| 2010年08月13日(金) |
被害者というイノセンス |
自分の無謬性を保つ為だけに被害者でい続ける人というのがいる。 少なくとも被害者である間は自分には何の責任もないからだ。 相手を遠慮なく責めることが出来るし、愚痴も言える。 事態を動かそうとすること、「主体」となることはそのまま責任の発生を意味する(と思っている)。 だから、被害者の立場を手放さない。 ある意味完璧主義というか良心の呵責を感じすぎるタイプともいえるが、良心のあり方が本末転倒である。
そういえば、奈良の騒音おばさんはもう出所したのだろうか。 不思議なのは、事件から裁判に至る報道の中で誰もあの人の精神疾患を疑わなかったことだ。あのケースは精神鑑定が必要だったはずで、懲役よりも治療を行うべきだったと思う。(社会の安全の見地から) 少なくとも、懲役と並行して治療を行うべき。二者択一ではなくて。 専門家なら報道映像からでもわかるんじゃないかと思うが、自分の患者でもないしお節介だと思って誰も何も言わなかったのだろうか。 社会正義は死語だからなあ。 あの事件で県が騒音に関する条例を作ったという記事があったが、見当違いの対策だろう。
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