Leonna's Anahori Journal
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2003年06月29日(日) KOOKAI

という訳で、きのうは9時に寝ました。

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テニスの帰り、オリジナル・ラヴ『踊る太陽』と、KOOKAI(クーカイ)でカーデガンを買って帰る。

KOOKAIの方は、会った途端に一目惚れで、衝動買いしてしまった。ここの赤やピンク色は本当にきれいなんだ。私は普段は黒やベージュ、グレーなどの地味な色を着ることが多いのだけど、年に一度か二度、KOOKAIできれいな色の服を買う。

今日買ったのは絞り染めの着物の柄をプリントしたナイロン地のカーデガンで、よく伸びてピタッと身体に張り付く。前立ての上部にゴムが入っていて女性の胸の曲線を際立たせる工夫も(私はあんまり際立たない体型だけどさ)。

これ、軽くてしわにならなくて小さく畳めるから、冷房の強いところで羽織るのにちょうどいい。地味な色、シンプルな服がこれ一枚でがらっと変わるのも面白いし。

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さてオリジナル・ラヴ『踊る太陽』ですが。

特に最初の数曲がまんまデヴィッド・ボウイだった(笑)。(オマージュってやつだよね?)
たとえば『Hey Space Baby!』のイントロ、このギターリフは紛れもなく『ジーン・ジニー』だ、ミック・ロンソンだ。燃えるブギー魂。

まだ一回聴いただけだから断言はできないけれども、これはディスクで聴くよりライヴの方が“向き”かもしれないな、と。土曜日のAXがさらに楽しみになった。

しかし面白いな。ついこのまえボウイの曲がCFに使われていると書いたら、田島貴男がボウイへのオマージュをやっていて。
松岡正剛が町田康のファンだったなんて、と書いたら、その町田康がこれまた田島に詞を提供していたりして。いや、ほんと、楽しいな。
  
  
  







大きな白い花みたいに見えるのは絞り染めの模様です。
着物の柄+絞り染めとは、まさに七十年代、グラムの時代を彷彿させるカーデガン!



2003年06月28日(土) ニューズウィーク日本版

ねむい。とにかく、ねむい。

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横浜(父の家)へ向かう途中、キオスクでニューズウィーク日本版を買った。表紙に“ネオコンの誤算と挫折”と大書きしてあったので。

でも読んでみたら、おっと言うような記事は特になかったなあ。イラク関連は日々、ベリタ等で細かい記事までできるだけひろって読むようにしているから。そっちの方がよほど役に立つ。というよりこの時期、中東とアメリカの動きに関しては、紙媒体(しかも週刊)では追いつけないのではないだろうか。

でもって遅い分、時間をかけ力を入れた面白い特集記事があればまだしもなのだが、これもまた、ちょっと…
“ネオコンの誤算と挫折”と言いながらも、なんとなーく歯切れの悪い書きっぷり(米国人記者による記事の翻訳)には、やっぱり規制されてるのかなぁ、という感じがつきまとう。

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唯一面白かったのは大量破壊兵器の未発見問題における情報操作疑惑に関する記事。特に大きな問題は、イラクがニジェールからウランを購入しようとしたという情報に関するもので、CIAの現地調査ではこの取引証拠とされる文書は偽物(またかよ!)と判明した。

ところが数ヶ月後、この偽情報がイラク攻撃の根拠のひとつとして大統領の一般教書演説に登場してしまった。さて国民をだましたのは大統領かCIAか(CIAが大統領にウソを報告したのか、大統領がウソと知りつつ演説に使ったのか)というはなしなのだ。

ちなみに議会周辺ではホワイトハウスの主張を疑う声が多いのだそうだ。なぜなら一般教書演説の内容は最も厳重にチェックされるものであり、大統領と側近全員がコロッと騙されるとか考えにくいから。

でもわからないよね、ブッシュさんの一般教書演説には、イラン・イラク・北朝鮮が悪の枢軸国だなんて言葉が平気で登場してくるのだから。十何年来敵対関係にあるイランとイラクがどうして枢軸国なんだよ?(この件に関してチョムスキーは「ブッシュはおそらく枢軸国という言葉の意味がわかっていないのだろう」と書いている)

