Leonna's Anahori Journal
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2003年09月29日(月) 秋の音

朝。

植物に水をやりにベランダへ出たら、聞き慣れない音がする。何だろうと思ったらコンクリートの前庭を枯れ葉が風に吹かれて転がってゆく音だった。
カサカサ、ガサガサ…という、けっこう大きな音。

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今日は一日中、風が強かった。
会社で仕事をしていても、時折、ビュウウゥという風の唸り声がきこえた。

昨夜からしつこい頭痛が居座っていて、まったく冴えない気分でいたのだが黙々と仕事をしているうちに、いつしか外の風の音が自分用のBGMみたいな気がしてきた。後頭部、鈍痛のテーマ。ビュウウウゥ、ゴゥッ…
 
 
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この週末は予定通り、パレスティナに取材したふたつのドキュメンタリー番組をみた。みたあとで、ふと、いつから私はこんなことに興味を持つようになったのだろうと考えた。

“どうしてアタシはこんなところに?”(ブルース・チャトゥイン風に)

そうだった。きっかけは911だったのだ。二年前のNYのテロ。
どうして、こんなことが。どうして、どうしてと問い続けて、ふと気が付いてみたらガザの隔離壁と相対して、眉間にタテ皺を寄せながら、突っ立っていた。

ふたつのドキュメンタリーの詳細については今日は書かない。どちらもとても丁寧に作られた労作だったけれど(よくああいうものが撮ってこられたと思う)。今日は個人的な“発端”の再確認のみ。
 
   
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BGM、夜の部は自然音ではなくクラシックで。

チェリビダッケ指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団「ブルックナー 交響曲第三番 ニ短調」。1980年の録音。

もちろん大きな音で聴いても素晴らしいが、夜遅いので、至近距離からごく小さな音で鳴らしている。これがまた、沁みる。噂に違わぬ名演、名盤。私がいままで聴いたチェリのディスクの中ではダントツ一位だ。
 
 


2003年09月27日(土) 詩人ってスゴイ

きのうのジャーナルは、なんかちょっとカタかったですね。うまく言えてなかった。

会ったこともない他人で、勝手に自分が影響を受けたと思っている人(作家でもミュージシャンでも、文化人でも)が亡くなったときって、いつもどうしていいかわからなってしまいます。

これからは何も言わず、書かず、早寝することにしようと思う。
 
 
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読売新聞の文化欄で、谷川俊太郎と高橋源一郎の公開イベントにおける対談(の一部)を読んだ。

この日『谷川俊太郎に捧げる詩』を本人をまえに発表した高橋源一郎。その後の対談で、「書くと全部長くなってしまう、説明しないと不安なのだ」と話す。ちなみに、『捧げる詩』は45分かけて45行書いたのだそうだ。

するとそれを受けた谷川氏、「長さで(高橋自身の)詩人の資質を殺しているかも。45分で3行がいい」。さらにとどめの言葉が「意味ありげなものが詩なんです」。

また高橋氏の「小説は本当の事を書くべきだと思っている。僕はうそがつけない。だから詩が書きにくいんじゃないか」という発言に対しては「詩は、自分の内面とか教養とか情念とかには関係ない。小説の方が人間世界に根を下ろしている。詩人は、いい悪いを超えている」、と。
 
…はぁ〜。スゴイんだな、詩人て。
 
 
ここのところ事実にこだわりすぎるあまり、自らの頭を思いっきり壁にぶつけているような感じの私。実は今日もひどく落ち込んでいたのだけれど、この“内面とか教養とか情念に関係ない”“いい悪いを超えている”という言葉にはショックを受けた。

 
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そういえば私も15歳くらいまではよく詩を書いた。とてもたくさん、ノート何冊分も書いていた。それが何故か急に恥ずかしくてたまらなくなって、ピタリとやめてしまったのだ。そして、それ以降は長い文章ばかりだ。(たしかにこれなら、説明や言い訳がいくらでも可能だ)

これって、本当のことを書かねばならないという常識に冒されて、ココロの自由さを失ったということになるのだろうか。…いや、そうとばかりも言えないだろう。だろうけれども、しかし。

そういえば大江健三郎もノーベル文学賞受賞後に「おそらく一番素晴らしいのは詩です。でもこれが一番ムズカシイ」というようなことを言っていたな。

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ところで私の好きな作家は、深沢七郎にしろ森茉莉にしろジュネにしろ、みんなちょっと逸脱してるというか“いい悪い”を超えてる人ばかり。ついでに“教養”とは無関係という問題児も多数。

これが何を意味しているかはワカラナイまま、そして、詩人ってスゴイ(ヤバイ)んだという認識を新たにしつつ、就寝。
 

 


2003年09月26日(金) 訃報

 
サイードが死んだ。
 
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多くの新聞、通信社などが報じているなかであえてこの記事にリンクを。
米国内にあってパレスチナ人の立場を代弁し続けたサイード。この“米国内から”発言し続けたということに大きな意義があった。
 
 
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彼の遺したメッセージがあまりにも明確であるために、私には悲しむ余裕がない。実現すべきものはもう数十年にもわたって厳然とそこにあるのだ。

今年四月にサイードを知ってからまだ五ヶ月。なのにもっとずっと以前から追いかけ続けてきたような気がするのは、彼のメッセージがあまりにも普遍的、かつ濃厚なものだったからだろう。

それは、“亡くなったサイードさんのために達成されるべき”ものではない。パレスティナとイスラエル、双方のために達成されるべきものである。また人間全体のためにも達成されるべきものである。パレスティナ問題は“人類の恥”だと私は思っている。
 
