にんまりと、笑う - 2004年04月17日(土) ネットカフェに来たのは、何となく、暇つぶし。 そういえば…と松田ラボを読んだ。 すっげー感動している自分がいた。 やっぱり敵わないけど、とても身近であったかくて、 ホッとする文章が綴られていた。 私にとって久保琢郎という人間は、手が届かないものなのだ。 どんなに足掻いても、どうにも埋まらないものがあるのだ。 10年という年齢差は、絶対に埋まらない。 私にとって松田悟志という人間は、身近なものなのだ。 それは兄と同じような存在なのだ。 共感できる部分と、尊敬できる部分が同時に存在する人間なのだ。 たった4年しか違わない年齢差は、兄姉よりも近しいのだ。 嫌な自分を嫌いになれ、と彼は言わなかった。 好きな自分は伸ばしていけばいいのだ。 嫌いな自分は認めてあげればいいのだ。 私はどうしても嫌な部分の自分を排除しようとするけれど。 嫌な部分には目を瞑っていたいと思うけれど。 人間、両極があるからこそ成立する。 そういうことなんだろう、きっと。 出来れば穏やかな人間でいたい。 誰か、私の傍にいて、安心出来たらいい。 好きな自分を愛そう。 嫌いな自分を愛そう。 厄介な病気を抱えるからこそ、そう切実に思う。 軽やかに日々を過ごそう! 猫のようににんまりと笑ってみせよう! まだ見ぬ誰かが私との出会いを待っているのだ。 その時に微笑んでいられるように! 負けないぜ、松田悟志! GWは会いに行くから、待ってろよ! -
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