記事にはブッシュがCIAの情報を操作してイラク攻撃をおこなっていたとしたらウォーターゲート事件よりも悪質だと書かれている(当たり前だッ)。しかしCIA長官のテネットというひとが(ブッシュの忠臣ではないため)スケープゴートにされるのでは、という見方も。こういう人たちに民主主義を云々されるんじゃたまらないよねほんと。

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あああ、駄目だ、眠い…ねないと死ぬですよ(パタッ)
 
 



2003年06月26日(木) 他人の本棚

チョムスキーとサイードについて書いた5月4日のジャーナルで、松岡正剛の千夜千冊というサイト(第七百三十八夜)にリンクを張った。

そこにも書いてあったが、その昔、七十年代の半ば、松岡正剛といえば工作舎のセイゴーであり雑誌『遊』のセイゴーであった。今は九州で定型詩をやっている叔母が当時横浜にいて、その叔母の本棚にも何冊か『遊』があったのを覚えている。たしかタオ(道教)や神道、身体・気象・言語などを特集した号だったと思う。

あるときその家で叔母とブンガクの話をしていたとき、突然叔母が「ねえ、あなたこの人どう思う」と言って『遊』に掲載された松岡正剛の写真(プロフィール)を私の目の前に差し出した。叔母曰く「あたしは、なかなか見所があると思うんだけどな。それにこういう立派な顔をした日本人、いまなかなか居ないわよ」。

そのころのセイゴーさんは長く伸ばした髪を束髪にして、丸眼鏡をかけていた。あるいは鼻の下にうっすらとヒゲをたくわえていたかもしれない。
それで、その写真(プロフィール)をみた私は即座に「なんか思想犯みたいな顔した人だ」と思ったのだけど、そのままを口にするのもためらわれ、「うーん、立派かなあ…。そうかなあ、そうかもしれないなぁ」などと歯切れの悪い返事をしたことを覚えている。

それでも工作舎という、ちょっと謎めいていてアカデミックな匂いのする本屋さんには惹かれるものがあって、ライアル・ワトソン『生命潮流』や草間弥生『マンハッタン自殺未遂常習犯』など何冊かの本を買った。
ちなみにその当時、チョムスキーは生成文法論ですでに世界的に有名な言語学者であり、いくらアカデミックなものに憧れたところで、私のようなものには一生縁のない“象牙の塔”の人だと思っていた。

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そのセイゴーさんのサイトを訪れ、あれから実に二十年ぶりくらいでセイゴーさんの書かれたものを読んでみると、意外にミーハーだったことがわかって面白かった。

町田康(町蔵)が手放しで好きというのも可笑しいし、江國香織に対するほのかな思いも読んでいて微笑ましい。

なんだー、早く言ってよー。そうしたらあの頃、新宿ロフトの暗闇ですれ違っていたかもしれないのね、私とセイゴーさんは。なんだー、なんだなんだ、こんな思想犯あるもんかー(笑)

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さて。その松岡正剛の千夜千冊でチョムスキーがとりあげられているのをみて、私は最近のチョムスキーの(言語学者としてではない)ジャーナリスティックな言動を知ったわけだが、それではサイードはどうなのだろう。そう思って検索をかけてみたのだが残念ながら(千夜千冊には)該当がなかった。

それでもあきらめきれずに、おかしいなあ、松岡正剛がサイードを読んでいないハズがないんだがなあ、と思いながらなおもサイト内をうろうろしていると…あった!やっぱりありましたよ。ちゃんと本棚に、エドワード・W・サイード『パレスチナとは何か』が。

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いま私は、何も知らないところから初めて、次第にパレスチナ問題の歴史と背景について知りつつあるところであり、正剛さんのようなひとにはぜひ手引きとなるような書評並びに関連図書の紹介をしてほしいと思っているところ。

こういうとき(ロードマップの実現と隔離壁建設という二律背反にテロの応酬という予断を許さぬ状況)だからこそ、ぜひ千夜千冊でサイード本と関連書籍について取り上げてほしいと、そう思っているのですが。(メールしてみるか)




