「隙 間」

2010年04月29日(木) 鳴く夜、うぐいす平安興

名古屋の友が、来たのである。

単身、愛する妻子を差し置いて、やって来てくれたのである。

夕方、上野駅にて合流し、いざ向かわんや肉の陣。

かねてからの鶯谷の名店、

「鶯谷園」

を、あろうことか当日まで予約もせずに訪ねようとしていたのである。

それはいかん。
かの店は、この界隈随一の評判の店である。

待ち合わせに向かいしな連絡を入れてみると、八時半を過ぎないと席が空きません、とのことだったのである。

慌てその時間に席をとってもらうよう頼み、さりとてそれまで二時間ちかくも余裕がある。

最後の砦、我らが

「西日暮里ホルモン」

これまた秀逸な店であるが、そちらの様子を伺ってみる。

席をとるどころではなく、九時以降に店に来て待ってていなければ、いやそれでも何時になるかわからない。

との、さらに厳しい様子だったのである。

友と深くうなずき合ったのである。
次回からは、せめて前日までに店をとるようにしよう、と。

三重の半分を越え熊野に参らんとする前に、ようやく悟った次第である。

「鶯谷園」にとって返し、店前に群がる人を見る。

極旨である。

一皿目の厚切りハラミをパクリと口に放り込むや否や、

はうぅ……と。

このまま肉汁と共に溶け出してしまいたい。
これこそまさに世界平和。
蓮華に座する御姿が脳髄に浮かぶ。

向こうの友も、「おっ」と声をあげたのち、同じく感動に襲われているようであった。

一を知って十を知る。

ここは名店の類いに入るであろう。

高額を払わずして、
この幸福感である。

なんと慈愛に満ちた世界なのだろう。

至福、恍惚のひとときはあっという間に過ぎてしまうものである。

次回からはまず、この「鶯谷園」とし、ホルモンが恋しいときに「西日暮里ホルモン」を選ぶことにしたい。

ささやかながら、至福のひとときの報告である



2010年04月25日(日) 「シリアの花嫁」

「シリアの花嫁」

をギンレイにて。
ゴラン高原に暮らすモナは、結婚することになった。
相手の元に嫁ぐには、「境界線」を越えなければならない。

ここはシリアである。
いやイスラエルである。

その境界線。

「境界線を越えた者は、二度と戻れない」

家族とも二度と会えないのである。
相手は親戚とはいえ、一度も会ったことがない。

国には戻れず。
家族にも会えず。
たったひとり。

そこに嫁ぐのである。

どれだけ不安か。

結婚式の日。
「境界線」での最後の出国手続きで、足止めをくらってしまう。

フェンスの彼方には、花婿ら一同が待っている。
しかし、いつまでたっても、許可がおりないのである。

パスポートに、シリアの出国印がおしてあった。
それは直前に書式が変わり、イスラエル側には何も伝えられていなかったのである。

「花嫁は、イスラエルのなかを移動するだけだ。シリアの出国印がある限り、認められない」

と突き返されてしまうのである。

国も家族も捨てる覚悟を決めてきたというのに、なんということだろう。

「ダメなものはダメだ。結婚式は延期してやり直せ」

そんなばかな。

双方、正式な手続きであるから、解決などできやしない。

関係所管はどこも連絡がとれない。

フェンスの前で、じっと待たされ続ける花嫁。

いっそこの機に、結婚などやめてしまって家に帰ってしまったら。

そう、思うだろう。

しかし彼女は、出国してしまっているのである。
もはや、帰ることはできない。
しかし、ゆくこともできないのである。

何度も、彼女の結婚式を無事行えるよう、国連の事務係が往復を繰り返す。

それでも、ついにどうしようもなくなってしまう。

皆が紛糾し目を反らしているうちに、彼女はフェンスが開いた隙をついて、ゆっくりと花婿らが待っているイスラエル側へと、歩いてゆく。

誰も止められない。

向こうに着いたとき、どうなるのかもわからないのである。

不法入国。

目の前で。

それでも彼女は、嫁ぐことを決めたのである。

彼女が最後に、見送るフェンスの向こうの家族に振り返る。

穏やかなその顔を見たそのとき。

なぜか胸が熱くなった。

結婚とはつまり、そういうことなのである。

文化歴史宗教政治の違いがあれども、男はそれを忘れてはならないのである。

中東のあたりはまだまだ男性社会であるから、さらに顕著である。

そして男たちは愚かなほど、見栄や体面や誇りにこだわる。

そこもまた、少なからず万国共通であったりするのである。

それはまた、わたしも例外ではないのかもしれないのである。

この最後に襲われる胸の熱さを確かめたいならば、本作を手にしてみていただきたい。



2010年04月22日(木) 「鹿男あをによし」

万城目学著「鹿男あをによし」

先年、テレビドラマ化された原作である。
玉木宏、綾瀬はるか、佐々木蔵之介、児玉清らの配役で、抜群に楽しめたドラマである。

それよりなにより。

麗しの多部未華子が、これまた素晴らしい。

恩田陸原作の映画「夜のピクニック」で、貫地谷しほりにドキンとさせられつつも、ズキュンと飛び込んできた女優、多部未華子である。

活字のなかの主人公たちが、まさに彼ら(彼女ら)にパチリとかさなるのである。

名をみるたびに多部未華子が凛とした目で睨み、玉木宏が神経質な顔で狼狽し、佐々木蔵之介が涼しげに微笑む。
綾瀬はるかがかりんとうをかじれば、児玉清が優雅に髪を撫でつけ、鹿が「びい」と鳴く。