 
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9月6日にNHK、ハイビジョンスペシャルで放送された「パレスチナ響きあう声」という番組。サイードに取材したこの番組を私は見損ねてしまったのだが、あるいはこれは4月に草津で観た番組の再放送だったのかもしれない。

明日は夜9時からNHKスペシャルで「ガザ・封鎖された町で」という番組が放送される。
あさって、28日には夜10時からBSプライムタイム(BS1)で「エルサレム・2つの家族」という番組がある。これはパレスティナとイスラエルのこれまでのいきさつをかなり丁寧に、時間をかけて検証したものであるらしい。

サイードのメッセージはとても普遍的なものであったから、その声は、きっとこういった番組の中からも聞こえてくるのではないかと思っている。
 
 


2003年09月25日(木) 27人のパイロット

イスラエル空軍のパイロット27人がパレスティナに対する空爆を拒否したそうだ。(ソースは共同通信、ロイター、朝日新聞)

勇気が要ったろうな。だってエリートから一転、投獄だよ?
この人たちの行為、“正義”というより“正気”と呼びたい気がします。

(しかしながらかの国の方針は相変わらず。)




2003年09月23日(火) プレミア愚連隊

アーセナル×マンU。
プレミアで早くも頂上決戦。どんなすごいゲームがみられるのかと思いきや。

小突く、蹴る、悪態をつく。あげくの果てにつかみ合い。トップチームの選手が、いつからそんな愚連隊みたいなまねするようになったんですか。しかもゲームは0−0のスコアレスドロー(ニステルローイがPK外した…)

それにあのティエリ・アンリの生彩のなさ。あんなアンリ、アンリじゃなぁーい!

あああ、ガッカリ。ガッカリだな。
 
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ローマに新加入のキブー。アヤックスから来た期待の新星。
ユヴェントス戦でのFK、ノータッチで決まったやつ。凄まじかったです。

うわー、キブってあんなんかー。まるで阿部勇樹ー。(ちょっと正直に書きすぎた)

しかしこのユーヴェ×ローマも、2−2で引き分け。
ドローゲームが全て悪い内容というわけではもちろんないけれども、最近ちょっと多すぎやしませんか。日英伊を問わずドロー試合が。




2003年09月22日(月) 開高健と石川直樹

うへぇ〜。さぁ〜びぃよぉ〜〜〜!!

ガクーンと気温が下がったのをうけて、単純な頭は温泉だの鍋だの、そんなことばかり考えている。寒い寒いと言ってはいるが、あの馬鹿な暑さにくらべたら、身体はぐんと楽。

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ここ暫くのうちに入手した本。

 「ベトナム戦記」 開高健(朝日文庫)
 「ピカソはほんまに天才か」 開高健(中公文庫)
 「この地球(ほし)を受け継ぐ者へ」 石川直樹(講談社+α文庫) 
 
  
開高健の本を手にすることになったきっかけは、8月の下旬、あるテレビ番組で開高健の肉声(テープの声)を聞いたことだった。

それは彼が1964〜65年にかけて戦時のベトナムで従軍した(米軍とともに最前線へ赴いた)際、現地の様子を電話で知らせてきたときのテープで編集者の持っていたものが最近になって発見されたのだという。

テープの中で開高氏は、人間の愚かさと同時に、自然や、爆撃による炎の美しさなどを、作家らしく選び抜かれた正しい日本語で伝えてきていた。非常に生々しい内容だったけれども、決して感情だけのものではなかった。

このテレビ番組のあといくつかの偶然がかさなって、結局それまでキライだと公言して憚らなかった開高本を手に取ることになってしまった。(この経緯については今度改めて詳しく、読穴に書く)

書店ではほかに「夏の闇」「輝ける闇」なども手に取ったのだが、このあたりの本は現在でも普通に入手可能だということがわかったので、今回は買わずにおいた。

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石川直樹の本。サブタイトルは“地球縦断プロジェクト「P2P」全記録”。

この本は探し回ってやっと手に入れた。bk1へ注文すればすぐにピュッと送ってくれることはわかっていたのだが、なぜかムキになって書店とみれば片っ端から入っていって探した。ゆえに今私は、大変うれしい。そして、パッとめくってみた第一頁目から大変に面白い本だったので、さらにうれしくなっている。

そのうれしさは、いわば、好奇心を適正に刺激される快感。
同じ好奇心を刺激されるのでも、“いたずらに”というのは嫌なのだ。きちんと考えさせられて、その考えたことを自分の行動でもって消化(血肉化)したいと思わせるのが、私の考える良書。石川直樹の本は、そういう意味において紛れもない“良書”とみました(まだ最初の数十頁なのでこういう書き方)。



2003年09月21日(日) オデコとその兄

父は無事京都へ行って、帰ってきた。夜8時頃「いま帰った」と電話があった。
  
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サッカー観る時間、なかなか作れないのですが。

ペルージャ×ミラン。ペルージャに引き分けるミランって、どうなんだ。ピッポの怪我の具合も、どうなんだ。

ラツィオ×パルマ。笑ったのは、オデコ(インザギ弟)のオデコによるヘディング。この“オデコ一閃”が決まったときのインザギ弟のアクションがまた兄(ピッポ)にそっくりで笑ってしまった。イェーイ、オーバーアクション兄弟。

結局最後の最後に得点したパルマが勝ち越したのだが、しかし最近のナカータには晴れ晴れとしたところがなく気になる。今日も終盤交替。納得のいかない表情だった。
 
 
 


2003年09月20日(土) 震度4

昼まで会社に出て仕事した。

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朝、TVの海外ニュースで、アラファト議長の追放阻止に関する国連の緊急協議について報じていた。

安保理決議のような強制力はないけれども、こういうことは放っておけない、国際的なコンセンサスをはっきりさせておこうということらしい。

その席上でイスラエルの国連大使の言った言葉がケッサクだった。
曰く、“こういうことが良いことだとは思っていない。が、こうでもしなければ、われわれはパレスティナ人の攻撃によって滅亡の危機にさらされることになる。”

朝もはよから笑わせてくれる。誰が誰に滅亡させられるって?

