Leonna's Anahori Journal
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2003年01月31日(金) 映画、観てきました。

昨日。

仕事の帰りに渋谷で『デュラス愛の最終章』を観てきました。一瞬も退屈することのない素敵な映画でした。

デュラスの生きた金言名言がダダ漏れ状態で聴けて、しかもそれが発せられるのがジャンヌモローの口から、なんですから。面白くないわけがないです。

笑ってしまったのは初めてヤン(デュラスの最期を看取った38歳年下の恋人)がトゥルービルのホテルにデュラスを訪ねたときの会話。デュラスに「料理はするか?」と訊かれた彼が「まったくダメです」と答えると、「想像力がないからよ」と言われてしまうところ。
なぜなら昔々、私もまったく同じセリフをBFに投げつけられたことがあるから。でも、「あなたがお料理が下手なのは想像力に欠けてるからよ」と言われたその相手がどんな顔をしたのか、どんな返事を返したのかは、もう忘れてしまった。


38歳年下の恋人と聞いて、ワーと思う人も多いと思うけれど、デュラスは気難しいうえにとても正直だったから、そういう人とそういう関係になればワーもへったくれもない。恋愛の究極の相貌には、勿論年齢なんか関係あるわけがないのだ。そういうことが、とても良くわかる映画でした。

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きょう。

昨日。映画の帰りにAfternoon Teaで大好きなフレッシュグリーンティの香りの入浴剤を買ってきたので、それを溶かしたお風呂にゆっくりと浸かりました。
ああー、やっと一週間が終わった。うれしいなー。


2003年01月29日(水) フランドル遊記

うわぁ、さっぶぅ〜い!
会社から帰るなり、お湯を沸かして紅茶を淹れて、ふがふがとチョコレートクロワッサンを食べました。
じゃなきゃ寒いしお腹空いてるし、お夕飯なんか作れませんわ。(太るねこりゃ)

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柴田元幸訳『夜の姉妹団』を楽しく読み終わって、再び金子光晴の自伝三部作(の第一作目)『どくろ杯』を読み始めた折りも折り。机の引き出しの底にへばりついていたクリアファイルの中から妙な新聞の切り抜きが出てきた。

それは『フランドル遊記・ヴェルレーヌ詩集』という金子光晴の本の書評で、金子の没後発見された、1931年妻の美千代を伴ってのフランドル行を綴った文章とヴェルレーヌ詩集の訳稿を一冊にまとめたものだという。平凡社刊で413頁、2900円。

いっしょに出てきたもう一葉の切り抜きがポール・オースターの『ムーン・パレス』(本邦初訳)に関する沢木耕太郎の文章だったから、同時期に切り抜いたものだとすると、金子の発掘本が出たのはだいたい十数年前。この本、恐らく今はもう手に入らないだろう。『フランドル遊記』、夫人との関係が危機的な状況に陥った時期のものと聞けば、またかよ!とうんざりしないこともないのだが、でもやっぱり気になるなぁ。ちょっと調べてみるか…

そういえばポール・オースターも、やっと去年になって、初めて読むことが出来たのだった(『孤独の発明』、『偶然の音楽』)。こんな切り抜きのことなんか忘れていたけれど、結局、だいぶまえからこの人達の本は、私の中で読むことに決まっていたのだという気がする。



2003年01月28日(火) ロマー!セリエA第18節

セリエA第18節は、ハランハランのロマロマだった。

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まずミランがホームではやたらめったら強いウディネーゼに1−0で負けてしまった。アラララララ…、そんなつもりじゃなかったのにね。

でもって、ラツィオもレッジーナに0−1で負けた。どうした、クラウディオ・ロペス。

ペルージャ×キエーボは1−0でペルージャ。頑張れば頑張るほど主力選手を引き抜かれるキエーボ。プロヴィンチャ(中小チーム)の悲しいところだなあ。

極めつけはコモに2−0で負けたローマ(でたー)。ついにエンドレス“ロマロマ”状態か?
この試合、後半の20分過ぎまで観ていたけれどその時点では0−0のスコアレスドロー。こりゃ1点勝負だなと思いながら台所に立って、戻ってきたら2点入れられて負けてた…
カペッロ監督の怒りとあきらめの表情も見応えあったけれど、もっと凄かったのはその後ろにいたカッサーノの顔。「ゴワァー!勘弁してくれよオイ。こんな負け方、がまんできねーぞゴラァ。俺を出せ〜!ウガ〜!」て、そういう顔。オットとふたりで死ぬほど笑ってしまった。

