森岡万貴 徒然記 (黒いブログ)
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色鮮やかなカラーの地図付きで、今朝のメッセージ。
「 新しい稲作や、進んだ技術を、それぞれの部族の首長に授けていった。」
「それぞれの部族の首長に」、というところを、強調されてたように思います。
その、それぞれの首長は、その人のことを、尊敬し、信頼関係があったと感じました。
場所は、纏向遺跡のように思いましたが、、。
さあ、どうでしょう。
午後、図書館で調べてたら、
「纏向遺跡には戦いの跡がなく、平和的な宗教統治が行われた。」
って出てきたから、そうなのかも。
そうなの?
どうなの!?
いやーーーーーーーーーーーーーー!
私にそんなこと言われても、いったい、どないせぇっちゅうねんっっっ
って、いっっつも思うねんけど、こうやって勝手に、お墓の場所とか地図とか、メッセージがやって来るので、仕方なくやってますけどね、ほんっっま大変やねん!!!!!
はよ、封印解いてくれ!!!
キーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
あーーーとにかく、
いちいち民に教えて歩いたのではなく、中央の地で、それぞれの首長との合意の上、平和裏に文化改革が行われたのだ。
と言っておられます。
彼が。。。。
その彼を(含め、史実を)、封印しちゃったんですね。国家プロジェクトとして。7世紀に。
いろいろ事情があったのでしょうけれども、
唐が攻めてくる脅威とか、白鳳の大地震とか、いろいろあって仕方がなかったのかも知れませんけども、
もうそろそろ、
遺跡の発掘だけでなく、皇族陵として調査が禁止されている古墳も、きちんとオープンにしていただいて、古代日本の国家的な封印を、あたしのためにも、
はよ解いてくれーーーーーーーーー!!!
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