| 2004年05月27日(木) |
三島由紀夫『小説家の休暇』 |
アマゾン屋さんで1万円買ったら1000円割引になる、と聞いてしまって、矢もたてもたまらず一万円分の本を買ってしまった。
自分の本だけではまかなえず、人へのプレゼントも買った。
カトリーナは村上春樹『ノルウェイの森』がひどくお気に召した様子だったので『スプートニクの恋人』を。 ヨウちゃんには吉本ばなな『体は全部知っている』と、困ったきの家庭薬として美輪明宏の本を。
しかし、どっさりと本が届くというのはえもいわれぬ幸福な気分になりますね。
さっそく手に取った三島由紀夫『小説家の休暇』いわゆるエッセイ、という感じなんだけど、こういうの三島由紀夫では珍しいんじゃないかなあ。
彼の場合、エッセイ風味の文章であっても、読者層を想定して、それに合った文章、主張を仕立て上げるところがあるので、実際に思ったこと、気づいたことを書いた文章ってかえって貴重で、とっても面白い。
たとえば「私は自分自身が、世間の西も東もわからぬうちから小説を書き出したのだから、Y君のように若い人が小説を書くのに反対しない。
自作をかえりみて、今ならこうは書くまいと思うところ、表現の上にも、人間認識のうちにも、人生の考え方の上にも、しばしば発見する。しかしそれが明白な誤謬であってもよいのだ。
小説家は小説を書くことによって、現実を発見してゆくより仕方がない。
今私が赤と思うことを、二十五歳の私は白と書いている。しかし四十歳の私は、またそれを緑と思うかもしれないのだ。
それなら分別ざかりになるまで、小説を書かなければよいようなものだが、現実が確定したとき、それは小説家にとっての死であろう。」
氏の小説は、磨き上げられ、鍛えぬかれ、私にとっては完璧のイメージがとても強いため、この独白には驚きました。 5
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