★悠悠自適な日記☆
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2002年09月30日(月) 少女お漫画

 9月に入ってから、めちゃくちゃ少女漫画を読みます。みんな当然の如く受験生モードで、特に私なんかは9月後半から10月前半にかけて出願なので漫画なんかにうつつを抜かしている暇なんかないワケです。なので8月には漫画を心の中で封印したつもりでした。しか〜し、新学期始まると、周りのいろんな友達が「○○の漫画読む〜?」と声を掛けてくれるのです。そこで私は考えます。「いや〜、せっかく貸してもらえるんなら読んでおかないとな…。こうやってみんなと漫画の話題で盛り上がるのもあとちょっとやし…。」しかも、友達が貸してくれる漫画は面白いから、ハマるんです。

 ちなみに今月読んだのは「あさきゆめみし」「めぞん一刻」「輝夜姫」「天は赤い河のほとり」「彼氏彼女の事情」「CLOVER(CLAMPじゃない方)」「ホットギミック」「グッドモーニングコール」…これくらい読んでます。少女漫画ばっかりです。特に今ハマっているのが「天は赤い河のほとり」ちょっと古いのですが、古くても名前が結構残っている漫画はおもしろいです。ファンタジーなんか読んでる歳じゃないワ…な〜んて思っていたら、ハマル、ハマル。まだ乙女心を持ち続けていられる自分に少し安心しています。(笑)。

 中学生の頃はずっと少年漫画を読んでいましたが、少年漫画は一気に読まないと話についていけなくなるので根気がいります。最近はめっぽう少女漫画です。ストーリーよりも、(もちろんストーリーは大事なのですが)それ以上にラブロマンスを楽しんでいるという感じです。少年漫画に出てくる男はカッコイイのですが、やはり少女漫画の方が、女にとって都合のいい理想の男性が出てきますから。平凡な女の子はその辺に惹かれるのかもしれません。飢えてるんでしょうか…。

 私は基本的に王子様が好きみたいです。いつも自分だけを愛してくれて、白馬に乗って現れて、金持ちで…。漫画の中に好きなタイプの男性がいると「私なら永遠にこの人に尽くせるだろうな〜」なんて妄想を展開したりします。しかし、実際のトコロ私は、男性と肩を並べて生きていきたいと願う女なので、絶対に尽くすタイプではありません。炊事洗濯子育てみな分担!親との同居は絶対NO!などとちょっぴりジェンダーを訴えて好き勝手なことをする性質(=タチ)です。

 そんな私が愛に溺れてもいい…な〜んて少女漫画を読んでいると思ってしまうのです。少女お漫画の中にはイイ男がいっぱい。


2002年09月27日(金) 思わず涙が出ること。

自分のことを掘り下げることって、ホンマツライ…。


2002年09月23日(月) にじ・そら・ほし・せかい

 テレビのチャンネルを適当に回していたら、衝撃的な音楽を耳にしました。とにかくスゴイんです。何がスゴイって、世界観が。聴いた瞬間、心にスーっと流れてくるのです。宇宙が生まれる音です。私がチャンネルを回した時はもうその音楽が終わろうとしている時で、私は最後のちょっとを聴いただけなのに、私はしばらくそこから動けなくなってしまいました。この歌を聴くのは初めてです。しかし、私はこの「音」をずっと前から知っていると感じました。

 何の番組だろうと思ってそのままにしていると「おかあさんといっしょ」であることが判明。私はすぐさまパソコンを起動しました。「この『音』は私の体の中にある音だ…間違いない。」

 私は「おかあさんといっしょ」「吉良」で検索をかけました。

              ヒット。

 49件の検索結果。歌のタイトルは「にじ・そら・ほし・せかい」「おかあさんといっしょ」の9月のうただそうです。作曲者は、やっぱり私の体の中にある音楽を作った人、「ZABADAK」の吉良さんでした。(吉良さんは、演劇集団キャラメルボックスの音楽を手がけていらっしゃったりします。)子供番組なのに、なんてスケールのデカイ音楽なんだと思いました。今でも染み入るように広がるその音楽の旋律は私の中で広がり続けています。私はこの歌のCDを絶対に手にいれようと決心しました。

 子供大衆向けの音楽の中にも、こんなにいい音楽があったりします。とくに「おかあさんといっしょ」「みんなのうた」には驚かされることが多いです。たま〜にこんな収穫があったりするから、子供番組にも耳を傾けたりします。

