。
こうしなければならない。

そういわれてもなかなか出来ないのである。
出来るのならば、そもそもそうはならないのである。

だからせめて、休める時間だけは確保させて欲しいのである。

「皆さん、土日は久しぶりにゆっくり休みましょう。月曜日からはじまる怒涛のスケジュールを乗り越えるために」

そうなぎさくんらと話をしてあったのである。

まだまだ、続くのである。

であるから。
まるまる寝潰してやるか、存分に食ってやるか、とかく憂さや負荷を晴らしてしまいたい。

大森の夜に、強く願ったのである。

誓うに裏付けられる力が、己の体にないのが、切ない。



2011年01月26日(水) 「シアター!」

有川浩著「シアター!」

世には、「縁」というものが必ずや、ある。

なんとも久しぶりに夜七時過ぎに退社する。
共に仕事している同僚同期の大分県は、受け持ちが違うので退社時刻はわたしとはバラバラである。

その大分県。

実は「演劇小僧」なのである。

といっても「演じる」側ではなく、「観る」側なのである。

「竹さん、ほんっと、観に行くべきですって」

特にお気に入りは「東京セレソン」と、「大泉洋」なのである。

東京セレソンは、宅間さんが「スジナシ」に出演したのを観たのでわたしも聞いたことがあった。

ほんと、観に行かなきゃわからないだろうなぁ。

残念そうで、しかし誇らしげな顔でわたしに溜め息を、吐いているのである。

なにおぅ、そりゃあ商業劇団じゃあないけれど、劇団の役者と脚本やってた友や、同じ役者やってた友や、メジャーな役者の舞台をピンで照明演出やったセミプロの同級生や……。

……わたしだって。

蚕の吐く糸一本分くらいの「縁」を掴もう、と……。

観てるだけじゃなく……。

……なんだぞっ!

と叫びたいのを、ごきゅり、と飲み込み。

「生の舞台はまさに、麻薬、だよねぃ」

と賛同の意を示すにとどめていたのである。

とどめておかなければ、

「ぜんぶ、他人のふんどし、じゃないですか」

と笑われてしまう。

そうなったら、もはや今をとどまってはいられなくなってしまうだろう。

そんな折、ふと手にして読んでいた作品が、本著であった。

莫大な赤字を抱えた劇団シアターフラッグ。
脚本家であり主宰の春川巧が泣き付いたのは兄の春川司。

鉄血宰相と後に呼ばれる司は、演劇には全く知識がないがトコトン実利主義。

二年で借金三百万、俺に返せ。
それが出来なきゃ、そこまでの劇団。
とっとと諦めて畳んじまえ。

良くも悪くも演劇業界にどっぷり浸かりきった体質のシアターフラッグ。

赤字なんて当たり前。
好きだからやっている。
だから貧乏も仕方ない。

違う。
好きだけど、貧乏なんかしたくない。

鉄血宰相・司が、なあなあ仲良し主義だった弟、主宰で脚本の巧の本来の才能を見事に活かし、突き進んでゆく。

有川浩の登場人物たちは、湿り気が、ない。

サクサクとエッジを立てて雪山のこぶ斜面を跳ねるように滑降してゆくモーグル選手のようである。

ヘリコプター、3D。

ときに。

転倒。

斜面を、雪だるまのごとく転がり落ちてゆく。

どんどん大きく、勢いを増しながら。

小劇団の世界で、赤字解消、そして二年で三百万の借金完済を果たせる劇団になるべく、鉄血宰相・司が辣腕をふるってゆく。

「守銭奴結構! 金も稼げない返せない劇団なら、趣味だけにしちまえ」

作中の端々に、ぐっと胸にこさせられる言葉がちりばめられている。

ものを作る側と受け取る側の考え方の違い。

伝える側と伝えられる側の違い。

これはぜひお手にとって、読んで、劇場に足を向けてみていただきたい。

ふう。

モデルとなった劇団「Theatre劇団子」の方の解説を読み終えると、

取材協力に「東京セレソン」の名が。

ボンッと大分県の顔が浮かぶ。
えびぞー似のニヤリ顔で、ビシッと親指を立てている。

なんだか、悔しい気持ちがしみだしてくるのである。

なにおぅ。

と。



2011年01月23日(日) 「季節風 春」「闇の列車、光の旅」

重松清著「季節風 春」

これだ、これなんだよ。
こんな気持ちにさせてくれる、いや、させられる作品が、他にいったいどこにあるのだろう!

四季をテーマにした短編集「季節風」シリーズの第二弾。

「春」は旅立ちや出会いや、はじまりの印象が、強い。

そんな十二篇の春物語が収められている。

特に、最後の「ツバメ記念日」が、いい。

共働き夫婦の子どもが生まれ、そして決して綺麗ごとだけじゃすまない日々に直面する葛藤を、真摯に語り紡ぐ。

どうか恥ずかしがらずに、涙して欲しい。

涙は強要するものではないことは、わかっている。
だから言い直そう。

涙してもらえたら、嬉しい。

個人的に、そのひとつ前の「目には青葉」が、くすぐったく、そしてほのかに羨ましく思わされてしまった。

三十六歳、独身男。
派遣社員で半年間だけ一緒に仕事をした女性の翠さんと、仕事がおわっても、なんやかんやと、清い関係で数年間、仕事の相談にのったりして付き合ってきた。

「鰹のたたき」と「鰹のたたき用」を間違えてお取り寄せしてしまった翠さん。

宅急便の保冷箱を開けて呆然と途方に暮れた翠さん。

「どうしたらいいんでしょう?」と、わざわざ俺に頼ってきてくれた翠さん。

「よし、任せろ!」と我が家に呼んで、決心する俺。

リハーサルなし、ぶっつけ本番で、昨晩しゃあこしゃあこ研いだ包丁片手に、鰹に挑む。

「結婚するかもしれません」

翠さんの突然の告白。

俺は、どうすればいい?
どうしたい?

