Leonna's Anahori Journal
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2002年04月29日(月) イライラする試合

ここ三日ほどは、めずらしく忙しかったのです。
長い電話がかかってきたり、急ぎの手紙を書いて出したり。また別の電話がかかってきて外でひとと会ったり、居酒屋で宴会(打ち上げ)に同席したり。私にしては、めずらしいことばかりでした。

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そんなこんなでしたが、今日は朝からお洗濯と、スカパーでサッカーという通常モード。昨夜ライヴで観られなかったローマvsキエーボを観てから、インターネットで他チームの試合結果をチェックしました。

キエーボには強いローマ(インテルとは対照的)は5−0と豪快な勝ちっぷり。ただしトッちゃんは負傷欠場(バティはスタメン)、カペッロ監督は出場停止処分という状態でしたが。五得点の内容は以下の通り。

 モンテッラ  25分
 モンテッラ  34分
 モンテッラ  51分(PK)
 エメルソン  74分
 カッサーノ  81分
     
この期に及んでハットトリックですよ、モンテッラ。それで、当然さって顔してるところがニクイです。そして、まさに鉄人・衣笠エメルソン。シブイ、上手い、強い。最後はチャッカリこぼれ球を押し込んだ“舎弟”。得意げな顔が可笑しかったです。でも私が一番感激したのはまだ回復途中であろう大スター、バティの献身的なプレーぶりでした。

なお他チームはというと、インテル、ユヴェントスとも勝ち。よって上位3チームは揃って勝ち点3。今年も最後の最後までデッドヒートのセリエA。

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ところで今日はキリンチャレンジカップ、日本vsスロバキアの日でもありました。がこの試合、私はあまりよくわからなかった。
稲本の一本で効果的に攻撃へ繋げるパスのアイデアとか、柳沢が初めてのポジションに慣れて段々ヒートアップしていくさまとか、一生懸命応援していたのですが…。

ひとつだけはっきり言えることは、実況と解説の人、ずーっと喋りっ放しでウルサイ。夏用のメッシュのユニフォームは冬用の厚い生地より破けやすいとか、『おお牧場は緑』はスロバキアの歌だけど元の歌詞はもう少し深刻な内容だとか、そんなことはどうでもいいです。イライラ。前半もう2点は取れたよなと思うと、余計、イライラ。










ゆうべはめずらしく、居酒屋で打ち上げパーティに出席。
でもアルコール駄目、生もの駄目の私は静かに座っているのみでした(笑)



2002年04月25日(木) 続・ドサクサしてきたゾ!

今日未明にアップした読書ページのテキストなのですが。
リンドバーグ夫人『海からの贈物』に関する文章、どうしても気に入らないので書き直します(だって駄目駄目なんだもん)。打ち直して、明日再度アップしますので、悪しからず。

ところで今日横浜へ行った帰り、このまえと別の本屋を探したのですが、無いですねえ吉田健一の本。少し前まではチラチラと見かけたのに、完全に消えてしまいました。どうするかなあ。こうなったら買うかなあ、吉田健一集成を。それとも森茉莉や百鬼園先生のように、この先、細々と復活ということもあるのだろうか…

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さて、ここからはセリエAです。スクデット争い大詰めの第32節(21日)もなにやらドサクサ…
まず、首位のインテルがキエーボに2-2の引き分け。2位のローマもミランに0-0の引き分け。でもって3位、自力優勝のなくなったユヴェントスがピアチェンツァをくだし、ローマを抜いて2位に浮上。
だーかーらー、ここで勝たなくていつ勝つんだよ、ローマ!(←15日のをコピペ)

ミランもミランだ、こんなときばっかり力出して。どうしてもっと早くから、こういう堅い試合をやらないの。インテルはとうとうホームでもアウェーでもキエーボに勝てなかったし。ローマは次、ホームでキエーボに負けるようなことになるとオシマイ、連続スクデットの夢が消えてしまうのではないか…?
どうするの、え?、どうするのよ、トッチャン!