 「にじ・そら・ほし・せかい」ホントにいい曲です。9月いっぱい放送されているそうなんで、ぜひ聴いてみてください。吉良さんの音楽はオススメです★☆

 私は芝居に、こんな音楽を取り入れたいと思っています。
 


2002年09月19日(木) 私は演劇依存型人間…ではなかった。

 最近、毎日がすごく楽しかったりします。普通に学校行って、普通に授業を受けて、友達とおしゃべりで盛り上がって、時には進路の話なんかもして…そんな生活がとても幸せに思えます。

 今まで演劇部で芝居をやっていて、年中てんてこ舞いで、自分の目のやり場が台本、稽古場、部員の間でしか繰り返されていませんでした。部活以外に大切な友達はいたけど、いつもどこか芝居の次みたいな形になってしまっていて、同じ目線で向き合えていなかったのかもしれません。

 でも今は、友達と正面から向き合う余裕があります。実際は進路なんかでみんなかなり忙しいのですが、その忙しさの中にも、私はまだ友達を受け入れる袋みたいなのがあって、それが広がり続けています。正確に言えば、最近広がり始めたという感じです。もっと友達と仲良くなりたいし、色んな人と話ができたらいいなと思うのです。友達と話をする時間は勉強をする時間と同じくらい貴重に思えます。

 時々、演劇をやっている人の中で、「自分は演劇さえあればいい」「舞台の中で生きていけたら私生活はいらない」という考え方をする人がいます。結構います。舞台の上は、生まれてからそれまでの自分の生き方を全てチャラにして、自分とは違う人間として生きることができるというメリットがあるからです。その人達は舞台の上だけを自分の人生と考えてるので、私は「演劇依存型」と呼んでいます。

 私は「演劇依存型」の人達を非難するつもりはありません。演劇を生きがいとして人生を楽しめるならそれはいいことです。何が言いたいのかというと、私は最近まで、自分のことを、この「演劇依存型」のタイプの人間だと思っていました。「芝居さえあれば私は生きていける」と本気でそう思っていました。でも、そうじゃなかったんだなぁと分かるようになりました。

 ところが、最近、芝居をしていない毎日がとても楽しいのです。もちろんそれは「芝居がないから幸せ」ではなく、芝居がなくなってしまえば幸せもへったくれもないのですが、私は私生活(ここでの「私生活」は、芝居をやっていない生活のことを指します。)の中にしっかりと楽しみと生きがいを見つけています。私生活の辛い事は、芝居に逃げなくても私生活の中で解決していけるパワーがあります。

 芝居から離れて、自分にとっていかに芝居が大切な存在であるかということ、それと同時に、芝居のない生活にどれだけ目を向ける場所があったのかということ。最近それに気付いた気がします。私は舞台の上の世界と、目の前に広がる世界、どちらも大切で、だけどどちらにすがることもなく、無駄なく人生を楽しめている気がします。


2002年09月16日(月) メロン

昼食の後、デザートにメロンが出ました。
母は食べる時期を計算して、すぐに食べられそうなおしりのやわらかいものと、もうしばらく置かないと食べられないおしりの硬いものの2つを買ってきていたそうです。
やわらかかった方は先週に食べました。
硬かった方も、一昨日触ったらやわらかくなっていたのでそろそろおいしく食べられるだろうと思い、冷蔵庫で十分に冷やしてから、今日ナイフを入れました。
先週食べた物がとてもおいしかったので、その味を楽しみにしながら。
ところが、いざ口にしてみると、硬い、甘くない、マズイ。
父は「こんなにマズイメロンは初めてや!」と呟きました。
気が付けば母もスプーンを置いています。
私も「メロンが甘くないんやったら、お前は何のために生まれてきてん!」
と言ってやりたくなりました。
いや、言いました。
しかしその瞬間、なんだかとても後悔しました。
だから、私はそのメロンを、最後までしっかりたいらげてやりました。
やっぱり、甘くなかったです。


2002年09月15日(日) こころの解明 実験心理学から応用心理学へ

 日本基礎心理学会主催の「こころの解明 実験心理学から応用心理学へ」という講演会に行ってきました。私のような高校生ばかりが集まってくると思っていたので、まるで敵地に飛び込んでいく兵士のような気分で気を張り詰めて、会場である某D大学へと向かいました。ただでさえ方向音痴の私ですから、電車に乗るだけでもピリピリです。JR京都駅で改札を出てロッテリアで昼食をとったあと、時間があったので少しCDショップでぼんやりしていると、元来た道がわからなくなって、地下鉄に乗るまでは冷や汗ものでした。何とか辿り着いたのでよかったのですが…。