実際私は笑ってしまった。もう怒る気にもなれなかった。コレ、ほんとケッサクだよ。こういうことはもっといろんな場所で、大きな声で言った方が良いんじゃないの。そうすれば、イスラエル側の主張がどんなにクレイジーなものであるか、多くの人にダイレクトに伝わるから。こういうイスラエル政府の加工されていない生の声を、メディアはもっと報道すべきだ。

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会社の帰り、駅のホームで電車を待っているときに、足下からグラッときた。階段下、改札口の方向から若い女性のキャーッという悲鳴。
来た、ついに来た。

大きな揺れと同時に電車がホームへ滑り込んでくる。揺れているホームと、揺れている景色と、揺れながら走ってくる電車がいっぺんに視野に飛び込んでくる。(揺れながら走ってくる電車というのはインパクトあった)

おおお…と思いながらも、瞬時にホームの天井や柱、照明の位置などを確認する。ここにいた方がいいのか、それとも素早く動かないと命取りになるのか。揺れている鉄の柱や梁をみながら、いまはここにいても大丈夫と判断を下す。

電車は揺れながらも定位置に停まり、揺れながらドアが開いた。自動的に“脱線、転覆”という言葉が頭に浮かぶ。しかしこの頃(最初のグラリから1分ほど経過していた)になると揺れは大方止んでいるようで、車体の揺れは惰性によるもののようだった。

まだグラグラ動いている電車に乗り込んで座席にかける。二、三十分は動かないだろうと思っていたのに、十分足らずで「安全が確認された」といって電車は動き出した。遂にきた(ビンゴだった)と思ったのも束の間、何もなかったかのように電車は走り始めて、いつもの駅に着いた頃にはもう、本当に何もなかったかのようだった。

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午後。腰痛をおしてテニスの振替えレッスン。

どうかなぁと思っていたら、案の定、足がつる。最初は左足の甲、中指と薬指の筋がビーンと張って痛くなってきた。いつもの兆候。続いて右足も同じところが痛くなってくる。ほぐしたり伸ばしたり、だましだましレッスンを受ける。しかし現金なもので、足の痛みに意識を集中している間は、腰のことはすっかり忘れ去っていた。

結局、だまし通してレッスン終了。コーチからはアルミホイル(サランラップではない)を巻いて寝ると冷えないとか、赤外線ランプが良いとかアドバイスを貰うが、私トーナメント選手とかそういうんじゃないからなぁ。いつものオイルマッサージと芍薬甘草湯で凌いでおこう、いまのところは。

(でも赤外線ランプって想像しただけでもキモチよさそう)

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ところで。

今朝8時半頃、横浜の父に電話したらすごくシッカリした明るい声で「おはよう」というので驚いてしまった。
お天気はお天気として、いざ当日になったら出かける緊張感で高揚しているのだろう。よかった。

「あいにくの天気だけれど、元気出して行ってきて。伯母さんによろしく」
と、それだけ言って切った。
 
 
 


2003年09月19日(金) 行こうとは思ってるんだが

とうとう今日も歯医者へ行かなかった。

一昨日はTVでサッカー(韓国戦)があるから。
きのうは電車が遅れたし、疲れも溜まっているから(それゆうたら、いっつも疲れとるわい)。
今日はららぽーとで買いたいものがあるから。あと、なんとなく気が向かなかったから。

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少し前、駅前に出来たきれいな歯医者さん。今週はじめ、その電気の灯った置き看板に小さな入れ物が付いていて、細長い二つ折りの紙が入っているのに気が付いた。

診察のご案内、歯科無料検診のお知らせ、院長紹介。それに診療時間と休診日、地図。一通り読んでみたところでは、インフォームドコンセントもしっかりしているようだし、デジタルX線装置が導入されているためレントゲンによる被爆量は従来の場合の十分の一だという。なんとなく治療もていねいであまり痛くしなさそうに思われて(これといった根拠はない)、そのときに決めたのだった、この歯医者さんにしようと。今週の後半、木曜か金曜には必ずかかろうと、そのときはたしかにそう思ったんだけど…

今日、その歯医者の入っているビルの前を通るとき「いや、あの、必ず来ますから。来るってことだけは間違いないんですよ、ええ。」と心の中で言い訳している自分がいた。あうー。

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横浜の父が、この土日に京都へ兄(父の兄。私にとっては伯父)のお墓参りに行く。伯母さんと娘が同行するのだけれど、少し心配なので電話をかけてみた。

すると案の定、なんだか浮かない感じの声でモグモグ言う。天気が悪くなるから、お経はお寺さんのなかであげてもらうことになるとか、墓に参るといったって五分もいられないだろうとか、新幹線の切符なら3パーセントの手数料で払い戻しできるのにとか、そういうことを小声でもぐもぐと話すのだ。

「みんな予定のある人たちなんだし、お天気のことだけは人間の力ではどうにもならない。京都なら次は私が連れていってあげるから、今回は予定通りオバチャンたちと行ってきたら。それにお天気が悪くなると言ったって、まさか嵐が来るってわけでもないでしょう?ね?」

