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■ 二つの言葉
朝は、そんなわけで(アオバラ参照)、猫脱走騒ぎにより起こされたのだが、結局実家には行かなかったにもかかわらず、なんだかあっという間に夜が来てしまった気がする。え?もう午後○時?というような。
かつて留学生のチューターをした時に担当の方から言われたことがあった。それは、外国語としての日本語のスキルと、その人全体のポテンシャルとをイコールに考えてはいけない、ということだ。日本語がたどたどしいと、その人の思考まで稚拙であるかのように(ともすれば)錯覚しがち−そんなの全然違う、って冷静になれば、いやならなくてもわかりきっていることなのだが、実際陥りがち−−だが、それは違う。そういうことを確認された。 その時私はロシア人の女の子のチューターをしていた。この時のことは、実は私にはちょっと苦い経験として残っているのだが、まあそれはいい(苦さの原因は私だけにあるわけではないし)。
月に1度、英語で話をする集まりというのがあって、しばらく前からお誘いを受けて行っている(と書くとちょっとあやしいが、別にあやしくはない)。そして今日がその日だった。 私以外は皆さん海外渡航(っていつの時代よ)経験があり、さらに私を誘ってくれた友人以外は海外赴任・滞在経験があるようだ。そんなわけで、私はその集まりにおいて、極端に話せず・聞き取れない人だったりするのだが、それでどうするということもなく(それもどうかと思いつつ)何となく行っている。 その会は、毎回外国人のゲストを迎えている。今までは、アメリカ・イギリス・カナダなどからの人々であったけれど、今回はサウジアラビア出身の男性だった。 実は彼とは知り合いだ。話す時はいつもほぼ日本語、時々私のいんちき英語、という感じだったので、今回のようにほぼ英語というのはすこし変な感じ。
りー氏も私も、共に方言を「母語」として持ちながら、高校卒業後(という、いわば第2の物心がつく時期)の短くないあいだ、故郷を出たことのある者だ。 りー氏と再会してしばらくは、2人の会話において方言は全く出なかった。それはお互いの気遣いや距離感から来ていたのかも知れない。富山という土地に対する複雑な距離感もあったかも知れない。 いつからか方言が出るようになった。いつからだったかは忘れた。 今はお互いの間でどういう言葉を話しているのか、自覚すらしないけれど、たまに論理的な話をする時など、気がつくと方言は消えている。語尾がそれ風かというくらい。昔、ちょっと(は)すかしていた頃、それは気になることだったが、今は気にならない。 私にとって方言は思考のための言語ではないのかも知れない。しかし、もしここ(=富山)にずっといたらどうだったんだろうか。
ところでのいはどんな気持で外に出たのかなぁ。 脱走劇はこれで3度目のような気がするけれど。ちょっと聞いてみたいわ。 しゃべってやっとるけど、あんたらがわからんだけやろ、ダラブツ、と猫語(の富山弁)で言われているのかも知れないが。
2003年08月11日(月)
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