★悠悠自適な日記☆
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2002年08月30日(金) 森高千里な…

 昔のCDを引っ張り出して森高千里の「TAIYO」というアルバムを聴いています。昔はこういうのばかり聴いていました。ちなみに、私が始めて自分で買ったアルバムは同じく森高千里の「DO THE BEST」です。

 最近は森高千里もJ−POP業界をにぎわすことはなくなりましたが、改めて聴くと彼女のすごさがわかります。それは「詩」です。森高さんの歌は、物語なんです。社内恋愛の話だとか(ちなみに「できるでしょ」)、田舎に住む長男とその彼女が東京へ上京しようとする話(ちなみに「長男と田舎もん」)など、情景、セリフ、自分の気持ちが素直に詩に表現されているのです。短編小説を読んでいるような気分になります。そしてその短編小説の主人公にふさわしい美声の持ち主でいらっしゃいます。私の「ずっと聴いていたい歌声ランキング」のベスト1に入ってきます。

 父は単純すぎて好きではないと言いますが、この単純さをこんなにも人間味たっぷりに美しく歌い上げるのは今のところ森高千里しかいないと思います。最近のJ−POP業界は新しい人がどんどん出てくるのに、森高千里に続く人がいないということはそれだけスゴイということです。

 何気ない毎日の中にある物語を旋律の中に生み出すこと。本人が素晴らしい生き方をしていないとできないことです。それができる森高さんの目線が大好きです。


2002年08月28日(水) 夢小説1 出産をする夢

19歳になった私は産婦人科のベッドの上に寝かされていた。産婦人科の男の先生は言う。
「もうすぐ陣痛が始まるから落ち着いてね。」
母がやってきて私の手を握る。かなり心強い。しかし、突然母の携帯に父からの連絡が入る。(病院で携帯電話はいけません!)電話で父と話し始めた母はだんだんと不機嫌になっていくのがわかった。電話を切る直前に母から出た言葉
「離婚やね…。」
母は仕事で父が来れなくなったと私に言う。が、そんな大した事無いことではないということはすぐに分かった。空気が一気に重くなる。看護婦さんは私が気を落とさないようにテレビを付けて、
「ホラ、元気が出るように吉本新喜劇でも付けてあげるわ。」
なんて私の趣味を理解している人なんだろう…っていうか分娩室にテレビがあるんかい!新喜劇を横目に私はラマーズ法の練習を始めた。するとだんだん呼吸が苦しくなってきた。どうやら本格的に陣痛が始まったらしい。苦しい。息が上手くできない…。

 すると、今度はたくさんの友達が駆けつけてきた。(いや、何で分娩室に友達入れるねん!)意識が朦朧としているのでハッキリ人数はわからないが、きっとかつて共に青春を過ごした市演メンバーだということだけは分かった。市演仲間の一人であるぴ〜にゅんが入ってくるなりこう言った。
「シマコの苦しみを和らげるためにいまからみんなでおもろいことするわ!」
するとみんなはイキナリ阿波踊りのような不思議なダンスを始めるのである。吉本新喜劇に阿波踊り…なんともにぎやかな分娩室である。私は友の熱意のあるダンスに励まされて、次の瞬間、私は無事出産を終えていた。超安産だそうだ。みんなは拍手をしてお祝いをしてくれる。また踊り出す奴もいる。

 看護婦さんは赤ん坊を抱きかかえて私のもとにやってくる。女の子だ。私はその子がとても真っすぐキラキラした目で私を見つめていたので、ほぼ直感で「真緒」(まお)と名付けた。
 しかし、ここで私は大切なことを忘れているのに気付く。そう、父親の存在だ。それまで誰も問い詰めなかったので忘れていたが、父親がいないのである。わからないのではない。「いない」のだ。どういうことかというと、私は子供ができるような行為を一度も経験していないのである。いや、あったっけか?私は必死で思い出そうとする。しかし、ないものはないのだ。そのことを正直に先生に告げると先生はビックリして、
「想像妊娠で子供が生まれることはありえないし、それがもし本当だとすると君は貴重な存在だ!」
とおっしゃった。そりゃそうだろう。やっぱり私は子作りを“経験”したのだろうか?何度も思い出そうとしたがやっぱりわからない。

 とりあえず、当分の間はシングルマザーとして生きて、もし私を娘ごと一緒にもらってくれるような素敵な相手が見つかったらその人と結婚しようと、ぼんやり考えながら家に帰った。自分の腹を痛めて産んだ子。真緒は、自分のもとでどうしても育てたいと思った。

