魂の本
2004年11月17日(水)

例えば、カフェで営業用スマイルを発動しニコニコと接客していれば、
その一時間には750円か800円の時給が出る。
例えば、学祭の準備でてんやわんやにテンパってたら、
一時間なんてもんはすぐに過ぎていく。
例えば、カテキョでぎゃーぎゃー喋りながらダラダラ英語の訳をやっていれば、
その一時間には2000円の時給が出る。
例えば、テレビはつけっぱなしなんだけど、別に見るわけでもなく
ぼーっと過ごしても、一時間は過ぎる。
例えば、3000円払って、ビークルのライブでアホになっていても、
一時間は過ぎていく。
それぞれの一時間にそれぞれの意味があって、
それぞれの一時間であたしの生活が成り立っている。
それは、とても必要であったり、別に必要でもなかったり、色々。
でも、あたしはそうやって一時間という単位を消化していく。
一時間という単位でできることは限られているから、取捨選択の繰り返し。
時に、何かを犠牲にしなければならないなんてことは、しょっちゅうだ。
その時に、何を基準にして、何を大切にして、何を選ぶかってことが、
あたし自身を形作っているんだと思う。
授業を受けたり、バイトしたり、ライブに行ったり、買い物したり、ニセコを語ったり、
ご飯を食べたり、ドライブしたり、星を眺めたり、飲んだくれたり…
生産的だったり、非生産的だったり。
どっちが良いかなんて比べられない。
ただ例え、時給が出ずとも、こうぼーっとしてる時間っていうのが、
あたしにとってどれだけ大切かっていうことを思い知る昼下がり。
電車の窓から指す光が、やたらまぶしかったのを覚えている。
どうして、心地よい時間というのは、流れるのが早いんでしょう。
…そんなこと考えてたら、ジンマシンがまた恐ろしく発症。

2002年11月17日(日) 甘い手 




SOUL FOUNDATION / イボンヌ