singersong professor KMの日記

2003年03月07日(金) 若手会計学者へのメール

 若手会計学者T君からメールをもらった。

「東大出身の新古典派経済学こそグローバルなスタンダードであるという労働経済学の先生からのプレッシャーもあって,自分のペースを崩しかけていますが,そういうプレッシャーに負けずに,人は人自分は自分と割り切っていくしかないと考えています。会計研究も東大出身の先生に言うように,近い将来アメリカンスタンダードに,新古典派経済理論に基づいた会計理論研究にとってかわるのでしょうか?私には今時点ではわかりませんが。東大出身の先生いわく,「概念研究・歴史研究」は早晩廃れるんだそうです。」

 私にはそうは思えなかったので,少し大胆ではあるが,おおよそ次のような返事を書いた。元気づけたいという気持ちもあって,かなり踏み込んで書いた。けれども間違ったことを言っているつもりはない。そこで以下私信に若干手を入れて紹介しておきたい。

 私の会計学の知識ではよくわからないところが多いのですが,まわりの会計学者の様子から会計学が数理派で占められていくのかどうか,予断を許さないという面もありますが(とりわけ日本の場合),制度研究の重要性は会計の場合その重要性は変わらないと思います。
 とくに実用の学としての会計学は,実務と離れたら存在意義が,なくなる。とりわけ研究としての会計学はともかく教育としての会計学では実務は絶対に重要です。そしてまた研究としての会計学が中途半端な数理派でいくと,経済学の亜流以外の何ものでもない。これでは経済学者に負けてしまうし,そのレーゾン・デートルが疑われるでしょう。もちろん会計学でもしっかりした実証は絶対必要です。そして私自身もっと数学・統計学を勉強しておくべきだったとも思っています。
 新古典派経済学は曲がり角にきていると思います。だからこそ,98年度のノーベル経済学賞でアマルティア・センが受賞したり,最近のノーベル経済学賞で実験経済学が受賞したのでしょう。確かに実験経済学は新古典派経済学の延長線上ですが,新古典派経済学が近年,ゲーム理論などに傾斜する中で,ついに実験経済学に進んできたと,私は見ています。さすが最先端の経済学者はここまで進んできています。経済学者に優秀な人たちが多いことは間違いない。
 また面白いことに,ディアドラ・N・マクロスキー,赤羽隆夫訳「ノーベル賞経済学者の大罪」(筑摩書房,2002年)などが著され,新古典派経済学への反省が出てきています。
 まして,日本の新古典派経済学者は一流の人はともかく,三流の人は,そういう最新の動きについていけていないのではないでしょうか。そしてましてまして,会計学で数理的実証的にやっている人で,自分で,モデルをつくっている人っているのでしょうか。ほとんど,アメリカのモデルにちょっと手を加えて,日本のデータで実証するというレベルのものが多い。お話になりません。私も最近そういう実証を,かじってみてよくわかりました。
 会計学者はもう一度簿記をしっかりやるべきではないかと思っています。経済学で実証の基礎となる,国民経済計算は,簿記そのもので,その面でも会計学者の有利を発揮できるはずです。
 学問が役に立たなければ意味がない。経済学もそうですが,会計学はもっと役に立つ必要がある。経済学でもいかに役に立つ方向が軽んじられているかは,最新の日経ビジネス(2003年3月10日号)89ページ書評,森永卓郎「原田泰『日本の「大停滞」が終わる日』」,の中で,経済学の業績主義が,役に立たない経済学をもたらしていることが,示唆されています。会計学でも悪しき業績主義が奇妙な実証研究をもたらしていることは間違いない。
 会計学が役に立たなければ,これは勉強する意味がない。これを,勉強する学生にはとくに役に立つと言うことがなければ,教育する意味がない。そしてそれは経済学者にできないことである。大先輩で大会計学者のT先生が,「経済学帝国主義」と戦ってこられたことはよく知られています。「無用の経済学」批判を,会計学という衣を借りて,やってこられたわけです。この学派に連なるT君も是非ともそういう自信を持ってそういう三流経済学者と対峙してほしいと思います。一流経済学者はそんな馬鹿なことは言いません。
 ただし,「敵を知り己を知らば,百戦危うからず」で,先ほど紹介した書物などを読んでおいた方が良いと思います。既にお読みかも知れませんが。


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