 家に帰ると(真緒はまだ病院にいる)、リビングで父がテレビを見ていた。父と母は相変わらず口を利かない。私はどうもそこにはいづらいと思ったので2階に上がり、パソコンを起動させる。自分の掲示板で出産の報告をしようとした。すると、部屋の扉を誰かがノックする。高校でお世話になった英語のY先生がお祝いに来てくれたのだ。この先生には「なっちゃん」という子供がいて、夫がパン屋さんを経営しているにも関わらず、自分は英語教師として夢も子育ても両立していて、カワイくて素敵な先生だ。Y先生が言う。
「これから母親として、大人として生きていくことになるけど、しっかり責任持ってがんばってね。ナカシマさん(私の名字)やったら大丈夫やと思うけど。」
「ハイ。先生は子育ても仕事も両立していらっしゃってとても尊敬してます。私はこれからシングルマザーとして生きていくことになると思うので、また相談に乗ってください!」
私がそう言うと、Y先生は笑顔で「OKOK!」と言いながら帰っていった。この言葉は先生の口癖でもある。

 私は再びパソコンに目を向けた。掲示板にはいつもの役者仲間の名前が並んでいる。掲示板は自分達のする芝居の公演内容に花が咲いている。その掲示板に私は「無事出産しました。名前は“真緒”にしました!」と簡潔に書き込んで送信ボタンを押した。
 今日は早く寝ようと掲示板を閉じようとし、右上の×ボタンをクリックしようとした。が、その時、これまでにない恐怖が私を襲った。私の生活はどうなんねんやろう…。何して働くの?私に何ができるの?子連れの結婚なんてそうできるもんとちゃうし。ずっと真緒の側にいてあげたいけど、芝居は?そう、芝居。私の夢はどうなるん?まだ子供の私が、大人社会に守られてる私が、一人の人間を育てることができるん?無理や…絶対無理に決まってる…どうしよう…コワイ…!!
 
 夢やったらいいのに…。ユメヤッタライイノニ…。そう思うと、急に私の頭の中が真っ白になった。

 次に目を覚ました時、私は自分の布団の中にいた。枕元にあった携帯電話を開くと2002年8月28日18:00と表示されている。17歳の私がそこにいた。
「よかった…ちゃんと現実や…。」

 私は妊娠や出産の知識は保健ぞ授業程度しかないし、この夢自体もおかしいやん!っていう箇所はたくさんあったけれど、夢の割には自分の心の動きとかがすごくリアルで、その時のセリフのひとつひとつが鮮明に浮かび上がります。19歳で出産、シングルマザー、2時間弱の昼寝の中でものすごくたくさんの経験をしました。
 あとでちょこっと夢診断をしたところ、性的欲求不満や自分の能力を示さなければならないという現在の抑圧や将来に対する不安の表れだとか…。詳しくはわかりませんが、ろくな結果ではありません。しかし、エッセイは相変わらず書けていなかったり、今日友達とラブホの話をしながら帰ったり、少女マンガを読んだり、そういう経験談のテレビ番組を見たのが大きく影響している気がします。いやはや。


2002年08月22日(木) HAPPY BIRTHDAY TO 内場勝則

 エッセイを書くために(もうコレが信じられないくらい追い込まれていたり)資料として「ゲラゲラハッピィ」という吉本新喜劇公式ガイドブックを購入。このガイドブックは吉本新喜劇が40周年を迎えた時に出版された本で、今ではよしもとショップでないとほぼ購入不可能な品です。この本が出版された時から「見つけたら買おう!」と決めていたのに、そういう時に限ってお金がなかったり、「いつでも買えるからええわ」と諦めたりで、いつの間にか忘れていました。

 ところが、吉本新喜劇でエッセイを書くにあたって、どうしても資料が欲しい!と思った時に、ふとこの本のことを思い出しました。今はネットで欲しい本がすぐに見つかる時代。すぐにジュンク堂でネットショッピングで購入を決めました。本のネット販売をしている業者はたくさんありますが、ジュンク堂なら神鉄駅の売店での受け取りにすると送料が無料になってオトクです。便利が悪く、運賃高すぎでいいとこナシの神鉄沿線にもたまにはいいことがあるってなモンです。

