| 2011年02月21日(月) |
またウチダ先生ブログより |
取り急ぎコピペ。
employable という言葉がある。「雇用できる」「雇用するだけの価値がある」という形容詞である。 「いかにして雇用するだけの価値のある労働者になるか」 そういう問題設定である。 当然、私は頭から湯気を吹きあげることになる。 何を手抜きなことを言っているのか。 企業は社会教育のための機関である。 学校を出た若者たちを受け容れて、成熟した市民への育て上げることが企業に託された重大な社会的使命である。 そういう「教育する責任」を感じている雇用者からはそのような言葉は出てこないはずである。 「即戦力」といい「コミュニケーション能力」といい、どうして日本の企業人は「自分の都合」しか言わないのか。 荒削りの、未加工の素材を受け容れて、それをゆっくり時間をかけて磨き上げるというのがほんらい「大人の組織」が通過儀礼を終えて参入してきた新メンバーを迎えるときの構えではないのか。 それをやる気がない。 もう「できあがった既製品」を買いたいという理由として企業側は「国際競争力が落ちているので、若い人を育てているだけの余裕がないのだ」という言い訳を口にする。 こっちだって切羽詰まってるんです、と。 でも、私はそれは副次的な理由にすぎないと思う。 最大の理由は「育てる力」が雇用者側にない、ということである。 「育てる力」がないのは、採用する側も「子ども」だからである。 「子ども」に「子ども」は育てられない。 シンプルな話である。 刻下の雇用危機の本質はそこにある。 日本のエスタブリッシュメントの急速な「幼児化」こそが日本社会の制度的劣化の実相なのである。
|