やさぐれ日記・跡地
アルティーナ



 愚痴と甘え


えーと11月の日記埋め始めてます。

11/4「免許申請」
11/2「チークブラシの罠」
11/1「あぐれっしぶぅ」

ですね。
追記するとチークブラシはお陰様?で愛用中、使い心地もさすが最高です(笑


仕事と職場のことは、追々埋めている日記の中で書くことになるでしょうが、一応順調です。
仕事ですからもちろん厳しいことやシンドイこと、落ち込むことも多いですけど、総じて楽しいなと思えるので良しです。

楽しく思えるよう努力しているって言うんでしょうか、仕事を始めたことだけが原因ではないのですけど、最近はずいぶんといろいろな面が安定してきています。


そしてこれは仕事を始めたおかげですね、とっても健康的な生活を送っています。
なんたって1日3食たべるようになったし(でも太った気がする!orz)
寝る時間も気をつけるようになり、規則正しく生活するようになりました。

仕事中心の生活に切り替わると、自然と健康になるものだなと。
睡眠時間は平均して3,4時間なのですけど、欠食して昼夜逆転生活よりは寝不足の方がよっぽどマシです。


忙しくやりたいことが出来ないー、とか、
寝不足で死にそうー、とか、

そういう愚痴を言いたくなる・言ってしまう精神状態でもなくて。
それなりに忙しくて余裕がないし眠いけど、文句は言いません。


愚痴を聞くのはまぁ良いのですが、決して良い気持ちにならない以上、自分が言うのもイヤだなーって。
(言い方にもよるので、一概に愚痴はダメとも思いませんが)

両親や限りなく親しい人以外を除いては、そういうスタンスを貫きたいと思います。

現実いろいろ「チクショー!」って叫びたいこともあるし、「こんにゃろうブチコロす」って思うこともいっぱいあるけど!(笑

日記にそういうことを書くとしても、読み終わって気持ちが沈んじゃうような、ダークな気持ちになるような文章で〆ることはないよう気をつけようかなーって。
思ってるんですけど。思うだけは(ぉ


ダークなことも笑えるような書き方でいこーかと思います。

何にせよ、そういうこと考えるくらいには
人生頑張っております。
充実してます、密度の濃さは自分次第ッス。



最近少し気にかかっていることがあります。
こと、っていうか人っていうか、なんですが。

少しずつ疎遠になりつつある人で、でも多分いま話せば前のように親しく話せるような距離にいる人。


あえて連絡を取らないわけでもないですし、近況が気になるのですけど、どうもコンタクトを取るには一歩踏み出せない。

踏み出せないのは、私自身が気持ち良く話す自信がないからなのだろうなと思います。


その人が悪い!と言うわけではないと思うのですが、原因としては、うーん。

以前からほんの少しだけ違和感があったのですけど、何となく理由がわかってきました。
私はその人の愚痴めいた話が苦手なのだな、と。


私自身その人についつい愚痴を言ってしまったことはありますし、愚痴を聞いたこともあります。

愚痴を言い合う、相談できる仲でした。


でも、少しずつ違和感が出てきて。
話すと必ず半ば愚痴のような話になってしまう。

何かあったのかと心配してくれるのだけど、
こういうことがあったと話すと「あぁ自分なんてこうこうこうでさー」っていう、その人自身の愚痴のようなものにいつのまにか切り替わってしまっている。

そういうのって、往々にしてありがちじゃないですか。

親しいと特に。
何でも話せる中だから、自分のことも結構深いところまで話せてしまう。


だからこそ生じてしまう、弊害みたいなものって言うのかなぁ。


私が悩んでいてその人に相談する。
仮に睡眠時間のことで「なかなかゆっくり眠れない」という話をしたとしたら、その人は「自分もこれしか眠れてない」って返ってくるとする。

大体私よりもその人の方が例えば睡眠時間が少なかったり、勝るとも劣らないくらい多忙だったりするわけです。

そして「○時間も寝れるなんて羨ましいよ」ってな感じに言われる。

これくらい忙しい、自分にはこういうことがあって、だから大変だー・・・とか。


大変なんだな、って思うし、体は大事にしてね、とも思います。
でも、何か微妙な違和感があって、私は少し疲れてしまう。


その人はとても敏感で、私に何かあればとても心配し、察しも良く気遣いの出来る人です。
だから「何かあったの?」とか「大丈夫?」とか、よく言葉をかけてくれたものでした。


でも、そう言われていざ話してみると、いつの間にか私が「大変なんだねー」とか聞き役に回ってしまっているということ。

きっと私が甘えていたのでしょうが、それがどうしても、

私にはどうしても、その人に何でも話そう・相談しようという気持ちになれなかった原因だと思うのです。

何か子供時分の背比べでもしているかのような錯覚に囚われて。


自分に余裕があれば、いつのまにか愚痴を聞く役に回っていたとしても聞いてあげることができる。
でも大抵、大丈夫?と聞かれるような状況では、自分にそういう余裕がない時が多いから。

いざ自分に何か起こった時、誰かのアドバイスが欲しいと思った時、相談したいと思い浮かぶのはその人の顔ではないわけです。


残念だな、と。


とても残念です。
自分自身に、そしてその人に。


お互い聞く時は聞き役に徹し、相談する時はとことんぶっちゃけて、聞いてる方は話しやすい雰囲気を作ること。

これが円滑に出来ていれば、きっと私は困った時にその人を真っ先に思い浮かべて助言を請うたと思う。


私自身、完璧にその人に対して聞き役に撤しきれていなかったと思うので、やはりお互い様なのでしょうね。
今なら何とかなりそうだな、とは思うのですけど。

自分が何とかなっても、その人が変わらないスタンスでいたらまた少しずつ疲れてきてしまいそうで、きっとそれが怖いのです。


そしてそうであったとしたら、これまでのようにその人を大事に思ってきた気持ちも、今後はどうなるかわからない――――――

そう思うと、一歩踏み出せない。



その人はまだ若い。
きっとこれから一皮、一皮むけてくる。

それに期待する気持ちもあり、同時にもう少し私に勇気がもてるようになったら、連絡をとってみようかなと思っています。


そう遠くない未来に、気持ちの良い会話がしたいです。

とっても忙しい、でも毎日楽しいし頑張ってるよ、と。
私はきっと言えるから、その人の口からも聞きたいのです。



2005年12月16日(金)
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