 とはいっても購入がスムーズに進んだ訳ではありませんでした。ジュンク堂に在庫は何とか一冊だけ残されていたものの、それにはカバーにヨレがあるもので、美本を新たに用意するとなると一ヶ月かかると言われたり、詳細のメールが送信ミスで中々届かなかったり…。「買おう!」と決心してから役3年(多分)。今日やっと手に入った時は、初恋の人にやっと気持ちが届いたような気分でした。ヤワラちゃんではありませんが、本当にそう思いました。

 本のヨレもさほど気にならないもので、内容も充実していてとっても満足しています。新喜劇のベテラン俳優から若手の端役までバッチリインタビューが載っていて、それぞれが、どういう経緯でどんな気持ちで新喜劇をやっているかもが詳しく書かれています。私が知らない花紀京さんや岡八郎さんの古い新喜劇からの歴史、新喜劇が本当に潰れそうになった理由、復活までの過程、役者のギャグ事典など、とにかく私が欲しかった情報が満載でした。

 もちろん、全ての情報が自分にとって都合のよい物ではなかったのも事実です。現役の俳優さんの中に、今の座長制度が気に食わないという人がいたり、これからダメになっていくやろうっていう意見があったのには考えさせられるものがありました。そういった意見を受け入れることも覚悟した上での購入でしたが、やはり少し淋しさを覚えます。

 さて、役者のプロフィールを見て思い出したのですが、なんと今日は新喜劇のスーパー座長、内場勝則さんの誕生日です。内場さんも今年で42歳。ここ最近夕食時には毎日絶頂期だった新喜劇を見るのが習慣となっているのですが、昔の映像を見ていると、やっぱり老けたなと思います。昨日ビデオで見た内場さんは36歳。その頃と比べると最近は演技も少し大人しくなった様に見えます。トップスターというよりも、確実にベテランの域に入ってきているのだということを感じさせられます。

 そういえば、私が小学6年生だった今日、初めて内場さんにファンレターを書きました。当時は本当に内場さんにお熱で、その時の手紙には「将来は内場さんと同じ舞台に立ちたいのでそれまで待っていて下さい。」と書いたのだけはハッキリと覚えています。かなり恥ずかしい内容だったのでポストに投函したかどうかは覚えていませんが、その時の気持ちが少なからず今の私にもあり、現在内場さんと同じ「芝居」と関わって生きていられる事を考えれば、小学6年生の真剣な思いも捨てたもんじゃないなと思えます。

 ずっと探し求めていた本と出会えた日は偶然にも尊敬する内場さんの誕生日。昔の気持ちを思い出し、なんだか運命的な再会をしたようでホクホクしながら帰路に着きました。勝則さん、お誕生日おめでとう。


2002年08月17日(土) 痴漢少年

 今日は本当に胸クソ悪い一日でした。(女の子が使う言葉じゃございませんが。)

 というのも、痴漢に遭ったのです。しかも中学生に!!私が住宅街を歩いていると後ろから猛ダッシュでぶつかってきて、よろめいたところですかさず乳を揉んで(3回…笑)そのまま走って去っていったのです。アディダスのショルダーバッグを持っていたので多分塾帰りかなんかの中学生でしょう。痴漢に遭ったのは初めてだったので驚いたのですが、結構冷静に、追いかけることよりも真っ先に辺りを見回して犯人の「仲間」を探しました。相手は中学生ですから。きっとグループで考え出したイタズラかやらせだと思ったのです。走って逃げた犯人よりもその「仲間」をつかまえた方が早いととっさに判断したのです。結局見つからなかったのですが、犯人の顔はバッチリ見たので、今度見つけたらしばき倒してやりたいと思います。

 私はすごく腹を立てているのです。というのも今日は模試で、自己採点したら最悪だったし、先生に持っていった課題のエッセイもすんなりボツを喰らいました。これは私自身の責任であるのですが、事件が起こったちょうどその時、私は反省を交えつつ次のエッセイのネタをせっせと考えながら歩いていたのです。その時の犯行です。考えていたネタが一気に吹っ飛んでいきました。だから許せないのです。私のネタを返せ!!たいしたネタではなかったような気もするのですが、その思考回路ショート寸前な私の脳みそをあんな中坊に粉砕されたのに腹が立って仕方ないのです。