「俺には、向いてないんだよ。
ほら、ひとには向き不向きが、あるだろ?」

俺と翠さんは、どうなるのか。

ブランコが、いい。

公園にある、あのブランコである。

あなたの近所の公園に、ブランコはあるだろうか。

もしあるのなら、子どもたちが夕ご飯に帰った後、大切なひとと並んで漕いでみて欲しい。

できればまだ夕陽が残っている時間帯に。

重松清さんは、つまるところの重松節に一貫している。

悲しみや苦しみに、こうだと答えを出すわけでもない。

努力はすべて報われる、だから頑張れ、と綺麗ごとを並べたりもしない。

それがわかるひとには、わかってもらえる。

わたしは人並みの苦労をきちんとしてきてます、などとは言えないだろう。

しかし、そんなわたしでも涙してしまいそうなほど、この十二篇の春物語は、素晴らしい。

いや、素敵、である。

さて。

「闇の列車、光の旅」

をギンレイにて。

ホンジュラスからアメリカを目指して列車に乗り込んだサイラ。
もちろん、密入国である。

列車には屋根に溢れるほどの移民たち。

そこに、青年ギャング団のリーダーとカスペルらが、密航者である彼らの金品を奪おうと現れる。

カスペルは自分が所属するギャング団のリーダーに恋人を殺されてしまっていた。

いままた目の前で、リーダーがサイラを無理やりに組み敷こうとしている。
衝動的にリーダーに大刀を振り下ろし、殺してしまう。

「裏切りものには、死を」

リーダーを殺されたギャング団は、カスペルを逃がすまいと全国の支部に包囲網を敷かせ追い詰めてゆく。

結果的に助けてくれたカスペルに、サイラは信頼を寄せはじめ、

「一緒にアメリカの叔母のところへ行こう」

とカスペルと行動を共にしてゆく。

追っ手から逃れきることがかなうのだろうか。
そして、サイラはアメリカまで無事にたどり着けるのだろうか。

中南米の移民問題は、常になくならない社会問題となっている。

格差の社会と現実。

これまで、日本ではあまり移民問題で大騒ぎされることはなかった。

しかし。

やがてそれも、そうとは言えないときがくるかもしれない。

作品内で、彼らを乗せた貨物列車がメキシコのとある街に入ると、地元の子供たちが、

「お前ら移民なんか、くたばっちまえ!」
「迷惑なんだよ!」

といっせいに石を投げ付けてくる場面がある。

また別の街では、食料の果物を分け与えてくれたりする地元の人々もいる。

我々は、いったいどちらになるのだろうか。

石のつぶてを手にするのか。
美味な果実を手にするのか。
そしてその手を振りかぶったその後は……。

闇の列車は、光を目指す。



2011年01月20日(木) 感動を伝える

「感動発表会」

なるものが、先日開かれたのである。

毎年グループ会社ひっくるめ、各部門からの代表者として数名ずつ選出されるのである。

勿論全社からではない。
今年は、関連会社を中心に二十名ほどが選ばれたのである。

感動をテーマに、パワーポイントなるソフトを駆使し、発表せねばならない。

持ち時間はひとり五分。

我が社からは、お多福さん、ぐっちゃん、大分県、本宮さん、と四名に白羽の矢が立てられたのである。

「誰にやってもらおうか?」
社長の助さんがぐるりと面々を見渡しているときに、わたしは小声でまじないを唱えていたのである。

くわばらくわばら。

そのおかげで、どうやらわたしは直撃を避けられ、
たようであった。

ああ、雷神様(菅原公)。
近く、お詣りさしていただきます。

なんせパワーポイントなどというものを使ったことが、ないのである。

プレゼン資料など作れて当たり前、に真っ向そぐわないわたしである。

観る側に、徹するに限る。
しかし選ばれた大分県らは、当日まで一ヶ月ありはしたものの、一週間前あたりになるまでは本腰になかなかなれない。

普段の業務ありき、であるのだから、尻に火が付きはじめないと、腰が上がらない。

やっと腰を上げて作成をはじめ、おのおのが発表を目前に控えた前夜。

日付が変わる直前――。

連日連夜のことにヘロヘロになりきっていたわたしは、ヘタヘタと帰ろうとしたわたしは、本宮さんがひとり残っているのをみつけたのである。

「うっわ、明日やんか。もうどうしよう」

本宮さんは徳島県で阿波おどりの旗ふりを幼少の頃つとめていた方である。

そして、マニアックな方である。

「チラ見してもええですか」
「明日の楽しみにせんかったら、ええよ」

うっわ、なんか。
感動よりも。
次は? 次は?
て。
次はないんかいっ。
て。
掻き立てられますやないのんですか。

どこの言葉? とのツッコミはおいといて、本宮さんをじっと見つめる。

「これでほとんど出来上がりやねん」

ふう、と振り返る。

もう終わりなんですか、と物欲しそうな目をしてみたが、おかわりはなしであった。

すごいやろ、うちも感動しててん。

満足げに笑ったのち、すぐに眉をくもらす。

「このマニアックさが、わかってくれるやろか」

本宮さんが感動したそれらは、まさにマニアック、であった。

等身大ガンダム、鉄人28号、ガラスの仮面のマツコデラックスが高らかに笑う広告ポスター。

六腑をがしと鷲掴まれてしまったが、掴まれたまま会社で日付をまたいでしまっては悔いが出てしまう。

明日の本番を楽しみにしちうがです。

わたしは敬礼し、先に辞させていただいたのである。

さて本番当日。

大分県は、チラリと漏らしていた大泉洋ネタで押してくるだろう、とのわたしの安易な予想をいとも容易く覆し、

「東京セレソン」

の演劇ネタを押し出したのである。

むむう。

しかし、情熱がこもればやがてそれは溢れだし、自分の手からこぼれだしてしまいがちになる。

舞台の場面を盛り込みすぎ、本人の話がテンパってしまっていたのである。

「あーっ、時間足んなかった」

悔しそうな顔だった。
舞台の場面は、どうしてもカットしづらい。

これがあって、この間があってこその、と残さずにいられなくなるのである。

「ニュー・シネマ・パラダイス」の検閲されたラブシーンを繋げたフィルムのように、思い切れればよかったのかもしれない。

お多福さんは、趣味でアフリカの太鼓をやっていることを、告白したのである。

太鼓の名前を聞いたのだが、わたしにとってアフリカの太鼓云々は、恵比寿で観た「扉をたたく人」の「ジャンベ」にどうしてもなってしまう。

「だから違うって」
「発音もホントはそうじゃないし」

何度かあらためて教えてもらったのだが、聞くたびに教えた成果をまったくみせないわたしに、やがて呆れてしまったようであった。

さてこの発表会には、大賞が選ばれることになっている。

大賞に選ばれたのは、零戦の模型を熱くかたった男性であった。

週一回、定期購読で部品が送られてくる、というディエゴ○ティーニの、あのシリーズのひとつ、である。