ほぼ一方的に言ってきかせて、あと、遠視と白内障の事を少し話して、「明日の朝電話する」(父は近頃、たまに朝起きられない事があるのだ)と言って電話を切った。

ところが。夜、TVの天気予報を聞いていると。はっきりと告げているではないか、大型台風の接近を。あうー。父はそれを知ったうえでモグモグ言っていたのに違いない。シマッタなーと思ったけれど、同時に、行けばなんとかなるわいとも思った。台風の進路が変わらないとも限らないし…

勘違いしたうえに、なんとかなるとは何事であるか。こんなことして許されるのも親子ゆえ、か。他人だったらきっと関係壊れるか険悪になるだろう。娘の性格を熟知している、いくつになっても辛抱強い父親に感謝、感謝。気を付けてイッテラッシャイ。

(それにつけても奥歯イタイ。あうー)





2003年09月18日(木) 知らない町

会社からの帰り。
駅へ行ってみたら電車が遅れていた。あと小一時間は来ないと言われる。乗ってしまえば十分足らずの距離なのに…
振替え輸送を行っているというので、小さな紙の切符を二枚もらって、バスと営団地下鉄を利用して帰ることにした。

バス停へ行ってみると、路線図の中に「猫実」という停留所を発見。あ。なんだったっけ、この読み方。浦安にこういう地名があることは知っていたけれど、「ねこみ」だったか「ねこざね」だったか(或いは他の何だったか)忘れてしまった。

それで、乗るときに停留所名のアナウンスを聞き逃さないようにしようと決めたのに、江國香織の小説に夢中になっていたらいつのまにかバスは「猫実」を過ぎて、終点に着いてしまった。

まるで知らない地方都市みたいな町を歩いて、何十ぺんも通過しているけれど一度も降りたことのない某駅から電車に乗って帰ってきた。

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帰るとすぐにピンポンとチャイムが鳴って、宅急便が届いた。大阪の澤野工房からジャズのCD3枚。早い〜。
さっそく大きな音で鳴らしてみる。ご機嫌なりぃ〜(ハットリくん風に)

こりゃやっぱり引っ越さないとな。居間、食堂、台所、どこにいても大きな音で鳴っているのが聴ける場所に。

いい調子でリズムなんかとりながら検索エンジンで調べたら、件の地名は「ねこざね」と読むことがわかった。
「ねこみ」じゃなくて、「ねこざね」ね。ふーん。

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アメリカが、またしても拒否権を発動。

国連安保理の公開協議で。パレスチナ自治政府のアラファト議長の追放方針を決めたイスラエルを非難し、追放措置を断念するよう求めた決議案にアメリカが拒否権を発動、同案は不採択に終わったそうだ(ソースはロイター、共同)

これがイスラエルの対アラファト“殺しのライセンス”にならないことを望むと、パレスティナの和平交渉担当者は述べたそうだ。しかしこうなるとかなり危険だ。なにせピンポイント攻撃(ボム)はイスラエルとその支援国の得意技、お家芸だもの。

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なーんの力も影響力もないけれど、アタシは見てるぞー。ぜーんぶ見てるぞー。




2003年09月17日(水) ビタースィート

U−22。韓国に2−1で敗北。

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韓国、強いばかりではなく一昔前とはサッカーのスタイル自体が変わってしまっていた。以前は韓国代表といったら“全員がガットゥーゾ”みたいな感じだったのに。今日みた韓国の若手は、速度があり、洗練されていて、しかも大きかった。
これからは同じアジアのサッカーといえども、こういうチームと戦っていかなければならないのだなぁ、フゥ、……

でも私は、負けても正代表より若手(オリンピック代表)の方が好きだ。こちらの方がまだ応援のしがいがある。今日は序盤から力を出せていたらな、と思う。あと、阿部っちの元気のないのが残念だった。

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ところで、このところ仕事が立て込んできていて、もろカラダに影響が出てきている(主に腰)。今日も座ってTVを観ることが出来ず、横になってサッカー観戦していたらいつのまにか猛烈な睡魔が…
ただならぬ歓声にハッと目を覚ましたら、高松のヘディングが決まったあとだった。

日本代表の負け戦で消沈する前に、すでに自分がヘトヘトになっている。しばらくTV(スカパーでサッカー)は自粛して早寝した方がいいかもな。
あと、奥歯に一本、いよいよ放っておけない状態になってるのがあるから、歯医者にも行かなくちゃ。

ヘトヘトでガタガタ。カイロプラクティックと歯医者。
これが大人のビタースイート(歯に詰めたアマルガムの味)。

 
 


2003年09月16日(火) アルゼンチン〜ドミンゲスとばなな

来月、ファンホ・ドミンゲスというギタリストのコンサートに行きます。
アルゼンチンギターの第一人者だそうです。

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十日くらい前にNHKのハイビジョン放送でアルゼンチンタンゴ(ダンスと音楽)を現地に取材した番組をやっていた。お金と時間をかけて作ったとてもきれいで贅沢な番組だった。

その中にヒゲをはやした恰幅のいいギタリストのおじさんが出てきて、その人の名前が、ファンホ・ドミンゲス。なんでも6歳でギターを初めて9歳でプロになったとかなんとか、とにかくスゴイ(よくわかんない)経歴の持ち主で、耳に沁み入るような美しいギターを奏でてみせてくれた。

そのときはメモもとらず、おじさんの名前はじきに忘れてしまったのだけれど、数日前アウトルックの受信メールの整理をしていたら、なぜかイープラス(チケット屋さん)からの古いメールが残っていて、“ファンホ・ドミンゲス来日”というタイトルが目に入った。

