3年生の選択の授業のことでした。 男子が数人、わあわあ騒いで遊ぶから、止めにわって入りました。
私「これ!Y君、遊んでんじゃない!」
M「Yは、先生に個人的に嫌われてるんだよな」 Y「うん。そんなのずっと前から知ってたし」
私「ええー。そんな風に思っていたの?嫌いなわけないじゃん。そんなの勘違いだよ。嫌いだなんて思ってないよー」
なんか、私、切なくなってしまいました。 Y君、冗談めかして言っていたけど、きっと、ずっと気にかかっていたんだろうなあ。 「僕はどうも嫌われている」って。
私がY君を嫌っていたかって?滅相もない。
生徒って、好きだとか嫌いだとか、そんな対象じゃないです。
Y君はむしろ、高く買っていました。成績はトップクラス、背が高くって、生徒会副会長で、バスケ部のキャプテンでさわやかで。すごく優秀な生徒です。
だけど、だからこそ、私はもっと高いレベルを求めていました。 Y君は成績がよくない生徒たちのグループに入って、いつも授業よりも、その友達と遊ぶこと優先です。 そのくせ、家ではしっかりと勉強をして、提出物などもかならず提出します。 私はそういうところが腑に落ちませんでした。
友達が大事ならば、授業中、友達にも勉強をするように促し、自分も勉強するのが本当の優しさだと思うからです。
自分だけはちゃんと宿題もやって、いい成績をとって、友達の成績はどん底でもまったくおかまいなし、というのは、薄情な友情だと思っていました。
だから、授業中に何度も注意しました。それはY君だからこそできる注意でした。 Y君ならば、当然わかる、できる、と判断したから私は注意したのです。
でも、伝わっていませんでした。 「どうして自分ばかり注意されるんだろう。ほかの奴だって同じ事をしているのに、自分ばかりきつく叱られる気がする。」 「一番ふざけているMには優しいのに・・・」という思いがあったのかもしれません。
確かに、同じように叱らなかったかもしれません。 でも、それはY君が嫌いだからとか、ほかの生徒が好きだからというわけではないのです。
例えば、一番やんちゃなMに対して、それほど厳しく言わずに諭すように言うのは、ゆっくり説明して、一つ一つ確認していかないと、理解できないと判断するからです。 生徒の性格や、力に応じて、取るべき方法を選択しているからです。 (足し算ができない子に、掛け算を教えることができないように、発達には段階があり、その段階に応じた方法でアプローチする必要があると思うのです。)
Y君は、そんな子どもじみた方法を取らなくてもわかる力があると思って単刀直入に、伝えていました。 それは、Y君を子ども扱いしないという、私なりの尊重の態度だったのですが、彼には伝わらなかったみたいです。 それどころか、自分が拒絶されているという気持ちをずっと抱いていたというのです。
この事実を目の当たりにして、私は、「悪いことをしてしまったなあ」と思いました。 授業で叱ったあと、ちょっとフォローの言葉をかけておけばよかったなあ。 もう少し話す時間を持って、分かり合えていたらよかったなあ。
「ラ・ポール」という教育用語があります。 信頼とでも訳されるような概念です。 教える・学ぶという関係は「ラ・ポール」なくしては成り立たないのです。 私が正論を振りかざして、Y君とのラ・ポールをいたずらに打ち壊していたのではどうして安心して学ぶことができましょう。
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