| 2003年10月14日(火) |
村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 |
あまりにも有名な『ライ麦畑でつかまえて』という訳。 その題名ばかりが先行して、想像していた内容とあまりにも違って、ちょっとがっかりした覚えがある。
そもそも、私が『ライ麦畑でつかまえて』を読んだのは、高校二年のときだった。 小沢健二がなにかのインタビューで「高校時代に読んでいたらよかった!と、すごく後悔した一冊」と紹介していたので興味を持って手に取った。
だけど、紹介された本の多くにあるように、私にはあまりその良さがわからず。 ふーん。 とか思ってしまった。
訳にひっかかって。 この話は、思春期の男の子の独白体なんだけど、どうも訳が不自然だったんだよ。 かえって親しみがもてなくなっている気がして。 翻訳って、簡単に言うけど、こと文学の翻訳なんて、ただの言葉の置き換えにとどまらず、その比ゆとか、文化的背景、それから登場人物の性格、言外にこめられた意味までもちゃんと写し取らなきゃいけないことだから、ひとつの独立した作品ぐらいに考えたほうがいいよね。 ほんとは原書のまま読めればそういう翻訳の問題なんてぴょんと飛び越えられるんだけど、なかなかそれは難しい問題でして・・・。
こんなことを思っていたもんだから、『The Catcher in the Rye』を村上春樹が翻訳!という話を聞いて、「まってました!」と言う感じ。 なんて豪華な企画なんでしょ。 また、期待を裏切らぬ内容でした。
「人生とはゲームなんだよ、あーむ。人生とは実にルールに従ってプレイ せにゃならんゲームなんだ」 「はい、先生。そのとおりです。よくわかっています」 ゲームときたね。まったくたいしたゲームだよ。もし君が強いやつばっかりそろったチームに属していたとしたら、そりゃたしかにゲームでもいいだろうさ。それはわかるうよ。でももし君がそうじゃない方のチームに属していたとしたら、つまり強いやつなんて一人もおりませんっていうようなチームにいたとしたら、ゲームどころじゃないだろう。お話にもならないよね。ゲームもくそもあるもんか。
伝わるよー。わかるよー。うんうん。 人生とはスタートの時点でまったく不公平かつシビアなゲームだよ。
余談 ところでなぞの多い作者サリンジャーですが、いったい今どうなさっているのでしょう?
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