 私は今まで痴漢といえば電車で、中年のオヤジが顔をヘラヘラさせながらケツを触ったりするものだと思っていたので、あんな中学生に、広い道路でやられるなんて最悪です。

 だいたい、あんな勢いで乳を2、3回揉んだだけで彼の性欲は満たされるのでしょうか?私の下着は結構しっかりしているものだったので、胸の感触を楽しむにはイマイチですし、そんな大した代物ではございません。私のは。制服は汗びっしょりでベトベトしていたし、一体何がよかったのでしょうか?スリルでしょうか?腹が立ったと同時に少しその少年に同情してしまいました。

 しかし、スリルごときに私の胸が利用されるなんてことはやはり悔しいことです。「中学生だからって許されると思うなよ!やってるこたぁ中年のオヤジと一緒やねんぞ!ただでさえピリピリしてる私に顔を覚えられてんだからただで済むと思うなよ!アホンダラボケカス○#★☆…」
と心の中では叫んでおります。

 家に帰って家族に話をすると「それ自慢やろ〜」とか、「明日は一博(弟)が女装して“おとり(囮)”作戦や〜」とか、「いや、姉ちゃんがもう一度そこで待機して“ことり(小鳥)”作戦や〜!」とか騒いで楽しそうです。アホすぎてよけいに腹が立ちました。
 
 私は本当に怒っております。
 


2002年08月15日(木) 吉本新喜劇のすゝめ

 私は自他共に認める吉本新喜劇マニアである。というのも、我が家では毎週土曜日の昼食前になると呼ばれなくても全員がリビングに終結し、その中でも一番手の空いている者が「吉本新喜劇」をビデオに録画するという暗黙の掟があるからだ。こうして毎週録画を続け、特におもしろかったものは永久保存版として大事に保管される。もうかれこれ10年くらい続いているが、それでもたまに録画を忘れたりするわけで、そうすると少なくとも3日間は文句を言われ続ける。とにかく、我が家における吉本新喜劇とは三度の飯と同等に扱われるのである。これで新喜劇に詳しくならない訳がない。今では家中の誰もが最初の10分を見ただけでストーリーが読めてしまう。なんともくだらないことに情熱を注ぐ一家である。

 では新喜劇の何がそんなにおもしろいのか?それは、新喜劇独特のワンパターンなギャグとストーリー展開にある。平和な日常の中にある日突然おかしな奴がやってきて生活をめちゃくちゃにする。やっと馴染んできたかと思いきや今度はヤクザが暴れ回る。しかしそのヤクザも最後にはおちょくられてやられる。基本的にハッピーエンド。昼食を食べながら、こたつの中でせんべいをかじりながら何も考えずにヘラヘラ見るのが最も理想的な観劇方法である。劇場でも飲食可能になっている。お気軽さが売りだ。

 それから座長の存在も忘れてはならない。座長の存在は大きい。その週の座長で新喜劇のカラーが決まる。新喜劇の座長は伝統的に3人いる。何故3人かというと昔吉本には「なんば花月」「うめだ花月」「京都花月」という3つの劇場で吉本新喜劇を運営していた時の名残りだそうだ。現在の3トップは内場勝則、辻本茂雄、石田靖で、最近は吉田ヒロも加わり4人いる。その中でも内場さんはその実力、人気から「スーパー座長」と呼ばれている。我が家は内場さんと辻本さんの大ファンで、彼らが出る日は「当たりの日」と言っている。劇場に足を運ぶ際は自分の好きな座長さんが出るかどうか確認してから出掛けてもらいたい。

 新喜劇独特のおもしろさに不慣れな人には「そんなに同じようなモンばっかり見て飽きひんのか。」と思うらしい。ところがどっこい!新喜劇には見れば見る程、噛めば噛む程味が出てくるというスルメイカ的要素が隠されているのである。

 例えば序盤に出てくる挨拶ギャグ「ごめんやしておくれやしてごめんやっし〜」や「ごめんください。どうぞお入り下さい、ありがとう」などは、最初の2、3回まではすごくおもしろい。しかしそのまま4回、5回と続くとやはり飽きてくる。だが、そのまま10回も見れば今度は不思議とそのギャグの直前になると「くるで、くるで…」と心待ちするようになるのである。予想が当たれば「ホラ、やっぱりな」と勝ち誇った様に大喜びし、外れればガッカリする。そしてそのうちにまた新しいギャグが生まれる。これが新喜劇を何度見ても飽きない理由だろう。