あっ、あのおじさんだ。名前と一緒にギターの音色がよみがえり、これも何かの縁と、生で聴きに行ってみることにした。(幸いまだ、後ろの方の席が残っていた。)

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そんなことのあったこの数日。
吉本ばななの『不倫と南米』という本を買ってきて読んだ。別に南米やアルゼンチンにこだわるつもりはなかったのだけれど、なんとなく。

そうしたら。どうしてだか読みやすくなっていたな、ばなな。
私が変わったのか彼女が変わったのかどっちだかわからないけれど。

もしかしたら私はいままで、彼女が書いていることの表面しか読んでいなかったのかもしれない。とにかく死というものを思う(考える)のが自然で当たり前のことという雰囲気が全体に濃厚に漂っていて、私にとっては非常に親しみやすい世界だった。

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それと。あとがきに亡くなった安原顕のことが書いてあって。

そこには、この本を作ったおかげで近年仲たがいしていた安原さんと久しぶりに和解し、楽しいひとときを過ごすことが出来た。それが彼との最後の思い出になったと書かれていた。

昔、安原顕がやっていた『海燕』という文芸誌で賞をとってデビューした吉本ばななは、安原顕編集のマリクレールに『TSUGUMI』を連載して、それを読んだのが私が吉本ばななを知った最初だった。吉本隆明の娘だということは知らなかった。『TSUGUMI』は、まんま大島弓子だと思った。

あの『TSUGUMI』を読んで、あたしは漫画の方をとるわ!と思った私がいま『不倫と南米』を読んで、なんとなく近しいものを感じているというのが、面白い。仲たがいでも仲直りでも、嗜好の変化でも、予定調和じゃないものって、何によらず面白いよね。




2003年09月15日(月) 大人になれば

妹とふたりで、母の墓参り。

お墓をそうじしてお線香をあげたあと、雑木林のそばの東屋でおむすびを食べる。ものすごく暑かったけれど、東屋に入ると意外なくらい涼しい。鬱蒼とした木々が炎天をさえぎり、天然の涼風が吹き抜ける。

いやー極楽極楽、墓場で極楽、と食休みしていたら、蚊に嗅ぎつけられたらしく、あっという間に腕を三箇所くらい刺されてしまった。あわてて退散。
 
 
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このまえ石川直樹の日記を読んだときから、ずっと考えていたこと。

彼はパレスティナでみたこと経験したことを自分のサイト(日記)に綴っていて“胸くそが悪くなった”と書いている。この言葉は言い得て妙だと思う。私は膝を打った。そうなのだ。まさに“胸くそ”の問題なのだ。
 
もちろん正義や人道上の問題ではあるのだが、それよりなによりまず“こんなことがガマンできるかい。無茶苦茶胸くそ悪い!”という、個人の強烈な感情(思い)がある。これが一番のきっかけ。

この胸くそを放っておいたのではキモチが悪くてかなわないので、なんとかしよう(自分なりに表現してみよう)と行動をおこす。たとえば国際法だのメディア規制だの不慣れな言葉をつかって書いてみる(説明してみる)が、なにか自分でもしっくりこない。

しっくりこないばかりか、気がつくとなにやら政治的な背景(しかも紋切り型)を背負ってありがちな人物パターンを演じている自分がおり、第三者からはしっかりと右や左にカテゴライズされていたりするわけだ。ああ、そんなつもりじゃあなかったのに。アナコンダ!

しかし。どのみちこの手の怒り、この手の胸くその悪さが勝手におさまったり良くなったりするわけもないので、これからもこの行き場のない、腐ったヘドロのような嫌な気分は腹の底に居座り続けるのだろう。

ということは、これからは気を付けなくてはいけないということだ。ありがちな言葉(例えば政治用語)のかげに自分の本当の感情、コンチキショウという胸くその悪さが隠れてしまうような書き方は極力避けなければいけない。

(常に新鮮な怒りや問いであるような、そんな書き方が出来なければ、書いても意味なんかないんだよ、きっと)

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しかし、面白い。

いいかげん歳をとって、中年と呼んでもさしつかえのない時期にさしかかったら、急に他人がどう思おうがアタシがよけりゃあいいの、と思えるようになった。それだからか、いまの自分は十九、二十歳の頃よりよっぽど無邪気で正直だと感じる。

それと同時に、いくら興味を持っても理解できなかった戦争や紛争や国際問題も、突如、リアリティをもって目の前に立ちはだかってきた。なんだか凄くシリアスでハードな感触。勿論、無邪気な楽しさとは相容れない。しかしこれに関しては“一般常識問題”ではなくて、自分の生き方に関わる問題なのだというハッキリとした認識がある。

“大人になれば”、我が身の上にこういうアンビバレンツが起こることもあるのだと、ついこの前まで知らずにいた。そしで、知らなかったことがおこるのは、それがどんなにシンドイことであっても、やっぱりちょっと新鮮だななどと言って面白がっている。
 
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ところで。“大人になれば”というのは小沢健二の曲のタイトルだ。アルバム『球体の奏でる音楽』の収録曲。

いままでわからなかったもの(こと)が何故かわかるようになったとき、アレ?これって大人になったってこと?と思う、とか、そんな内容の歌。
彼の歌によれば、大人になるとそれまで以上に感受性がとぎすまされて、世界中の美しいものがたくさん見えるようになる、らしいです。よ。


 
 


2003年09月14日(日) 今年はプレミア!

ルート・ファン・ニステルローーーーイ!

対チャールトン戦でコレデモカァ〜の2とくて〜ん!!