ところで、前節パルマ戦でパルマDFカンナバーロの足が顔面を強打、担架で運ばれてしまったバティストゥータ。完全に失神した状態で、一時はかなり心配されたようですが。口の端を七針も縫う大ケガながら、幸いまもなく意識も戻り現在は順調に回復に向かっているそうです。これはまさに不幸中のさいわい。よかったですね、バティもカンナバーロも。

てなわけで、バティはおそらく次の試合も出られない。こうなったらあなたと舎弟で力をあわせて、モンちゃんに球を集めるしか無いわ。ここが正念場。頑張るのよ、トッちゃん!










月曜から今日までベランダの防水工事で、再び植物たちは家の中。



2002年04月22日(月) ジャン-ルー・ダバディ氏をめぐる冒険(2)


…ところが今月18日になって突然、私がJ-L・ダバディ氏の作詞した曲を(そうとは知らずに)ずっと聴きつづけていたということが判明した。

この日私は二枚のCDを交互にかけながら“恋するラジオ”というタイトルでジャーナルを打っていた。CDは両方ともジュリアン・クレールという歌手のアルバムで "Julien"(97年発表)と、"Ce n'est rien 1968-1990"というベスト盤。

ジャーナルを打ち終えて何の気なしにベスト盤のライナーを開いてみていると、ラストナンバー"FAIS-MOI UNE PLACE"の作詞者が、フランソワーズ・アルディとなっている。おやアルディだ、他にも有名なアーティストに書いて貰ってるのかなと思って当たってみると、75年の作品"PARTIER"を含めて4曲の作詞者に Jean-Loup Dabadie のクレジットが…。

Jean-Loup Dabadie ???・・・Jean-Loup Dabadie !!!

じゃっ、じゃっ、じゃん・るー・だばでぃって、これダバディ(父)じゃん!
…と、こういうことになった訳なのです。

ちなみにジュリアン・クレールというのは60年代後半から70年代にかけて活躍したフランスの男性歌手。自ら作詞作曲も手がけるが、甘いマスクと漆黒の巻き毛でアイドル的人気も高かった。(当時、日本でも大変な人気だったというけれど私はあまりよく覚えていない)。

私がジュリアンを知ることになったきっかけは、'90年頃、友人がダビングしてくれた"FAIS-MOI UNE PLACE"という彼のアルバムのテープ。「パリで買ってきたんだけどアナタが気に入りそうな感じ。聴く?」と。で、聴いてみたらこれが、アダモ風の歌い上げるシャンソン。でも、ククク…と泣けてくるくらい私好みの音楽だった(笑)。喉の奥でガラガラいうような、タバコの吸いすぎみたいな、でも独特の甘い響きのある、ラテン系の男性に特有の声。日本人男性にこういう声を出すひとはいない。おそらく、骨格だの声帯だのの段階で違っているのだろう。

このジュリアン・クレールとの邂逅に関しても書けばいろいろあるのだけれど、長くなってしまうのでここでは端折ることにする。するけれど、ひとつだけ書いておくと、ジュリアンと日本のレコード会社の契約はとっくの昔に切れていて、日本盤はもちろん、外盤でも入手はまず不可能な状態。前掲の二枚のCDは私が97年暮れにパリへ出かけたときに向こうで買ってきたものだ。ジュリアンは確かにいまは、60〜70年代ほどの人気はないだろう。しかし最近の彼が到達した円熟の境地には、あの時代にはなかった魅力が横溢している、と私は思う。

えー、何が言いたいのかというとつまり、私は彼のディスクが欲しい!(笑)。アソコへ行けば外盤が置いてあるよとか、中古のレコードをみた、あるいはウチの店にあるよという情報があったら、教えて戴きたいのです。ヨロシクオネガイシマス。

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話をJ-L・ダバディ氏へ戻そう。
ジュリアンのベスト盤に収録されているJ-L・ダバディ氏作詞の曲は以下の4曲。

"PARTIR"
"LE COEUR TROP GRAND POUR MOI"
"MA PREFERENCE"
"FEMMES...JE VOUS AIME"