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一方、磐石の勝利組はというと。

ユヴェントス×ピアチェンツァは2−0でユーヴェ。デルピ+ネドヴェドだけでもシブイわ恐いわ手堅いわだったのに、そこへトレゼゲまでもが帰って来ちゃった…。ヒタヒタと、静かに、連覇を狙うユヴェントス。

インテル×エンポリは3−0でインテル。さっそくローマから移籍してきたバティストゥータがスタメン出場。得点したのはビエリだけど(トリプレッタ!)、何なんだろうねバティのあの派手さって…。ビッグクラブの似合う男バティの移籍第一戦に勝って、これでインテルがミランを抜き単独トップに躍り出た。

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キエーボのルシアーノ(元エリベルト)、謹慎が解けスタメンで試合に復帰。あれ?インテルに移籍じゃなかったの?と思い調べてみましたら。現在レアルマドリーのソラリ獲得のために交渉中のインテル。もしソラリが獲れなかったときにはルシアーノのインテル電撃移籍ということになりそう…そういう報道がイタリアではなされているようです。

あとラツィオのインザギ弟(オデコ)。アタランタへの移籍交渉中で、こちらはじきにまとまる模様。移籍して出場機会が増えるのなら、その方がいいもんね、オデコも。



2003年01月27日(月) 真冬の雨

よく降る雨だなあ。それに凄く寒い。仕事から帰ってきてからずっと、軽い頭痛がする。まさかインフルエンザではないと思うんだけど…。お風呂に入ってから葛根湯をのんだ。

今日はヴァン・ショー(ホットワイン)でも飲んで早寝することにしよう。

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あ、そうそう、忘れてました。
戸田和幸選手、プレミアリーグ、トテナム・ホットスパーに入団が決まりましたね。よかった、よかった。スカパーみて応援しよう。

私は、イナよりフーマンチューより俊輔より、戸田選手のファン。自分のスタイル(考え方)を持って行動していると思うから。プレイもいいけど、脳味噌がね、チャーミングなのだ。
 
 


2003年01月26日(日) テニスシューズ

今日もテニス。さすがに右腕が筋肉痛。

張り替えたガットのテンションが適正値に弛むのは4、5月頃の予定だが、テニスシューズの方は一足先に買い換え時期が来てしまった。私がテニスを始めて以来所有したただ一足のテニスシューズ。いくら一週間に一度レッスンで履くだけといったって、ウン年間も履き続ければもう限界だよね。

二年位前、さかんに新しいシューズを物色していた時期があったんだけど、その後一回スクールをやめたりしたこともあって、それじゃまたの機会になんて思っているうちに、とうとう履きつぶしてしまった。

そういえば、このオンリーワン・テニスシューズをはいて、マレーシアはランカウイ島の、アマゾンよりも古いといわれる熱帯雨林の中のテニスコートでテニスしたことがあったっけなあ。あのときは黒い布を頭から被ったモスリムの女の人たち(隣接のゴルフコースで働いているひとたち)が、どんな物好きがこんなところでテニスしているんだって覗きに来たんだった。でもって、けっ、ヘタクソ!てな感じですぐにどこかへ行ってしまった。

さらにその二年くらいまえには、インドネシアのプロウスリブの寂れ果てたリゾートのテニスコートでもテニスした。あのときはナイター照明に照らされて、コートを囲んで植えられた椰子の木から逆さまにぶらさがるフルーツバット(50センチくらいある大コウモリ)に見守られながらのテニスだった。もしかしたらあのコウモリも「こいつら今までで一番ヘタ」とか思いながら見ていたのかもしれない…。(いずれも相手はオット)

長い間どもどもありがとう、マイファースト、ジオンリーワンテニスシューズ。でも、とうとう来週は新しい靴を買いに行かなくちゃ。


 


2003年01月25日(土) テンション

先月休んだ分のテニスの振り替えレッスン。朝9時半から二コマ続けて出る。二コマ目はアウトドアコート。風が強くて、弱いボールはぜんぶ変化球(バウンドしてから戻っていく)になってしまうので往生した。

