Leonna's Anahori Journal
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2006年12月31日(日) 今年も終わる…

 
年末に二日ばかりお休みをもらっても、まず朝寝、それから掃除洗濯布団干しに買い物と、いつもの週末と同じことしているうちにお終いになってしまう。

否、年末はいつもの週末メニューに加えて、料理(お膾と数の子くらいですが)、美容院(ずっと時間がとれなくて髪、伸び放題)、お墓のそうじという特別メニューが加わるのだから、かなり押せ押せになってしまう。

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そんなこんなで、横浜の両親のお墓へ着いたときにはもう夕方の4時をまわっていた。夕焼けに赤く染まった西の空へ薄暗闇が降り始めている。日没閉門で入れなかったらどうしようかと思ったが、まだ何組か年内最後のお参り(お掃除)をしている人もあり、セーフ。

今年は、父の納骨も含めて三回しか墓参しなかった。入っているのが母だけだったときはもっと頻繁に訪れたのだが、こうして両親が揃ってしまうと、お墓もコンプリート(きっちり完成した)という感じで何やら重苦しい。それでなかなか足が向かなかったのだが、さすがに今日は大晦日。ドタキャンというわけにもいかない。

墓苑の入り口に立つと「やっと来た」という思いが込み上げて、期せずして「うわぁ〜〜〜〜ん!」となり、お墓の前まで走っていった(墓場でバタバタするなっ)。入念にお掃除してお花とお線香をあげ、般若心経をあげて、帰宅。

電車の中で読む村上春樹訳「バースデイ・ストーリー」が、やたら面白くてうれしくなってしまう。 
 
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今年はあまり良くない状態から始まって、もう良いことなんか何にも期待していなかったけれど、こうして一年終わってみると、どちらかといえば明るい方向に向かっているのかな、という気もする。

ただ、ラッキーでほいほい事が進むというようなことはひとつもなく、何かにつけてくたびれた。その分少しは前進したのかもしれないけど(ま、それで普通なんですが)。そのぶん、体力的にキツイと感じることも多かった。

来年は、もう少し気楽に自分の好きなことに時間を使って暮らしたい。たとえば、もっと本を読む、とか。そのためにも賢明でなければいけない、磨り減るような物事には近づいたらいけないな、と思うのです。
 
 
それでは皆様、どうか良いお年を。来年もまた、よろしくお願いいたします。
 
 
 


2006年12月29日(金) 解放感と購入本

 
仕事納めであった。
お昼までで終わって帰るつもりが、結局夕方になってしまった。

しかし!、何なのだこの解放感は。明日から4日まで休みだと思うと、うれしくてスキップでもしたい気分だ。この年末年始はどこへも出かけずに、ひとりでダラダラ、好きなように過ごすのだ。

帰り道。東京駅で降りて銀行へ寄ったついでに八重洲地下街の古書店へ入ってしまう。アーヴィングの「サイダーハウス・ルール」を読み終えて、次に読む本が必要なのだ。実はもう、アマゾンのユーズドで「オウエンのために祈りを」を注文してあるのだが、届くまでに1〜2日かかりそうだし、続けてまたすぐにアーヴィングというのも体力が要る。

…という訳で、久々、本日の購入本(Part1)
 
 「珠玉」 開高健(文芸春秋)
 「ロラン・バルト伝」 L-J カルヴェ(みすず書房)
 

この他に、なぜか数枚置いてあったLPレコードの中から二枚を購入。若かりし頃のツィマーマンが弾くショパン(ライヴ録音)と、ポール・マッカートニーの"McCARTNEY"。ポールのは、ビートルズ解散後初のソロアルバムで"Maybe I'm Amazed"が入ってるやつ。ツィマーマンが300円、マッカートニーは500円だった。

「ロラン・バルト伝」は定価4800円が2900円で買えたのだから、これはもう快哉を叫びたいくらいのものだけれど、しかし、開高健、バルトとも単行本なんだな。開高さんのは箱入り、バルトのはちょっとした辞書くらいの大きさがある。これを持って毎朝の満員電車に乗るのはちょっとホネだ。「珠玉」の方は文庫にするべきだったかもなあ。んー。

このあとは八重洲へ行ったときのお決まりのコースで、ブックセンターへ。そこでの購入本(Part2)は…

 「バースデイ・ストーリーズ」 村上春樹編・訳(中央公論新社)
 
 
これは新書サイズ。村上春樹の小説は読まなくなって久しいけれど、この人の翻訳は(作品のセレクトも含めて)やっぱり、いいんだなぁ。
 
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そういえば、八重洲ブックセンターのエスカレーター脇で小さな写真展をやっていて、そのタイトルが「旅人 開高健」。写真8枚が並んでかかっているそばに、開高さん自身による言葉が大きく掲げられていた。曰く、
 

 「ええか、男はナ、上を見て生き、
   下を見て暮らさないかんのヤ!」

 
 
 
…フムフム。しかしな。女かていっしょや。いっしょやで、おっちゃん!!
 