2003年06月25日(水) 次は田島貴男

朝。通勤途中、バッグの中からオリジナル・ラヴ“踊る太陽ツアー”のチラシを発見。昨日シブヤAXから持ってきたものだ。

そうか、来週にはまたオリラヴでAXへ行くのか。私にしては異例の過密スケジュールだ。大丈夫なのかなあ、もうすでに足つってるし。(なさけない)

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オリジナル・ラヴのニューアルバム『踊る太陽』、田島貴男自身の言葉によれば、

 "フィフティーズ、もしくはロックンロール・リバイバルとしてのセブンティーズ "

 "そう、グラムロック。デイヴィッド・ボウイとマーク・ボランに代表されるような。ああいう、スゥイングするビートで、コンボスタイルによるブギーであるという、そんなグルーヴを持ったアルバムを作りたかった"


…だそうです。なるほど、それでジャケ写がチョークストライプのタイトなスーツに太ネクタイなのね(笑)。要するにボウイの『ヤング・アメリカンズ』ってわけだ。(これでSAXってのは決まるだろうなぁ)

それから、

"濃いアルバムが作りたかった、原色でしかあり得ないロックンロール、その原色でワビサビをを出したかった。そのためには自分自身がまず生命力を持たないと作品が作れなかった"、とも。とにかく週末、山野でCD買って来よう。

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今回のアルバム、脇を固めるメンツは、町田康、友部正人、矢野顕子、松本隆、松井五郎 etc.と超豪華。特に、矢野顕子のピアノはやっぱり凄かった!と感激することしきりだったようで。

それから友部正人の詞はけっこうガツーンと来そうですよ。町田康とは一緒にSMAPへ楽曲提供(「たてながの自由」 作詞 / 町田康  作曲 / 田島貴男 )も。

詳しくはこちら、オリラヴのサイトで。(しかしこのひとは音楽もいいけど文章もいいよね。Tajima's Voice、楽しく読みました)



2003年06月24日(火) サレンダー

シブヤAXで、トライセラトップス NO BARRICADE TOUR 初日。AX大入り満員、後ろまでぎっしりでした。

で、ですね。感想をひとことで申し上げますと。
ハッキリ言ってトライセラは、


かわいい。


なんちゅう感想かと自分でも思うのですが。いやはや実際のところ、和田唱、林幸司、吉田佳史、バラでもまとめてでも、目の中に入れても痛くないくらいかわいい。他に言葉がみつからない。

それで。そういう彼らをみていて思ったことというのが。
私、自分が歳をとるのはかまわないのだけれど、こういう人たちが歳をとってオジサンになっていくっていうのが、どうにも耐え難く思われるわけで。

ほんと、どうにかできないか。ダメなのか。やっぱりアレか、諸行無常なのか。・・・泣けてくる。

(ヘンなおばさん!)

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トライセラ、本日のカバー曲もなかなかふるっておりまして、ポール・マッカートニー「ジェッツ」の他、ポリスとマイケル・ジャクソンをやりました。

でも何をしたからとか、楽曲がどうだったとか、テクだとか歌唱力がとか、そういうことを言っても何か空しい気がするな。

どうも今のワタクシは、トライセラというと完全サレンダー状態になってしまうようです。

(ほんとうに、ヘンなおばさん!!)


2003年06月23日(月) ジ・エンド

コンフェデレーションズカップ。
日本代表が負けてしまった。コロンビアに。嫌な負け方だった。

それで今日は一日、ムッツリとして過ごした。
監督のことはともかく、選手達のことを考えれば、やはりなにがなんでも勝たなければいけなかった。

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武田百合子のエッセイにこういうときの気持ちを表すうまい言葉がある。
それは“墨汁を飲んだような気分”というのだ。

去年の6月、仙台でトルコに敗れたときには、胃の底に、ドロドロに熔けた冷たい鉛が溜まっているような気分だった。(熔けた鉛が冷たいなんてことはありえないが)

あのときほどではないけれど、ちょっと似た気分、墨汁の気分だった、今日は。




2003年06月21日(土) 新しい再生装置

土曜日で、真夏日で、出勤だった。電車は空いていた。

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仕事を片付けて、午後、新しいCDプレイヤーを買いに行く。
くるりのCDを借りたのはいいけれど、いまうちにはCDウォークマン以外に再生装置がないことに、はたと気が付いたのだ。

