孤立したのか、あるいはさせたのか - 2006年10月07日(土) 例えば物事が「ひとりあるき」していることに、ふと気付くことはないだろうか? その事象自体が固体として集団の中に存在し始め、複雑に私たちの意識の中を侵食して、 まるでソレ自体が初めから当然のように存在していたという認識である。 私は今まさにこの事を感じており、そしてそれがもたらす影響を考えると正直にいってとても怖い。 人は相手の顔を見てその人の思考の全てを読み取ることは絶対に不可能であるし だからといって私たち人間はお互いに自分の思考・現状・感情・思惑、 それらの全てをお互いに全て吐露して生活しているわけではないのだ。 この世の中は常に様々な不安要素を抱えているけれど、 私は更に緻密に絡んでいく可能性があるこの事象こそ、様々な不安要素や恐怖の根本でありえると思う。 いつだって私たちは戦い、相互理解し、真実を明るみに出しさえすれば このような事は起きないのだと分かっているのに、 自分達で求めて作り上げた筈の現実の社会に疲れて意欲を失くしかけている。 既に諦めという願望は戦う自分に乞うものではなく、私たちの作り上げてきた社会というものに対してしているのかもしれない。 集団というものの中に本来存在し得ないはずはずであったこの事象が 固体として私たちの前に存在をあらわにしたとき、 私たちはそれまでの怠惰な自分にうんざりするか、社会に対して諦めと絶望を乞いたくなるであろう。 けれどいつだって変えることは出来るのだという希望を捨てないで欲しい。 私たちの認識次第で、幾らでも可能性を模索することは可能なのだ。 ...
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