singersong professor KMの日記

2011年05月27日(金) 空気

 福島原発問題は相変わらず混迷している。海水注入を東電本社の指示で現場に中止するよう伝えられたが、現場の福島第一原発の所長の判断で中断しなかったという。それ自身現場の正しい判断で救われたらしい。

 斑目原子力安全委員会委員長が海水注入によって再臨界の可能性無しとしないと言った(言ったとか言わなかったとかも問題になったようだが)。それを受けて首相官邸が動きそうだという「空気」がそこにいた東電関係者から本社に伝えられ,それを受けて本社が現場に指示を出して、それを現場が無視した、ということらしい。

 ここでは、その是非を論じようというのではない。ここで気づいたことを述べたい。それは「空気」である。首相官邸は海水注入停止の指示を出したわけではない。東電は官邸の「空気」を読んで行動しているらしいと言うことだ。日本的だと言えば日本的だが、東電は常に官僚と接していて「空気」を読んで行動しているらしいことがわかる。

 この場合「空気」を読んで行動するわけだから、官僚は何も決定していないし,指示も出していない。決定や指示を出さなくても,「空気」が支配して,それで物事が進んでいくらしい。だから、結果が悪くても、官僚は決定や指示を出していないのだから,責任をとらなくてもよい。責任は東電にある、ということになる。

 こういう日本の官僚の無責任体制が,今回の事件の底流にあることがわかる。官僚は責任をとらなくてもよいのだから、楽には違いない。かつて「曖昧な日本の私」という大江健三郎氏の講演があったが、まさに「曖昧」に処理される。責任はうやむやになる。今回もそうなるだろう。明確な事実に基づいて意思決定されるのではない。

 東電の存続,被災者への損害賠償もどうやら曖昧に処理されそうだ。私はゼミなどで、東電のこの3月の貸借対照表を作ったらどうなるか、会計理論的にどうなるかを話したことがある。被災者への損害賠償責任がすでに金額は決まっていないのだが,発生していることは間違いない。会計学的には、まさに「損害賠償引当金」あるいは「未払い賠償金」を計上しなければならないところだ。

 これを計上したら、東電は債務超過になるだろう。とすれば、上場廃止になるところだ。理論的には会社更生法適用会社になるだろう。東電の破綻は間違いない。現在の東電を存続させる意味はない。ただし、電力供給の問題を考えるとき、事業継続と会社再建は必須である。それを行うのが会社更生法の趣旨である。当然経営者はもちろん株主責任も問われて,株券はただの紙切れになる。銀行・社債所有者などの債権者も,一部債権カットがありうる。

 経済合理性、法律の純粋理論からいけばそうなるはずである。もちろん被災者救済問題は残る。これこそ政府の仕事のはずである。

 「曖昧な」日本ではそうはならない。政府も「空気」を読んでくれる,東電はありがたい存在なので、これを潰さず、資金を東電に注入して,被災者救済も東電にやらせようとしている。一民間企業にそれをやらせることの是非が問われなければならないはずだ。無責任体制の温存は許されるのだろうか。東電と政府の間で責任の押し付け合いが,被災者救済を巡って繰り広げられるだろうことが予想される。私の予想ではそうなる。

 今後とも注視していきたい。


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singersong professor KM