ま、読めないし、意味もほとんど解らないんですけどね(笑)。
それでも"LE COEUR TROP GRAND POUR MOI"は特に好きで、わからないなりに♪♪ ジャァヴゼム!ジャァヴゼム!ジャァヴゼム!…とサビの部分はいつも一緒に声を出して唄ったりしていた曲。それだけにこの歌詞を書いたのがBF氏のお父さんだと思うと、あまりの奇遇に改めて驚いてしまう。
また、アルバム"Julien"にもダバディ氏作詞の曲が入っている。

"elle danse ailleurs"
"on peut rever"

この2曲は昔のナンバーにくらべると、一段と深みを増した大人の歌という印象が強い。"elle danse ailleurs"なんか、目を閉じて聴いていると、明るい憂愁と一緒に幸福感がヒタヒタと押し寄せてきて、何ともいえない気持ちになる。

そういうとき、このあいだまではこの曲の作詞者が誰かなんて気にもとめなかったけれど、いまは「ああ、これ如何にも『夕なぎ』を書いた人に相応しい、素晴らしい曲だなぁ!」と、そんなふうに思うのだ。







私はあなたの書いた映画や歌の世界が大好きです。ダバディさん、どうもありがとう、メルシ・ボクゥ。



2002年04月19日(金) ジャン-ルー・ダバディ氏をめぐる冒険(1)

お天気になった。風もやんだし。ここぞとばかりに布団を干す。

夕方、眼科へかかりに外出。
デイジーのアーティストによるコンピレーションアルバム“Strange Flowers Vol.1”を買って帰る。ジャンルの特定しづらいCDなので、あちこち探してもなかなか見つからず、医者にかかっているあいだにお店の人に探しておいてもらった。

そのあと書店で吉田健一の本を買おうと思ったら、一冊も置いていない。これは事前に調べておいて、中公、ちくま、講談社文芸と文庫本の棚を順番にみてまわったのだが、見つからなかった。残念。しかたなく別の本を買って帰る。

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サッカー日本代表監督の通訳兼パーソナルアシスタントといば、フローラン・ダバディ氏である。彼は映画雑誌『プレミア』日本語版の編集者でもあるが、去年初の著書『「タンポポの国」の中の私』を出した。昨年暮れだったか、私はこの本を立ち読みしていて驚きのあまり思わずエッと声をあげそうになってしまった。なぜか。

彼のお父さんはジャン-ルー・ダバディといってフランスではとても有名な脚本家だという。さらに、父上は最近ではクロード・ソーテ監督と共に『ギャルソン!』という映画を手がけたが、これは日本では好意的に迎えられたものの、本国フランスでは興行的に失敗。以降、あまり表立った活動はしなくなってしまった、というようなことが書かれていたからだ。

イヴ・モンタン主演の『ギャルソン!』は、私の大好きな映画である。この十数年間に観た映画の中でもベスト3に入る作品。モンタンの口八丁のプレイボーイぶりが、面白うてやがて悲しき物語。人生で手に入れたいものはたくさんあるけれど、実際に手に入れられるものの数は限られている。若い頃は時間(未来)は無限にあると思っていたけれど、どうやらまったくそうではないと気付いたときに、ひとは何を得ようとし何を失う覚悟をきめるのか…というような事を描いた“大人”の映画。しかし、この脚本を書いたのがBF氏ことF・ダバディのお父さんだったとは!