ところで今年に入ってからコーチのすすめで張り替えたガットは、いわゆるナチュラルガットというやつで、高いけれどフィールは最高と言われているしろもの。それじゃあ、と、試してみたのだけれどそんなに打球感は変わらない。というより、硬い。むしろ飛ばなくなった感じ…

今日コーチとそんな話をしていて「テンションいくつですか」と訊かれたので「56ポイントです」と答えたところ。
「かてぇ〜。そりゃ強く張りすぎですよ。僕なんか45とかそんくらいですよ」だって。よ、よんじゅうごぉ?私テニス始めて以来ずっと52〜56で張ってたよ…

さらに。「僕くらいのテンションだとボレーでガットがグッと押し込まれる感じがわかります。たわむ、って言うの?またこの感触がいいんだな」ですって。あっら〜。そんなボレーでガットがどうこうしたなんてこと、アタクシこれまで、一度も経験ございませんでしたわ。

…ふむふむ、そうだったのか。つまりこれってテンションを弛めてやることによって私のテニスに新たな上達の可能性が加わるってことよね?
よーし、やるわ。アタシやったるわよー。いま56のテンション、使っているうちに弛んで45、6になるのって、そうね、だいたい4月くらいかしらね?(根性がケチすぎる)




2003年01月24日(金) とびきりの現代英米小説

夕方。電車の窓の外にひろがる空が、特別青い。
きのうの雨で、汚れをきれいさっぱり洗い流したような空の色。

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金子光晴の『ねむれ巴里』を読み終わって、いまは柴田元幸訳『夜の姉妹団〜とびきりの現代英米小説14篇』を読んでいるところだ。

まず最後(14篇目)に収録されたウィル・セルフ『北ロンドン死者の書』を読み、それからあとは先頭のスティーブン・ミルハウザー『夜の姉妹団』に戻って収録順に読んでいる。

『北ロンドン死者の書』は荒唐無稽で面白いとしか書きようがない。『夜の姉妹団』では、あーミルハウザーってこういうかんじなのかーと諒解。レベッカ・ブラウン『結婚の悦び』にはまるで前衛派の具象絵みたいな緊張感が。
少し恐かったのはジョン・クロウリー『古代の遺物』という作品で、これ、もし原書(つまり英語)でダイレクトに読んだら、もっと薄ら寒いような何とも知れない気味悪さが際立って感じられたんじゃないかと思う。

『シャボン玉の幾何学と叶わぬ恋』のレベッカ・ゴールドスタイン、こういうスタイルの女の小説家って日本にはいなんじゃないかな。わくわくもドキドキもしんみりもしないんだけど、なぜかとても好きだった。どんな顔してるのかちょっと見てみたい小説家。
逆に、ドナルド・バーセルミは面白すぎて楽しめない(こんなこと書くとバーセルミファンから叱れれますか?)。きっとバーセルミって読者以上に、翻訳家が翻訳していて楽しめる作家なのでしょうね。

と、まあ、こうして英米の奇妙な味わいの掌編を読むのも、ひとつには金子光晴の自伝三部作(の内のあと二冊)を読むまえの“箸休め”的意味があるわけでして。結局買ってしまったんですよね『どくろ杯』と『西ひがし』も。『ねむれ巴里』のこと、あんなに不快だって怒ってたのにな。

まったくもって、詩人侮るべからず。いまや私、良いお客さんになり果てました。
  


2003年01月23日(木) 冬の移籍シーズン

電車の中吊りで見たいま出ているAERAの表紙。あの高原直泰選手はカッコイイですねー。フーマンチューなんて書いて悪かったと思ってる、いやほんとに。

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サッカー、冬の移籍シーズン真っ盛りですが。

なんたって驚いたのがローマ、バティストゥータのインテルへレンタル移籍。じゃあ何だったのよ、あの代理人の「バティはすでに奥さんと一緒に英語のレッスンを始めている」っつー発言は。私はフラム(英国)だとばかり思ってたんだけど。この移籍バティにとって(そしてインテルにとっても)吉とでるか凶と出るか…

そういえば同じくローマのカフー。本当に来ちゃいそうですね、横浜Fマリノスに。岡田監督就任+カフー獲得で俄然勢いづく、のか?、Fマリノス。

外国人選手、獲得、とくれば。来ちゃいますよ来ちゃいますよ、帰って来ちゃいますよ、あの男が。
エムボマが、エジムンドの去ったヴェルディに入団です。しかし、ヴェルディにエムボマ。聞いただけでうれしくなってくるのは私だけですか(笑)。エムボマ、日本の冬は寒いけど、大好きなうどん食べてがむばってくれ。

ところで、単身英国へ渡って入団テストを受けている戸田和幸選手。その後どうしているんだろう。一部リーグで活躍して欲しい!、お願い!使って!。日本のガットゥーゾ、プレミアでさらに洗練、パワーアップの図を、是非とも!
  