鹿島大明神となまずが要石をめぐれば、京都の狐と奈良の鹿と大阪の鼠が卑弥呼をめぐってまわりまわる。

はた目に文庫にしてはぶ厚いのを、たったの二、三日で読ませる軽妙な物語である。

奈良京都に縁がある方は、おやつをつまみながらでもご一読するによいかもしれない。

作中に登場する奈良の奇石群遺跡等、わたしもなかなか懐かしさを覚えながら項を繰った。

かつて一度、レンタル自転車で山や田を駆け抜けて巡った記憶がある。

しかし、肝心要のあそことそこにはまだいったことがないのである。

ふところとこころがゆるせば、また足をのばしたいものである。

奈良は鹿、京都は狐、大阪は鼠、と神の使いが定められているが。

最近、湯島の地下鉄ホームで線路脇を駆け抜ける鼠たちの姿をよく見かけるのである。

根津の街に神田の大黒様、おっと上野弁天島の大黒様も忘れちゃあいけない。
湯島天神には牛の像もあり、お茶の水には太田姫稲荷が佇む。

おや。

わたしの日常のなかに、鹿がいないではないか。

どこか近所か通り道に、ひょいとあるかもしれない。

シカし「鹿」となると、茨城県の鹿島か奈良くらいシカ、思い浮かばない。

シカたない、といったところである。



2010年04月19日(月) 「かたみ歌」求めよ、与えん

朱川湊人著「かたみ歌」

東京の下町、アカシア商店街に暮らす人びとにおこる、不思議な、しんみりと胸に染み入る七つの物語。

直木賞作家である。
本作の舞台であるアカシア商店街は、どうやら我が町谷中か、都電があるのでやや北寄りの駒込界隈をモデルにしているらしい。

終始ノスタルジー漂う、時代も昭和の古きよき頃が選ばれた、連作短編集である。

読みやすい。

帯にあるように、ポロポロと感動、とはゆかなかったが、悪くはない。

しかし良いかといえば、個人的にはさほどではない、と答えてしまうのである。

帯に短し、たすきに長し。

なのである。

染みる、というのにも、種類がある。

春雨が、しとしとと石のおもてを濡らし、白から黒みに変えてゆく染みかたと。

地中から、ジワリとズボンの尻を湿らせるような染みかたと。

上から下に染みるのは、当たり前である。
ほっといても、高きから低きへと重力によって水は誘われるのである。

しかし、下から上へと染み出すのは、違うのである。
重力に抗い、逆らい、理に反して、であるから予測外に、染み入らされる。

それこそが、求めるものなのである。

求めるだけは、誰でもできるのである。

求めよ。
さらば与えん。

とひとからもらうのはなんともムシのよい話で、いただけるというなら、拒む理由がないかぎりいただくのもやぶさかではないが、与える側になる力が、欲しいものである。



2010年04月18日(日) 「戦場でワルツを」線上で現を

「戦場でワルツを」

をギンレイにて。
レバノン、パレスチナ、サブラ・シャディールの虐殺……。

監督の実体験を元に、実写では不可能だろうとされる悲劇を、紛れもなく現実にあった惨劇を、アニメーションによって作品化したものです。

とても期待していました。
気合いと気負いを背負って、勇んでギンレイのシートに、尻を沈めました。

そして。
沈みました。

ショックです。
物語も佳境に迫りはじめ、いよいよというところのあたりで、襲われてしまったのです。

不意に、脳みそをワシ掴み。

あかん、と思ったら、エンドロールが流れてました。

最悪です。
昨日のことです。

