| 2004年02月08日(日) |
もっとも弱い姿を見つめられる強さ |
学生時代の先輩後輩集まって、久しぶりに飲む機会がありました。 大学時代の思い出話や近況報告、話は尽きず、お酒は進みます。 久しぶりに酌み交わす杯に、ちょっと羽目をはずして、大学生のノリで飲みたい気分になるのも人情です。ある先輩がしたたかに泥酔し、お座敷で眠ってしまったのですが、眠ったまま、胃の中のものが逆流しだしました。 わ、っと、近くにいた後輩が袋を用意したり、ふくものを差し出したりしたのですが、その中で、ある先輩が、さっとやってきて、はいてしまった先輩の口元に袋をあてて、しっかり吐しゃ物をうけとめ、嘔吐が止んだな、というところで、ゴシゴシと、吐しゃ物にまみれてしまったトレーナーをふいてあげていました。 後輩たちは、「やりますから、いいですから」と言ったのですが、 「いや、俺らが一番近い仲間だから」って言って。
なんてすごい人がいるんだろうなあ、って私は愕然としました。
いくらでも無視できたし、後輩にさせることもできたし、そうした先輩だっているんですよ。もちろん。 一番弱い立場の者、卑しまれるような行為に温かい愛情を持てる、それは、本当に尊いことだと思います。
私はこの光景を見て、マザーテレサの「路上で死に瀕した貧しい人々や、捨てられた孤児、病人の中にイエスがいらっしゃる」という言葉を思い出していました。
多くの人は、偉いもの、崇め奉られるもの、権威あるもの、美しいもの、そういうものに惹かれます。 そして、そういうものに対してはとってもいい顔を見せます。弱い立場のものに見せる冷淡な顔とは対照的に。 悲しいなあと思います。自分が、そういう顔をしているだろうなあ、と思うから、悲しいです。
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