向かいのおじいさんが、「おいらは結局、すぐ死ぬだけだから」といった。
その言葉が出てくるまでに、どれほどの深い苦しみがあるか、解らなかった。
その言葉を聴くと同時に、
どれほど軽い人生をしてきたのか、とも馬鹿にするのであった。
1つのテーマを追いかけ、研鑽し、修身をしてこなかったのか、とも。
対象への深い共感、同時に、全ての対象への侮蔑。
この2つが、私の偽らざる本心なのである。
私が肉体の死を怖がる。その根底に全ての対象への侮蔑があるというのは、言うまでもない。
なぜ、私が侮蔑されるべき無活動の状態の陥らなければならないのか、という激しい憤怒が、死を怖がるのである。
この本心を受け止めよう。
死は外にあるのではない。私の内にあるのである。