マニアックさでは、本宮さんと通じるところがったが、彼は、単座式を複座式に自分の手で改造しつつ作製中、らしいのである。

両翼幅、九十センチ弱。

まだまだ未完成である。

奥様に、掃除の邪魔、と掃除機の先っちょでプロペラを折られてしまわないかと、日中の仕事中、いつもハラハラしているらしい。

なかなか上手い話し方であった。

感動を伝えるには、伝えるための言葉が、必要である。

言葉だけでは感動しない。

言葉に、聞いたひとの想像をはばたかせる、琴線に触れる何かが、なくてはならない。

それはなかなか難しいことである。

しかし。

やらねばならないのである。



2011年01月17日(月) 「妖怪アパートの優雅な日常 五」

香月日輪著「妖怪アパートの優雅な日常 五」

待っていた。

「ああ。やっと、うまぁい食事にありつける」

妖怪アパートこと寿荘は、水道光熱費、地下に広大な温泉(露天)、賄い付きで家賃二万五千円也。

大家はじめ他の住人は、妖怪や世界各地の奇書珍本(主に妖しげな魔力や呪力がこめられたもの)を扱う古本屋や画家や詩人や魔術士見習い。

さらに近隣、季節の変わり目や節句毎には全国の各地からだったり、妖しやらが挨拶や遊びにやってくる。

彼ら持ってきた産地のありがたぁい地の物を、賄い婦である手首だけの幽霊「るり子」さんが、見事な料理にしてくれる。

写真やイラストがないのに、ただ素材と料理名が文字で書いてあるだけなのに、よだれが口にたまってくる。

そこに一人暮らし商業高校に通う夕士。

両親を事故で一遍に亡くし、叔父の家族に受け入れてもらい中学まで暮らしていたが、自立のために寮付きの商業高校に入学。

手に職をつけて目指すは県職員か堅実なサラリーマン。

そんな夕士が個性的かつ面妖な面々に囲まれて、成長して行く。

正直言って、嫌味なくこれほどまでに人生や考え方に対して「なるほど」なものが織り交ぜられているのは、珍しい。

大人と子ども、教師と生徒、師と弟、友と友、それらで気付かぬすれ違いに、ふと気付かせてくれたり、気を付けさせてくれたりするきっかけに、なっているのである。

固っ苦しくない。
軽快、軽妙。

妖怪大戦争や目からビームやドッタンバッタンなど、そんなのは、ない。

ちょっと変わった高校生の夕士が、普通に高校で通う日々のなかで出くわす日常の問題を、クラスメイトや自分たちの力でなんとかしよう、と成長して行く物語なのである。

出来ることと出来ないこと。
何が普通で何が特別か。
ひとりだけが特別なのではなく、ひとりずつが特別なのだということ。

すべてを与える優しさと与えず見守るだけの優しさと。

深い。

ふと思い出した話がある。

明石家さんまと大竹しのぶ元夫妻の話である。

しのぶさんの連れ子だった長男は体が弱く、発作をすぐに起こしては病院に運び込み、あれやこれや薬を与えて症状を落ち着かせるような状態だったらしい。

ある晩、発作を起こした長男をいつものように病院へと連絡しようとしたしのぶさんを、さんまさんが「俺に任せてくれ」と押し留めた。

責任はどうとでも取る。
だから、一晩だけ、俺とこいつと、一緒に闘わせてくれ。

戦わずに沢山の薬に頼るだけなんて、嫌だ。

ぜぇひぃ汗かき闘い続ける長男を、一晩ずっと、抱き締めてやりながら、共に闘い過ごしたらしい。

数式や物理や化学の公式やお決まりなことだから、とそれらに任せることは正しくもあり、必要である。

しかし。

ただそれらに任せるときに、手を離す、のではないことを忘れないでいたい。

学校のことだから、と学校に任せ、だから学校が悪い、だとか。

かといって、任せられないから学校の領域にドカドカと踏み込んで荒らしたりしてはいけない。

学校の領域とは、子どもたちの領域でもある。

すべてを与え、すべてを解決してやれば、そこで子どもは、自分たちで成長して行く大切な場面を、そのエゴな優しさのせいで奪われたまま大人になっていってしまう。

転んだ我が子を、いつまでも(大人になってまでも)親が抱き起こしてやり続けるだろうか。

自分で起き上がることを、教えてきたはずである。

すべてが過保護だからやめるべきだと言うのではない。

背を向ける、手を離す、でもなく、見守る優しさも必要だと。

そして。

子育てを間違えたかなぁ、とは思っても。
子育てを失敗した、とは、決して口にしないように。

間違いと失敗では、まったく意味が違うのである。

親子喧嘩の興奮した勢いで、つい口にしてしまいそうになるかもしれない。

失敗とはつまり、否定である。
しかし間違いは、違う。

似たような言葉でも、大きく違うのである。

このようなことを、ふと考えさせてくれるこの作品は、なかなか面白い。

しかし、どうしても今回、憤懣やるせないところがあるのである。

るり子さんの料理の場面が、少なすぎる。

腹三分くらいしかない。

あと七分、いや五分くらいを己で賄わなければならないのである。

それはどだい無理、というものである。



2011年01月16日(日) 「トリツカレ男」

いしいしんじ著「トリツカレ男」

職場の忘年会の席であった。

「竹さんて、トリツカレ男に似てるんですよ」

ケンくんが、ふと言ったのである。

「あっ、わかるわかる。なんとなくそれ」

お多福さんが、手を叩いて同意する。

タイトルも著者も、わたしは知っていた。

しかし「六枚のとんかつ」(蘇部健一著)の表紙と入れ違って覚えていたわたしは、

「なあん、チェスの頭がおっさんのヤツやろ? どないやねん」

と返したのである。

ふたりはきょっとーんとした顔で見交わし、

「やっぱり、トリツカレてるわ」
「ですね」

と話を先に進めていったのである。

口惜しい。

そう思っていたのである。
しかし天の邪鬼が、はいそうですか、と素直にすぐ読むことを邪魔していたのである。

そして晴れてめでたく、読了、である。

いしいしんじ作品は、初めてでこの作品に限って、の第一印象である。

宮沢賢治

のような作品であった。

とかくひとつのものにトリツカレたようになるジュゼッペ。

オペラにトリツカレたら、すべてが歌わずにいられなくなり、探偵にトリツカレたら、難解な事件の解決に協力してしまうほどになってしまったり。

とにかく、トコトン、なのである。

しかしそれが、いったいいつまで、何がきっかけで、トリツカレるのかがわからない。

すべてが役に立つものであればよいのだが、そうではない。

昆虫採集だったり、かけもしないサングラス集めだったり。

そんな彼が、なんなることか、公園で見かけた風船売りの少女ペチカに、トリツカレてしまうのである。

しかし、まるで少年のジュゼッペは、どうやって思いを伝えればよいのか、わからない。