なので、今日再び観にゆきました。

サブラ〜の悲劇は恥ずかしながら、正直、全く知りませんでした。

知らなくてもこうして暮らしてゆける。

どれだけ平和な国に、時代に、自分がいるのかが、うすら寒く思ったりもします。

戦争によるPTSDに関しては、米軍のイラク派兵のドキュメンタリーなどを観たりしたことはありました。

州軍として派兵された女性たちが、帰国しても我が子を、恐ろしくて抱きしめることが出来ないのです。

彼女は援助物資の配給部隊として後方の安全なはずの地域の村々に、物資を配っていました。

喜びと安堵と笑顔に駆け寄ってくる子ども達。

輪の後ろにいた少年が、突如、背中に隠していた銃を彼女に向けて構えたのです。

彼女は、何も考える間もなく、気がつけば銃を少年に向けて撃ち続けてました。

身を守る為、戦場に向かう者は条件反射でそうなるよう訓練でたたき込まれるのです。

ですから、仕方がないのです。
そうしたからこそ、彼女は無事生きて任期を終え、愛する我が子、家族が待つ母国へと帰ることができたのです。

しかし、空港で出迎えた我が子が彼女に、お母さんに駆け寄って抱きつこうとしたとき。

彼女はパニックになり、我が子を拒絶し、逃げ出してしまったのです。

我が子が、銃を構えた少年の姿と重なる。

少年に向かって感情以前に、条件反射で銃を撃ち続けていた自分のこの腕。

帰国後半年が経ってもまだ、彼女はリハビリ施設に入院していて、面会にくる我が子は遠くから見るだけしか、できずにいるらしいのです。

話を本作に戻しましょう。

そんな非現実な恐ろしい戦場での記憶が、ぽっかりと抜け落ちてしまっている映画監督が、その記憶を取り戻そうと当時の部隊で一緒だった者たちを訪ね、話を聞いて回ります。

彼が我が身を守る為に封印していた記憶。

事実を知りながら、傍観し、見殺しにせざるを得なかった、パレスチナ難民大虐殺。

わたしが前日意識が途切れたのは、まさに。

これまでアニメーションだったのが一転し、当時の大虐殺直後の難民キャンプの実写映像でした。

泣き叫び訴える老婆。

瓦礫に埋もれ、のぞかせていない子どもの死体。
路地裏に目の高さにまで積み重ねられた男たちの死体。
中庭に折り重ねられた女子どもたちの死体。

ゲリラなどいないのに、いるとして彼らの纖滅作戦の名の下に行われた難民大虐殺。

発覚後、しかしいまだに誰もその罪を問われていないのです。

監督は、ただ命令通りに照明弾を夜間、キャンプに打ち上げていただけでした。

まさか虐殺のためだとは知らずに。

国軍がやったのではない。民兵が勝手にやったのだ。

キャンプを見下ろせる作戦本部に、虐殺が行われているようです、と報告をしても、

報告をありがとう

と返されておしまいだったそうです。

何故、虐殺が行われたのか。

民族と宗教と政治の醜い争いが、あります。

戦争は、いや、戦うということは、非日常に身を置くということです。

たとえば受験でも、仕事でも、生活でも。

非日常でなければ、人は戦えないのです。

非日常から日常に戻るとき、人は何をどうするのでしょうか。

カメラマンはカメラがある限り、戦場でも被災地でも事故現場でも、乗り込むことができます。

カメラを失ってしまったら、彼はたちどころに日常に引き戻され、恐怖や悲しみで身動きがとれなくなったそうです。

わたしは「書く」ということが(でき)なくなったとき、ようやく日常に引き戻されることになるのかもしれません。