それで、このままじゃあいけないだろうということになり、急遽量販店をまわって市場調査、ヤマハのマイクロコンポーネントシステム、PIANO CRAFTのアンプ+CDプレイヤー+スピーカーを買ってきた。

縦置き薄型のヤツとかいろんなのを観たけれど、どれもこれもバング・アンド・オルフセンの安っぽい亜流に見えてね。結局、昔の重厚長大オーディオセットの面影を残すヤマハのに決めた。もう生産中止になった廃番品だけど、音が良かったんだ。

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ところで今日は、電気店へいくまえに思い立ってディスクユニオンへ行き中古盤を漁ってきた。
ザ・ヴァーヴの "URBAN HYMNS" と、アンダーワールド "A Hundred Days Off" の二枚。ヴァーヴは半年位前から探していて、やっと当たりが来たのだ。

で、そのヴァーヴの "URBAN HYMNS"を電気店のCDプレイヤーで実際に鳴らしてみて品定めをしたんだけど。いやー、良かったですよ、体育館のように広い店内に鳴り響く Bitter Sweet Symphony のイントロってのは。買い物忘れてじっと聞き入りそうになったもの(笑)。

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新しいプレイヤーで「くるり」を聴いていて、中に一曲、知っている曲があるのに気が付いた。「男の子と女の子」という曲。
これは二、三ヶ月前、TVの深夜番組でくるりのライヴをやっていて、そのときに聴いたことがある。

私はこの曲を聴きながら何故か泣きだしてしまったりしたので、それで良く覚えていたのだ。そうか、あの曲がくるりだったんだナと思いながら、どうしてあのとき泣いたりしたんだろう、少し飲んでたんだろうかな、などと考えた。



2003年06月19日(木) 前門の虎、後門の狼

この間サッカーのパラグアイ戦を録画してくれたゲッツ君、この私の新しい同僚がなかなかの音楽好きであることが、ひょんなことから判明した。

判明のきっかけはほんのささいな言葉の切れ端だったのだが、同じような趣味を持つ人間は同類のにおいに敏感なもの。小さな言葉の断片も聞き逃さない。それで、もしやと思って訊いてみると案の定、昨年のフジロック、三日間通しでみてきたのだという。あっらー。
しかもステージ後のパティ・スミスと握手する幸運にまで恵まれたとか。あららー、そらチョットうらやましいぞー。

でもいいんだもんね、アタシは来月ブリッツのパティ・スミス行くんだもん。それから、今年はwireだってあるしさ。
そういうことをさりげなく大人の口調、会社の顔でゆーてみたら、ゲッツ君、目をまん丸くして、マッ、マジっすかぁ!?。一瞬のうちに形勢逆転。ウヘヘヘヘ。

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しかし、そのゲッツ君の口から「くるり」の名前が出たときにはハッとした。
なぜならこの「くるり」、私の友人のクの字(特に名を秘す)のお気に入りアーティストで、彼女からは「くるり、いいですよー」「今度くるり行きましょう」と折に触れて聞かされていたから。でもって、そのたびに私は、そうねーとか何とか言ってのらりくらりとかわしていたんだな。

「くるり、私の友達も大好きみたい。人気あるね」と言うと「聴きますか?貸しますよ。wire大丈夫なひとならきっと聴けると思います」。前門の虎、後門の狼状態に(笑)。
これも何かの縁と、最新アルバムの "THE WORLD IS MINE" を貸してもらうことになった。

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夜。疲労の蓄積からか、右足の指が激しく攣る。激痛。
これは、まじめに“wireへの道”強化特訓をやれということなのか。
嗚呼、何処の門の近くにも猛獣の気配(笑)
 
 


2003年06月17日(火) レッツ・ダンス

ホンダのTVコマーシャルのBGMにデヴィッド・ボウイのLET'S DANCEが使われている。

冒頭の、あの印象的なギターリフは、飛行機事故で早世したブルースギタリスト、スティーヴィー・レイヴォーンによるものだ。

80年代の半ば、LET'S DANCE TOURで世界を回るとき、ボウイはレイヴォーンにツアーに同行してほしいというオファーを出したが断られてしまった。理由は「その日はもうどっかのライヴハウスで弾くのが決まっているから」。