 
 
 
 
 


2006年12月25日(月) 魔法のメガネ

 
これは、19日にトライセラトップスのライブ(渋谷AX)へ行ったときにもらってきた3Dメガネ。

でも、普通にかけても何もおこらない。視界が少しぼんやりするくらいだ。
最初、このメガネが何のためにあるのか、何を見たらどんなことが起るのか、まったくわからなかった。

ところが、これ、暗いところで光るものを見ると、とんでもなく素敵なものが現れる魔法のメガネだったんだ。

そうと知ってたらもっとたくさん貰ってくるんだった。ロビーや入り口付近にたくさん置いてあったのに。

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え。どんな素敵なものが見えるのか?

それは、ヒミツ(笑)
 
 
 

 



2006年12月24日(日) 逆あがれなかった。

 
アマゾンでグリル鍋を買った。
それで、誕生日でもあるので友人を呼んで、昨日今日と連ちゃんで鍋をした。昨日はきりたんぽ、今日は、ほうとう。

きりたんぽには、骨付きの鶏肉、きのこ三種、結び白滝、春菊。先日の学習をしっかりいかして食材をチョイス。最後は冷水にさらしたご飯ととき卵を入れて雑炊で締めた。

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きりたんぽの後、腹ごなしに公園の水鳥をみに行った。池の脇にぶらんこなど遊具のある場所があって、なんとはなしに近づいて鉄棒にぶら下がってみようとした。
子供の頃は鉄棒は得意だったし、懸垂なんか、何回でもできた。それが今では、ちょっと飛びついてつかまることにすら勇気がいる。上腕の筋肉はもちろんのこと、握力もなくなっているので、自分の腕で自分を支えるのが難しくなっている。

そのうち、ひとりが低い鉄棒で逆上がりをした。私も、と思ったが、腕は非力、カラダは重たいで、地面を蹴るタイミングもまるでつかめない。逆上がりはおろか、両腕で支えた上体を下へグルリと回転させて鉄棒からおりることすらできない。握力に自信がないので、頭から地面に落ちそうで恐いのだ。信じられない、実に実にショックである。動物としては、もう駄目駄目ではないか。

小学生の頃、体育の時間に逆上がりのできない子がいると、その「逆上がれない」ということ自体が理解出来なかった。先生が下半身を持ってサポートしたり、周りの友だちが「がんばって、もう少し!」などと声をかけているのを見ると、なんだか不思議な気がしたものだ。

それが。今ごろになって、あの逆上がれなかった子の気持ちを知ることになろうとは…。ほんと人生ってのはわからないもんだねえ。
(てか、どうしてこの歳になって、しかも誕生日に逆上がりなんかしてるんだアタシは!)

その後、家へ戻ってから逆立ちにも挑戦してみた。やっ!とあげた足を友人につかんでもらってなんとか形にはなったが、両手首がミシッと言いそうだったのですぐにギブアップした。超低血圧の頭に、血が上って下がって、目がグルグル〜(二度とやらない)

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ひとは成長し、逆上がりその他の身体能力とひきかえに、鍋の具の選定に洗練を加えてゆくものなのかもしれない。

そんなことを思いながらの鍋二日目。ほうとうには、白菜、大根、ニンジン、里芋、油揚げ、カボチャ、舞茸、鶏胸肉を入れた。
そうして、太るの覚悟でどんどん食べた。手首や腕の鍛練も大事だけど、いいの、たくさん食べないと風邪引いちゃうもん。風邪引いたら会社行ってお仕事出来なくなっちゃうもん。 
 
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↑池のほとりに、いつのまにか立てられていた看板。
鳥はこんなこと思っちゃいない、くれるなら貰いますと思ってるはずだよ!(大好きなパン屑投げを禁止されて不貞腐れております)
 




2006年12月16日(土) 串揚げ屋

 
以前くるみちゃんに教えてもらった新宿の串揚げ屋「立吉」へ久々に出かけてみた。

小さなコの字型のカウンターの中に揚げる人がいて、ひとりで12人くらいのお客さんの注文を聞きながら(もしくは"お任せ"で)、串が揚がるそばからサーブしてくれる。店の中にはこのコの字のカウンターがたくさんある。

私は魚貝が苦手なので、肉と野菜中心に。連れのゲンコツ山は好き嫌いがないのでなんでも。お酒は京都の中甘口(銘柄忘れました)をお燗で。

コの字型のカウンターの外側にはお客さんが座っている。コの字の開いている部分には壁があって(なので実際にはコの字ではなくロの字)壁の向こうは厨房。壁には腰くらいの高さに窓があって、お酒やお茶漬けはそこへ出てくるのを揚げている人が受け取ってサーブしてくれるのだ。