不器用。

そして、相棒の喋るはつかねずみの協力も得て、ペチカとの距離も近付いてゆくのだが。

純な恋愛物語

である。

なるほど、ケンくんはわたしに、きっと、このような素敵な恋物語を願い祈ってくれているのだろう。

ああ。
わたしがわたしのペチカに出会ってしまったら。

小説を書こうなどと思わなくなってしまうかもしれない。

それは、マズイ。

しかしそれほどのペチカと出会ってしまったら。

それは、それで。
嬉ちい。

ひとつのものに、とことんトリツカレて掘り進んでゆくこと。

それは、実際には役に立ちそうなことではなくとも、素晴らしいことである。

しかし。
勘違いしてはいけない。

そんなことに集中することができるなら、別のこんなことにだってできるはずじゃないか。

それは間違いである。

そのものだからこそできるのであって、そのもの以外には、通用しないのである。

足で歩けるのだから、手だけでも歩けるだろう。

それに等しいことなのである。

しかし。

出来る、と信じ込んでみるのは、いいかもしれない。

妄想は、力なり。



2011年01月15日(土) 「こっちへお入り」

平安寿子著「こっちへお入り」

はっきりもすっきりもしない、いまいちな三十路の独身中堅OLの江利が、ひょんなことから素人落語教室に通いだすことに。

すると。

気付かないうちに、ハマるハマる。
見事なくらい。

「秋風亭子よし」と名乗り、目指せ発表会。

おっと。
ただいまわたしは、上野広小路亭の前で、信号待ちをしているところである。

青に変わった。
さあ進もう。

落語の入門編である「寿毛無」をなんとかやりきり、向上心に火がつく。

次のネタを早く習いたい。
すっかりそれまでのうやむやな気持ちはどこへやら。

わたしも鈴本演芸場をすっかり通り越してしまっていた。

先生である楽笑は、本職はサラリーマン。
しかし、侮れない。

二足のわらじだからこそ、できることがある。

有名な話、咄家が、もちろん折々に出てくる。

やはり出てきた。

桂枝雀

ちょいと機会があって知っていたわたしは、扇子でピシリとおでこをはたきたい気持ちになる。

おっと、いただいた立派な京扇子は、そんなことに使わないのでご安心いただきたい。

さて。

そんなこんなで、色々な話の登場人物の人情や心情を想像したり気付かされたり、落語とは人生勉強である。

登場人物のそれぞれの心情を理解しなくては、とてもじゃないが話すことなどできない。

逆に言えば、話のなかに様々な文化や時代や男や女や、学ぶこと知ること考えることが、ちりばめられているのである。

しかも、同じ話のはずなのに、咄家によって印象やメッセージが、違ってくる。

悲恋の涙の物語で、というのもあれば、それを、あっけらかん、と吹き飛ばして痛快な物語で結ぶ、というなど。

とにかく、これはぜひ、落語に触れてみたいと思ってしまう。

「こっちへお入り」

はいはい、ちょいと失礼させていただきます。

と。



2011年01月10日(月) 成人の日に、成ろうとする人へ

「成人の日」であった。

新成人に、旧成人から何を言ってもけむたいだけであろう。

君らの後輩・弟妹らに、どうか今の君らが、今と明日のことを胸張って、話して聞かしてやってもらいたい。

「すべき」話よりも、「したい」「するつもり」の話をこそ、

今の君らに必要な気がするのである。

何をするでも、「すべき」ことは嫌でも付いてくる。
しかし、「したい」ことは勝手に何かに付いてきてくれるわけではない。

明日やりたいことを、思え。
例えそれが明後日には変わってしまっても構わない。

しかし、変えることを前提に思うことなかれ。

せめて今の自分を、今の自分が信じてやるべきである。

我々はえてして、過去の自分がそのとき描くべき未来の姿を話して聞かせる。

間違いのない、正しいこと。
誰でもが、やるべきこと。

それは、もはや話そうとしている自分のことではないのである。

そんな話など、自分以外の誰かが話しても同じであり、まったくなんのためにもならない。

過去の、話す相手と同じ年頃だった自分が、そのとき何を感じて、思って、何をしていたか。

それが「正しい」必要などない。
「正解だらけ」の話など、どこでも、誰からでも、聞けるのである。

勿論。

あるべき姿を語ることは、大事である。

あるべき姿
あろうとする姿
そこにあった姿

そして今。

目の前の話そうとしている相手と、かつての同い年の自分として、一緒に今日と明日のことを語り合うのがよいのである。

友達同士みたいなものであれ、といっているのではない。

たまにその高さに下りてくるからこそ、いいのである。



2011年01月07日(金) 縄文の民は海を渡る

「朝ズバッ」を久しぶりに観たのである。

告白しよう。

ネモミさんが産休に入った辺りから、

「何が悲しうて、寝起きからこんな強烈なおっさんの顔を観なければいかんのか」

と、気付きだしたのである。

さて、久しぶりに観たのは、本当に「なんとはなし」にであった。

それが、怖い。

「成人T細胞型白血病」

「朝ズバッ」のご意見番をかつてつとめていた元宮城県知事の浅野氏が、発症して現在治療中である特集が、流れたのである。

わたしは母をこの病で失ったのである。

「ATL」 と呼ばれていたりもするが、パソコンのキーボードでスペースキーの脇辺りにある「ALT」キーと間違えてはいけない。

滅多に使う機会がないがために、その存在を気付かないように、この「ATL」もまた、あまり世間に知られていないのである。

歴史的地域性による遺伝、感染のある白血病であり、発症率はわずか数パーセントである。

地域性というのは、どうやら縄文時代がどうのとさかのぼるらしいのだが、およそ北九州の辺りに、多いらしいのである。

感染していても発症するのはおもに晩年期で数パーセント。

なぜそのような古代からの遺伝的ウィルス性の白血病が現在まであるのか。

理由のひとつは、遺伝子として

「母乳による子世代への感染」

である。

子育てには母乳が必要であり、粉ミルクなど、という時代や環境が当たり前であった。

ましてや。

血液による細胞遺伝子的感染検査など、最近になってからである。

であるから、我が家全員が検査をし、シロの結果を得たのである。

北九州から、船で海を渡って日本海、東北などに移り住んでいった人々の末裔にあたる方々が、当然、いる。

浅野氏はそのなかの、さらに発症率数パーセントのひとりに、当たってしまったのかもしれない。

現在は、検査にどこまでの範囲が含まれているかわたしはわからないが、妊婦のときに血液検査をやっているので、時代と共に、徐々にキャリアとなる人間が減少しはじめているらしい。