それで日本公演にはレイヴォーンの代わりに、エイドリアン・ブリューという、テクはあるけれども私にとってはなんとなく感情移入しにくいギタリストがやってきて弾いた。私は横浜スタジアムの真ん中あたりからそのステージを眺めていた。凝ったステージで有名なボウイだが、そのときは大きなヒラヒラしたクラゲみたいな形の飾り物が風に揺れていたのが平塚の七夕祭りみたいで印象的だった。

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私がこれまでみた海外ミュージシャンのコンサートのうち、もっとも素晴らしかったのが、レイヴォーンの初来日公演とキングクリムゾンのデシプリンツアー日本公演で、これらはいずれも80年代半ばの出来事だった。

このふたつの“強烈な経験”は私のライヴ体験における東西両横綱であって甲乙つけがたい。でもって、その当時キングクリムゾンで、ロバート・フリップのご下命によりギターを弾いていたが例の(バカテクだけど感情移入しにくい)エイドリアン・ブリュ−なのだった。

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そんなこんなで。くだんのホンダCFが流れるたびに80年代の私的記憶がよみがえってくるのだが。

回を重ねるうちに、レイヴォーンは死んじゃったけれど、エイドリアン・ブリューの方はいまどうしてるのかななんて(感情移入しにくいギタリストなのに)考えている自分を発見したりして、なんだか可笑しい。




2003年06月16日(月) どうなるコンフェデ

やっとキリンチャレンジカップ、パラグアイ戦を観ました。ゲッツ君、ありがとう!

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それでですね、なにか気の利いたことを書こうと思ったけれど、ちょっと難しい。FWはもう若手にしたらいいのに、大久保+中山(悟)で、とかそんなことしか書けない。

それで、今回は戦術音痴の私にかわって、詳しい方の書いた非常に面白い文章をご紹介しますので、こちらをドウゾ!

(リンク快諾してくださってメルシー、ネギさん!)


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これだけだとちょっと寂しいので、そっくりさん画像付きVer.をやりますよ。

 ◎ 徴兵で髪を切ったアン・ジョンファン → 巨人の河原投手(入団した頃)


(同じ事を2日にも書いていたことが判明。ガチョ〜ン。チマリス、何故このネタがそんなに好きなのか)
 
 
 


2003年06月14日(土) 忘れ物ダブルス

そのサイードの本を、鶏屋に忘れたですよ(ガチョ〜ン)

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それで、横浜の父の家へ行った帰りに有楽町再訪。
昨夜の店をたずねてみると、あった、ありましたよ、三省堂の袋がふたつ。エガッタ〜。

 ・・・・アレ?

お店の人に「片方は違います。私のはこっちだけ」と一方を受け取り拒否しようとしたら「あのぅ、お連れ様のものでは…」。そういう店員さんの眼鏡の奥の目が笑っている。

私、「アレ?もしかしたら彼女のかなぁ。あの、あの、一緒の場所にありましたか?」。すると店員さん、きっぱりと、「ハイ」。

ダメじゃん、クルミちゃん。わたしらしっかり、忘れ物ダブルスよ。

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たしかに昨日は少し飲み過ぎた。それで朝から、一日中お茶だの水だの飲んで過ごした。鶏屋で受け取った本の袋を提げて東京駅から京葉線に乗るとき、キオスクで温かいおーいお茶を買って飲んだら、お、やっとワイン抜けたゾという実感があった。



2003年06月13日(金) 有楽町で鶏を喰う

一週間の仕事を終え、久々に有楽町でクルミ嬢と食事。

最初銀座方面へ出たのだけれど、金曜日の夜八時ではどこも満員、外に行列。しかたなくJR有楽町の高架下まで戻って鶏料理の店に入ったら、これがビンゴ!