もとい。

「戦場でワルツを」

九十分の素朴で独特なアニメーションですが、残酷な描写はありません。
むしろポップな表現がほとんどですので、ご覧になってみてください。



2010年04月11日(日) 「ジュリー&ジュリア」SKEと熱

甘木ちゃぁあん、こっち向いてぇ!

水道橋はラクーアを近道で通り抜けようとしたときであった。

屋外ステージの周りと、二階のデッキ通路に、十重二十重の人だかりが。

興味本位で背伸びして見てみると、きらきらした制服姿の女子たちが、ちらりと見えたのである。

「SKE48全国握手会」

なるものが催されていたのである。

秋元康氏プロデュースの女子アイドルグループである。

名古屋は栄(SaKaE)を本拠地に活動し、先のもはや全国区のアイドルグループとなったAKB48(秋葉原AKiBaが本拠地)の妹分でもある。

とはいえ、わたしもいまいち顔と名前をわかっているわけではない。

であるから、先の「甘木ちゃぁあん」というのは、「某」という字をふたつにわけただけの、つまり「なにがしちゃん」という当て字である。

甘木ちゃんに熱を集めるその人々の情熱に、羨ましさを覚えてしまうのである。

情熱にあてられ、そそとその場を去る。
ただあてられただけですましては、もったいないのである。

であるから、それですましてしまうはずもない。

もはや書き散らしっ放し状態になっているが、それにまたひとつが加わったのである。

後は野となれ山となれ、後のわたしがなんとかしてくれることであろう。

さて。

「ジュリー&ジュリア」

をギンレイにて。

メリル・ストリープ演じる料理研究家のジュリアの著作「王道のフランス料理」に載るレシピ五百数十を、一年間で全て作る、と決意したエイミー・アダムス演じるジュリー。

時間を超えたふたりのそれぞれの日々を、軽快に、愛らしく、描く。
まさに、

ボナペティ!
(召し上がれ!)

な作品である。

メリル・ストリープは、まさに素晴らしい女優である。

世代を飛び越え、恋してしまいそうなほどである。

しかし、エイミー・アダムスのジュリーだって、負けてはいない。

下拵えがレシピ通りにゆかず、キッチンで泣き崩れ、座り込む。

私は下拵えもろくにできない女なのよっ……。

夫がふとキッチンの彼女をみると、大の字に寝転び、ヒックヒックと涙を流している。

これはたまらない。

抱き起こして、ぎゅうっと、してやりたくなってしまう。

彼女は料理したことを逐一ブログに更新し、カウントダウンしているのである。

締め切りをつくらないと、私は中途半端にしてしまうから。

彼女はいわゆるアラサー(三十歳手前)であり、またフルタイムで働いているのである。
だから、自由な時間も、結婚生活も、犠牲にしつつやり遂げようとしているのであった。

これはつまり、夫の協力と愛がなくては成し得ないのである。

もちろん、これで夫婦が衝突してしまうことも、ある。

何のために、
誰のために、
始めたのか。

本を出そうと決めたジュリアと、
料理をしようと決めたジュリーの、

ふたりそれぞれ、いったいどうなるのか。

この作品は、ついつい自分も料理をしたくなる気持ちにさせられる作品である。

料理ではないが、わたしも同じであり、いったい何をどれだけ犠牲にしているのか疑問な点も、最近は多々あるのである。

それではいけない。
ジュリアの決め台詞であるところのまさに、

ボーン・ア・ペティ!

