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徒然
壱岐津 礼
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2017年01月05日(木)
第二回文アル読書会

お題:幸田露伴「観画談」

 タイトルからして「絵を見る話だな」「展覧会にでも行くのかしら」と、てっきり「絵を見る」ところから始まる話かと思いこんで読み始めたら、これがどうして、主人公は一向に絵を見に行く気配がありません。そもそも絵に興味のある人物でもなさそうです。さらにあろうことか、展覧会などには縁の遠い田舎へと山の中へとどんどん分け入ってしまうじゃありませんか。え?絵は?絵はいつ見るの??と、戸惑ってしまいました。
 終盤、さる場所にたどり着いたあたりから、「ああ、これは」と、さすがにピンときまして。そう、「絵を見る」のはスタート地点じゃなくてゴールだったんですね。
 まさしく、絵を見ることによって話に終止符が打たれました。

 全体としての雰囲気は、喩えて言うなら、漫画に喩えるのもどうかと思うのですが、諸星大二郎あたりが描きそうな話だな、て、露伴の方が大昔なんですけれども!そういう感じです。
 ことに、山の中でどんどん雲行きが怪しくなってゆくくだり以降は、情景描写も絵画的になってゆきます。それまで漫然と「という話で〜」という観念的な流れだったのが、具体的になり、写実的になり、真に迫った映像として見えて来そうになるのです。で、気持ち盛り上がってくるのもこのあたりからで。
 クライマックスは、謂うまでもなく「絵」が登場した部分なのですが……。

 「世にも不思議な物語」なんかだと、晩成先生、帰ってこれないところでしょうが、しかし待てよ、それなら誰が晩成先生の消息を語り手(誰かはしらないけれども、誰かによって「こういう人がいて」という語りで始まっていたので)に伝えたんだ?と、怪しんでいましたら、晩成先生、ギリギリセーフで帰ってきました。
 表向きは。
 
 実際どうだったのか……。絵に見入るところまでは確かに連続した一つの人格だった晩成先生だけれども、その後、人づてに語られる姿から推測するに、どうも絵の一件以来、重大な何かが変わってしまったらしい……。
 もしかしたら、灯りが揺らめいたあの瞬間にはもう、魂の半ば以上、呑み込まれてしまったのかも……。
 そんなことを考えたりしました。

 この話そのものが、一幅の絵のような、「観画談」ならぬ「怪画談」でした。