さらに本には、お父上は作詞も多く手がけていて有名なところではミッシェル・ポルナレフにも詞を提供したことがある、とも書かれていた。う〜ん、これまたど真ん中を突かれちゃったなあ、ポルナレフだってさ…

あとから調べてみると、ジャン-ルー・ダバディ氏はクロード・ソーテやトリュフォー作品のホンを多く手がけており、前者では『夕なぎ』を、後者では『私のように美しい娘』を監督と共同で書いている。
…はぁ〜、これはスゴイや。お父さん、有名なはずだわ!
でも気の毒だなあ、『ギャルソン!』が評価されなかったっていうのは。私はあの作品からたくさんの事を学んだ。私にとっては、あれは一生忘れられない、そして私の人生に直接影響を与える一本でしたよ、ダバディさん。そんなことを思っていると、なんだか胸の奥がカ〜ッと熱くなってくるのだった。


ところで。ミッシェル・ポルナレフについては、去年買った初期のヒット集“LOVE ME,PLEASE LOVE ME”で調べてみたのだが、残念ながらクレジットにジャン-ルー・ダバディ氏の名前は見あたらなかった。ポルナレフは国民的な歌手で楽曲数も多いし、70年代以降にコンビを組んだのかもしれない。そう思いながら歌詞カードをしまい、ケースをCDの棚へ戻したのだった。

以下、後半につづく



2002年04月18日(木) 恋するラジオ

ほんの数回しか聴くことはできなかったけれど、細野晴臣さんのラジオ番組 DAISY WORLD が終わってしまって、とても残念だ。

DAISY WORLDは日曜の深夜、J-WAVEでオンエアされていた。私は二月に部屋の模様替えをしていて偶然この番組をみつけた。新しい自分の部屋で卓上ラジオの入り具合を調べていたら細野さんの声が聞こえてきて、それが DAISY WORLDという番組だった。

忘れもしないこの日のゲストは Gutevolkの西山豊乃さんと、高木正勝さんという、まだ二十代前半の若くて寡黙な音楽家ふたり。そして、このふたり(二組)の創る音楽の、なんと刺激的だったことか。無国籍で個性的で繊細で…、私は秘密の宝物をみつけたようなうれしさで一杯になった。こういう感覚はそれこそ二十代の初めの頃に味わって以来久しぶりのことだ。

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DAISY WORLDは終わってしまったけれど、前出の二人の曲も入ったオムニバスアルバムが DAISYレーベルから出ると番組で言っていたっけ。たしか4月下旬の発売だったはず、とオフィシャルサイトへ行ってみた。
すると、アラ?もう3日に発売になっているみたいよ?(笑)。
それでは明日、眼科へかかりがてら山野楽器へ行ってみることにいたしませう。ちょうどカードのポイントがたまっているのでそれを遣って入手しませう、そうしませう。

さらに、うれしいことに。5月から新たに細野さんの番組が、inter-FM(76.1MH)で始まるらしい。DASIY HOLIDAYという番組で、今度は土曜深夜の放送。日曜深夜より土曜の方が聴きやすいのもうれしいことです。ぜひ毎週チェックしませう、そうしませう。










『恋するラジオ』はジョニ・ミッチェル“You Turn Me On,I'm a Radio”の邦題。ロマンチックなタイトルだけれど、
内容は別れた恋人ジェイムス・テイラーへの苦しい思いを歌ったものだった。
写真はわが家の恋する?ラジオ。でもパソの電源入れるとノイズで聞こえなくなってしまうのです…




2002年04月17日(水) 日本vsコスタリカ

毎日毎日、風が強い。今日は横浜の父のところへ。
帰りの電車、吹きさらしの長い鉄橋の手前で徐行運転に入った。
眼下の川面、三角波がざわざわしている。少しだけ、緊張。

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日本中のサッカーファンが一喜一憂したであろう今日のキリンチャレンジカップ、日本vsコスタリカ。

試合の終盤、ちょうどいまオンエア中の nakata.net.TV で宮内聡さんが話していたことを思い出した。どんな話か、内容をかいつまんで書くと、トルシエは自前の分厚い教科書のうち、ディフェンスの部分についてはかなりうまく教え込むことが出来たけれど、オフェンスの部分まで手が回るまえに時間切れになってしまった(W杯が目前に迫ってしまった)のではないか?、というもの。それから、彼はもともと自分がDF出身だからついそちらに力が入るのかもしれない、とも言っていた。

(念のために書いておくと、宮内氏の話には、いわゆる”トルシエ嫌いによるトルシエ批判”というようなニュアンスはまったくなし。平明で説得力のあるはなしだった。)