 それだけではない。ある程度ギャグの予想ができるようになると、今度はそのギャグを実演したくなってくるのである。例えば誰かの家にお邪魔したとき。扉を開けたら何か一発ギャグでもやらかさなくてはいけないような気がしてウズウズしてならない。そこで一発ギャグをやるとする。関西の人はお笑いに関しては寛容なので笑ってくれたり、ツッコミを入れてくれたりと、なんらかの形で反応を示してくれる。するとその人はその先もずっと新喜劇のギャグを披露し続けるようになるのだ。他人様のギャグであるにも関わらず、自分がウケるとなんだか自分までもがおもしろい人として認められた様な気がして嬉しくなるのである。そしてますます新喜劇のギャグを覚えるのにのめり込んでしまう。あとはこれの繰り返し。これぞ「新喜劇マジック」だ。

 特に関西のオッチャン、オバチャンは誰かがおもしろいことを言えば相手の背中をバンバン叩きながら大口を開けて笑い「あんたおもろいなぁ。将来は吉本に入りや。」とやたら吉本入りを勧めたがる。関西人が持つお笑いに対するプライドがこの辺から垣間見ることができる。

 笑って生きられることは幸せなことだと思う。吉本新喜劇はその「笑い」をこんなにも身近に提供してくれている。大切にすべき存在だ。最近は新喜劇も東京へ輸出されているが、やはり子供からお年寄りまで楽しめる笑いの雰囲気は大阪にしかない。関西に遊びに来る時はテレビでもいいので、ぜひ「吉本新喜劇」を見て笑ってほしいものだ。


2002年08月10日(土) 夢の跡の祭り

 神戸市高校演劇祭「夢の跡の祭り」を観劇して参りました。去年と一昨年は自分が舞台に立っている側の人間だったので、客観的に市演を観るのは始めでドキドキしながらの観劇でした。

 今年の芝居はミュージカル仕立てでした。歌が大好きな私にとってはすごく羨ましい演出でした。みんなのがんばりが伝わってきたような気がします。出たかったなぁと思いました。

 私は早く高校演劇から抜け出したもっと大きな芝居が作りたいと思っていました。それは一見広い世界に出て行けるような気がしますが、その代わりに捨てなければならないこと、できなくなってしまうこともあるのだなと少し感傷的な気分になってしまいました。

 高校生だからできることをすごく考えた一日でした。


2002年08月09日(金) 産婦人科に行く。

 産婦人科に行ってまいりました。10代の間は絶対にお世話になることはない予定だったのですが、行くことになってしまいました。

 私は日頃から生理痛がキツイ方で、しょっちゅう貧血をおこしたり、朝起きられなくなったり、お腹や腰に痛みがきて、授業で椅子に座っていることすらも苦痛に感じたりします。それでも苦しいのは最初の3日間だけなので、しんどい時は横になる程度でほとんど薬を服用せずに今までやってきました。

 今日も、いつも通り生理特有のだるさを覚えながら朝食を済ませ、勉強にとりかかろうとすると、いつもより少し激しめの痛みが私のお腹と腰を襲いました。同時に目まいも起こしたので意識がもうろうとし、気分が悪くなってきたので一杯の水を飲み、布団に入って少し休む事にしました。ところが、いつもはそっとしておけば少し楽になる痛みも、今日に限りおさまるどころかだんだん痛みを増して行きます。しまいにはスプーンで腹の肉をかき回されるような痛みにまで達し、眠るどころではありませんでした。誰かを呼ぼうにも痛声が出ません。

 それから2時間、なんとか起き上がって何でもいいから薬をもらおうと思い、布団から出ようとするのですが、もはや立って歩くことすらできません。私はなんとか這って階段のところまで行くと、ようやく母が事の重大さに気付き、近所の産婦人科に連れて行かれることになりました。腹を押さえて母に引かれてズルズル歩く様を近所のオバチャンに見られたので、絶対妊娠だと思われたに違いありません。そんなにあはずれ女ちゃうっちゅーに。

 結局産婦人科で先生に症状説明だけをして、検査とかはされずにに副作用の少ない薬だけもらって帰ってきました。飲んだら1時間くらいで痛みはおさまり、ぐっすり眠りました。生理は病気じゃないからダンスもやって大丈夫だろうと思い出掛けると、すると今度は電車の中で痛みが再発し、ダンスのトイレで思いっきり腹を下しました。そしてなんだか鈍い痛みを我慢しながらいつもの通りタコダンスを披露して帰って来ました。母には、アホか!と怒られました。

