singersong professor KMの日記

2011年05月30日(月) 菅おろし,そして政局

 自民党と公明党が菅内閣への不信任案を提出するという。民主党の内部からも同調者が出てくることが期待されている。

 ま、全体に不可思議な話だ。与党内部ですらまとまらないだろうというのもおかしな話だ。野党は与党のやり方が気にくわないから不信任だという。菅首相のリーダーシップが問われているという。

 「政局」になりそうだというので、政治家は色めき立っているらしい。これをうけて株価は低迷気味である。「永田町用語の「政局」は、総理の進退を含む大波乱・対決を指す」らしい(http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/k010303.htm)。

 考えてみれば90年代から、ここ20年ほど政治は「政局」に振り回されている感じだ。マスメディアもそれをあおり続けてきた。国民もそれに翻弄されたように思う。

 よく言われるように,政策で争うべきだが、そうはなっていない。「政権交代」か否かで、争われ続けてきたように思う。また自民党も民主党も官僚主導から政治主導へをうたい文句にしてきた。何をどうするかが争点になってこなかったように思う。

 今回の内閣不信任にしても、自民党ならこんな政策をする,私ならこうするという政策の提起があるわけではない。やり方が気にくわないから不信任だというにすぎないように思う。対案が出されているように思えない。与党も野党も党内が一つの政策でまとまるような状況ではないようだ。

 では、国民は何を基準に投票したらよいのか。政権交代がもはや争点にならなくなると、政治はますます混迷せざるを得ないように思う。政策がないのだから政権の目標が定まっていないわけで、成果を評価する基準がない。そこで、好き嫌いのような感情で動くように思う。

 具体的な目標に向けて執行がなされ,正否が判断されないから、いつまでたってもらちがあかない。もしこれが企業であったら、とうに倒産しているだろう。そういう意味で言うと、われわれ経営学を学んでいる人間にとっては、反面教師である。その轍を踏まないようにしたいと思う。


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singersong professor KM