その流れにそってもうひとつ。これは私が思ったことだけれど、三都主の帰化申請がもう少し早く認められていたら、今日の試合内容は違ってきていたかもしれないな、と。つまり、三都主を中心とした攻撃パターンがもう少し練れていたら、あと一、二点は入っていたのではないかと思ったわけだ。この点、きっとこれから親善試合や合宿を通して練り込んでくるのだろうなと、そんなふうに思いながら観ていた。
      
いずれにしても、日本にはヴィエリもアンリもニステルローイもいない。それをカヴァーするのは並外れた技量をもつMF(中田ヒデ、小野、三都主等)。得点しようと思ったら、彼らの技術を最大限に生かして攻撃パターンを組み立てるしかないんだなと、改めて現状を認識した次第。

ところで、明神選手のあのシュート。誰があわせるのか?!と固唾をのんで見守っているうちに入ってしまった、あのシュート。普通ああいう試合でのゴールといったら場内総立ちで凄い歓声になるところ、一瞬、し〜んとしましたね(笑)。
ちなみにこの明神選手の我が家でのニックネームは、猿飛び佐助(略してサスケ)(笑)。シドニー五輪以来の呼び名です。ご贔屓選手の超ファインプレーに(一瞬の沈黙のあと)チマリス、大喝采でした。




2002年04月15日(月) ドサクサしてきたぞ!

きのう。塗装工事は日曜でお休み。なので、家の中へ避難させていた植物たちをベランダへ出して日に当ててやる。
気温は高いけれど光の乏しい環境に置かれていた植物たちは、新芽が徒長してしまって、薄い黄緑色のひょろひょろした茎をたくさん伸ばしている。バラの新芽や蕾も、まるでもやしっ子みたい。ちゃんと花が咲くかどうか心配だ。

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第30節(7日)のセリエAは、首位インテルが下位のアタランタによもやの敗北。ところがどうしたことかローマまでもが、つられるようにヴェネチア(来季降格決定)に引き分け。
まったく、なぁ…。ここで勝たなくていつ勝つんだよ、ローマ。しかも二点も先制されて、後半終了間際に立て続けにPKもらって追いつく始末。あそこまで追いつめられながらも負けない、とにかく勝ち点一は貰って帰るところがローマの底力、と、言えば言えないこともないのだろうけれど。
そのうえ、自力優勝の消えたユヴェントスは、しっかりペルージャをくだしてるしさ。な〜んだかドサクサしてきたぞ。このドサクサ、去年に引き続きローマ優勝の前奏曲なのだろうか、それとも…。

…などと思っていたら、今節(14日)はインテル、ローマ、ユヴェントスとも、そろって順当に勝ち点3。フ〜ン、あんまり順当なのも面白くなかったりして(笑)。ユーヴェに負けたミラン、ちょっと運がなかったというか。“帰ってきたピッポ”もさぞや口惜しかろう。
次節(21日)はローマがミランと因縁の対決。時期が時期ですからケガの無いようにオネガイシマス。カペッロさんも冷静にね(笑)。

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ケガといえば、骨折してしまったベッカム。どうやら日本へ来る可能性が濃厚だ。FIFAの特別措置で5月30日(開会前日)まで選手登録(他の選手との入替え)を認めて貰えることになったそうだ。またエリクソン英代表監督はこの措置の決定以前から「ベッカムが完全に復調しなくても代表に選ぶ」と語っていたらしい。

これは、来るね、ベッカム。見たいな!日本のピッチで必殺のアーリー・クロスあげるところを。

(チケットはとうとう全部ハズレちゃったんですけどね。ぐっすん)



2002年04月13日(土) なかなか当たらないtoto

あー、くたびれた。
かつて私がこんなにも一生懸命、コンサドーレ札幌を応援したことがあっただろうか(無いよ)。それというのもみんな、totoのせい。totoで札幌勝利に賭けたからだ。しかし必死の声援もむなしく90分終了時点で1−1のドロー。このあと延長戦でどちらかが点を入れて勝敗が決まったとしても、もう(toto的に)札幌の勝利は無い。完全にモチベーションを失った私は延長戦を観ることなく、TVの前を離れた。
そこに愛はあるのかい?(無いよ)

