楓蔦黄屋
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2015年01月19日(月) おおむねそういう暮らし

5歳のときの「しょうらいのゆめ」は「ふるどうぐやさん」だったよ。


証拠もあるよ。めんどくせえから特にのっけないけど。
ようちえんでもらったバースデーブックに書いてあんのよ。

当時、「古道具屋」という職業がある、という知識を
なんかしらどっかしらで仕入れたことはよく覚えてて、
それをタイムリーに披露するチャンスがめぐってきたってんで
喜び勇んで先生に書いてもらったこともよく覚えてる。
「たぶんこれ言ったら一回聞き返されんだろーな」っつう予想までついてたことも。
「もしかしたら考え直せって言われるかもな」とも。
そしておおむねそういう反応をもらったことも。



で。


ずーっと、つい最近まで、それは
「単に初めて覚えた、他の子はおそらく言わないであろう珍しい言葉を使ってみたかったから」っていう
幼稚園児の浅知恵からだと思ってたんですよ。
実際俺、そういうとこありますから。
古道具屋になりたいって言う自分がスゲーだろ?ってのをアピールしたいからだと。



でもね。



最近になって、思い出したんですよ。
「古道具屋」という当時の私に言葉がもたらした、視覚的イメージを。

「薄暗い木造の店内で、物言わぬ商品たちに囲まれながら
窓から一筋入る陽光に舞うキラキラしたホコリを
日がな一日、見つめて暮らす自分」というイメージが
幼稚園児の私の脳内に、ひどく魅力的に展開されてしまったあの瞬間を。


つまり、「なるべく引きこもって暮らしたい」て願望が生まれてたんですね。


すっげえ納得した。5歳の自分にめちゃくちゃシンパシー感じた。
周りの反応とかけっこうどうでもよかったんだね。ちょっと見直したよ。


思い出さないほうがマシだったけど。
まだ自分アピールのほうがよかったわ。将来性があるから。


三つ子の魂ほんと百までだな。



子供に毎日接してると、自分の子供の頃の記憶が掻き出されて
ささいなことがすごく鮮明に、当時の感覚まで伴ってよみがえるよ。


っていう話でした。



今年はちょっと、日記の書き方変えてみるわ。
より何も考えずに書くわ。



みんなも他人の日記を盗み読みするような気分で読むといいよ。





楓蔦きなり

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