  


2003年01月19日(日) 韮山町で

朝5時おきで、静岡県の函南霊園へ出かける。十年前に37歳で亡くなった友人のお墓参り。私は十年前の葬儀に出席しておらず、そのことがうっすらと気になり続けてもいたので、お墓参りの話があったときは、一も二もなく「行く」と返事した。

6時に電話が鳴って、マンション前に止まっているS氏運転のクルマに乗り込んだ。このあと都内に住むTちゃんとK子をピックアップして、昼前には韮山のお墓に着くことが出来た。霊園はなだらかな山懐のおだやかな景色の中にあって、そばを流れる川のせせらぎの音が聞こえてきた。

お墓のそうじをしてお線香をあげ、途中で買ってきたワインをコップに注いで供える。お酒の好きな男だったのだ。それから私たちもワインを注いで、お墓の前で立ち飲みしながら思い出話などした。

私たちはみな同年代で、私とTちゃんは同い年、K子とS氏は一歳下だ。S氏と私は今日が初対面だったのだがすぐにうち解けて、楽しく話が弾んだ。初めて聞く、S氏の故人をめぐる思い出話でさえもがなつかしく感じられるのが不思議であり、心地良くもあった。

小一時間も立ち話をしたあと、私たちは「ありがとう」「また来る」などと墓に声をかけて霊園をあとにした。「ありがとう」と言ったのは私で、それは亡くなってから十年もたって、こんな楽しい時間とH氏という新しい知己を与えてくれた死者に対する感謝の言葉だった。

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墓参りのあと、手打ち蕎麦屋で昼食をとり、“日帰り入浴”の看板に誘われるまま、韮山の温泉につかってから帰途に就いた。

静岡〜神奈川〜東京〜千葉と帰る途中、どこかで渋滞につかまることを覚悟していたのだが、クルマの流れはまったくつかえることなく、スイスイと、朝と同じマンションの前まで帰ってきた。

 ホリ、ありがとな。またみんなで会いに行くよ。
  
   
  
  


2003年01月17日(金) ジャンヌ・モローかく語りき

現在発売中のヴォーグ日本版、特集「オールド・ウーマン」に載っているジャンヌモローのインタヴュー。これが大傑作。

老いについてどう考えるかと訊かれたモローさん、少しだけ意地悪そうに目を輝かせながら、「それは女がする質問ね。あなたの質問じゃないでしょう?」
その瞬間、取材をおおせつかった小野正嗣という若い小説家、思わず首をぶるると振ったそうだ。モチロン違います、ボクはただ訊いてこいって言われただけなんです、とばかりに。

さらにモローさん、老いのことなんか考えたこともない、日々生きているというそれだけで十分ではないか、と。そして「でも質問はそういうことじゃなくて女の虚栄心の問題でしょ?人にどう見られるかって?」と鋭く看破。アタシはもう愉快で愉快で。笑いが止まりませんでしたわ…

さらにさらに。「老いに怯えるなんて冗談じゃないわ。年をとればとるほど、創造性と芸術性はより繊細に、より深くなっていくものなのよ」とキッパリ。もっともこれも無いものは出ないわけで。結局若くても年とっても漫然と生きていれば何も変わらないという、当たり前のはなしに行き着くわけなのだ。

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そういえば公開中の『デュラス 愛の最終章』、まだ観に行っていない。来週中にはぜひ。


2003年01月15日(水) ロマロマ(ドナドナ)

ローマ。ホームゲームででいきなりキエーボに負けちゃったんですよ。
再放送つけたら必死にボールキープしようとしながらことごとく奪われてしまうトンマージの映像が…

いつまで零点負けが続くかわからない状態で、またぞろインテルに負けたモデナ。ユヴェントスにSMショーでコテンパン(5−0)のレッジーナ。いずれもかなりつらいけど。いやいやローマもかなりつらい、やるせないことになってきました。





