○プラシーヴォ○
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少し前から昏睡状態だった父方の祖母が 昨日の夜、亡くなった。
10年近く、顔を見ていなかった祖母。
時々かかってくる電話で、 「今、週に1回行っているデイサービス(介護施設) で、がちゃ子と同じ歳の子が働いてて、 体を洗ってくれたり、遊んでくれたりするねん。 つい、間違ってがちゃ子って呼んでしまうねん」 と笑っていた。
60歳くらいまで私達の家の近くに住んでいたのだが、 祖父が亡くなり、1人暮らししているうちに 体もあまり丈夫でなくなり、 父の兄(長男)と同居することになった。
横浜という、言葉も食事の味も全く違う地に行った祖母は、 電話がかかってくるたび、こっちに帰りたいという。
悲しそうな声を聞いて、 「いつか会いにいくから、泣かないで」 というのが精一杯だった。
5月に亡くなった祖父といい、 私は安心しすぎていた。
もっと、皆と顔を合わせて、 悔いの残らないように話をしなくてはいけない。
『いつでも会える。いつまででも生きてる』 そんな人は、いないのだ。 皆、いついなくなってしまうか分らないのだから。
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