時代に淘汰されゆくものだから、国による補助対策がなっていない、と浅野氏が表立ち、活動をしているらしいのである。

家系に北九州・中国地方に繋がり、また癌・血病やらに思い当たる方は、特に妊娠時の血液検査の際にこの「ATL」の検査に注意してみてもらいたい。

先祖がいつそこに繋がっているかなど、知りようも調べようもない、というのが現実かもしれない。

浅野氏が発症からすでに半年を経ており、骨髄移植による治療を控えている、とのことであった。

どうかそれが無事成功し報われんことを、祈る気持ちである。

さて。

ここでつと思ったことは、縄文人と弥生人である。

両者はまったく別の系統に分けられ、縄文人がやがて弥生人になっていったというのではない、というらしいことである。

大陸(?)側からの移民族である弥生人が先住であった縄文人を押しやり、やがて広まっていった、との説がある。

押しやられたからこそ、西日本、特に離島である九州の北西部あたり、という地域限定性が生まれた、とのことである。

つまり。

わたしは、「縄文人」の系統の遺伝子が混じっていることが明確になった、ともいえるのである。

歴史ロマン。

と解釈しておこう。
勿論、可能性として、という但し書きがあることをいっておこう。

マイノリティとやら横文字でいうらしいが、わたしはどうやら、縄文人のあたりからの縁が、続いているようである。

天邪鬼なのは、先天性のものか。

皆と同じでなければならない、という不安と安心と、そうとは違う、という自己の依存と孤立と。

これらは誰しにも必ずあるものである。

であれば、ムツカシク考える必要はない。

暇だから、余裕があるから、考えてみたりしてしまうのである。

あるがまま。
なるがまま。

思うがまま。

そうしていつかたどり着く先は、着くべくしてたどり着いた岸となるのであろう。

竹と葦で編んだ筏は、帆を張り海原の向こうを目指すのである。



2011年01月05日(水) 大森詣りで薄幸と発煙

新年明けまして、初の大森である。

年初めに、うまい具合いで田丸さんである。

「明けまして(以下略)」
「明けまして(以下略)」

やれ初夢だ、仕事始めはいつだ、と初喋りをたっぷりと、気のすむまでした後、イ氏とも、

「明けまして(以下略)」
「明けまして(以下略)」

とご挨拶を交わす。

「高峰秀子の「浮雲」が観たいんだよ」

いきなりである。
「浮雲」といえば、二葉亭四迷の作品であるが、それとは関係ない。

林芙美子原作の映画である。

「とにかくこの男が、ロクでもない男でねぇ」

奥さんがありながら、女をあっちこっちにつくって、女はそれを知っていつつも、

「惚れたワタシが悪いのさ」

と。

「許されないよねぇ、こんな男っ」

嬉しそうに批判するイ氏に、

許せません。断じて許せません。だけど。

「そんなことを云われてみたいです」
「そうお?」

ちょっと待ってて、彼女にも訊いてみよう。

パタタタタ、と止める間もなくかけて行き、裏方に下がっていた田丸さんをわざわざ呼び出してきたのである。

「あなたは、どう思う」
「えぇっ、それはダメですよっ」

当然である。
女性が、惚れたからといって相手にほかの女がいることをハナからよしと、答えるはずがない。

「不幸が美に映るような、いわゆる「薄幸の」という言葉が似合う女優さんを、最近、誰も見かけませんよね」

時代が、違う。
わたしが知っている限られた女優さんらではあるが、思い浮かぶひとが、いない。

「殿様なひとばっかりだもの」
「そうですよね。不幸なんて突っぱね返す、て感じなひとばかりで」

かつては、「耐える強さ」であったのが、「跳ね返す強さ」「気にしない強さ」ばかりを目にするようになっているように思うのである。
「だって」

イ氏が田丸さんをみやって、

「彼女なんて、悩みのひとつも無さそうじゃない」

ははは、とからかう。

「イイヤ。わたしには、チャント、陰あるやうに見えてルヨ」

わたしは優しくフォローを入れ、カクカクと頷いて見せる。

なんだこの三文芝居は。

「ということで、もういいよ」

イ氏が手を振り、今宵の幕を下ろす。

では今年もよろしくお願いします、と最後にペコペコ仕合って院を出て、駅へと向かったのである。

すると。

改札前に黒山の人だかりが出来上がっていたのである。

「発煙」
「消火」
「云々」
「くんぬん」

どうやら列車が止まっているらしい。

「山手線の線路を使い、京浜東北線を走らせる予定ですが」

並走しているからこその珍しい対処法で、しのごうとしているらしい。

これは、貴重な体験である。

「その調整がいつ再開できるようになるのか、見通しがまだたっておりません」

立たぬなら、立つまで待とうホトトギス。

山手線の各停車駅で、やがて交互に走りだす。

「ただ今、山手線の線路を京浜東北線と交互に走行しておりますため、所要時間が、少なくとも倍ほど掛かることをご了承ください」

なんと丁寧な放送だろう。

先日ニュースで、どこかの車内アナウンスがまったく状況説明を流さないままだった、と批判されたものが流れていた。

丁寧なアナウンスは、そのこともあったのだろう。

さて、珍しい体験といっても、窓に振り向いて座り、線路をじいっと眺めて味わうわけにもゆかず。

ただその出来事にでっくわしただけ、である。

しかし、だからといってがむしゃらにそれを楽しみ尽くすために何かをするのも、筋が違う。

うむ。

確かに今宵のわたしが乗っている京浜東北線は、似て違う筋を走っている。

なかなか珍妙である。

そう思っているうちに上野駅に着き、わたしは上野の森へと足を向ける。

何ひとつ変わらぬいつもの夜に、少しだけ違うものが混じり混む。
混じったかと思えば、またすぐ、いつも通り。

かくして人は、毎日が違うことに気付かぬまま、同じ同じ、と吐息をのむのを繰り返すのである。



2011年01月04日(火) 「美女と竹林」

森見登美彦著「美女と竹林」

竹林に魅入られた著者の、その溢れんばかりの竹林への愛と孤独と裏切りと、そしてやはり愛の物語である。

作家稼業だけでは心許なく、将来に不安を覚えた著者は「多角的経営者」を目指すことにする。

かねてからすき焼きであった竹林を起業に選ぼうとする。

「森見バンブーカンパニー(MBC)」

まずは竹林を所有する知人の、いまや伸び放題の桂にある竹林の伐採作業からとりかかるのである。

しかし。

司法試験を控えた学生時代の友人、編集部の皆々、などを巻き込みつつもちっともはかどらない。

清談猥談、虎視眈々。
瞑想妄想、東奔西走。

竹のように真っ直ぐな、ではなく、竹の「根」のようにしぶとく広く、ひたすら愉快な思考思想自問他答、である。

傑作は「机上の竹林」なるもの開発、商品化である。
(MBC(森見バンブーカンパニー)のヒット商品であり、勿論、妄想世界の実在などしない商品である)