札幌vs京都のカードは、今回マークシートのしょっぱな。一目見るなり「わかんないわよ、こんなの!」と叫んだ問題のカードだ(笑)。それからもう一試合、東京ヴvs神戸には「まさに究極の選択」とつぶやいて絶句した。
ところがこの投票者泣かせの二試合、終わってみれば両方とも引き分け。だったら最初から”わからない”なりにドローにマークすればよかったのだけれど、そうは出来ないのが人間の性、totoのさだめなのだ。

先月初めてtotoを買って以来、こんなかんじで律義に毎週一通りずつ予想してみているのだが、回を重ねれば重ねるほど的中率は下がる一方だ。一番初めに七つ(13試合中)も当てたのは、まさにビギナーズラック。徐々に近づいてくるはずだったタイユヴァンもいまは遠く、この頃ではその影すら見えなくなってしまった。
今日は投票対象の13試合中10試合がおこなわれたが、そのうちの実に4試合が引き分けだった。最終的な勝敗以前の、90分終了時でのドロー試合。これを的中させて賞金をゲットするのは至難の業だ。毎週一通りずつ予想していたのでは、三百歳まで生きても当たるまい…

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当たらないのがtotoなら、当たっちゃったのが工事用のゴンドラ。
先週初め、マンションの塗装工事用ゴンドラが、我が家のCSアンテナに当たってしまったのだ。それで一時的にスカパーが入らなくなってしまったのだが、その後もうまく受信レベルが上がらず、結局新しいものに取り替えてもらうことになった。ゴンドラのワイヤーロープがアームにひっかかって曲がってしまったらしい。あーあーあ。

これじゃまったく逆だよね、当たるものと、当たっちゃいけないものが。…ガックシ。



2002年04月10日(水) 細々と再開

みずほ銀行に、まだ一度も行ったことがない。

富士銀行の普通預金通帳がいっぱいになってしまったので、駅前のみずほ銀行(元富士銀)へ行かなくちゃ、と、思ってはいるのだけれど。
もともと面倒くさがりでこういうことを後回しにする性格。そのうえ、このゴタゴタしている時期に行って、何かややこしいことになりはしないかと思うとドキドキしてしまう。

無精者で小心者。私がドキドキしてどうする。それより責任者にドキドキしてほしかったな、システム統合の最終チェックのとき。緊張感皆無の答弁をなさった代表者さん、私のドキドキを、for you、あなたに分けてあげたい。

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モデムも届き、新ADSLは昨日無事開通しました。
ジャーナルだけですが、やっとHPを再開いたします。

ジャーナルは見てのとおり、「エンピツ」です。近況は読んでいただければわかるのですが、供養に専心とか言いながら、サッカーばっかりみてました(笑)

ジャーナルの過去分は整理して、旅の日記、映画・音楽等に関する比較的長い文章は独立させ、「旅」「映画」「音楽」等の各コンテンツに収納しようと思ってます。(ただいま作業中)

それから、母の事でメールをくださったみなさん、どうもありがとうございました。
うれしかったです。感謝しています(きっと、母も)。

さて、まがりなりにもHPの表紙が帰ってきたので、あのチョットコワイ写真ともサヨナラですね。
なにより、それが一番ホッとするかも。(エッ!、貴方も!?)