キリッと冷えたシャルドネを二人で一本。旨い鶏と一緒に胃袋へ流し込み、梅雨時の鬱陶しさを吹き飛ばす。おりしも本日は13日の金曜日。「13は私のラッキーナンバー、きっと楽しいことがあるよ」と彼女を誘った甲斐があったというものだ。

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ところで。今年の三月頃、錦糸町方面で彼女と連日“放課後活動”に精を出していた頃、こんな会話があった。

彼女がカメラ付き携帯で撮ってくれた写真を私がこのジャーナルにアップしたりして遊んでいたときのこと、クルミ嬢が何の気なしに「やっぱりこういうネタが一番気楽だし、面白くて、いいですよね」と言ったのだ。

それに対する私の答えは「でも、お気楽で笑えるだけのものをやっていてもつまらない。せっかく誰の指図も受けずに自分の自由で始めたことなのだから、たとえ人が面白いと思わなくても自分が書きたいと思ったことを書く。そうでなかったらやっている意味がない」。

もちろん彼女の言いたいことはわかっていたつもり。要するに“こういうのって楽しいね!”と言いたかっただけで、そんなシリアスな話をするつもりではなかったのに決まっている。それなのに、私ときたら。まったく、こういう頑固でかわいげのないオンナと、よくまあ、今までつきあってくれたものだと思う。

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ところが、今日飲んでいるときにクルミ嬢がこんな言葉を口にしたのだ。
「レオナさん、あの掲示板の“私はやめません(あははー)”ていうの見て安心しました」って。「うれしかったです」って。

先月の中旬から一時期、掲示板上でイラク攻撃がらみの議論が紛糾(というほどのものでもない。そもそも議論にすらなっていない)したことについてハラハラしながら見守っていたという彼女。きっと私がオトナシクなっちまったりしたらどうしよーつまんなーいと思って心配してくれてたんだな…

で、この言葉にちょっとばかりジーンときてしまったチマリス。「どもども、アリガト」などと言いながらシャルドネを一口…、と、そこへ畳みかけるようにクルミ嬢、「あのですね、ワタシ、ひとつ提案したいことがあるのですが」。

彼女の提案とはこうだ。
8月末に一緒に参加予定のイベントwire03、このオールナイトのイベントを楽しみ尽くすにはかなりの体力造りと体調の維持が必要なのだが、その努力の過程を“wireへの道”としてこのジャーナル上で連載せよ、というのである。はーあ。

で、私は即座にこう答えたんだ。「いいよ、やる!」。
私をこうまで素直にさせたのは、友情か、好奇心か、はたまた単純なワインの酔いか。(なんかよくわかんないけど、とにかく、ヤルです)

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本日、有楽町三省堂でサイード本、二冊購入。

 「イスラム報道 (増補版)」 みすず書房
 「パレスチナへ帰る」 作品社
 




2003年06月12日(木) 石川直樹とエリア・スレイマン

きのうエスクァイアをみながらとってきたメモから。

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石川直樹という若き冒険家、このひとはエベレストでも6400メートルくらいまでは本を持っていく(!)というつわものなのだが、彼に5万円渡して青山ブックセンターで買い物をしてもらうという企画ページから。

なにしろ、彼の選んだ本が素晴らしい。チマリス、思わずメモ帳をとり出してしまった。以下、書名を箇条書きでご紹介します。

 「砂の本」 J・L・ボルヘス
 「幸福な無名時代」 G・マルケス
 「テレピン月日」 大竹伸朗
 「文化の窮状」 ジェイムス・クリフォード
 「CIVIL OPERATIONS」 ウォルター・ニーダーマイヤー
 「地上にひとつの場所を」 内藤礼
 「スーパーフラット」 村上隆
 「フィッシュ」 J・デリダ
 「ベンヤミンコレクション 1&2」


…こんな冒険青年ありなのかと溜息が出るようなラインナップ。
デリダ、マルケス、ベンヤミンの間に大竹伸朗と村上隆(アート系)がきちんと挟まっているところなんか、本当にニクイ。
マルケスは「幸福な無名時代」を選んでいるところが渋くて、要するにこれは「族長の秋」「百年の孤独」あたりはもう読んじゃったってことなんだろう。

私はまったく知らなかったのだけれど、内藤礼という人はアーティストでインスタレーションなんかをやっているひと。「地上にひとつの場所を」というのはその作品展の写真集らしい。
「CIVIL OPERATIONS」というのも、写真集(洋書)。
この“見る”と“読む”のバランス感覚に親近感を覚える、などと書いたら生意気ぬかすなと叱られるだろうか。