最高、最高。もー、カッコ良すぎー
 
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なんとなく欧州サッカーのシーズン開幕に乗り遅れた感のあるチマリスでしたが。そして、いまいち今季のセリエAに乗り切れずいたのですが…

今季はプレミアに賭けました。ニステルローイの一点買いです。
この秋冬はイギリスのサッカーとヨーロッパのジャズから元気を貰おうと思っております。フットボール万歳。

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教えていただいたサイトで試聴したヨーロッパのジャズ。まるで夢をみてるみたいなんですよ。

それでね。夢って普通はなんだか薄ぼんやりしているでしょう。物事の輪郭が。ヨーロピアンジャズの世界は逆にはっきりくっきりしている感じなんだな。で、そのくっきりした感じが現実離れして美しいの。だから夢をみているみたいに感じる。

それから、子供のころのものの感じ方が瞬時よみがえってくるような感覚も。もともと音楽というのは記憶を刺激するものではありますが。(要するに、ドップリとはまりそうな予感)
 
 
 


2003年09月12日(金) THELONIOUS MONK QUARTET "MISTERIOSO"

さっそくジャズのCDを買ってきた。

セロニアス・モンクの『ミステリオーソ』というアルバム。試聴はしないで(CDって試聴できるの?できないよね)パッとお金を払ってからすぐにオープンカフェに入り、バリバリと包装を解いて中の解説書を読む。

依怙地なジャズミュージシャン同士の意地の張り合いのエピソードなどを感心しながら読むが、もちろん解説書から音が出てくるわけではない。なんというか、買ってすぐに開けたくなるのは私の性分。この場合は賭けみたいにして知らないCDを買ったので、帰って音を聴くまえの緊張緩和策みたいな意味もあった。

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『ミステリオーソ』は1958年の録音だけれど、古いという感じは全然しない。そもそも新しいジャズについて知らないのだから、古い新しいという切り口で語ること自体が出来ないのだが。悪い意味での“古ぼけた音楽”という印象はない。それよりも、楽しいのだ。

どんなふうに楽しいかというと、“スィングしなけりゃ意味がない”なんて名曲のタイトルが浮かんでくるような、そんな楽しさ。
これはモンクのスタイルがスィングジャズであるとかないとかそういうことではなくて、ふと気がつくと軽く頭を振ってリズムをとっていたり、尖らせた唇が時たま、トゥルトゥトゥル、などと音にあわせて呟いていたり、そういう自然に身体が反応するような楽しさがあるということ。

とにかく私にとっては、どこか懐かしくて新鮮な音楽だった、モンクの『ミステリオーソ』は。

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ところで、私が今日入ったオープンカフェ。
ららぽーと1階にある PRET A MANGER(プレタ・マンジェ)というところなのだが。ここがいつも気分のいいジャズを流している。

広めの店内、高い天井と抑えた照明、座りやすくて疲れない椅子。ここのテラスから少し入った席、外光がぎりぎり届くあたりに座るのが好きだ。本を読んでもいいし、ただジャズを聴いていてもいい。

ロンドンに一号店のある、サンドイッチをメインにしたカフェのようだが、今日食べたキッシュ風のパン(カレー風味のチキンと豆)はなかなか美味しかった。セルフサービスで、普段は紙やプラスチックのコップで飲み物を飲むのは嫌なのだが、ここではそれもあまり気にせずに、紅茶(旨いです)を飲みながらのんびりすることにしている。

べつに宣伝費もらっているわけではないけれど(笑)、特にBGMが気になるひとには、おすすめのカフェ。
 
 


2003年09月11日(木) ジャズと小沢健二

会社で昼休みに。

普段私とはあまり関係ない部署の課長(推定年齢52歳)が私の顔をみるなりこう言った。

「サッカー、まるで駄目だったなあ!あれじゃ駄目だろう、なあ!」

以前から聞かされていた情報では、この課長は野球派であって、どうもサッカー派に対してはあまり理解がない、らしい。マイッタナーと思いながらも「ハイ、セネガル強かったです、まるでサッカーさせてもらえませんでした」と答えると、

「お話になんないだろアレじゃあ、え? ヘタっくそだなぁ!」

なんか、半分叱られてるみたいな雰囲気に。
んも、マイッタなー。なんでアタシに?アタシが試合に出たわけでもないのに。そういうことは監督に言ってよー、監督にー。

(しかしどうしてあの課長、私がサッカーみてること知っているんだろう)
 
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数日前ゲッツ君から、小沢健二の『強い気持ち・強い愛』っていつ頃リリースされた曲だか知っていますか、と訊かれた。

『強い気持ち・強い愛』ならシングルCDを持っている。カップリングの『それはちょっと』も含めて、私のお気に入りのdiskだ(オザケンの中では一番好きかも)。それで、このシングルともう1枚『指さえも/ダイスを転がせ』というシングルを貸してあげることになった。

(『強い気持ち・強い愛』は1995年、『指さえも/ダイスを転がせ』は97年の発売だった)

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そういえば。
夏も終わり朝夕涼しい風が立つようになると、なぜか毎年必ず聴きたくなるのが小沢健二のアルバム『球体の奏でる音楽』。古いジャズのスタイルを上手に取り入れて作った、いかにもオザケンらしいウィットと温かみを感じさせるアルバムだ。

秋になると、小沢健二を思い出す。半袖のTシャツ1枚という毎日から長袖を着るようになると、なぜだかオザケンを思い出す。私の中では特に、カーデガンといえばオザケン、というイメージが強いのだが。…そんなふうに思うのは私だけ?
 
 
今年の秋は少し本格的にジャズを聴こうかなと思う。表面は洗練されて都会的だけれど、コアにドロッと熱いものの入っている音楽。大きな音で聴いて楽しい音楽。
ジャズには不案内な分、新鮮な期待感とドキドキがあって気分的にはかなり若返る。まるでこないだ高校卒業したばかり、みたいな気分だワ。(シャーワセ!)
 