2002年04月07日(日) 四十九日

四十九日。父、妹家族と待ち合わせて本郷台のお寺へ。
午後からは晴れてとてもよいお天気になりました。

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かえり、ランドマークプラザのフォションでお茶を飲んで帰る。
プランタン(春)というフレーバーティがとても美味しかったので、125グラム缶を買ってきました。
ほかにもエテ(夏)、オトン(秋)、イベール(冬)と四季の紅茶があるらしい。
エテってどんな味がするのかなぁ。順番に全部飲んでみようかしらと思っています。


2002年04月05日(金) 不便なこと

J子ちゃん、電話ありがとう。とてもうれしかったです。
今度会って、ゆっくり話そうね。

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塗装・防水工事が続いているため、せっかく良いお天気が続いても、布団も洗濯物も干せない。カーテンも閉めっぱなしなので、部屋の中は一日中暗い。それで外廊下に面した自分の部屋にこもってゴソゴソ何かやっている。今日は絨毯をかたくしぼった雑巾で拭いて遊び毛をとった。拭いても拭いても出るので、最初は面白かったけれど、そのうちにだんだん疲れてきた。

夜、スカパーが入らなくなってしまった。どうやらアンテナに工事用のゴンドラが当たってしまったらしい。わー、困るなあ。多少のことなら自分で直すけれど、ゴンドラはなぁ…。あんな大きくて重たいものがぶつかったらバキ!と壊れてしまうのでは?

困るといえば、もうひとつ。ADSLのモデム、はやく送ってこないかな。(現在いままでと違う会社のADSLに切り替中。)もう半月ほどADSLなしの生活が続いている。これがなにしろ、とーっても不便。私の我慢、あと一週間くらいが限界だわー


(というような事を書いていたら、ADSLは9日から使えるようになるらしいです。スカパーアンテナの件は工事の方へお手紙を書くことにしました。マンションの玄関に専用ポストがあるので、そこへ入れておきましょう。ふぅ〜)




2002年04月03日(水) 今年の桜

昨日は気温があがって、26℃にもなったそうだ。
塗装工事の人がベランダへ入るため、一日中カーテンを閉めっぱなしにしていたからよくわからなかった。
今日は横浜(父のところ)へ出かけた。今日も大変、あたたかかった。

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電車の中で吉田秀和『時の流れの中で』を読んでいたら、

“On revient toujours.(人はいつも帰ってくる)”

という言葉に、胸を衝かれる思いがした。シェーンベルクの言葉だそうだ。

吉田秀和はこの言葉をおりにつけて思い出すという。たとえば、ある雑誌から1945年8月15日のことを思い出して何か書いてほしいとの注文をうけたときも、最初に口をついて出てきたのはこの言い回しだったという。

“人はいつも帰ってくる”。この言葉は「ルービンシュタイン」という文章の冒頭に出てくる。書かれたのは1965年の夏。内容はタイトル通りピアニスト、ルービンシュタインの演奏スタイルの変化変遷と、それを聴く自分自身の内面の変化等について書かれている。

“人はいつも帰ってくる”。この言葉にハッとしたのは、このところの私が、亡くなった母の言葉や行動に日々新しい意味を発見しながら、回想し続けていたせいだろう。受け取る側の心の状態、理解の度合いによって、唯一と思われているものの姿は、あらゆる形に変化する。

生きているときには気にもとめなかったことに、ささいな意味を発見するたび、母は、それまでとは少し違った姿を見せながら、私の元へ帰ってくる。

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今年の桜はかつてない早さで咲いた。桜が咲いたのをみると悲しいので、お花見を急ぐひとたちの喧噪の陰で「早く散ればいい」などと思っていた。なるほど、千年も万年も、春が来るたびに爛漫と咲き競う桜という花ほど、見る人の心を如実に映す花もないかもしれない。

ところが。今日、横浜で風に吹かれて空中をななめに流されていく桜の花びらを見ていたら、「散ればいい」ではなく、素直に「きれいだなぁ」と思っている自分がいた。あるいは私が「散ればいい」などと思ったのは、どうせ来年も再来年も桜なら咲くじゃないかという、どこか投げやりで乱暴な気持ちがあったからかもしれない。

けれど、来年の桜と今年の桜は同じではないのだ。同じとき、同じ桜でさえも、見る人の心によって、花は違って見える。そう気づいたとたんに、宙を漂っていく花びらが(私にとっての)何か特別なもののように思われた。
姿かたちを変えながら“ひとも、桜も、いつも帰ってくる”のだろう、きっと。



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