ふと職場の机をみやれば、そこにサワサワと竹林が葉を揺らしているのである。
癒されること間違いない。

やがて「持ち運べる」ポケットサイズの竹林が商品化されるのだが、わたしはまだそこまではいかなくともよい。

わたしも「かぐや姫」を探しに、竹林へと入り込もう。

竹林としてよくご近所で見かけるのが「孟宗竹」なのだが、「かぐや姫」のお話の時代には、まだ「孟宗竹」は日本に生えていなかったらしい。

つまり、「我がかぐや姫!」と猛り狂って孟宗竹林に分け入ってみても、そこに「我がかぐや姫」は、いないはずなのである。

いいや、いる。
時代が変われば、住まいも変わるものだ。

自信を持とう。

竹林、皆、兄弟である。
素晴らしき妄想竹である。
竹馬の友である。
竹立て掛けたのは竹立て掛けたかったのである。

なぜ、ひとはこうも竹林に心惹かれるのだろう。

ああ。
我がいとちの竹林はいずこ。
かぐやちめよ、いずこ。

もはや姫ではなくなっている。
末期である。
早く竹林にて、青々とした清風に思考を漂わせ、深く身を委ねなば。

しまった。
この季節に青竹ばかりの青々とした竹林など、あるわけがない。

枯れ竹林もまた「ワビサビ」いと深しだが、今のわたしには、ただの「ワサビ辛し」である。

「あのもし」

と家具屋が竹で編んだかごを抱えてにっこり微笑みかけてきたら、

「全部でいくらだい?」

とレシートばかりでかさんだ財布からなけなしの札を抜き出そうとするだろう。

しかし出てくるのはレシートばかりで、札など一向に出てこない。

見るに見兼ねて、「どうせ売れ残りですし」とまるまる置いていってしまう。

部屋でひとり使い途がない竹かごに囲まれて、灰汁抜きを忘れた若竹煮をかじったような顔になり、シオシオと萎れてしまうだろう。

とんだ「かぐや」違いである。

竹取の翁は、娘を竹林にて迎え入れることはできたが、それは嫁ではないのである。

しかし本作品内にて、森見登美彦氏は竹林にて妻を見つけたという。

こうしてはおれない。
わたしも行かなければ。

いざ、妄想竹の竹林へ。



2011年01月03日(月) たま卵なく御礼モウし上げます

お年賀をいただいたのである。

「明けましておめでとうございます」

わたしが谷中の拙宅にて新年初めて出迎えた彼は、まばゆい光を背負っていた。

馴染みの猫屋さんである。

ああ、本年もどうぞよろしくお願いします、とひとしきりお辞儀をし合い、「ではこちらへ」と署名を済ます。

「お肉ですねぇ」
「ええ、お肉ですねぇ」

昨夏旅でたいへんお世話になった京のお上さんから、であった。

「近江牛」

なんとブランド肉である。

「切り落としの端っこを集めただけの、そんな大層なものではありしまへん」

との言葉を鵜呑みにしていたわたしは、実物を目の前にして、んがっうぐっ、と磯野家の長女のように、つばを飲み込んでしまった。

しかも、美味しそうな卵のパックまで、たんまりと入れていただいていたのである。

「すき焼き」

以外にわたしの頭に浮かぶものはなかった。

刺しでどうぞ、とのお肉もいただいており、両手に百花繚乱である。
お花畑で、るーらららー、な気分である。

浮かれた気分で、ガサゴソと中身をあさっていると、ジップロックに封入された、まあるい薄茶色をした「円盤状」のものを発掘したのである。

ギョギョ。

海月の燻製か、押し潰れた珈琲蒸しパンか、はたまた……胸当て用の詰め物のアンコか。

皆様には、最後のわたしの不埒な印象は忘れてもらいたい。

取り出してみたふたつの「円盤状」のものを、試しに両目に当ててみる。

「薄茶色」の混濁した世界が見える。
この世の誕生の、混沌のその源をいま、わたしは目の前にしているぞ。

感動にうち奮えることなく、てい、と両手を下ろす。

つまらん。

陽の光が燦々と降り注ぐその下で、まじまじと両手に握られたそれらを観察する。

「ジョワッ」

胸のカラータイマーが点灯しだすこともなく、トサカがはずれてクルクルと弧を描くわけでもない。

エースは、こんなまんまる目ではない、せいぜいゾフィーかエイティーだろう。

わかっている。
これは餅である。
しかし、この色は見たことがない。

プチプチプチ、と携帯をいじくって教えてもらう。

「栃餅」

というらしい。
栃の実を手間を掛け灰汁をとり練りこんだもの、とういきぺであにも載っていた。

携帯で教えていただいた通り、まずひとつ、焼いてみる。

ティン。

なんとも歯切れのよくない音と共に、わたしは薄茶色のそれと再会を果たす。

オーブントースターのその真ん中に鎮座おわしますのは、ふっくらと微笑むお多福様のような顔。
冷めた外気に触れた途端、ふしゅう、としなをつくる。

ぐうぐるなどによると、砂糖やら甘めのものをつけるのがよいらしいのだが、「餅は醤油」が我が家の基本である。