 


2003年09月10日(水) セネガル戦・・・

このままだと2006年ドイツ大会はあきらめたほうがいい。

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身長も身体能力も高いチームに、ほとんど何もしないうちから高さ一発で、先制点を取られる。

いつもなら通るはずのパスが(長い足、高い頭に)ことごとくカットされてしまう。

ボールを持てばシュートを打つ前にカットされる。抜け出して独走のつもりがすぐに追いつかれる。タッチを割り日本ボールになるはずが、追いつかれて逆にクロスをあげられてしまう…etc.etc

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セネガルはこのまえのW杯でいきなりフランスを破ったチーム。それで、まぐれでも何でもなく、ベスト8に残ったチームだ。強いことくらい知っていただろう。

なのに(そんなこと誰もが知っている事実なのに)、どうして監督は特別な“セネガル対策”を講じなかったのだろうか。後半の後半、選手たちのモチベーションがどうなったか、彼らの顔をみたひとには容易に想像がついただろう。

 
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協会は、とにかく監督変えてくれ。

(ついでに日テレは、サッカー中継に鈴木健アナつかわんといてくれ)
 
 
 


2003年09月07日(日) 兄貴系DFの秘密

夜。
TVでジェフ市原×鹿島アントラーズの試合をみる。

単純な私は、市原の阿部がFKを蹴るたびにやってくれるんじゃないか、また決めちゃうんじゃないかとドキドキしてしまう。

そうなのだ、いまや阿部勇樹は私のアイドルなのだ。パスを出しても、クロスをあげても自分で打っていっても、もちろんFKでも、何をやっても若手の平均点を超えている。特にFKは、狙いもいいけど飛びが鋭い。しかも。そのうえ顔が宇崎竜童。あの怪しげな雰囲気を醸し出すヒゲまで含めて、申し分なし。

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ところがこの試合、目の醒めるような阿部のFK(一点目)は、味方を鼓舞する一方で敵方の闘争心にまで火を点けてしまったようなのだ。

なかでも特に負けず嫌い、目立ちたがり屋さんの平瀬君(アントラーズFW)はメラメラっときたようだ。そうでなくても長谷川、ヤナギのいなくなった今こそオレの出番、オレのディケイド!と熱く燃えている平瀬君なのだ。で、わずか3分後に同点弾、バーン。

その後チェ・ヨンスがPKを決めふたたび2−1、連勝するかに見えた市原だったが、高い集中力で地力をしぼり出す鹿島に、結局最後は2−3で負けてしまった…

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良いプレイ、強いチームというのは相手を叩きのめすばかりではなく、時として相手の良さや強さまで、引き出してしまうことがある。
こういう試合は観ているこちらとしては最高に面白いのだが、しかしチーム関係者(特に監督)にとってはそれどころではないだろう。

試合後の取材に対して市原のオシム監督は「ジェフは上位に来ると、心理的に耐えられないようだ。そのために、何かをしなくてはならない。監督、フロントを含めて。」と語ったそうだ(おそらく例の涙目で)。

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まるで柳に飛びつく蛙のような市原が、オシム監督のもと、どこまで強くなれるのか。なかなか興味深いことではある。(がんばれ阿部っち)

しかしそれ以上に私が興味深かった(おおっ…!と思った)のは鹿島の三点目だ。つまり。またしても出た、モモコの不思議なアタマ!

マルディニといい、秋田モモコといい、兄貴系DFのアタマにはなにかヒミツが隠されているような気がしてならない。しかも、その秘密に当事者はまるで気がついていないのではないか…

決勝点を決めて、年甲斐もなくオレがオレが状態になっている秋田モモコの後頭部のあたりを、目を細め、さぐるような目つきでいつまでも見つめ続けるチマリスだった。

(ほんとサッカーの見方、楽しみ方は人それぞれ)



2003年09月05日(金) 隠し事

きのうの続き。

パレスティナ問題に関しては、動くはずの国際社会がちっとも動かない(もしくは機能しない)。なぜか。

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理由は、イスラエル建国に際してたくさんお金を出したのが米国の政界、財界、メディア業界を牛耳っているユダヤ系の大金持ちだから。よって米国は“内政上の理由”から徹底的にイスラエルの肩を持つ。武器、兵器、軍事費をふんだんに供与する。 ※参考リンク

エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ』によれば“1967年の第三次中東戦争以降、920億ドルにも達する援助がなんの疑いもなく米国の納税者からユダヤ人国家へと行われてきた”。

援助の一例として、ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』にはこういうことが書かれている。

2000年10月、占領下のパレスティナ人たちの一斉蜂起が始まった直後からイスラエルによるミサイル攻撃が始まった。蜂起といったってパレスティナ人民には軍隊はおろかまともな武器さえないのだ(だから彼らは石を投げる)。そういう非武装地帯へのミサイル攻撃。

このときこの残虐行為に対してクリントン大統領がとった対応は“更に追加の軍用ヘリをイスラエルに送る”というものだった。(しかもご丁寧に、前月に送ったヘリのスペア部品まで一緒に送ったという)

パレスティナ問題については比較的穏やかだったといわれるクリントンでさえもがこうなのだ。なぜ、こんなことがまかりとおるのか。そしてなぜこういった暴虐行為がきちんと報道されないのか。この件に関しては、先の文章に出てくる“お金持ち”の職業に注目してみてほしい。

「(メディアは)報道できなかったのではない。報道するのを拒んだのだ」とチョムスキーは書いている。メディアは完全に事情を知っていながら、このことを全く報道しないという形で政府に協力したのだ、と。

