本日の紡ぎごと...suiren

 

 

いつか何かに - 2013年06月06日(木)

己の将来について考えてみる。
夢というものは、意外と大人になってからも、考えるものなのだ。
子供の夢は、熱っぽいが、大人の夢は、現実的だ。
10代の頃は、待ち受ける世界や、毎月支払うべき金額、そしてそれを稼ぎ続けることの困難さなど、何も知らない。
大学を出れば誰でも企業に務められると、何となく思っていたし、もちろんその中に自分も入るだろうと、何となく思っていたし、出会いもあって彼氏も出来て、オフィスで働きながら恋愛も・・・という全く今のマスコミ、特にテレビや広告のイメージショットが潜在的意識に浸透した思考回路を、持つものなのだ、無知ということはそれだけで。

私の場合、自己表現をし続け、そういった仕事に就きたいと思っていた。
とにかく堅苦しい仕事には向かない、マイペースで自由奔放な性格なのだ。
そして今、その希望は、そんなに外れていない仕事に就くことが出来た。
文章を書く才能、それを獲得するために、魂を削って修行した日々と自分が、そこに至る道を作ってくれたのだ。
それすらもなかったら、私は今頃、アルバイト生活だったかもしれない。
文章は、いつも私を助けてくれる。
文章は、あの人が与えてくれた、私の大切な力。宝物。
一生大事に、していくだろう。

ただ、ここでもう一度、自分の将来について考えてみる。
周りの友人、同期は、どんどん結婚して妊娠して、子供を産み始めている。
しかし私は、自分の将来をイメージしたとき、「その選択肢は1%も思い浮かばない」のであった。
今も私が求めていること、自分を表現していく、そしてその作品によって相手に「感動した」と、言ってもらいたい。
「誰かの心の救いになる表現」を生業にして、きちんと独立して生きていきたい。

また、世界を旅したい。異国の色んな料理やレストラン、シェフ、大学で勉強…そういう希望も持っている。

私の師は最後に言った。

「君はいつか偉大な作家になるかもしれないし、別の表現方法として写真を選ぶかもしれない。でも、『いつか何かになる人』だから」

その、言葉を、ずっと胸に秘めながら、今も私はいつかなる何かが、一体何なのか、模索している。
そして、見つからない、分からない。そこで苦しみ、迷う。
クリエイティブや、アート業界で働き始めて、色々なクリエイターの仕事や職業があることを知った。色んなビジネスの会社も。

でも、私は、そういう既存の会社や肩書きにとらわれないで、羽ばたいて行きたいのだと思う。

そのため、まず、一体何から始めたら良いのだろう?
だって、そのなるべき「何か」がわからないのに、どうやって進むためのスタートを切れば良いのだろう?
ずっとずっと、そう思って、迷路の中をうろうろしていた。
「文章でなら、絶対的な自分の世界を作れる。だから小説を書くべきなんだ」。
そう思うときもあった。
でも、小説を書き、仮にそれが認められて、新人賞をとって、私は作家になったとしても、
果たしてそれが、『いつかなるべき何か』の姿だろうか?
何か違う。その自問自答をすると、「それだけじゃ物足りない。もっと大きな、もっと大きく、伝えていけること」と、言葉が返ってくる。

すると、それは、日本だけではない、ということだ。
子供の頃から見ていた、海外の雑誌、映画、ドラマ、洋楽・・・その向うにひろがる異国の世界も含めて全部、私は求めているのだった。
これは欲張りなのだろうか?否、これはひとつの使命感すら感じている。
「成したい」という欲望ではなく、「成さねばならない」のだ。

もちろん、文章も(それは小説ではなく、評論やエッセイストの形態をとるかもしれないモノ)、
『いつか何かになる』ためには、ひつようなステップなのだろう。
そう、それが目標ではなく、それは一ステップに過ぎない。

だから私は、「Do it all.」、全てやってみる、挑戦してみることに決めた。
「私の夢は小説家なのだろうか?でも小説なんてどうやって書けばいいのかしら、どうやって生活すればいいのかしら」。
「私の夢は起業することなのだろうか?でも会社なんてどうやって立ち上げたらいいのかしら、どんなビジネスをやればいいのかしら」。
「・・・」
そんな調子では、掴みたいものも、掴めるわけがない。

自分の成りたいものが、既にこの世の中に、存在している姿とは、限らないのだ。
だから、既存概念の情報の中から検索をして、頭のなかでいくら考えても、その答えが見つかるわけがないのだ。

私は、ある師に、言葉を紡ぎ表現する力を教わった。
でも師はきっと、私がそれだけに満足していら、きっと怒るだろう。
私もそんな自分が嫌いだ。
もっと、新しい力を身につけて行かなければ、山を登り切った景色は、いつまでも見えない。
準備をして、装備をして、その一歩を踏み出さない限り、ずっと。
そして、世界と己という山を登り切ったとき、見える景色は、そこに到達するまで、実際にはどんな景色か分かるわけもない。

しかし少なくとも、醜い景色ではないはずだ。

私の場合、まずは言語を身につける。(体力も)
文章、技術、知識・・・等はその後だ。

「何かは」今すぐ、決められて、それを目標に出来るわけじゃない。
そんな人ばっかりじゃない。
でも少なくとも、今、分かる範囲から必要と思う構成要素を習得することで、『いつかなる何か』に近づくことは、その答えを知ることは、できる。
そう、思うようにした。


...



 

 

 

 

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