2003年01月14日(火) ねむれ巴里

仕事の行き帰りに電車の中で読んでいる金子光晴『ねむれ巴里』は汚くて、みじめったらしくて、不愉快な話だ。読んでいると腹が立ってしかたがなかったのだが、中盤にさしかかるにしたがい段々と書かれた当時と現在の世の中の違いということがわかってきて、それでは彼の小説世界のどうしょうもなさも多少は致し方のないことかという気になってきた。

今日あたりは自分が明らかに理解者の方向に転換しかかっているカンジなのだが、そうなってみると、今まで刺激的だった読書がフツーの読書になってしまうような、勿体ないような気がしてくるから可笑しい。
最後まで読んだらどんな気持ちになるのだろうか。まったくわからないので楽しみだ。
  


2003年01月13日(月) 三連休


11、12、13日。
サッカーをみているうちに、三連休はあっと言う間に過ぎ去った。

セリエAはボローニャ×ミランをライヴで。0−2でミランの勝ち。得点はシェヴァとセルジーニョ。それにつけてもガットゥーゾって本当におもしろいな。彼の一挙手一投足にいちいち大笑い。
ところで鹿島のつなぎ沢(ヤナギ)がキエーボに移籍するって噂、あれホントなの?

高校サッカー、国見×市立船橋は船橋フォーバックが国見の攻撃を押さえ込んで勝ちました。とうとうやりましたね布監督。それはそれとして、国見の小嶺総監督が名古屋章なら、市船、布啓一郎監督は長渕剛だよね(きっと誰もがそう思っているはずなんだ)。♪乾杯、今君は人生のぉ〜、てか。

くるんくるんのモクモク→マガジャネス→アンジョンファン→アンジョンファンがマルディニになりたくて自分で短くしてみたところ、という変遷をたどった我がヘアスタイル。ついに本日、ストレートパーマをかけてつんつんの真っ直ぐに。さらにばっさりとカットして、これまでとは別人二十八号。ちょうど良い気分転換。

足首は二日湿布をしたらよくなった。林家コーチは捻ったあと5分くらいですぐコートに立って前衛をまもっている私をみて「強いっすねえ」と驚いていたが。強いが“巧い=試合に強い”ではなくて“頑丈な躰”という意味だったのがとってもクヤシイ。

 


2003年01月10日(金) マーライオン

先週来、毎日恐いくらいの夕焼け空が続いていたのに、きのう今日の夕空はほんのりピンクと薄紫色のグラデーションだった。それだからか、寒さもほんの少しゆるんで、日中は暖かくなった。

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仕事に出てなにがうれしいって、行き帰りの電車で本が読めること、これが一番うれしい。今週前半に『但馬太郎治傳』を読み終えて、次に吉田健一『金沢 酒宴』のうち読み残していた『酒宴』を読了した。いまは金子光晴『ねむれ巴里』を読んでいるところ。

『金沢 酒宴』、他に類をみない素晴らしい小説だとは思うけれど、しかし吉田健一という人はあれだけお酒を飲んで、二日酔で苦しむというようなことはなかったのだろうか。私なぞ、書かれたものを読んでいるだけで頭痛がしてきそうなのだが、吉田健一という人はとんでもない量の酒を飲んだ翌朝でも、朝日を浴びながら澄まして「ウフフ」と笑っているようなイメージがある。実に悔しい。本当にニクイお方だと思う。

ところで『金沢』はともかく(こちらは別の意味で酩酊させてくれる佳品)、『酒宴』は酒飲みにとっては冗談抜きで危険な小説だと思う。なぜなら、あれを読んだら必ず飲みたくなるにきまっているからだ。しかも場合によっては命懸けで飲むことにもなりかねないという…
『酒宴』という稀有の小説は、飲むなら読むなと注意書きをつけたいような一種危険な魅力をもった掌編だった。(以上、読穴のためのメモ)

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そういえば。きょう昼休みに仕事場の人たちと“電車のなかで遭遇した奇妙な出来事”について話していたら「突然何の前触れもなく吐くひと、アレたまんないですよね」と言ったひとがいた。

えっ、と驚いていると、別のひとが「そうそうそう。たまたま前になんか立っていたら災難としか言いようがない」。さらにビックリしていると、また別のひとが「ポツンと道に立ってる人が、突然、ぴゅーっと吐くのを見たことがある。まるでマーライオン」。

