夜の住人である
昼の、いわゆる一般社会での名誉、金銭、食料、異性などの価値に惑わされない生き方を選んだ
夜は恐ろしい
何が恐ろしいか、といえば、考える恐ろしさ、がある
一般に、考えることは善いこと(正しいこと)、あるいは、良いこと(生きるために必要なこと)とされている
確かに、昼ではそうである
けれども、それはお日様の日差しで見えるものがあり、体が温かくなり、風が吹き、木々が育成され、水が流れる昼だからである
何より、どんな絵画よりも美しい大空が私たちを包み込んでいる
しかし、夜はそうではない
なぜなら、大空は黒一面に塗りつぶされ、何も成長せず、無音に近づくからである
美や成長や音で安心できない夜は、考えることの恐ろしさが迫ってくる
その恐怖に囚われると、心臓がバクバクしてしまう
けれど、その意味は昼の世界で探し出すことは出来ない
高齢だから、更年期だから、などの苦しい言い訳で昼に戻ろうとする
そうではない そうではないのだ
心臓が猛烈にバクバクするのは、脈絡なく何処かへと行ってしまう、考えることが持つ不安定さにある
宇宙の果てまでも行ける、決してこの肉体では行けないのに
深海の奥底まで一瞬で到達できる 決してこの肉体では潜れないのに
偉大な聖人達と会話できる 彼らの肉体は滅びでしまっているのに
考えることが持つ不安定さを安定させるものが夜にはない
心臓のバクバク以外にも、自殺をふっと思い浮かんでくる
この肉体に囚われず、宇宙の最果て、深海の奥底、聖人との会話を思いつくのだから、当たり前と言えば当たり前である
夜の世界では、善きことも悪しきことも、混ざり合っている
お日様が昇る前に、一面の暗闇からこの世で最も美しいものに替わる
ふーっと深呼吸をする
それは私のための深呼吸である
心が自然と安定し、自殺や猥雑や混沌から離れていくことの安堵が、ふーっとさせる
昼の住人ならば、感謝の念がふーっと深呼吸をさせる、というだろう。
今日一日の命があることを実感してお日様に手を合わせる、という感謝である
夜の住人ならば、混沌が安定へと替わっていく、というだろう
考えることの恐怖から逃れられた、ともいうだろう