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「 理性とは −虚無の払底と自己の生命の根源− 」
2017年09月01日(金)



理性というものの正体は何か

理性が無ければ、私が生きている、と思ってしまう

しかし、私は生かされているのである。空気は自分で作り出したものではない。

地上も私が踏み固めたものでもない。食べ物、建物、誰か、これら全てがあって創めて、私が生きることが出来る。

事実の正確な認識が理性だとするならば、理性とは「私が生かされている」という認識に導く、導き手の役割を果たす。

であるからこそ、私が血縁もなく、将来、必ず死ぬ、という虚無感に耐えられるのである。

私が生きている、と誤った認識を持っていれば、40歳前後の男性の自殺衝動を抑えることは出来ない

自殺衝動、虚無感から、事実の正確な認識によって、自己の生命の根源を見つめることへと理性は導く

言い換えれば、理性とは、全宇宙を認識し、そして自己の根源と結びつける性質がある。

その結果として、私は生かされていることへの感謝へと、心からの心服にたどり着く

愛する人が亡くなり、血縁者がいなくなり、それでも尚、虚無感や自殺衝動を払底するのが理性である

理性が、神と結びついて語られてきたのも、こうした体感が裏打ちしているのであろう



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