Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
金曜は『汐汲』も佳境に。 あと少しで完成の模様。 日舞にも「パドブレ」があるので、正直笑いそうになってしまった。
日舞の稽古も、どこかジャズのレッスンと重なる部分が大きい。
今踊っている『汐汲』は、もとは武家だった娘が落ちぶれてしまった我が身を哀れみ、都を懐かしむといった踊りだ。 そのようなストーリーの中に、細かい情景が折り込まれる。
もともと武家育ちのお嬢様であるはずの自分が、落ちぶれて島に流され、夜の海に汐を汲みに行く。桶を肩にかけて。 闇の海にうつされた自分の姿を見ては嘆き、足もとに打ち寄せる波を数える。愛しいあの人を思い出し、月の光の中で面影を追う。 汐を汲んで、その重さに思わずよろけ、その姿をお月様に見られたことを恥じらう。 そんな情景がひとつひとつの振りに生かされているのだ。
踊りというものは、そこに何らかの「意図」が存在する。 その「意図」を理解すれば、振りというものは抵抗なくからだに入ってくるものだ。
今オープンクラスで踊っている『Just missed the train』にも、主題となるストーリーがある。 長く付き合っていた男との別れだ。 そして、細かい情景がある。楽しかった頃の想い出。優しい囁き。 互いに笑いあった無邪気な日々。 こんな顛末がくるとは信じていなかった頃の自分たち。 決してキライになったわけではないが、もう、一緒の将来を夢見ることがなくなってしまった今。 ふたりの人生のレールは一緒に敷かれ、その上を走る列車はひたすらに「夢」という終着点を目指して走っていた。 その一緒に乗るべき列車に間に合わなかったのは、私なのか、彼なのか。 やるせない気持ちの置きどころに戸惑う自分。 振り切って、ひとつ先に足を踏み出す、が、しかし、、、新しい未来を探すために、踏み出すべき一歩の痛み。 今、強くならなければ、弱いままの自分で明日を迎えてしまう。 誰が悪いわけでもない、ただ、一緒の列車に乗りそこねただけ。
情景を思い描いて動いてみると、そこに違ったものを見つけることができる。 イマジネーションを失っては、ダンスは踊れない。 日舞を踊っている時、私は「おちぶれてしまった武家の娘」になっているのだ。武家の娘にはなったことなどないが、イメージをもつことはできる。 イメージが希薄ならば、豊かになるように知識をつければ良いだけのこと。
ダンスを踊る前に、ダンスを理解する。 そんな作業をすることも必要。
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