そんなある日のこと。
キルマは親方のいる最上デッキへと呼び出された。
「なぁキミ…。あの娘にだいぶ気があるようだね。しかしそれはムダだよ。 明日の今頃、遊郭船に引き取ってもらうことになっているんだ。 手付金も、すでにもらっている。それともキミが囲うかい? …ふんっ、そんな大金持っている訳はないだろう。 だがね、考えてやっても良いよ。 あのオンボロ船な。あいつと交換ってのならまあまあだな。」
親方の浮腫んだ顔が意地悪く歪んだ。
「……。」
キルマは、抵抗の意味を込めて沈黙を返す。
「だろうな。役人が、お上から預かったものを横流しなどしたら、 確か死罪だったよなあ。」
キルマは唇を強く噛み締めた。
翌日の夕暮。 趣味の悪い電飾に包まれた遊郭船が、北の方角から、のたのたとやって来た。
船側にたたづむリアラは、愛する鳥を籠から出すと思いを込め語りかける。
「あなたは…行きたいところへ行きなさい…。」
小さな命は、そっと彼女の手を離れるた。 そして2回だけ上空を旋回した。 あたかも、自分のいた小さな世界が、 何だったのかを確かめるように。
彼女は身支度を済ませると、ゆっくりと桟橋に向った。 貪欲な親方は、手もみなどしながら無愛想な黒服の小男達と世間話をする。 小さなリアラは、傍らでうつむいたまま。 キルマは、桟橋の対上からじっと見つめるしかなかった。 桟橋から静かに船へと移る少女の後ろ姿が震えている気がした…。
そのとき、 頬をつたうあたたかさに気付かぬまま、彼はおもむろに体重を移動した。 8艘飛びのように、船側から遊郭船の舳先へ乗り移る。 目の前に出てきた小男たちを、盲滅法にぶん殴る。 次のやつ、そして次のやつ。 胸元へ留められた、保安員だけ許された七宝焼きのブローチへ向かって、 ぼそと囁く……。
「全速発進妨害排除。」
“声紋”を確認すると、きびすを返し桟橋を離れようと唸りをあげた。 そこへ、信じられない跳躍で乗り移るキルマ。 少女を抱えたまま、勢いを殺さず船室へと転がり込む。 外では、パンパンと乾いた音が響く。 小男たちが、一斉に小火器の銃口を向けてくる……。
巡視艇の人工頭脳は、それを感知すると、 船尾に取り付けられた高圧放水銃で反撃。 小男たちが、まとめて木の葉のように舞う
鈍重な遊郭船は、慌ててその舳先を逃走者に向ける。 しかし、水中翼と人工ヒレの生み出す否回転式動力の性能に勝る物は、 ここになかった。 数分も経つと、巨大だった方舟の群れが、波間に漂う海の藻屑に見える。 ふたりは抱き合い、どちらからともなくクスと笑いあった。
そのとき……、 巡視艇のデッキへ舞い降りる紅い鳥が、ふたりの濡れた瞳に眩しく映った。
つづく
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