ゲンコツ山は「あの人(揚げてる人)は、どこからあそこへ入ったんだろう」と不思議そうにしている。どう考えても背後の壁(厨房との境)の下部に出入り口があるに決まっていると思うのだが、そう言うと「多分。でも絶対とは言い切れないでしょう」と小さなことにこだわっている。

あまりしつこいので、食事も大方すんでお茶をもらう時に思い切ってきいてみた。「あのー、連れが、どこから出入りされるのか知りたいらしいんです。どうしても気になるらしくて…」。すると、ベンガル似の揚げ職人さん、嬉しそうに(そして、可笑しそうに)口元を緩めながら、厨房の壁の下の方を指して「このうしろに扉があるんですよ」とのお答え。

店を出ながら「ほらみれ、やっぱりあそこだったでしょ」と言うと、ゲンコツ山め、言うに事欠いて「本当に訊いちゃうなんて。少し酔いましたか?」だと。
ばっかもん、次から自分で訊け、私にきかずに、きくべき人に自分で訊きなさ〜い!!

そういえば。私たちと同じカウンターにいた小学生くらいの男の子が、バナナとリンゴを自分でオーダーして揚げてもらっていた。確かにメニューに載っていたのだけれど、そして食べてみたいとも思ったのだけど。結局今回はたのまず終いになってしまった。

次は、バナナとリンゴ、そしてアイスクリーム(あるのだ、メニューに)をオーダーしてもらおう。ゲンコツ山に、二人前。
 
 
 

 
 
 


2006年12月15日(金) もういくつ寝ると…

 
少し前に、ロンドンのMさんからクリスマスカードが届いた。
アドベンチャーカレンダーといって、クリスマスまで、毎日ひとつづつ窓を開いて楽しむものらしい。
さっそく会社のデスクの前にはって、毎日楽しみに開けております。








これはドイツの友だちからもらったダルマイヤーのチョコレート。きれいな缶入りで、齧ると中にシャンパンの匂いのする、やわらかい生チョコが入っている。
堪え性のない私だけれど、さすがに二日にひとつとか、ちょっとずつ大切に頂いております。
 
 







2006年12月12日(火) イルミネーション


サワ部長と丸の内で、きりたんぽ鍋。
最近仕事でタイへ視察旅行した部長から、おみやげにお香とお菓子を頂く。かたじけない!

実はこのまえ食べたもつ鍋屋さんへ行こうと思ったのだけれど、満席で入れず。しかたなく東北鶏料理の店へ入ったら、ここは、狭い高い量少ない、だった(泣)。でも、上品で美味しいきりたんぽ鍋には何を入れたらいいのか学習することが出来たので、まあ良しとする。
だって、鍋って、チゲとかちゃんことか寄せ鍋とか、それぞれの鍋の特徴(入れる野菜やなにか)がいまひとつよくわからないので、差別化がはかりにくいんだもん。

食事を終えて外へ出ると、クリスマスイルミネーションが。丸の内は退社時間のピークを過ぎると人通りが少なくて少々さびしい。でもイルミネーションだけではなく、最近できたブランド店のショーウィンドウもとてもきれいなのだった。

帰宅して、さっそくタイみやげのゴマ入り菓子を頂いた。うまー!(相変わらず堪え性ゼロ)
あー、今年ももうじきおしまいか…
 
 







2006年12月02日(土) 一周忌

 
横浜のお寺で父の一周忌のお経をあげてもらう。
年末の、しかも土曜日ということで、集まったのは私と妹を入れて七名。ほとんどミニマムサイズの法事である。しかし、お経のあとで一緒に食事をしながら近況など話すときの気の置けない感じは、このサイズならではだ。これが結構楽しい。

私も妹も紛う方なき中年、そして、その叔父叔母いとこが集うのだから、話題は自然に体調、健康法、保険、年金といった方面へ集中する。
私がつい先日入院保険に入ったことを話すと、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。みんな真剣なのだ。

それから、九月にテニスで年若い初心者(運動能力高し)を相手に少し無理をしたところ、それきり腰痛が治らないと話したら、「若者相手にムキになる時点でもう駄目だ」とバッサリ斬り捨てられてしまった。たはは。
 
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今年は1月に父の納骨をして、夏は初盆でお寺のお施餓鬼に参加した。今日で一周忌も済んで、感覚的には、これでやっと、本当に忌が明けるという感じだ。

「もう一周忌だもん、早いね」と、皆決まり文句のように言うけれど、一年が信じられないくらいの早さで過ぎるのは今に始まったことじゃあないもんなぁ、というのが本音である。

本日、風は強いけれど陽射しはあたたかかい、良い一日だった。






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