| 2003年11月25日(火) |
居場所があるということ |
育休代理の先生が期限満了で今日お別れでした。
家庭科の先生。御歳74歳。 子どもたちのパワーに負けない大きなお声としゃんと伸びた背筋がすばらしい先生です。
職員朝会でのお別れの言葉。 「私のように年老いて力も足りない者を、お仲間にしていただき、一緒に働かせていただいて本当にありがとうございました。 毎朝、学校にやってきて、そこに自分の下足箱があり、職員室には自分の机がある。 そして、教室には自分を待っている生徒がいる。 一度職を退いたものにとって、こんな幸せなことはありませんでした。 本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。」
聞いていて、思わず涙があふれてきそうになってしまいました。 私が春に今の学校にやってきた当初、自分の机や名札を見て、やはり同じ事を思ったことを思い出したからです。 「私はここにいていいんだ。ここにいることを求められているんだ」と。
前の学校を辞めて、まるで何にも属さなかったあの日々、一番私にとって苦しかったのは、金銭的な問題でも、対面的な問題でもなく、自分ひとり社会から取り残されてしまったような孤独感でした。 それは私がまったく予想もしなかったことでした。 朝起きて、世の中はいつものように動き出しているのにまるで予定がない日は、私が誰からも必要とされていないんじゃないか、というような感覚に陥りました。 それまでのりしろなしに小、中、高、大学、教員と進み、何かに属し、肩書きがある状態が当たり前だったから、ぽっかりと何もない状態は、思いがけず自分にとって不安なものでした。
でも、今振り返ってみて、あの一年間があって本当によかったなあ、と思います。 子どもたちは多種多様な環境から学校にやってきます。それを受け入れる教員もいろいろな人びととくらしがあるということを理解できなければいけないでしょう。 学校はある種特殊な世界です。 じっさいにそこから飛び出してみて、見えることがとても多くありました。
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