| 2003年12月08日(月) |
男と女の間には深くて暗い川がある?! |
「アリー・マイラブ」のDVDを借りてきて見ました。 アメリカの法廷社会を面白おかしく描いたドラマなのですが、「女らしくなるためのセミナーを拒否した社員を解雇するのは違法か」という件についてでした。
陪審員を説得するための弁護士の対立する主張が面白かった。 ・ 会社は強気な女性を認めず、弱弱しく、やさしく、従順であるということを強要した、これは性差別である。
・ 男らしさでしか評価せず、女らしさを認めない社会こそ性差別である。社会が勇ましく、強気で、猛々しい姿しか評価しないから現代女性はその姿を目指し、ふるまうが、女性が本来的に持つ特質、優しさ、感性をのばし、いかすべきである。
なるほどなあ、と思いました。
修学旅行の夜にこんなことがありました。 ある40代の女の先生が、 「あとは、男の先生方に任せて、われわれは失礼しましょう」 といわれました。 私はこの言葉にすごく憤りを感じました。 「そんなことを言うならば、男の先生と同じ給料表で給料を貰うな!」と。 仕事の世界で女を理由に楽をするのはずるいですよ。
かといって、 「おまえらー、ちゃんとやらねーか!」 と、命令形で怒鳴る先生。いつもジーンズにトレーナー、ノーメイクの先生も嫌だなあ、と思います。 でも、女の先生はこういうタイプが多いです。 それは、力のある教師というものが、「怒ると怖い」「声が大きい」とほぼイコールであるという旧態依然の価値観のせいだと思います。 怒鳴って、怒って、子どもを萎縮させて軍隊式に思い通りに動かす。 そういうのは、力のない教師のすることです。 生徒に任せるのが怖いから、型にあてはめようと威嚇するんです。
そう私は確信しているから、なるべく大声で怒鳴るようなことはしません。 なるべく、穏やかに話すようにしています。 なるべくやさしい気持ちを投げかけています。 これは甘やかしではないんですよ。 怒りには怒りが返ってきます。 優しさには優しさが返ってきます。 そして、子どもは経験でパターンを学ぶのです。
100冊ものノートを抱えて廊下を歩いていた掃除の始まりのとき。 「先生、重そうだね。運んであげるよ」 と、数人の男子生徒が近寄ってきました。 (「やっぱりやーめた!」というオチを用意して。) 「わー!ありがとう!!! みんなすごくやさしいねえー! でも、気持ちだけ貰っておくね。 みんなは掃除をがんばってね。」
ちょっと大げさなぐらいに言います。 真に受けてだまされてやります。 そうしたら、きっとこれから似たような場面に出くわしたときに、同じように、(今度はオチなしで)親切に声をかけることが出来るでしょうから。
とどのつまり、私は女だからやさしく振舞おうとするのではないのです。 私は私として、そうありたいと願う自分なのです。 性別でかくあるべしという型をきめることはできません。 能力も資質も、すべて個人の問題なのです。
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