きな粉があればそれをまぶしたい、との無い物ねだりをねじ伏せ、それがブリッジで跳ね返されないうちにパクリとかぶりつく。

おいちい。

はむはむぱくぱくを繰り返し、わたしは嘆いた。

「なぜ、ひとつっきりしか焼かなかったのだろう」

こういったものは「勢い」が肝心なのである。
ふたつみっつ同時にトースターで焼き、ぱくぱくはむはむと、至悦の「おいちい」を連呼していただろう想像上のわたしに、焼き餅をやいてみる。

ぷくう。

三十路もとうに半ばを越えたおっさんが、ひとり頬を膨らましてみても気持ち悪いだけである。

お肉がわたしを待っている。
炊きたての白飯で、ぜひいただこう。

その前に昨夜の残飯を処分しなくてはいけないことを思い出す。
処分といっても廃棄するのではない。
きちんと胃袋に放り込む。

つまり、せっかくのお肉はお預け、ということである。

うらめちい。

冷蔵庫のそれを恨めしげににらみながら、ちょちょいと脇に押しやる。

お肉様は、威厳高く、堂々と真ん中に鎮座ましまする。

わたしは両膝をつき、しずしずと扉を閉め、冷蔵庫の前にて二礼二拍そして一礼す。

なむなむ!



2011年01月02日(日) 「ヤギと男と男と壁と」くじと私と私と夢と

なんとも珍しいことに、わたしとあろうものが初夢を見てしまったのである。

しかも、二本立て、である。

ひとつ目の夢は「アテナ(Athena)」が関わっているのである。

なんとも魅惑的な。

この言葉に由来する店で、わたしはアルバイトを学生時代に名友としていたことがある。

内容にはまったく関係ないが、当時の仲間等が名前だけ出てきたのである。

ふたつ目の夢のキーワードは、「匈奴」である。

古代中国は北の辺りを席巻していた騎馬民族国家。

一説によると「フン族」としてヨーロッパまでその力を及ぼしたともいわれている。

ヨーロッパのことはわたしは疎いのだが、匈奴と言われれば「冒頓単于」をすぐさま思い浮かべる。
一応「史記」やら「十八史略」をなめる程度ではあるが読んである。

おそらくその「軋」の場に、わたしは居合わせていたのである。

中国史がわかる方は、どんな場面か想像がつくこととえもうが、ご安心いただきたい。

わたしは「綱」しか見ることはなかった。

しかしあやうくそれに巻き込まれるところではあったのである。

なんとゆうこの「ちぐはぐ」さ、落差、滅茶苦茶さ加減であろうか。

初夢に見ると縁起がよいものとして、

一富士、二鷹、三茄子

と言うが、これに照らし合わせてみよう。

一不死(フジ)、二隆(タカ)

と、ふたつも当てはまるのである。

ああ、そうである。
「こじつけ」である。

「一富士」は、わたしは死なず、つまり「不死」。
「二鷹」は、当時共に働いていた名友の名前の一部である「タカ」からとっている。

よいではないか。
これくらいの前向きさ。

さて。

その前向きさをもって、いざ初詣である。

まずは根津神社。

むにゃむにゃと手を合わせ、ほぼ一年ぶりの参拝を詫びつつ、ムシのよいことを頼もうとする。

しかし。
あろうことか。

呼び間違えてしまったのである。

「オオナムチの、いや違った、スサノオの」

根津神社の一の宮はスサノオノミコトである。
オオナムチノミコトは神田明神のほうである。

どうやら完全にご機嫌を損ねてしまったらしい。

ひいたおみくじは「凶」である。

手渡す巫女さんが、優しく微笑んでくれたのは、このためであった。

にゃにおう、と神田明神へとスタコラサッサ。

えーんえーん、斯く斯く然々。

こちらこそはようく知ったる御祭神・オオナムチノミコト、大黒様であるから間違うはずがない。

応、よしよし。

と、「中吉」のおみくじで応えていただいたのである。

さすが、「江戸総鎮守」である。
懐が、深い。

いや、それは私が失礼な間違いをしなければよいだけの話である。

ともあれ。

立ち直ることはできたのでよしとしよう。

しかし、書いてある注意書きやらの内容は、不思議と同じようなことばかりなのである。

今年は本当に、大人しく、慎ましく、はやらず、慎重に行動しなければならないようである。

桑原桑原。

さてさて。

「ヤギと男と男と壁と」

をギンレイにて。

ジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー、ケビン・スペイシーらが出演。

と聞けば、なんと豪華な作品だろう、と思うことであろう。

そして観終えれば、やはり、なんと豪華なお馬鹿っぷりだろう、と思うこと間違いない。

アメリカ軍に本当にあった(らしい)、超能力を兵器とした超能力兵士、その名も「ジェダイ戦士」。

遠隔視にて誘拐され行方不明の幹部の居場所を捜し当て、「キラキラ眼力」によって敵の攻撃心を萎えさせる。
はたまた、ヤギの心臓をその「キラキラ眼力」によって停止させてみたり。