 講演会は、ほとんどがオバチャンで少し拍子抜けしました。高校生もいたのですが、どちらかというと、心理学科を目指す受験生より、心理臨床家を目指す大人の方が多かったです。中にはヤンキーみたいなのや中学生と思われるような子もいてビックリしましたが。

 講演会は、私的にとてもおもしろかったです。同志社大学の青山謙二郎先生(めちゃめちゃダンディな方でした★)の「食べる行動の法則を探る心理学」では私の中の心理学のイメージががらっと変わりました。例えば、餃子をずっと食べ続けていると、時間と関係してだんだん食べられる量が減ってくる…。これは一見脳の中の満腹中枢や空腹中枢の問題で片づけられてしまいそうですが、この法則の中には、心理学の法則が成り立っているのです。しかも、この実験から、ダイエット方法までがわかってきます。数学が出てきた時は少し焦りましたが…。

 その他、京都大学の吉川佐紀子先生の認知心理学や、川崎医療福祉大学の嶋崎まゆみ先生の臨床心理学など、おもしろいお話ばかりでとても楽しい時を過ごせました。改めて自分がなぜ心理学をやりたいのかを考える絶好の機会となりました。

 気を張り詰めて行って、内容も濃かったので、帰り道ではどっと疲れが出ました。ぼーっと阪急電車の中で書類を読んで立っていると、前に座っていた老夫婦が「どうぞ座りなさい」と言って席を詰めてくれました。世の流れは老人に席を譲りましょう〜なのに、老人に席を譲られている私って一体…?でも、その老夫婦の気遣いは、疲れていた私にはとてもありがたかったので、いつか、この老夫婦ではないけれど、目の前に老人が立っていたら、席を譲ろうと思いました。

 そしてとことん気の抜けまくった私は三ノ宮で何故か突然アーノルドパーマーのベストと、稽古着にするジャージが欲しくなってつい衝動買いしてしまいました。買い物も衝動買いするのも久しぶりです。後で財布の中を見ると280円しかなくて泣きそうになりました。これも臨床心理のデータのひとつとなるのでしょうか…?


2002年09月09日(月) 大阪の街で育つ文化。

 小学5年生の時、初めてお笑いを観に大阪の吉本の劇場へ連れて行ってもらえることになった。お笑いといえば漫才、落語などといろいろあるが、その中で私は“吉本新喜劇”が一番好きだ。我が家には毎週吉本新喜劇が始まる時間になると、一番手の空いている者がビデオに録画をするという暗黙の掟がある。普段家族全員が揃うことなど滅多にないのに、そのビデオはたちまち家族全員をリビングに集結させてしまう。我が家における吉本新喜劇は一家団欒の鍵となっている。

 そんな訳で、私が吉本新喜劇を観にいくということはディズニーランドに連れていってもらうことの何十倍もビッグなイベントだった。しかもその日、連日満員である劇場に当日券で入るという最大のハンデを背負いながらも、私は運良く前から二列目のど真ん中の席に座ることができたのである。マイクを通さずに舞台上の人の声を聞くことのできる位置で本場のお笑いを楽しめるということはこの上なく幸せなことだった。テレビでは味わえない感動がそこにはあった。

 ところが、吉本新喜劇が中盤に指しかかった頃、私は信じられない光景を目にした。なんと、私の斜め前に座っていた中年のオッチャンがいきなり新聞を広げて読み始めたのだ。しかも堂々と。高い入場料を払って、しかも芸人さんの立っている舞台のすぐ前という最高のポジションで、この人はなんてバチ当たりなことをするのだろう。私はだんだん腹が立ってきた。吉本新喜劇の定番ギャグに「邪魔するんやったら帰ってぇ!」というのがあるが、正にその通りだった。

 あのようなことは大阪ではよくあることらしい。しかも、犯人のほとんどは地元の人が多いそうで、地方からやって来る人ではないという。お笑いは大阪の誇るべき文化であるというのに、一体どうしてしまったのだろう?

