新学期が始まって1週間も経つってのに長男の読書感想文は未提出。 って言うか長男ったら感想文は選択で書かなくていいものと思い込んでたから 始業式当日に課題図書を購入に行ったりしたんだし。 夕べも遅くまで頑張ってたけど結局今朝早く起きて最後の仕上げをすることにして就寝。 当然私も5時頃長男を起こすとそのまま傍らに付き添って。 次男の漢字の宿題も中途半端なままだったから母子3人での早起きで。 で、6時頃義母が起きてきて襖1枚隔てた義父の部屋に「お父さん具合どう?」 って覗いたはずだったのに悲鳴にも似た声で「お兄ちゃん(旦那のこと)お父さんが」 「お父さんが冷たくなってる」って義母の慌てぶりから私も子供達も何事が起こったかをすぐに察知して。 すぐに旦那も降りてきて義母を抱えるように「しっかり」って。 義父母っていつもは同じ布団に寝てるんだけどここ数日は義母が安眠を求めて別の布団に避難してたから。 とりあえず現場は旦那にお任せして私は救急車に第一報。 早朝のことだからサイレンを鳴らさずって思ってたのに慌ててたから忘れちゃったけど。 間もなくして救急隊が到着。 その間にも110番通報なんかしたりして家の中はとにかく慌しくて。 救急隊の人からすでに死後硬直が始まってることなんか告げられてるし義父の死は逃れようのない事実。 続いてお巡りさんがやってきて「薬は飲んでましたか」とか「通院してましたか」とかあれこれ聞かれて。 なんだか死を実感しないままに次から次に何かが襲ってくるって感じ。 下着まで剥いで色々調べるとかでハサミを入れることを了承してとか言われるし。 家族でも現場の立会いは制限されて襖の向こうで起こってることは推測するだけ。 その間連絡要員の私は義妹に第一報。 今日が誕生日の実家の父にも。 「お誕生日おめでとうって言いたいところなんだけどお義父さんが死んだ」って伝えて。 これから数日間忌引きすることになるから7時を過ぎてから上司とか子供達の担任とかにも。 子供達は今さっきまで宿題に追われてたのに事態は一変。 「僕達がもっと早く起きていたらおじいちゃんは助かった?」なんて聞いたりしてたけど。 しばらくして検死をするお医者さんが登場。 素人目には分からなかったけどすぐに急性くも膜下出血で午前3時頃死亡って知らされて。 死んじゃったんだからお葬式をしなくちゃいけないけど義父母ったら互助会にも入ってないみたいだし。 とりあえず頼りのイエローページを探してフリーダイヤルの相談所に問い合わせ。 葬祭業者を紹介してもらって斎場を決定。 火葬場の空き状況とか遠方からの来客なんかを考えて明日の通夜と明後日の告別式って決定して。 義母は動転してるから旦那と私とで事を進めるしかない。 肝心なことは我が家は神道なんだけど氏子になってるわけじゃないから 同時平行的に神主さんも探してもらわなくちゃいけないし。 親戚とかって分かる範囲はいいけど義父の交友関係への連絡って至難の技。 横浜の義妹とか杉並の旦那の従兄弟とか品川に住んでる義母の兄弟なんかも駆けつけて。 検死が終わって一段落した頃葬儀やさんがやってきて枕元とか義父の遺体を整えたり。 で、当然ながらどんな形で義父を送るかって葬儀の段取りの打ち合わせ。 喪主は義母。 予算は変わらないみたいだから白木の祭壇じゃなく花で覆った祭壇ってことも決定して。 決まった詳細を職場とか関係箇所に連絡することも忘れずに。 昼頃一段落ついて昼食の買い出しを兼ねて義母と旦那が銀行にも立ち寄って。 もっと泣き崩れちゃうかと思ってた義母も気が張ってるのか何事も淡々と進んだし。 午後になって枕花とか弔電が届いたりして現実は待ったなし。 駆けつけてくれたお客様と家族分の夕食は行き付けのお寿司屋さんに宅配してもらって。 それにしても義父ったらあっけない幕切れだったなぁ。 ここ数日ちょっと体調が悪そうだったから今日にでも医者にって言ってたんだから。 晩年の我侭三昧も若い頃の貯金が効いたのか 大好きな自宅の畳のしかも自分の布団の上で死ねたし本望かもって思ったりもするし。 で、今となって考えるとあれがお別れだったのかなって思えることが。 昨日アイロン掛けをしていた私が「明日は実家の父の誕生日なんです」って義母に。 「まだまだ若いわよねー。うちのお父さんったら」 旦那も「オヤジ年取ったよなぁ」なんて普通じゃ話さないようなシミジミとした会話で。 念の為に夕べ検温したから夜の時点で36.4℃って本当に普段通りの義父だったんだけど。 発熱してなくても肺炎になったりしたら大変だからって。 義母が寝る前に「明日は医者に行こうね」って言ったら 何かを考えてるみたいに大きく目を見開いて天井を見てたって。 12時を過ぎても子供達の宿題が終わらなかったから義父の気配を感じながら起きていた私達母子。 と、12時を30分ほど過ぎた頃に「喉が乾いた」って義父。 いつも通りムックリ起きてくるなり買い置きしてあったリポ○タンDに手を伸ばして。 「体調悪いならそんなの飲まないで水かお茶か牛乳にした方がいいですよぉ」って私。 いつもだったら自分の好き放題にしちゃうくせに この時ばかりは「うん。ありがとう」って言うなり手にした瓶を台所に置き去りにして。 これまでを考えると義父が感謝の言葉を述べるなんて考えられないから あれが私への最期の言葉だったって思うと今までの諸々は忘れて精一杯送らなくちゃって。 そのままトイレに入ってしばらく出て来なかったから旦那が「大丈夫かぁ」って声をかけたのが最期の会話。 何はともあれ義父の生涯はこれにて終焉。 これから当分落ちつかない生活になりそうですわ。 苦しまずに逝ったことが何よりの救いだったとは言え冥福を祈らずにはいられません。
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