謎に包まれた彼らのことを記事にしようと、地方紙の記者、妻に編集長と浮気されて捨てられて、編集長と妻を見返してやろうとイラクに乗り込んで行くのである。

さてその結末と意外な真相とは。

この言葉を贈りたい。

「ラヴ・アンド・ピース」



2011年01月01日(土) 新年の計りごと

明けましておめでとうございます。

旧年はたいへん皆様のご厚情にお世話になりましたことを、ここに深く御礼申し上げます。



大晦日に実家に帰り、思ってもいなかった友人に、不意に呼び止められたのでした。

お向かいさんでもあった札子さんです。

中学の同級生で、彼女は現在二児の母。帰省で実家に戻ってきていたところでした。

札子さんのご家族、ご両親とお姉様は、わたしの記憶に違和感なく、帰省でお顔を見かければ「御無沙汰してます」などとすんなりご挨拶するのですが。

札子さんは、中学卒業後から数えるほどしか顔を合わす機会がなく、中学生の頃のイメージばかりが、強くいつまでもわたしの中にあったのです。

「竹くーん」

札子さんのお父様とお姉様がこちらを見ているところから、聞き覚えある声と共に駆け寄って来る女性の姿。

間違いない。
間違いなかが、何や記憶よりべっぴんさんになりゆうおなごが来ゆう。

「久しぶりじゃーん」
「お、おう」

へどもどしているわたしは、札子さんの後ろを過ぎて行くお父様らにペコリと一礼しつつ、違和感を拭い去ったのです。

ぺったら、くっちゃら。

元よりお喋りが達者な札子さんに、違和感の次にあった肩の力をほぐされたわたしは、しばし井戸端ならぬ道端会議にうつつを抜かし、すっかり話し込んでしまいました。

「家まで来るのに何時間かかってるんだ」

父からわたしの安否を問うメールが、会議に終止符を打つことになりました。

よもや家の目の前で、頼んだ買い物袋をぶら下げたまま時間を潰しているとは思わなかったようです。

わたしも思っていなかったのですから仕方がありません。

「ごめん、おじさん待たせちゃったね」

と札子さんが携帯を取り出し、

「連絡先、教えといてよ」

と携帯電話の先っちょを差し出してきたのです。

赤外線で受信、です。
そこから番号入れて返信、で済むはずだったのです。

「ねえ、全然届かないんだけど。赤外線で頂戴な」
「うぐっ」
「どうしたの?」

鏡に囲まれたガマのように、携帯片手に固まりかけているわたしに、札子さんが怪訝な様子になりました。

「ちょっと待って」

わたしは携帯電話を始終いじっているとはいえ、それはプチプチと文字を打っている以外に、他の便利な機能やらを使ったことがほとんどありません。

えと、ポチ、ポチ、これかしらん。
ていっ。

掛け声を掛けなくても赤外線は飛んで行ってくれます。

だけど何が飛んで行ったのか見たことがなく、もちろん送っている中身が途中で見えるわけがないので、わたしは不安になりました。

いったい何が送られちうが、ちっくと見してくれるろう?

初めて見たのです。

余計なテキストメモまでが、のうのうと或いはしれっとくっついて送られていたのです。

「これ要らない。これも、それも」
「え、これは? これも?」

へどもどを通り越して、あられもないまごつきようでした。

すっかり、若者のようにスマートに機械を操れなくなっている自分を思い知らされました。

仕事でも、そういえば新しいことはだいたい大分県におんぶに抱っこで聞いたり教えてもらったりしているような気がします。

「株を守りて兎を待つ」

ばかりではいけません。
今年はせめて、

「兎を見て犬を放つ」

ための犬くらいは、常に傍らにあるようにしてゆきたいと思います。
今のままでは、兎を見て、ペットショップへ行って、チワワにするかトイプードルにするか、いやいや柴犬だろう、フレンチブルもありか、と選べないまま兎はとうに巣穴でくつろいで、ということになりかねません。

ペットショップから出てきたわたしはきっと何も抱いておらず、どれを選ぶか迷ったことだけに満足して、当初の兎のことなどすっかり忘れてしまっていることでしょう。

ほくほくした笑みを浮かべて、ああようく迷った、と悦に入りながら家路に向かう。

日本昔話に出てきそうなお間抜けさです。

もとい。

ですます調で物を書いていると、余計に他人が書いているようにあやしげな気持ちになってしまうのである。

こちらの調子のほうが、幾分、しっくりくる。

これはどうやらへんちくりんな方向でわたしのなかに浸透してしまっているようである。

さて。

一年の計は元旦にあり、もとい、元日にあり

ということで、ひとつ計ってみようと思うのである。

ここで勘違いをしていただかないよう、釘を刺さしてもらうのだが、あくまでも「計る」ということであることをご理解いただきたい。

一年を何で計るか。

「RENT」においてMarkらは仲間たちの、喜び悲しみ怒り哀しみ、それらの幸せ、つまり愛によって一年を計った。

わたしも同じように、素晴らしき仲間たちが、いる。

しかし「RENT」の仲間たちのように、常に傍らにいてくれるわけではない。

彼らの時折届けてくれる愛の数を噛み締めるその前に、まずわかりやすい自分の出来事で、一年を、今年を昨年と比べられるように、物差しを定めよう。

手前勝手ながら、それは締切の数、であろう。

偏りや内容量の差こそあれ、

何の、いつ。

それを目安に一年を、自分が今どこら辺にいるのか、しおりのようなものとして。

二月末。
三月末。
四月末。
五月中旬。
六月末。
七月末。

ちょっと待て。
ほぼひと月ごとに各賞の応募締切がある。

こるではカレンダーをめくるのと変わらないではないか。
秋は小康状態、

十月末。
十二月中、末。
一月末。

やはり締切だけを並べるのはやめにしよう。

半期に一本。

たったふたつっきりの目盛りならば、なんとかなるだろう。

休眠しているものを叩き起こせば、楽勝、のはずである。

二百枚枠はそう幾つも書けるわけではないが、百枚以下の枠ならば、なんとかなる。

今年は銀の雫にリベンジしたい。
ちくちくと一部の方々に送らせていただいていたものを、ひとまとめにして整え、それをしかるべき先に出せるようにしたい。
太宰あたりにも出したい。
そうだ小学館にも、あらたに長編でもみてもらえるようにしたい。

こうしてあげつらうのは簡単である。

だから、実現可能なものやところの、小さなハードルを置く。
体裁やレベルをともかくとすれば、あとは抜き足の右足を、クイッとするだけなのである。

なんだか出来るような気持ちに洗脳されてきた。

新年のはじまりもなんのその。

さあ、いざ。


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