 調べたところ、生理痛はそれまでの身体や精神的な疲れやらがいっしょに症状になって出てくるらしいです。最近ずっと家にいてパソコンと睨めっこしたり、願書のことやらで不眠気味だったのですっかり体が弱ってしまっていたのかもしれません。薬で痛みが治まったのでほっとしていますが、急に生理痛がひどくなった場合は病気の恐れがあると言われたので来月もこうなるようならまた産婦人科に行かなければなりません。大丈夫だと思いますが、ちょっと心配です。


2002年08月04日(日) 牛乳、代々木模試を受ける。

 今日は代々木模試を受けに行ってきました。三ノ宮の代々木ゼミナールで行われたのですが、なんせこんなでっかい予備校に足を踏み入れるのは初めてで、教室の扉が分厚い鉄でできているのにはビックリしました。小学校の給食室の業務用冷蔵庫みたいで、私は牛乳になった気分でした。

 さすが業務用冷蔵庫。中は適度に冷えていて私の頭もスッキリしていました。しかーし、試験開始から10分後、鈍〜い痛みが私の頭を襲ってくるのです。問題がわからないからではありません。そんなの慣れっ子です。ナゼだ!!体調は万全だ!私は手を止めあらゆる原因を追求し始めます。そんなことをやっている間にもどんどん私の頭はどんどん痛みを増してきます。もはやインドの香辛料うんぬんなんて言っている場合ではありません(試験は世界史。)しかし、香辛料というキーワードでふと気付きました。この痛みは、鼻、つまり嗅覚が侵されて起こっているのです!私はあたりの匂いを嗅ぎ始めました。するとどうでしょう。隣に座っている男子からもんのスゴイ汗の匂いがするのです。くそぅ、黒幕は貴様だったんだな!!私の思考回路を乱したこの青年にはドリフのごとく天井から水と金属たらいを落としてやりたいという殺意が芽生えたのですが、しかしここは優しい私。この歳の男の子は新陳代謝が活発だからなと仏の心を貫き、一時間睨み付けながら試験を受けるということで許しました。隣の牛乳は少し痛んでいたようです。

 そんなことはさておき、事件は休み時間、女子トイレで起こりました。

 休み時間になるとトイレは行列になります。迂闊にも私はそれを予想しておらず出遅れてしまったので列の最後尾に並ぶハメになりました。私までまわってきた時はすでに試験開始5分前、でもまぁ1分もあれば用は足せると踏んで個室に入りました。すると…流れないのです!!別に私がう○こをした訳ではありません。でも流れないのです!!きっとこれはこれまでに何十人もの女子が使い倒したためタンクの水が空になってしまっているのです。私は時計の針を確認しました。残り3分…ヤバイ…。いつの間にか騒がしかったトイレも静まり返っています。きっと皆着席したのでしょう。しかし流れないのでタンクの水が溜まるまで待つしかありません。残り2分。さっき飲んだお茶が全部汗になって吹き出てきます。こんな時、大半の人間は誰も見ていないのをいいことにそのまま放置していくのでしょうがそれができないのが私です。真面目なのではなく、仮にそれで扉を開けた時に人がいたらどうしようとビビッていただけなのです。まぁ、う○こではないのでたいしたことないのですが…。

 なんとか流れてくれたので私は急いで教室へと戻りました。全員の目が私に集中しました。みんなとっくに着席していています。私はいそいそと席に戻りました。トイレから戻ってきた私。冷や汗タラタラの私。遅れてきた私。絶対みんなは私のことを「う○こ野郎」だと思っているに違いありません。私は次の国語の時間ずっと「うんこちゃうわ!!」と周囲に念を飛ばし続けていました。いい加減真面目に試験受けろって感じです。モォ〜ウし〜らんぴ!!だって牛乳ですから。(と、親父ギャグで締めくくっておく)。

 


2002年08月02日(金) 招き猫トラは何を招くか

 今日は夢野台高校演劇部の公演にお邪魔しました。後輩達が中心となって行われる公演はこれが初めてで、なんだかとても緊張しながら足を運びました。バスに乗って劇場に向かったのですが、三ノ宮の方で事故があったらしく、新神戸からちょっといったところでバスから強制的に降ろされるというハプニングが起こりました。バス料金がタダになったのはよかったのですが、差し入れの扇風機(!!)を抱えて15分位歩くのはキツかったです。