マッ、マーライオン!! 死ぬほど笑ってしまった。流行らせようよ、マーライオン。飲み過ぎで、突然嘔吐する奴を今後マーライオンと呼ぶの(笑)

(ちなみに吉田健一の『酒宴』はマーライオン程度の事では済みませんので。念のため。)
  
    


2003年01月05日(日) テニス・テニス・テニス

テニスの初打ち。

いままでお世話になったコーチがダーリンの故郷ニュージーランドへ移住してしまったので、私たちのクラスは今年から新しいコーチに。新コーチは小柄で若くて声の大きな男性。ちょっと噺家さんみたいな雰囲気も。芸風からいくと林家門下ってとこか。
でもこの林家コーチ(←コードネーム決定)、声が大きいだけではなくて、生徒ひとりひとりの長所短所をパッとつかんで、的確なアドバイスをくれるなかなか良いコーチだった。

私には、一対一のラリーで前後左右に走らせたあと「足が速いんだから、慌てなくてもボールに早く追いつける分、ゆっくり大きなスィングで打てばストロークが安定する」とのアドバイスが。さっそくすばしっこくて慌て者であることを看破されてしまったのだった。(でもこのアドバイスは即効性があった!)

レッスンのあとガットの張り替えにラケットを出してから、幕張へ免許の更新に行く。幕張へ行ったついでにガーデンウォーク(アウトレットモール)のナイキでテニスシャツを購入。

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夜。スカパーで昨年秋、上海で行われたマスターズカップの決勝戦を観た。ヒューイット対フェレイロ。実力伯仲、フルセットマッチの凄い試合だった。う〜ん、フェレイロ、惜しかったなぁ!
打ち込まれたスマッシュに追いついて返しちゃうなんてプレーみたのは、シドニー五輪の男子シングルス決勝以来だ。
  
  



2003年01月01日(水) 天皇杯観戦

元旦。お雑煮とおせちで簡単に朝食をすませてから、国立競技場へ天皇杯決勝を観に出かける。鹿島アントラーズ対京都パープルサンガ。朝起きたときには一体どうなることかと思ったが、幸いキックオフの頃には晴れ間が広がり気温も上がって、絶好の天皇杯日和となった。
    
   
















  
芝の緑も清々しい、元日の国立霞ヶ丘競技場。鹿島アントラーズのサポのすぐご近所席で観戦。アントラーズカラーの赤のユニで埋め尽くされたゴール裏。キックオフ前、そのサポ席の下の方からスルスルスル…と旗が上がってきてサポ席を覆い尽くす。その他、試合中も声を合わせての一糸乱れぬ応援の数々。いや〜実に面白かったです。
   
前半15分に鹿島のエウレルが柳沢(つなぎ沢とも言う)のボレーシュートがバーに当たってはね返るところ、まるで読んでいたかのような詰めでビシッと決めて先制。しかし後半の京都、50分に鈴木のゴールで追いついてからは疲れを知らぬ怒濤の攻めで、手練れの鹿島をオタオタのガタガタにしてしまいます。結局80分に黒部のシュートが決まって京都、逆転。そのまま初優勝をさらいました。
    
    
















   
実際に競技場で試合をみて驚いたのは、アウグスト選手やさんざんネタにして笑っていた秋田選手等、熟年選手が実にかっこよかったこと。いやー驚いたよー。グラッときた。チマリス改めてモモコ(秋田選手)のファンになったもん(笑)。

それから京都に逆転されたあとでふと見てみたら、鹿島サポ軍団最前列の旗持ちニイチャンズが、いつのまにか全員、上半身裸になっていたのには目を剥きました。はじめはみんなTシャツ着てたのに。凄いひとたちだ…(笑)。

その熟年アウグスト選手とファビアーノ選手はこれが鹿島での最後の試合。試合後、鹿島のサポ席の前まできて別れを惜しむ姿にはジーンときました。移籍や引退でチームを去る選手がファンに挨拶する姿はTVでよく目にしていましたが、実際目の当たりにすると、やはり感動の質が違います。

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それにしてもサッカーグラウンドの緑ってきれいですね。冬晴れのもと、魔法瓶のお茶を飲みながらのサッカー観戦ってなかなか良いものです。
国立競技場は利用駅がたくさんあって交通の便もいいし、うちからも比較的近い。これから毎年“元旦は国立で天皇賞”と決めました。
   
     


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