宿題

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2006年07月18日(火) 白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎
(正宗白鳥さんが小林さんに
「ホテルの新館に泊まったら、聖書がなくて寂しかった」
と対談の前の雑談で言った、という話で)

小林
それがあってしばらくしたら、「文藝春秋」に
正宗さん書いていたな、そのことを。

河上
ああ、ホテルに聖書がない話ね。書いていた。

小林
だからね、あの人の青春時代というものが、
だんだんまた老年になって顔を出したって、
そういうものじゃない。
いつも正宗さんの心の底にあった問題だったんだ。
そして、話をそちらに向けようとすると、
正宗さんは話を外してしまうのだ。

河上
だけれどもさ、それほどキリスト教というものに
感心のある人がね、そいつがついに二十代から八十代まで
表に出さなかったということが、
日本の文壇の歪みだったんだよ。

小林
それは、歪みというものかね。
それは歪みかもしれないけれども、
みんな歪みのなかにいましょう?
そうすると歪んできたってことはね、
大変自然なことなんですね。そうすると、
この白鳥先生みたいなクリスチャンというものは、
やはり独特だね。
独特なものを育てているんだろうな。
それが面白いのだな。
面白いから、話をそちらに向けようとする、
すると、正宗さんは話を外らすのだ。

河上
そのとき速記ははじまってたのか?

小林
そうじゃない、速記の前です。
そのときにね、
「やはり習慣でね、きみ、
習慣で聖書を読む。習慣だからね」
というふうに話が外れるのだ。
つまり、一種の言わば口にするのが何か恥ずかしい
というようなものが、あの人の裡にあるのだな。
キリスト教、宗教の話をまともにするということに関する
大変純粋な羞恥の情というべきものがあるのだな。
それが私を打つのだ。
日本の歪みとあんた言うけれども、
それが歪みなら歪みでよい。
しかし、何だな、キリスト教なども、
口にする恥ずかしさを失ったら
キリスト商売になるからな。


★白鳥の精神/小林秀雄×河上徹太郎★

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