 さて、肝心の本番ですが、前評判の割にはよく仕上がってた方ではないかと思っています。通し稽古を始めたのが28日、開場直前までリハーサルをやっていたようなので一時はどうなることかと思いましたが、無事終わってホッとしています。今まで私達がやってきた芝居といえば、いい意味でも悪い意味でも派手な芝居が多かったのですが、今回のはわかりやすいストーリーで、音響も照明もシンプルでいかにも高校生らしく、のんびりした雰囲気で、あぁ、これがあの子達のカラーなんやなとしみじみ思いました。私達が追い求めていたものとは全く違う色です。同じ時を過ごしていたのに、そこから見付けたものは違うものだったのです。時代は移り変わっていきます。

 パンフレットには当然アンケートなんかがついていたりして、私も熱心に書くのですが、私は身内(つまり夢野演劇部)にはあまり良い事を書きません。重箱の隅をつつくような駄目出しばかりです。なぜなら私が「おもしろかったよ!よかったよ!」なんて書いてもあまり役にたたないと思うからです。それは、きっと他の人が書くことなので(書いてもらえなければおしまいですが)、なら私はもっとこの先役立つことを書こうと思うのです。しかも、「ここはこうした方が見せられるんじゃないかな」のような優しい言葉ではなく「〜がまったく活かせてなくて、見苦しい」等とあえてキツイ言葉を選んで書きます。こちらとしては甘く言おうが厳しく言おうが本音は本音なのでこの際容赦ナシです。客観的に見ている者から出る意見の重みも真剣にとらえて欲しいと思うからです。でないと自分よがりの舞台になってしまいます。私は今回ほとんど稽古を見ていないので、独断と偏見を交えつつかなり好き勝手書きました。あとで、マズかったかな…と不安になったりもしたのですが、それが客観的に見た意見なんだからしゃーねーやん!と開き直りました。

 偉そうにこんなことをやっている割に小心者なので、いつも後で後輩との関係が悪くなったらどうしようと不安になります。この前なんか、1年の子に「迷惑してるんでもう稽古場には来ないで下さい」と言われる夢を見てビックリして目を覚ましました。目が覚めた時は現実との区別がつかなくて半泣きでした。稽古は1回しか見てないのに…。きっと自分の中に罪悪感みたいなのがあるからこんな夢を見るのでしょうが…。本当は大好きなんですよ。

 


2002年08月01日(木) 宇多田ブーム

 同志社大学のオープンキャンパスに行ってまいりました。昨日は関西大学、今日は同志社と老朽化した体には随分堪えました。同志社では疲れが出たのかいつものことかは分かりませんが(多分後者)、大学案内ビデオ閲覧室の入口でにつまづいて派手に転ぶというハプニングが起こりました。一番最初に入った建物だったので縁起が悪いったらありゃしないです。

 さて、タイトルは「宇多田ブーム」ということですが、この日私はJR三ノ宮から京都に着くまで、ウォークマンでずっと宇多田ヒカルの「DEEP RIVER」を聞いていました。私はウォークマンで音楽を聴く際は、できるだけ音量を上げないようにしています。電車の中で迷惑になるといけないのと、難聴になると嫌だからです。この日も、極力小さな音量で宇多田を満喫していました。

 「A.S.A.P」が中盤にさしかかった頃です。おかしなことに気付きました。どうも外までスッチャカスッチャカいう音が漏れているのです。音量には十分気をつけていました。でもその音はやはり「A.S.A.P」です。私はウォークマンの音量をもう一度確認しました。するとその時、隣に立っていた太ったメガネの兄ちゃんのカバンがドカッと私にぶつかってきたのです。カバンのチャックは全開で、中身はエロ本ばかりです。おいおい!しかし、その太ったメガネのエロ本男は全く気付く様子もなく、今にも首が飛ぶんじゃないだろうかという勢いで頭を激しくフリフリしています。その人もウォークマンで音楽を聴いていました。

 もしや!!と思い、私はイヤホンを外しました。するとどうでしょう。私が睨んだ通り、スッチャカスッチャカの原因はその太ったメガネのエロ本男によるものだったのです。それだけではありません。その男も「A.S.A.P」の、しかも同じフレーズのところを聴いていやがったのです!いくら宇多田の歌がいいとはいえ、こんな偶然があってたまるか!!と思い、すぐさまトラックを「A.S.A.P」から「travelling」に変えてやりました。

 おそるべし宇多田ブーム!!しかし、ウォークマンは他人に迷惑をかけないように使って欲しいです。いやはや…。
 

 


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