である。



2010年04月08日(木) とんとことんとんおおもり

とことんとんとご無沙汰であった大森である。

日々夜激しい電池切れが続いている今日この頃、一畳足すのにも踏みきれず、ぼわぼわするのに任せっきりであった。

そんな折、イ氏がはじめから待合室のわたしを呼び出しに来、話したのである。

いつもならば、ますますらしく美しくなっていた田丸さんが、まずはお聞きしますというのを経て、それからゆっくりイ氏と、であるのに、田丸さんは別のひとにかかっていたのである。

さて話を戻そう。
イ氏してくれた新しい話である。

四月から報酬制度が変わる、との話なら、ふつつかながら小耳に挟んであった。が、それでは、ない。

今月から変わってね、ひと月分出せるようになったんだよ。

しかしそれを聞いたわたしは、

おお。なんて素晴らしい。

とまでは、ゆかないのである。
なんとも言い難い顔のわたしに、イ氏は続ける。

まあ、だからといって値段は変わらないんだけどね。

それが大事である。

ジェネリックがまず出てくることがないであろうものであるから、たとえば、海外にひと月ほど出張にゆかねばならない、といったことがない限り、まとめて出してもらっても得することがないのである。

一度に諭吉らを出すか、一葉と英世らで分けて出すか、の違いくらいしかないのである。

これまで通りで、と答えると、そうだよねえ、と笑ってうなずく。

なにせひと月も間をあけてのご対面である。
何から話そうか、と互いに手探りの感がありありで、なかなかむずがゆいところが、ある。

こんなの、読んじゃってるんだけど。

上品な革のカバーに挟まれた本を差し出す。

お。隆明さんですか。

吉本隆明氏による著作であった。

言語だったか、言葉だったかによる美の云々とかいった題名であった。

耳が、いや目が、いやいや胸元が、はたまた腹の奥底が、ぐわらがぎん、と痛く響くような題名であったので、都合よくあまり見ないようにしたので、あまりにも心許ない題名の紹介で、まことに申し訳ない。

