天井高い体育館から降り注ぐ蛍光灯の外は真っ暗に見えた。
自動ドアに近づいて右側にある受付のジャージ姿に「どうも〜」と声を掛けると、目は闇に隠れて遊ぶ自転車後部の銀色のステンレスに向かっていた。
緑の人工マットレスを踏みしめて右へと曲がろうとすると、美術館で1点だけライトアップされている作品のように視線の先には、真っ暗な石垣上、穏やかな純白の桜が現れた。
ステンレスのギシギシとした鉱物感はなく、ライトの人工感を吸収して自分に必要なものだけを手弱女に逃してる姿に息をのんだ。
何故、かくも野暮ったい桜が漆黒と人工物を受けて純白にいられるのだろうか。権力と物質主義の社会の中で愛と情けだけにしか関心を持たないで居るのだろうか、と息をついだ。
おんぼろの自転車に乗り漆黒と人工灯の中へと漕ぎ出した。
車の殆ど通らない住宅街の坂をゆるやかに下っていくと、オレンジの人工灯を受けて桜は今生の存在者に見えなかった。まるで精気が感じられず悪魔のような生々しさもなく、ただ形が見えているだけに過ぎない視覚に深く驚き、呼吸が停止しそうだった。
自転車が自動的に数百メートル流れていくと、参百坪は超える家の枝垂桜の傘が4メートルにもなろうと枝先が緩やかな春の風と戯れていた。
たった1週間の桜は粗野に咲き乱れる。散ってしまった後の桜になど誰も見向きもしされないから、まるで木々の半分が桜のようにけたたましい。
融通がきかないゴツゴツとして硬い樹の幹は傲慢さを感じさせる。人々は樹全体を観ずに花びらの可憐さだけを囃し立て、喜び、所有しようとし、時に驚嘆し、狂う。人工物で化粧をし、穢れもない花嫁の純白のようにこの世でないようなオレンジのようにに見苦しくも変化する。
20代30代という短い春に賢明に咲こうとする桜の心構えと、それに翻弄されて狂喜する春の嵐。
春暖から出された僻みにて、あと何度桜を散らせるだろうか、あと何度桜が散るのをみられるのか、などと思いながら見慣れた薄汚れた洗面台で喉をうがいした。
注記:「蛍光灯(けいこうとう)」、「闇(やみ)」、「踏(ふ)む」、「手弱女たおやめ)」、「野暮(やぼ)」、「漆黒(しっこく)」、「殆(ほとん)ど」、「枝垂桜(しだれざくら)」、「粗野(そや)」、「融通(ゆうずう)」、「硬(かた)い」。「傲慢(ごうがん)」、「可憐(かれん)」、「囃(はや)す」、「穢(けが)れる」、「驚嘆(きょうたん)」、「狂(くる)う」、「化粧(けしょう)」、「翻弄(ほんろう)」、「狂気(きょうき)」、「春暖(しゅんだん)」、「僻(ひが)み」、「喉(のど)」
執筆者:藤崎 道雪 (校正平成18年2月10日)