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しかし、こういう残虐行為に対して国際社会だって決して黙っていたわけではない。さらに『メディア・コントロール』に書かれている、おおきな隠し事について書いておく。

前述のミサイル攻撃からおよそ二ヶ月後の12月14日、米国は暴力削減をチェックする国際監視団の派遣を求める安保理決議に拒否権を行使した。決議案はただちに国連総会に持ち込まれたが、そこで米国とイスラエルの反対にあい、結局は消滅してしまった。

安保理が取り上げたのはジュネーブ条約違反の問題で、ジュネーブ条約というのは第二次大戦後、ナチスの残虐行為を犯罪行為とする合意をとりつけるために締結されたもの。このジュネーブ第四条約に従えば、米国とイスラエルがパレスティナ(占領地域)で行っていることはほぼすべてが、完全に禁止されている行為なのだ。(占領地への入植も同じ)

その決議の採択に関して、占領地への入植に資金を提供するなど全面的に支援している米国が棄権するというのは、実質的には国際法や国連決議を無効にしているのと同じことになってしまう。

さらに一年後の2001年12月5日、欧州連合の全加盟国を含む会議で、イスラエルが占領している地域へのジュネーブ条約の適用と入植の違法性が再確認された。(当たり前です)
決議はイスラエルに国際法を守るように要求した。が、米国(イスラエルと並ぶ当事国)はこの会議をボイコット。またしても会議は、実質的には無効にされてしまった。

…とにかく、都合の悪いことは「おら知らね」なのだ。京都議定書(環境会議)くらいで驚いていてはイケナイ。しかもチョムスキーによれば、これらの棄権やボイコットに関して米国内ではまったく報道されていないという。

こういう犯罪的な隠し事がなされているうえさらに、イスラエルでも米国でも莫大な費用を投じたプロパガンダ(政治的宣伝)が行われている。
その結果、イスラエルこそがパレスティナ人の暴力とテロによる無実の犠牲者であり、アラブ人とムスリムはただユダヤ人に対する不合理な憎しみの為だけにイスラエルと衝突しているのだ、ということにされてしまう。
(現実にはパレスティナは“殲滅される寸前”だというのに)

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ここから先は、蛇足。

米国だけではなく、こと中東問題に関しては日本も似たり寄ったりだと私は感じている。特にイラク攻撃以降ははっきりとそう思っている。だいたい一々本当のことを包み隠さず報じていたのでは、とてもではないが“黙って米国について行く”などという政権が維持できるはずがない。

こういう種類の隠し事が、そうとははっきりわからぬ形で、日本という国(とそこに住む国民の心)を歪めているのは間違いないのではないだろうか。世の中が悪くなる、奇怪な事件が増えることの遠因はこういうところにあるんじゃないかと、そう私は思っているのだが。

ひとの生き死に、巡り巡って地球の将来に関わることについては目隠しをされながら、美味しいものやきれいな洋服に囲まれて、それが幸せだと思いこまされながら生きることの矛盾が、もうすでにアチコチで奇怪な形で噴出し初めているのではないだろうか?

だとすれば戦争とはまた別の意味で、とてもとても不幸なコトデス。

 
 
 


2003年09月04日(木) パレスティナの石川直樹

6月12日のジャーナルで石川直樹という若き冒険家(すごい読書家でもある)について書いたのだが、覚えているだろうか?

きょう届いた友達からのメールに彼の名前があって、「最近の石川氏のウェブ日記はすごかったね」と書かれていた。

実は私、ここ一ヶ月ほど彼のサイトをチェックしていなかったのだけれど、友人のメールから発するただならぬ気配に、即飛んで読んでみた。…たしかに凄かった。(石川日記の8月16日以降を是非読んでみていただきたい)

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 エー、なんと申しますか…
 
 凄かったとかなんとかいうよりさ、アブナイって!

 あんまり無理するなーイシカワー!戦車になんか向かって行ったらアカンて。

 あんた、運が悪けりゃ砲弾にやられてるとこじゃん…(ベソかきながら)


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ことパレスティナに関しては、動くはずの国際社会がちっとも動かない、もしくは、機能しない。(その理由は意外にシンプルなのだが、今日はもう遅いので明日書く)

そんな背景もあり、フリーのライターなど、取材等を通じてパレスティナ人とじかに接触した人たちは、現地で必ず同じ言葉を託されて持ち帰ってくる。即ち、

「帰ったらこの事実を、出来るだけ多くの人たちに伝えてほしい」

…という言葉を。


(6月のジャーナルを改めて見たら、石川直樹の話とパレスティナ映画の話が抱き合わせになっていた。なんか最近こういう偶然が多い)



2003年09月01日(月) スーペル・ピッポ!

日が短くなりました。

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会社で。

おとといライヴ2本かけもちで、夜10時半をまわってwire03会場へ到着したというゲッツ君。私が「眠くて寝ちゃったわ」と言うと「全然寝なかったっす。平気だったっす」。

なんかくやしいじゃないの、若さを誇示されてるみたいで。それで負けじと言ってやったんだ。「あたしなんか朝の三時にプルコギ食べちゃった。」
(ぜんっぜん自慢になってない)

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セリエ開幕。

で、一番驚いたことといえば、そりゃあなたなんたってピッポの“スポーツ刈り”、コレですよ!

森島、秋田、ピッポ、うちのトウチャン。アタマだけみたら区別つかない。
 
 
今季の欧州サッカーも、いきなり、あたまネタから。
まずはチマリス、滑り出し好調とみた(あっはっはー)
 
 


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