タイ日記 1日目 - 2007年03月29日(木) (この日記は旅先でノートに書いたものを、殆どそのまま載せています) 16時のフライトで成田を出る。 全日空はサービスがいい。ご飯も美味しくてつい食べ過ぎた。 隣の人はタイ人の女性で、とてもおしゃれ。 私は自分が汗くさくて、化粧をしていないことがちょっとだけ恥ずかしかった。 タイ時間21時につく。両替をしてもらい、荷物を受け取る。 EXITの文字を見つけ、バックパッカーたちにくっついて外まで行く。 さっそくエアポートバス乗り場が分からない。 「歩き方」によると1Fらしい。どこだ?? 出口にはあやしい客引きの人たちが沢山いて、そんな人たちをツンツンしてスルー。 警備員にきく。三人くらいにきいて、やっとチケット売り場を発見。 空港では英語が(少しは)通じるから、その後はバスにのってサヤームへ。 うしろの二人組みの女子(日本人)はユースホステルに泊まるらしい。 サヤームで下車したものの、ここはどこだ!となる。 すでに時間は23時、通りにはヤバそうな人がわんさか。 女の人が寄ってきた。「この100バーツあげるわ」という。 私はお金を落としてないし、明らかに怪しい、おそらく受け取ったら 無理やり何処かに連れて行くんだろう。後ろのサムローの男と先ほど話していたし。 そういうあやしい人たち位しか、ここにはいない。 私はデカいバックパックを背負ってるので、いいカモだ。 ガイドブックは読めない。 すぐ目の前の***ホテル(すごくきれい)へ。 私が困ってガイドブックを見てると、ホテルマンがきた。 「どこに行きたいんですか?」日本語である。よかった! 「ソイ・カセムソン」というと「?」なので、地図をみせる。 彼の名は***で、もう今日は上がりだから案内するという。 私は意を決して、彼に案内を頼む。 ソイ・カセムソンまでは割りと遠かった。マップではすぐのはずなのに。 途中、セブンで水を買ってくれた。私は重たい荷物を、タイのむわんとした 暑さの中で歩いて、つらかった。 でも一人きりでこのあたりを歩いて宿を探すのは、もっと大変だ。 彼は28才だ。大学を卒業していて、日本語と中国語がOKらしい。 英語は×みたいだが、彼の日本語はうまかった。30分も歩いただろうか。 通りには路上でモノを売ってる汚い人たちがぽつりぽつりといた。 このまま私を連れ込んでどうにかされるかもしれないと思うと、逃げ出したくなったが ここで逃げて一人になったら、どう考えても餌食にされる。 怖い。それが体までも侵食していた。彼は多分、私をかわいそうに思ったのだろう。 私は今夜の宿が見つからなくて、あまりにも怪しい国で、困り果てていたのだから。 AM12:30、何軒目かで部屋があった。630B。 私はもう1000Bでもよかった。何でもいいから、今夜眠る処が欲しかった。 こんな重たいものをもって、暑くて、へとへとだ。 彼は部屋の前までついてきた。私は彼がこの後、私を襲ったり金をとったりしても、後悔はしないと思った。 だって私は彼がいなかったら、宿を探すことすら困難だったのだ。 助けてもらったことには変わりない。 「じゃあ、ここで」というと「私は10時から夜7時まで働いています。 何かあったらいつでも来てください。」 私は彼を信じた自分を少しだけほめた。明日の朝までは、それが100%かは分からないけれども。 部屋はせまい所だったけど、シャワーと洋式トイレもあって、なかなか良いのだと思う。 何より清潔で、虫もいない。 でも正直にいうと、私はシャワーを浴びて、日記を書き始めるまでは 「早く日本に帰りたい」と思った。とてもそう思った。 こんな危なくて怖くて汚い国に、どうして私は一人でいるのだと思ったのだ。 部屋だって私ははじめは屋根があるだけで有難いと思っていたのに、 今後はもっとマシなところにしようと考え直してる。 カギもあってないようなものなので、少しの物音でも怖いのだ。 どんなに偉そうなことを言っても、所詮は肝の小さい臆病者だ、私は。 一人じゃ何も出来なかった。考えの甘さ、自分の至らなさにうんざりした。 おみくじの言葉が浮かび、自分で否定する。(補1) 枕の下にナイフとパスポート、お金を隠す。いっそのこと、刀かピストルでも欲しいよ。 私は死なない。生きて、生きていくんだ。カセットでミシェル・ブランチとダニエル・パウターをきく。 日記を書いたら、少し落ち着いた。 明日の朝はプランを考え直す。もう寝よう。 補足1:日本でたまたまお御籤を引いて出ていた言葉。 「旅は焦るな。利益なし。」急に旅行を決めたので、その言葉通りかもと後悔をしていた私。 ...
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