 ところが後で、あれは妨害ではなく、その人から芸人さんに対する“挑戦”であることがわかった。「どや!悔しかったらもっと笑わしてみい!」という意思表示であるというのだ。このような観客の行動は昔の演芸の世界ではどこにでもあったらしい。そしてその名残りが大阪だけに根を生やしたのだ。私はこの話を聞いたときは唖然としてしまった。それまで、お笑いといえば舞台の上やブラウン管の中から提供されたものを観客が受け取るという受動的なものだと思っていたからだ。しかし大阪だけは違う。能動的なのだ。そういえば、大阪のオバチャンが街で芸人とすれ違うと声を掛けて熱心に駄目出しを始めるという話も有名だが、これも能動的行為の表れだと思う。そしてそれを受けた芸人さん達はより笑ってもらうためにはどうすればいいのかを考えるという。大阪の人にとってお笑いは「見る」ものではなく「参加する」ものなのだ。これが大阪でお笑いが育つ原因なのかもしれない。

 そしてこの積極性はお笑いだけでは留まらない。例えば最下位が続いてもチームを見離さない阪神ファンは、たまに順位が上がったりするだけでも大騒ぎだ。大阪の人は他人の活躍を自分のことのようにとらえる熱い生き物なのである。そしてそれを誇りとしているようにも見える。今では飛び込みの名所として、大阪の名物になってしまった道頓堀も、この熱い人達が生み出した文化だ。

 では、なぜ大阪の人はそんなに熱いのか?生まれつきそういう血が流れているのだろうか?いや、そんなはずはない。これは私の勝手な推測だが、大阪人の熱い性質は大阪という環境が生み出したものではないかと思う。徳川家康が天下を統一してから日本の中心は東京で、大阪はいつも二番手に見られてきた。かといって京都程歴史文化財が残っているわけでもない。そんな中で、大阪の人は自らの手で文化を作り上げていこうという精神が自然と出来上がってしまったのかもしれない。そこで生まれたのはお笑いだったり阪神タイガースだったり、道頓堀だったりするわけだ。そうやって文化として育ったことを誇りに思い、ますます積極的に文化を育もうとして、後はそれを繰り返しているのではないかと思う。

 他の地域がこれまで培ってきた文化に保守的であるの対し、大阪は積極的に参加して育てようという姿勢が見られる。芸人の前で新聞を広げることも、道頓堀に飛び込むことも決してよいことではない。しかし、このようにパワー溢れる大阪の人達を見るとついつい応援したくなってしまうし、そんな元気な大阪の街を愛しいと思う。


2002年09月06日(金) 炸裂して話そう。

 友達が担任と雑談をしていたそうな。そこで私の話題も出てきたようで
友達 「ナカシマ(私の本名)は受かりますかね〜」
担任 「友達と話すように試験官の前でもトークを炸裂させてくれたらええねんけど。あいつは大人の前ではめちゃめちゃ緊張しいやからな。」
友達 「某先輩(私の先輩には絶対に口で勝てないスゴイ人がいる)みたいなの?」
担任 「あんなんやったらそれはそれで困るけどな、アイツの受ける入試はそういう奴ばっかりが集まってくるから、ここで自己アピールが下手なんは致命的やな。ていうかアイツこんなんで出願できるんやろか?」

…と友達は担任に言われたようです。いや、担任の言ってることは間違ってないです。でも、私はその担任の言葉を、友達からではなく、担任から直接聞きたかったなと思いました。ちょっとショックでした。何で私には思っていることを話してくれないのでしょうか?気遣いのつもりでしょうが、私にはかえってそれが残酷です。

昨日はもっと落ち着いて話そうと誓ったのに、今日になると全く逆の要求をされます。ちょっとしんどいです。炸裂トークしてる私も、おどおど話している私も、どっちも本物の私で、逃げも隠れもしないのにさ。


2002年09月05日(木) 落ち着いて話そう。

 下校中に公務員試験を受ける友人と面接の話をしました。私はその友人に「ゆっぴー(ガラにもなく私のあだ名だったりする)は話をしてて興奮すると、めっちゃ早くなって声がデカくなるから、面接の時気をつけた方がえーで。」と言われました。確かに、私は友達と話をしだすとマシンガントークが炸裂して止まらなくなります。きっとそれで日頃友人に迷惑をかけていることも多々あります。しかし、私は極度の緊張しいで口下手なので、さすがに面接でやらかすことはないやろうと思い「大丈夫やって〜。」とカラカラ笑ってその話は終わりました。(しかし、極度の緊張しいで口下手って面接では最悪です。っていうか面接までいけるかどうかわからないのですが…)

 後になって、その友人の発言は私に「そんなにあせらんでも(私の話を)聞いてるから」ってことを意味してるんじゃないかなあ〜と考えました。そう考えると、自分が話をするのに気張らなくても、友達は受け入れてくれるんだな〜と思えてきて、なんだか改めて友達の暖かさを実感しました。これからはもっと落ち着いて、でもハッキリと相手にわかりやすく話すように努めたいと思います。


嶋子 |MAILHomePage

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