Dance日記帳
モクジ|キノウ|ヨクジツ
口癖のように 「飽きた」 「つまらない」 「興味ない」 という友人がいる。
たまたま昨日は共通の友達と話していて、その子の口癖について話題になった。其の子は、単に、素直に「つまらない」とか「飽きた〜」とか口にしているだけのことは周囲も承知だ。決して悪い人や嫌味な人ではない。
ただ、共通の友人と同じ意見だったことは「ネガティブなことは言葉にして発声されちゃうと、こっちまで影響されて同じようなネガティブな気分になるから不愉快だ」ということだった。
いくら楽しくしていても、隣にいるその子が、ふと「あ〜あ、つまんないなぁ。もう帰ろうかなぁ。」と声に出して言われると、周囲は一気にしらけてしまって、彼女に対して「どうにかして『つまんない』なんて言われないように、この場を盛り上げなければ!」と気を遣って疲れ果ててしまうのだ。(勿論、其の子は「つまんないから盛り上げてよ!」という意味で言っているわけではないのは皆理解しているのだけれどね。) 悪気がない分、いろいろと複雑だ。
子供なら「じゃ、帰れば!」とか「『つまんない』とか言わないで!」とかストレートに言い返すこともできるのだろう。
つまり、ネガティブな思いというのは声に出してしまうものではないのだ。例え素直にそう思ったとしても、其れは心の中に留めておくのが相手への思いやりと言えるだろう。
利害関係のない友人の間柄だからこそ、そういう優しさは大切にするべきで、「素直であることのはき違い」は周囲を不愉快にさせるだけなのだ。 ネガティブな事柄を表に出す時は、場所や相手や空気を選ばなければ、ただの「我が儘」になってしまうのだ。
他人に合わせる必要もないのだが、ネガティブな気分を公表したところで嫌な気分をまき散らすだけのこと。 「つまらない」とか「飽きた」と思ったなら、そっとその場を去ることで十分だし、潔い。
ダンスのレッスンでも、「できない」「無理かも」「疲れた」などのネガティブワードをあちこちで耳にするが勿体無いと思う。 「できない」→「できるようになってみたい」 「無理かも」→「無理は承知!やってみよう!」 「疲れた」→「目一杯動いた!」 ちょっとだけ言い方を変えてみると、気持ちが変わる。
自分が、周りと同じ状況であっても、ほんの少し「楽しんでみるかな」という気持ちを持つだけで、周囲の人間も巻き込んで「楽しい雰囲気」というのができてきたりするのだ。 どうせ気持ちが伝染するとするならば、ネガティブなものよりも明るい気持ちになるもののほうがいい。 ポジティブシンキングを推奨しようなどとは思ってない。 ただ、「つまらない」気分を周囲にまき散らして欲しくないってだけのことなのだ。そういうのに人は大変汚染されやすいから。
いつも、ぶつぶつと「つまらない」「飽きた」と呟く友人と、自然と一緒に出かけることが少なくなるのも否めないだろう。 そして、私が密かに思っていたことが、私だけの思いではなくて、其の子に関わる友達皆が同じような思っていたと知って不思議と安堵したのだった。
「つまらない」と呟く前に、「つまらなくならない」ようにはどうしたらいいのか、どうしたいのか考えて欲しいし、「楽しませて欲しい」みたいな勝手な期待をするのも如何かと思う。 兎に角「つまらない」という言葉を容易に発する人間とは関わっていきたくないと切実に思った。所詮私も「つまらん人間」でしかないのだから。 「つまらん人間」の私だから、より「楽しく」生きていけるように成りたいと日々思うのだ。より「楽しく」やっていく工夫を一緒にできる友達が最高なのだろうと思う。
オトナの人間関係は難しいものだ。
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