(あー、デリダ。ひさびさに読みたくなってきた)

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もうひとり、エリア・スレイマンという映画監督についても。

彼は1960年イスラエル、ナザレの生まれ。昨年「D.I.」というパレスチナ映画でカンヌ国際批評家連盟賞と審査員賞をダブル受賞した。
他に91年「戦争の終わりのための序章」、93年「消滅の年代記」などの作品があるらしい。
私は特に、レジスタンスだった父親をモデルに作ったという「消滅の年代記」という映画に興味があるのだが…

この人は82年からニューヨークに住んでロックミュージシャンをしていたというのも面白い。(93年にナザレへ戻ったそうだ)
「D.I.」はイスラエル人とパレスチナ人の恋愛を描いたコメディだというのだが、はてさていったい、どんな映画なのだろうか。
 
 


2003年06月11日(水) 一人掛けのソファ

仕事帰りに某家具店へ。念願だった一人掛けのソファーを注文する。

以前から幾度となく訪れていたその店では、革の色を選んで注文してから張り上がるまでに二ヶ月かかるということだったので、早く決断しないといつまでたっても椅子に座ることが出来ないということになる。
思えば私が仕事を始めた理由のひとつは(肉体的に)ラクチンに暮らすための家具がほしいというものだった。特に椅子やソファはその筆頭。

それに、現在私は往き帰りの通勤電車のなかでまったく本の読めない状態(超満員)なので、家でゆっくり読書に没頭できる自分だけのソファが一日も早くほしい。オーダーした革の色は白。配送予定日は8月9日だ。待ち遠しい。

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某銀行のロビーにて。エスクァイヤの6月号に面白い記事発見。一生懸命メモをとってきた。

ひとつはとても若い冒険家で、とてつもない読書家でもある石川直樹のこと。もうひとつはエリア・スレイマンという映画監督のこと。このスレイマンというひとはパレスチナ人なのだ。

エスクァイヤを読む私の目の前には、大きなTVのフラット画面があり、ちょうどセルタ×レアル・マドリーの試合が映し出されていた。だから私は雑誌を読んだりメモをとったりサッカーを観たりで、とても忙しかった。




2003年06月08日(日) リケルメ・サビオラ・アイマール

キリンチャレンジカップ、日本×アルゼンチン、面白かったですねえ。
結果は1−4で惨敗、日本はモモコの不思議な頭による一点どまりでしたが、リケルメ、サビオラ、アイマール等によるフレッシュなアルゼンチン代表はなかなか魅力的でした。

これまでサビオラが代表としてピッチに立ってもなかなか生き生きとした動きをみせられなかったのは、バティ、クレスポはもとより、ベロン、シメオネ、オルテガなんてこわいオニイサンたちに周りを囲まれていたから。確かにあれじゃ萎縮するなって方が無理だよ、なーんてことを思いながら観ていました(笑)

個人的にはリケルメのFKに感動した。ダイレクトでは入らなかったけれど、敵の頭を越えて味方の足元にポトンと落ちたあのボール。一瞬虚を突かれたあとで、ああこの人はユースとかトレセンとかいうシステムとは無縁の、ボールだけを遊び道具として育った子供だったんだなという思いが強くして。ジワ〜ッとくるものがありました。

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ところで先週、海外から3チームを招いて行われた親善試合ですが。

浦和×フェイエノールト、なごやかな良い試合でした(引き分け)。
C大阪×パルマ、大久保ガッツみせた良い試合でした(引き分け)。

ところが、仙台×キエーボはちょっと違ってた。
オイッ、仙台ってこんな凄いチームだったんか、キエーボ全員顔つき変わってるじゃないか(特にデルネリ監督)。
で、やっちまいましたよ仙台まさかの勝利。ビアホフの引退セレモニーまで含めて、見応えのある素晴らしい試合でした。

ああいう試合を観てしまうと、もう日本も若手で行こうよ!という気になります。佐藤や根本といった選手たち、まじ熱いし、巧いし。観てるこちらまで湯気が出そうになったもん。本当に2006年のWCを考えるのなら、この時期、中山ゴンちゃんをアルゼンチンにぶつけても意味ないんじゃないの?
 