いやいや、ムズカシイ内容じゃあなくてね。

イ氏は、いともあっさりと中身を紹介する。

言葉とは、指示表出となんたら表出である、らしい。

指示表出とは、無個性の万人による共通認識のものであり、なんたら表出とは、個々の観念や感性や感情などを含ませたものである、とのことらしい。

つまり、たとえば「カレンダー」であれば、

日付を表したもの、暦、

というのが、いわゆる指示表出であり、美しさも感慨も何も求めない。

が。それを、

我が子が生まれてきてくれた日、成長を記すもの、または泣き笑いの記憶

であったりするものであることを、聞き手や読み手に伝えられるかどうか、が、美しいかどうかの違いなのである。

はなはだこのような機会がかさなるとは、まことにもって得難いものである。

なにかしらの転機を、もたらされているのやもしれない。

じゃあ、また来月ね。
いやいや、再来週あたりですって。
ああそうか、ごめんごめん。

イ氏が笑って送り出すべく手を振り、パタパタと部屋を別の扉から出て行く。

わたしがまだ荷物も上着も支度していないうちに、誰もいなくなったのである。

やや、不用心な。

ソロソロとひとり勝手に出て行くのも、ぬすっとたけたてかけたたてかけたけだけしいように思えたのである。

のそりのそり、と荷物をまとめて、ゆったりと上着をたたみ直して腕に持つ。

パタッタッタ。

ビニル床タイルのサンダルをはたく音が、案の定、こだまのように帰ってる。

いやぁ、走って受付までいってきちゃったよ。

走っていってきちゃわねばならない理由など、なにもないはずである。

お花畑の仲睦まじい男女であれば、

あはははは。
おほほほほ。

となるのであろうが、そうではないのである。

あ、あはははは。
まあそんなムリしなくとも。

が関の山である。

じゃ、失礼します、ときちんと挨拶をしてから、今度は揚々と部屋をでる。

受付までの長い廊下を、ゆるゆるとたどる。
別室で田丸さんが、シーバップの使い方を懇々と説明しているのが見えたのである。

その他にも、待合室にはひとの姿がちらほらあり、やはりもうすこし遅い時間に訪ねるのがよかったか、と宙につぶやく。



2010年04月06日(火) 「ひとり日和」

青山七恵著「ひとり日和」

芥川賞受賞作である。

都内にひとり住む親戚の祖母・吟子さんの家に、高校を卒業して進路がなにも決まらない知寿が、一緒に暮らすことになる。

ひとり同士の、共同生活。

どう生きたらよいかわからない若い知寿。
ずっと生きてきた吟子さん。

悲しいことや辛いことなんかを通り過ぎてきた吟子さんくらいの歳にワープできたらいいのに。

知寿のやや乱暴だが素直なひと言である。

外の世界で、わたしはやってゆけるかな……。

吟子さんの家を出て、本当のひとり暮らしをはじめようとするときに、新しい世界(生活)への不安をこぼす。

外もなかもないわよ。世界はひとつっきりなんだから。

吟子さんが、答える。
歳を経ないと、なかなかわからない言葉である。

世代が離れた者同士が同じ時間や場所を共有する物語は、それこそ当たり前のように様々な差異に満ちたものとなる。

ときにあたたかく、
ときにつめたく。

巻末の解説に、透明感のある文章、と評されている。

透明感。

声ならば容易に想像ができるが、文章ではどうだろうか。

しかし実際に読んでみると、「なるほど」とあっさり理解できてしまったりするのである。

芥川賞作品の多くの特徴は、そこにあるのである。

透明感であったり、
寂寥感であったり、

はっきりしているものでは、

孤独感であったり、
絶望感であったり、

である。

しかしそれらだけで、いくらおしくらまんじゅうされてひしめき合っていても、仕方がないのである。

あたたかい非情さ、
つめたい温もり、

ゆるかな激しさ、
寂しげな愛しさ。

相反するものがそこに同じにあるからこそ、惹かれるものがあるのである。

やがて形にできるようにならねばならないのである。



2010年04月04日(日) 「シャネル&ストラヴィンスキー」

「シャネル&ストラヴィンスキー」

をギンレイにて。

世界的有名ブランドであるココ・シャネルと密接な関係にあった作曲家ストラヴィンスキーの、なんとも深く熱く、しかし寒気すら覚えずにはいられない、しかししかしやはり深く熱く激しい物語である。

いわゆるシャネルの「No.05」とストラヴィンスキーの名曲「春の祭典」が生まれた秘密、とのことであるが、これは、つまり、奪い、失い、与え合ったからこその、それぞれの名作、ということなのである。

妻子あるストラヴィンスキーを、シャネルはパトロンとして家族ごと別荘に招き、暮らすよう誘う。

理解者がなく、作曲活動をするには申し分ない誘いであり、プライドはあるがストラヴィンスキーはやがて受け入れることにする。

が。

やがて、なのである。

激しく創造家である大人の男と女は、ましてや、その才と欲を否応なしに発揮するためには、やむを得ないこと、になるのである。

それなくして成し得ない、とはいいがたいが、また否定もしがたいのである。

とにかく、ひたすら静かな描写のために、逆に動的な激しさを秘めていることが、じわりと肝の底からにじみあがってくるような作品である。

が。

いかんせん、静かなのである。


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