 
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さて。もう気付かれた方もあるかと思いますが、トップページのカウンタ下にイラク戦争に反対するサイトへのリンクを張りました。

このサイトを発見したとき(今日、ですが)私は本当に安堵の溜息をつきました。もう私の舌足らずでグルグルした説明で読んでいる人を煩わせる必要はなくなった、と思って。

このサイトはイラクボディカウントにもリンクされているし、年表も整備されています。あと思わず笑ってしまった(扱っているのは笑い事ではないのですが)のは、この10項目のチェックリスト。ぜひ一度訪れてチェックしてみてください。そして管理人さんの主張を読んでみてください。


(ETVスペシャル、『バクダッド日記─イラク戦争とインターネット』の第二部については明日以降更新いたします。)


2003年06月07日(土) ムーア監督の自己演出

米国防総省の国防情報局(DIA)が昨秋、「イラクに化学兵器が存在する有力証拠はない」という報告書をまとめていたことが分かった、そうだ。(→ソースはこちら

ま、そんなこと、今さら誰が驚くかい!と思う今日この頃なのだが、本日はボウリング・フォー・コロンバインのマイケル・ムーア監督について、書き残していたことを書いておく。

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“監督のマイケル・ムーアがC・ヘストン氏の自宅の柱に、銃の犠牲となった6歳の少女の写真を立てかけて俯きながら立ち去るシーンで思わず引いてしまった”という意見を某掲示板で目にして、思わず、あーそれ私もー!と叫んでしまった。

あのシーンのムーア監督の自己演出は、知性で巨悪を告発するジャーナリストの行動というよりセンチな女子中学生という感じで、すごく違和感があったので、妙に印象に残っている。

同じようなことを最近、彼の著書『アホでまぬけなアメリカ白人』を立ち読みしたときにも感じた。
どうも、マイケル・ムーアという人は世の中の不正や欺瞞に目を向けさせるというよりは、それを大胆に暴く自分という人間に注意を集めたい人ではないかと、どうしてもそういう印象が拭えないのだが。


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コロンバインを観てから暫くして、チョムスキー『メディア・コントロール』という本を読んだ私は、もしかしたらムーアもチョムスキーを読んだのかな、と思った。怒れる賢老チョムスキーの権力批判と暴露っぷりのすごさは、嫌でもコロンバインのムーア監督を思い出させるからだ。
さらに少し前、ムーアの次回作のテーマが911テロ(ブッシュ政権が911をいかに巧く利用しているか)だと知ってからはよけいにその感を強くした。

でも、どうだろう。
たとえばチョムスキーの『メディア・コントロール』を読むと、書物そのものが読者(つまり私)に、自ら検証することを強く求めてくるのをビシビシと感じる。これはノンフィクションにしろ小説のようなものにしろ優れた作品に共通した性質で、読み終えた読者の行動にまで影響を与える力を作品そのものが内包しているということなのだ。

しかし『アホでまぬけなアメリカ白人』には、その手の迫力、読み手の生活にまで爪をかけられる感触というのは無かった。
おもろいオッサンが歯に衣着せずに書いた暴露本、ちょっと硬派の雑学満載本という印象を受けた。この違いはいったいどこから来るのだろうか?

あるいは、書き手はテーマを選んで書いているつもりでも、書かれる内容(テーマ)というものは、書き手や文体を厳しく“ふるい”にかけるものなのかもしれない。出来上がった作品はこの点に関して、正直に語る。

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マイケル・ムーアは本当に次回作で、911を通してブッシュ政権批判をするつもりなのだろうか。
もしそうだとすれば、観たくないなー、間にあってるよという気持ちと同時に、いったいどんな作品になるのだろうという(下世話)な興味もある。

が、いずれにしてもそれより先に“本家”チョムスキーの『9.11』(渋谷アップリンクでアンコール上映中)を観てこようと思っているところだ。


2003年06月02日(月) WIRE!

wire03のチケット、二次予約に当選した。

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あんまりうれしいので、今日は、唐突にそっくりさんをやりますよ。

 ◎ 兵役のために髪を切ったアン・ジョンファン → 巨人、河原投手

…やぁこりゃ、久々のヒットでないかい(自分でゆーな)。



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